……なんで私がこんな目に。
睦美はアパートへ帰ってすぐ、手に持っていたバッグを床に叩きつけた。
ワンルームの狭い玄関には、靴箱に入りきらなかった靴が溢れている。それらを避けながら、睦美は片付いていない部屋に足を向けた。
先週まで、自分が世界の中心にいる感覚があった。
それが突然反転してしまった。
透明人間のように扱われたのは生まれて初めてだった。
……私が、なにしたっていうのよ。
惨めさと悔しさが拮抗していた。
友人たちに無視されたまま授業が始まり、教室が静けさに包まれる中、睦美は必死に考えた。
けれど遡っても、こんなことをされるほどの原因が思いつかない。
それに仲間の誰かの怒りを買ったのだとしても、全員が“そっち”に付くなどありえない。――ありえないほどの理由を、誰かが作った?
そういえば、と睦美は痺れるような思考の中で立ち止まった。
この週末、親しい友人たちからはメールが入らなかった。
だが気に留めなかった。引っ越しの荷解きや買い出しで食事もろくにできないほどやることが多かったからだ。週明けに日常に戻るためには、この週末にある程度済ませなければならない。
そして――
心はずっと、“家族”や碧に捕らわれていた。
友人に時間と気持ちを割いている余裕などなかった。
麦になにもかもバレていたこと、
碧を麦に取られたこと、
麦が両親を味方につけたこと、
自分の――出生の、秘密。
……いや、そんなこと、私に関係ない。
睦美は弱気になりそうな自分を励ました。
自分を産んだ人が卑怯だったからといって、なぜ覚えてもない母親の罪まで、自分が背負わなければならないのか。
『母親』が復讐理由のひとつになっていたことは、いつの間にか睦美の中から消えていた。
睦美は、父と母が自分に向けた嫌悪感を思い返し、奥歯を鳴らした。
ふたりが麦を“選んだ”ことにも絶えず怒りが込み上げている。
ここまでうまくやってきた。
自分の居場所を作って、守って、自分の力で生きてきた。
そのプロセスで誰かを傷つけたかもしれないけれど、そんなことは誰でもやっていることだ。
……確かに、少しやりすぎたかもしれない。
けれど最初に裏切ったのは麦だ。
自分は、悪くない。
睦美は頭を振った。
じっとしていると自分に積もってくる息苦しい気配を、払うように。
――頭の中が散らかったまま、授業が終わった。
と同時に、友人たちが一斉に立ち上がった。
……。
睦美だけが動けなかった。
ようやく顔を上げた時には、自分の周囲にだけ誰もいなかった。そう、誰も……。
「……っ」
睦美は屈辱の中、立ち上がった。
そうして荷物を持ち、逃げるように教室を出た。
♪~
ピロン、とスマホの通知が入った。
慌てて床のバッグを掴み、スマホを手に取った。
メッセージはサークルの先輩からだった。
進先輩:むーちゃん、なんでグループ抜けたの?
なんかあった?
「……は?」
睦美には心当たりがなかった。
服の下に嫌な汗をかいていた。
睦美は画面を戻し、スクロールした。
あったはずのトークルームがいくつか消えていた。
残っているグループにもメッセージが溢れている。
○○がグループを退出しました
△△がグループを退出しました
□□がグループを退出しました
:
:
自分の名前しかないグループを閉じ、激しい鼓動に気を取られながらSNSをチェックした。
友人たちが、睦美抜きで集まって遊んでいる写真が飛び込んでくる。
――ピンポーン
チャイムが鳴って、睦美はハッと顔を上げた。
スマホから手を離し、ドアの前まで行った。
インターフォンがないため、ドアに声を向ける。
「はい」
家族以外は睦美がアパートに引っ越したことを知らない。
ということは、家族の誰か――
「睦美」
「!」
その声は、父だった。
睦美はカチャ、とドアの鍵を開けて父を向かい入れた。

