鬼神様は女狐がお好き!

 直子は、ゆっくりと顔を上げた。
「影一郎様。私は逃げませんわ」

 その声は震えていなかった。

 影一郎は驚いたように腕の力を緩め、そっと彼女の顔を覗き込む。
 そこにあったのは、嫁いできた当初、怯えと自己否定に支配されていた直子の面影ではない。

 静かな覚悟と揺るぎない意志を宿した瞳。
 次の瞬間、日本人形のように黒く艶やかだったその瞳がまばゆく輝く琥珀色へと変わった。

「⋯⋯っ」
 影一郎は思わず息を呑む。

(直子! ついに)
 彼女の長い黒髪は、月光を受けるように一気に色を変え、冷たい銀の光を帯びて床へと流れ落ちる。

 銀髪と琥珀色の瞳。
 それは妖狐の一族であることを示す、逃れようのない証だった。

 妖狐は鬼と敵対する存在。

 鬼神家の邸宅でその姿を晒すことは、死を意味する。
 ましてや、花嫁として潜伏していたとなれば、裏切り者として八つ裂きにされても不思議ではない。

 しかし、影一郎は叫ばなかった。
 斬りかかることも、突き放すこともしなかった。

 静まり返った部屋の中で、彼はただ直子を庇うように抱き寄せた。