……ああ、イライラする、
睦美は親指の爪を噛みながら、険しい視線を虚空に向けた。
最近、思い通りにならないことが多くなった。
中学高校と同性からは崇拝するかのような扱いを受け、異性からは熱のこもった視線を向けられてきた。
誰もが自分の隣を巡って牽制しあっていた。
築き上げた立ち位置が大学生になったぐらいで変わるはずがない、そう高を括っていた。なのに……
……あいつら、
光里たちを思い浮かべ、睦美は心の中で毒づいた。
……私を誰だと思ってるの?
昨日も、いつものようにふらっと友人たちの輪に入った。
だが光里たちはそれまでしていた話を止めもせず、睦美に話題も振らなかった。
は?
睦美は笑みを浮かべて皆の話を聞いているふりをしたが、屈辱に耐えていた。
中高の友人たちであれば睦美が輪に入った途端、すぐに睦美を中心に会話を始める。
だが結局この日、光里たちは内輪の話題で盛り上がり、睦美はただ聞き役に回っただけになった。
……外進のくせに。私が声掛けてやったおかげで大学生活が楽しくなったくせに。それに感謝もしないで!
こんなときは、いつもなら麦でストレスを発散すればよかった。
だが、肝心の麦がいない。
……バイトなんかさせなきゃよかった。
麦はほぼ毎日、シフトを入れた。最近は、夜も『まかない』が出るといい食べてから帰宅するようになった。
麦が稼ぐバイト代はいずれ自分のものになる――そう考え、了承した。けれどこうも勝手なふるまいをするなら、この先は許すわけにはいかない――と思う一方で、麦が家にいない時間が多ければ多いほど、両親に相談しようとするリスクを減らすことができるのも事実だった。
睦美は、誰もいない麦の部屋へと向かった。
……ふざけんなっ、
とうとう弱音を吐いた麦に、怒りが抑えきれない。
引き出しを開けてハサミを乱暴につかみ、目についた教科書に突き立てた。何度も、何度も。
だが穴が開くほど突き立てても気分は晴れなかった。
幼かったあの日から、長い年月をかけて麦に罪悪感を植え付けてきた。
麦を絶対的な支配下に置き、完璧にコントロールできていた。
なのに今になって、それが揺らいでいる。
……これ以上、あいつの好きにはさせない。
髪を切った麦は、睦美が息をのむほど澄んだ目をしていた。
自分と似ているはずなのに、まるで違う顔に思えた。華奢な首筋も整った輪郭も、自分よりひとまわり小さい体も、なにもかも癪に障った。この先、服装や持ち物にまで気を遣うようになったら――想像するだけで頭に血がのぼった。
……許さない、そんなことは、絶対に、
睦美はぎりぎりと歯を鳴らした。
……どんなことをしてでも、また元の麦に戻してやる。
麦には、もっともっと苦しんでもらわなければならない。
麦が産まれたせいで、自分はこの家のひとり娘になれなかった。――父に選ばれなかった『本当の母』が、無理がたたって死ぬこともなかった。
覚えていない母親の仇を取るつもりはなかったが、正当性を探していたら、いつしか麦を壊すことは母のためのような気がしてきた。そうして気がつけば、睦美の中から罪悪感は跡形もなく消えていた。
睦美は荒い息を整え、麦の部屋を出て階段を下りた。
キッチンでは偽の母が身支度を整えていた。
テーブルには夕ご飯が並んでいる。
「これから出勤だからごはんひとりで食べてくれる?」
「えっ?」
明るく優しい娘の仮面が一瞬、剥がれ――慌てて、微笑みを作った。

