事務所を出ると、公園内東側にある集会所近くの桟橋に、ブルーシートが張られていた。その周りを、南波班が囲んでいる。主任の南波は、どこかに電話をしているようで、話を聞ける雰囲気ではない。
「ご遺体、引き揚げられたんですね」
藍が声をかけたのは、南波班の巡査部長――青柳だ。
「これは大事件になるぞ、千木良」
「え?」
「それ、どういうことっすか」大平が聞く。
「お前らの出る幕じゃない」
そこへ、同じく南波班、巡査部長の一色が間に入った。神経質そうな七三分けが、鼻につく相手だ。
「第一発見者に話は聞けただろう。身元も、こちらで確認できている。君たちが追っている後藤田晋也とは無関係だ」
「身元は?」
「君に教える義理はない」
「いずれ報道されるでしょ。意地悪いこと言ってないで、教えてよ」
「おい、階級も年齢も上の人間に向かって無礼だぞ」
「まあまあまあ! ストップ、ストップ!」
一歩詰め寄った一色の前に、大平が体を滑り込ませた。わけもなく、一色のネクタイを締め直し、襟元を正してやると、大平はお得意のスマイルを向ける。
「階級はおんなじやけど、ここは年上の俺に免じて、なっ?」
大平に、トントン、と胸を叩かれた一色は、藍にひと睨み聞かせてからその場を離れていった。
体の向きを変え、藍と向かい合った大平は、顕になっているその額にデコピンを放った。
「いった! ちょっと――」
「お前な、あんま調子乗んのもええ加減にせえよ。長塚さんにしろ、一色にしろ、そんなに牙を向く必要ないやろ」
「だって――」
「だってちゃう。まったく……布施班の教育方針を疑ってまうわぁ。シノさんも、こんなじゃじゃ馬の手綱を握らさられて――かわいそうに」
シノさん――警部補でありながら、布施班に身を置く刑事だ。
本名は、篠田誠一。
藍と百人町での事件の際にコンビを組み、本部離脱後、新宿署刑事課から異動してきた大ベテランだ。藍にとっては、布施に次いで信頼できる刑事で、篠田自身も藍と捜査に当たれたことを貴重な時間に感じている。
「大平さんが思っているより、わたしとシノさんの関係は良好ですから」
「あーあー。これじゃあ布施が嫉妬してまうわな」
「え、はぁっ⁉︎」
藍の反応に、大平は目を丸くした。
「そんな驚かんでも、冗談やんか」
「……今のわたしに、その冗談は心臓に悪いです。やめてください」
「お、なんや急に静かになって……――え。え、え、えっ、なんかあったん⁉︎」
「何もないです」
「え、ちょ待って、俺布施から何も聞いてへんし!」
「おい、うるさいぞ」
大平と藍の会話を遮ったのは、先ほどまで電話をしていた南波だった。
藍は大平の肩を退かすと、南波の前に出る。
「南波主任、マル害の身元を教えてください」
「残念だが、本件は特捜本部が立つ」
「そりゃ、人が一人死んでるんですから」
「いつもみたいなガバガバのセキュリティじゃ、犯人に逃げられる」
「ん、どういうことっすか」
「やすやすと教えられないんだよ。わかってくれ」
この返答には大平も納得がいかないようで「理由を説明してもらえませんか」と、詰め寄った。
辺りを気にするように見渡した南波は、一歩、二人に近づく。
「大平――」
「はい」
「千木良――」
「……何ですか」
「お前ら、いざという時は仲間を疑える人間か」
鋭い問いに、二人は思わず息をのむ。
春の柔らかい風が、場違いに三人の間を吹き抜けていった。
「もちろん。刑事ですから」
答えに窮した大平の代わりに、藍が答えた。――このままでは、話してくれることも話してくれない。
南波が、決心したように何度か頷く。そして、大平、藍の順番に視線を送った。そしてまた、その視線が大平へとゆっくり戻される。
「マル害の名は、ソワハラアクタ――」
「はっ?」
先に反応を示したのは、大平だった。
藍は、名前を聞いてもピンと来なかった。――大平は、マル害のことを知っているのだろうか。
「鑑識は、腹部を集中的に刺されたことによる失血死として見ている。捜本は、怨恨の線で捜査を進めるだろう。――大平、お前なら俺の言っている意味がわかるな?」
置いてけぼりの藍は、南波と大平の顔を見比べた。いつもの調子で、横から口を挟める空気感でないことは、流石にわかる。
「……――はい」
「他言無用だ」
南波は大平の肩を軽く叩くと、ブルーシートの中へと姿を消した。
「大平さん、今のって――」
「一色の言う通りや。俺らに出る幕はない」
そう言って、公園の出入り口へと踵を返した。ポケットに手を突っ込み、荒々しく歩を進める大平の背中を、藍は黙って見ることしかできなかった。



