日食が終わるまで、あと××時間

 ピッとコンロの火を止めてから、私はくるっと振り返る。

「出来た!」



 何をするでもなく、ずっとソファに腰をかけ続けるだけだった彼は「ようやく」とばかりに立ち上がった。

 そしてなんとなくいそいそとした足取りで隣にやってきた彼に「どう?」と微笑む。



「旨そう」

 端的で素っ気ないながらも、しっかりと芯のある声で紡がれた感想に、私の口元は更に綻んだ。



「じゃあ、食べましょう」

 お皿出したから、好きな量よそって。と、私達はそれぞれ自分の好きな量のご飯とカレーをよそった。



「え。待って、雨澤さん。まさかそれだけなの?」

「まぁ、もともと小食だから」

「小食って言っても、女性の私より少なめに見えるってどういう」

 事? と、怪訝に上がる語尾は、くるっと軽やかに回る背によって弾かれてしまう。



 雨澤さんは「もう良いだろ」と言わんばかりに、ダイニングテーブルとチェアが置かれた場所にスタスタと歩き出してしまった。

 私は唇をむうっと結んでから、淡々と先を行く彼を追いかける。



 このテーブルの席はいつも一席だけが埋まって、対面の椅子はぽっかりと空いている。

 その椅子が誰かに受け止められる事は偶にしかなくて、いつも寂しそうにしているのだけれど。今日は……いや、今日から頻繁にこのテーブルは満席になっていくのだろうな。

 ストンと自分の席に腰を下ろし、対面に座る雨澤さんを見つめる。自然と、目と口が喜びをふわりと描いた。



「……何?」

 あらら、見過ぎちゃったか。



 私は「ううん、何も」と軽やかに首を振り、「じゃ、食べましょ!」と手を合わせた。



 パチンッ、朗らかな音が勢いよく弾ける。

 小さなパチンッが、弱々しく続いた。



「いただきます!」

「いただきます」

 デクレッシェンドで始まった食卓の調べ、カチャカチャと食器が動く音が楽しげに追随する。



 ご飯とカレーが絶妙なバランスで掬われたスプーンを口元に運ぶと、私はパクッと大きな一口で迎え入れた。



 んんっ! と、口いっぱいに広がる旨味に悶絶してしまう。

 久しぶりにカレーを作ったけど、やっぱりこのレシピは美味しいわぁ。温まるし、色々な栄養もがっつり一気にとれちゃうし。

 蕩けるようにしてなくなり寂しくなった口に、私は素早く二口目を飛び込ませた。

 一口目が残していったスパイシーさに乗り込んでいく。けれど、辛いだけが強くなっていく訳ではなかった。噛みしめる度に深まるご飯の甘みが、傾きかけるバランスを丁寧に整えていくから。

 勿論、カレーに入れた調味料の数々だって絶妙なバランスを保ち続ける様にして、しっかりと働いている。

 私的には、多分、隠し味的に入れたソースとバターが良い味出していると思うのよね。



 私は「うんうん」と頷くようにして、もう一口を頬張った。すると

「君、本当に旨そうに食うよな」

 目の前から、淡々とした感想が飛ぶ。



 カレーについての感想が一言目に来ると思っていたから、思っていたのとはちょっと違ったけれど。それでも、彼の方から紡がれた言葉には変わりない。

 だからそう、とっても嬉しいのだ。



「だって、美味しいから」

 にへへっと、更に緩んでしまう口元で答える私。

 彼はそんな私を一瞥してから「そう」と、止まっていたスプーンを動かし始めた。小さな一口で、パクリ、パクリと静かに食べ進めていく。



 今度は、私のスプーンがピタリと止まった。

「カレー、美味しくない?」

「いや、旨いよ」

 彼はちらっと目線を上げて答えてから、またストンと視線を落として、黙々と食べ始めた。



「なら良かった」

 私はニコッと微笑み返してから、止まっていたスプーンをゆったりと動かし始める。



 やはりシャットダウンされてしまう会話。

 どうしたら上手く続けられるのかなぁ。なんて思いながら、「あと、やっぱりね」と口を開いた。

「独りでご飯を食べていないから、嗚呼美味しいって想いが溢れちゃうのかもしれないわ」

 自然と出てきたのは、二つ前の話の続きだった。



 もう流れた会話なのに、今にまた繋げ直してしまったのは、少しでも彼の話を続けたいって思ったからかもしれない。



 新しい会話の方が良かったかな? 

 小さな後悔がパッと咲くけれど。私は「ま、良いか!」とばかりに言葉を継いだ。



「私は独りで食べる時より、誰かと食べている方が美味しいって想いを強く感じられるんだけど。雨澤さんは、どう?」

 雨澤さんはスポーンをカレーの沼にちゃぽと静かに沈めてから、私を見つめる。

「……どうと言われても、別に」

 素っ気ない返答が、また、シャットダウンのボタンを押した。



 私の口元がぎこちない弧を描くと共に、会話終了のローディングが素早く始まっていく。

「そっかぁ」

 フッと黒一色になろうとしていた、刹那。

「ただ」

 ローディング画面が突如固まり、「中止しますか?」の文字がふわんっと灯る。



 私は直ぐさま飛び込んだ。黒を開いていく、小さな白に。



「ただ? ただ、何?」

 ぐんっと前のめりに突っ込む私。

 彼はそんな私に小さくギョッとし、口をまごつかせた。「いや、別に。そんな重要な事じゃないんだけど」と言わんばかりに。

 けれど、私は「良いから、良いから!」と目を爛々とさせて、彼の言葉の先を待った。



 雨澤さんはまごつく口元をキュッと一文字に締め直してから、ゆっくりと開く。



「温かくて良いな、とは思う」

 私の鼓膜がビリビリと震え、紡がれた一言を直ぐさまキャッチする。

 勿論と言うか当然、私には満面の笑みが広がっていた。



「じゃあこれからは、一緒にご飯を食べましょうよ。お互いの家を順番に行き来しても良いし、ずっと私の部屋でも良いし、雨澤さんの部屋でも良いわ。兎に角、一緒にご飯を食べられれば良いの」

 勿論、仕事とかあるから一緒に作る事は難しいかもしれないけど。と、私は肩を小さく竦めて、また一口を掬い上げて言った。



「一緒に食べる事は、絶対に出来ると思うから」

 カレーを掬ったスプーンをパクッと口の中に封じ込むと同時に、ニコッと口角を上げる。



 じわじわと大きくなる目が、私だけをジッと捉えた。そして

「分かった」



 こうして私達の間に、約束が一つ、生まれた。

 ご飯を一緒に作って、ご飯を一緒に食べる。

 細やかだけれど、暖かな何かを着実に築いていく為の約束が私達に溶け込んだのだった。