日食が終わるまで、あと××時間

「視点を宇宙に変えてみると、こんなに広大な空だって瞬く間にちっぽけな一部に変わるだろ?」
 だから人間の世界なんて、本当に小さいものなんだよな。と、隣に立つ雨澤蓮斗《あまさわれんと》は淡々と言った。

 紡ぐ言葉と共に、ほうっと吐き出される白い息がゆらゆらと揺蕩いながら上っていく。広大なんてものじゃないと言う、濃藍の空に向かって。
 それがどことなく、不可能に近づいていこうとする挑戦にも見えるし、そこへ辿り着きたいと言う切なる願望にも見えた。

 私は、視界の端でじわじわと消えゆく白を捉えながら「そうだねぇ」と頷く。

 本当は、もっと別の言葉を期待していた。気の利いた事を言って欲しかったって言うか。もっと、こう心がキュンと来るような言葉を望んでいた。
 だって、今は私達しかこの壮大なロマンに包まれていない。そればかりか、閑静が私達二人きりの世界にすべく帳を下ろしてくれていて、寒さがいつも少しだけ空く距離をさりげなくギュッと縮めてくれているのだから。

 まぁ、分かっているわよ。どれだけそこにロマンチックが詰め込まれていようが何だろうが、蓮斗の基本スタンスは無関心。「自分の心が動いた時だけは別」を貫く男だと。

 つまり今、神秘が情熱的に作り上げるロマンチックにぐらぐらと揺さぶられているのは私だけと言う事なのだ。とっても、残念だけれど。
 私はキュンキュンと脈を打っている乙女心を封じ込むべく、ぎゅっと両手をコートのポケットに押し込んだ。
 ちょっとした温もりに、ほわりと慰められる。

 その時、「あ」と気づいた。
「あっ、あれ! オリオン座じゃない?」
 ほら、あれ。と、私はズボッとポケットから片手を飛び出させ、勢いよくぶちまけられた様に広がる星々の一つを指さした。

 蓮斗は顔をキッチリと固定したまま、私が「あれあれ」と促す指先をゆっくりと辿る。

「あぁ、うん。オリオン座だ」
 これだけ星があると、本当に見つけづらいな。
 私は彼の淡々とした独り言を「ね」とキャッチしてから、「冬と言えば、って星座よね」と笑いながら顔を戻した。

 見上げすぎて、ピシピシと顔と首の繋ぎ目が疼いていたのである。
 蓮斗も「うん」と頷くと同時にストンと顔を戻した。

 世が世なら、腕利きの絵師に目を付けられて、額縁の中に収められている様な容貌だ。でも、きっと彼を是非モデルにと声をかけられる人は少なそう。
 あまりにも造形美が過ぎて高嶺に感じるから。しかも少し長めの前髪と、涼しげと言うよりもスッと鋭い目元、あまり開く事のない唇が、その峰を欹てているものだから殊更声をかけにくい。

 相手からすぐに「すみません」って白旗を上げさせてしまうのが、蓮斗だ。
 始めの頃は、私もよく白旗をあげていた。彼からすぐに落とされる沈黙に耐えられなかったのだ。

 でも、今は違う。

 私は「十二星座じゃないのに有名な星よね」と、朗らかに言葉を続けた。
「大きいし、あの三つの並びが特徴的だからかな。子供でもすぐに見つけやすいし、分かりやすいもの」
「それと、サソリの話が有名だからじゃないか」
 結ばれていた唇が、また、開いてくれる。私の言葉の続きを紡ぐみたいに。
 刹那、自分の顔がふわっと綻んだのが分かった。「緩んだ」の方が的確かもしれない。
 どっちだって良いけれど、兎も角、私はその幸せを広げたまま「サソリが怖いから逃げてるんだっけ」と言った。

「敵なしだったけど、サソリにプスッて刺されてやられちゃったんだよね」
 こう、プスッて。私は人差し指を鉤の様に曲げ、ぴょんぴょんと曲がった部分を上下させる。

 すると、蓮斗からフフッと小さな笑みが零れた。「そんな可愛い具合じゃないだろうけど、まぁそうだったかも」と面白そうに言い、再び顔を上げる。

 サラリと流れる、少し長めの前髪。そこから覗く瞳は、まっすぐ星々の瞬きを捉えていた。

「オリオンも傲慢にさえならなきゃ神々に嫌われる事もなく、サソリに刺される事もなく、サソリから逃げる星座なんて不名誉な扱いを受ける事もなかっただろうに」
 静かに淡々と紡ぐ、オリオンへの憐憫。

 私は蓮斗の横顔を少し見つめてから、彼が見つめるオリオンを同じように捉えた。

「あの時に戻れたら、あの頃をやり直せたら……って、思ってるかもね」
「うん」
 いつもの淡々とした口調で同意を結ぶ。けれど、いつもと違って、ぼわと揺れ動く炎の熱を感じた。
 だからこれはオリオンへの憐憫なんてものじゃないと分かる。

 私はキュッと唇を結んでから「蓮斗」と、彼の名を呼んだ。
「何?」
「蓮斗にとって、あの時に戻れたらって後悔する時はいつ?」
 ストンと視線を落とし、星よりも美しく儚い存在を見つめて問いかける。

 蓮斗は唇をキュッと横に結んで、天を仰ぎ続けていた。そして
「……君と出会った時、かな」
 ほうっと白い息と共に吐き出された答えが、ズキズキッと私に亀裂を走らせる。

 悲しい、けれど。嗚呼、そっか。やっぱり、そうなんだ。まぁ、そうだろうなぁ。
 ピシピシと広がる哀しい亀裂の中には、納得が疼いていた。

 だって私は、出会った時から今までずっと彼に酷い事をし続けている。

 ぎゅっとココに縛り付けているばかりか、彼が望まない道ばかりを強引に歩ませようとしているのだ。
 酷い、なんてものじゃない。
 彼が心から好きな人であるからこそ尚更、この行いは非道さを増してしまう。

 分かっている。そう、分かっているでしょ。

 私はキュッと唇を結んでから、ガバッと勢いよく開けた。
「ひ、ひっどぉい!」
 迸る傷に呻く心を笑顔で封じ込みながら大仰に叫ぶ。
「絶対に今言う事じゃないわ! ちょっとは空気を読んでよ!」
 バシッと、彼の腕を軽く叩いて言った。

 力を入れていない蓮斗の体が、そのまま衝撃に押されて、ゆらっと動く。
 蓮斗は「ん」と小さく頷いた。

 じわじわと迫ってくる静寂。
 けれど、私が「本当にもうさぁ!」と朗らかな言葉を継いでそれを払いのける。わざとらしく、やれやれと頭を振って必死に逃げた。

「悪気ないのは分かってるから別に良いんだけど! 今みたいな場面で言う事じゃないんだからねぇ! ほんと、こんな所で言う事じゃ」
「ねぇ」
 珍しく、蓮斗の声が私の無理な明るさを遮った。

 私の口は、唖然と固まってしまう。目も大きく丸まって、彼を凝視していた。

「あの時があったから幸せって時はいつ、って聞いてくれても良いと思わない?」
 蓮斗は「嫌な質問の次には良い質問をすべきだろ?」とでも言いたげな顔で、私をまっすぐ見つめていた。

 驚きと真剣が、しゅるりと交錯し、一つに溶け合い始めている。
 私はこくりと小さく頷き、息をのんでから尋ねた。

「あの時があったから幸せって感じる時は、いつ?」
 ぎゅっと真一文字に結ばれた、蓮斗の唇がゆっくりと動く。

「それは絶対に、君と……結叶と、出逢った時だよ」