アトーンメント -警視庁捜査一課・千木良藍-


 県道四九号上り線に入ったあたりで、大平が素っ頓狂な声を上げた。

「なんや、布施(ふせ)に言うてへんのか」

 あからさまに大きなため息をつかれ、人差し指でハンドルをトントンと叩く大平は、明らかに苛立っている。
関西人は気が短い――と思われがちだが、本人たちに自覚はあまりないようだ。怒らせてしまったかと思えば、次の瞬間にはけろっとしていたりする。それは、大平も例外ではない。

「お二人同期なんでしょ? だからまあ、いっかなーって」

「いっかなーやないわ、アホ!」

 おまけに舌打ちまでされる。
 藍は拗ねたように頬杖をつくと、助手席から車窓の外を見つめた。マンションや一戸建てが林立する通りを、大平が運転する捜査車両が走っていく。

 警視庁から新宿署に顔を出したのは、昨日のことだ。

 依然行方不明の後藤田晋也は指名手配のまま、事件から三ヶ月が経過し、捜査本部は大幅に縮小された。捜査一課第五強行犯捜査殺人犯捜査第九係の一個班――園部(そのべ)班と所轄刑事を中心に、十人ほどの捜査員のみで継続捜査を行っている。捜査が行き詰まっているという風の噂を耳にし、居ても立ってもいられなくなった藍は、上司であり恩人でもある布施征哉(ゆきや)の同期、園部班巡査部長の大平を頼った。

 被害者の一人息子である友思が現在どのように過ごしているのか、自分の目で確かめたかった。大切な人を奪われ、その犯人が見つからないまま自分の人生を過ごさなければいけない苦痛は、藍にも痛いほどわかる。

「友思くんが心配なんはわかるけどさぁ、勝手に抜け出すんは褒められたもんちゃうで」

「褒められることの方が珍しいですし、それは問題ありません」

「アホ、そういうことを言いたいんやないわ」

 今日会った友思は、前を向くために努力しているように見えた。負った傷は計り知れないが、あの子なりに母親に対してはケジメをつけているのだろう。まだ小学生だというのに、しっかりしている。時々、施設に顔を見にくる刑事がおらずとも、友思は道をまっすぐ歩いていけるだろう。
 友思の様子を思い返し、胸を撫で下ろしている藍に、大平は気にせず言葉を続けた。

「後で叱られるん俺なんやからなぁ? ちゃーんと、報連相は、しといてもらわんと」

「……はいはい」

「アホ、はいは一回や」

「関西人ってなんですぐ『アホ』って言うんですか」

「ただのコミュニケーションや。覚えとき!」

「はいはい」

「アホ、一回や言うとるやろ!」

 アホを連呼する大平は、どこか嬉しそうにも見える。関西人の生態は、生まれも育ちも東京の藍にとっては、理解し難い。無駄に明るくて関西の血が人一倍濃そうな彼が、布施の同期で、その中でも交流が絶えない親密度だということに心底驚いているし、今でも半信半疑だ。大平と布施が対等に話している図が浮かんでこない。強いて想像できることと言えば、大平がペコペコしながらお酌しているところくらいだ。

 いっやあ、ほんま同期一の出世頭ですわ。俺なんかもう、布施さんの足元にも及びませんわ。ガハハハハハハ!

「うん、絶対に嘘だ」

「なんや、今なんでちょっと笑った。おい、千木良」

「もーうるさいですよ。前見てください、前」

 布施と大平の関係性については俄かには信じられないが、もしそれが本当なのだとしたら――。藍は、多少ほっとする。

 布施は、明らかに同年代の刑事たちより頭一つ抜けている。しかし、柔軟な思考と、行動の堅さは、どこか浮いているようにも見える時もある。だからこそ、明るさの権化のような大平が、布施を近いところから見てくれているということに、藍は感謝さえしているのだ。

 彼の警察人生の大半に、藍は関わっている。藍が一人で背負うはずだった過去や使命を、布施は半分担いでくれている。それに申し訳なさを感じつつも、とても心強かった。この人と、ずっと一緒にいられたらいい。

 ――全部終わったら、話したいことがある。
 ――俺と藍ちゃんの、これからに関わる大事な話。

 新宿区百人町都営アパート夫婦殺人事件の捜本に吸い上げられたその日、日向(ひゅうが)と一悶着あった後に言われた言葉だ。その言葉は、藍の頭に棲みつき、日を追うごとに大きくなっている。捜本から外された今は、いつ事件が解決するものかと落ち着かない日々だ。

 布施のことを考えるだけで、顔が熱くなる。大平に悟られないよう、ふたたび車窓に視線を投げた。

 しばらくして、走行音に混じってバイブ音が響く。
 藍はスーツの中に手を突っ込むと、大平の方へ視線を向けた。

「大平さんのじゃないですか」

「あぁ、みたいやな」

 片側二車線の広い道路になったところで、車が路肩に停められた。

「ちょっと待ってな」

 ジャケットの内ポケットからスマホを取り出した大平は「げっ」と声を上げると、その画面を藍に向けた。そこには【園部主任】と表示されている。大平が所属する園部班の長。九係の中で女性刑事は二人しかいないのだが、藍ともう一人が、この園部恵里(えり)である。藍とはまた別の角度での厄介さがあるようで、刑事部の男たちからは敬遠されているらしい。大平の表情が、まさにそれを物語っていた。

「早く出たほうがいいんじゃないですか」

「腹痛なってきたわ」

「なっさけない」

 藍はため息をつくと、『応答』の緑色のアイコンをタップした。大平の目が飛び出そうなほど大きく見開かれる。

「ちょっ‼ あぁ、もうっ。――……はい、大平です」わかりやすく、声がワントーン下がった。「今運転中で――……あぁ、いや、流石に停車はしてますけど」

 所謂バリキャリの恵里にたじたじな大平を横目に笑いを堪えていた藍だったが、次の大平の「――……えっ?」という意味深長な反応に、顔を上げた。

「――……はい。わかりました。すぐ向かいます」

 電話を切った大平が、神妙な面持ちでスマホをしまう。

「何かあったんですか?」

「千木良、赤色灯出せ」

 言われるがまま、車内にしまってあった赤色灯を車の屋根につけた。マイクを手に持ち、緊急走行のアナウンスをする。前を走っていた車たちが、サイレン音に混じった藍の声に、じわじわと道を開けていった。

「大平さん、」

「板橋区前野の公園池から男性の遺体が発見された」

「えっ」

「――後藤田晋也かもしれない(・・・・・・・・・・・)」