──そして、文化祭を一週間後に控えた、ある日の放課後。
私は代表戦に向けた居残り練習を終え、すっかり夕闇に包まれた校舎の廊下を歩いていた。手元には、グレン教官から「魔術科の担当教官に届けておけ」と渡された、試合の進行スケジュールが書かれた書類。
「はぁ、なんで私が……。レインの奴、またサボって先に帰りやがって……」
誰もいない静かな廊下に、私の愚痴と、腰に吊るした騎士剣がカチャカチャと揺れる音だけが響く。
魔術科の職員室がある旧校舎へと続く渡り廊下に差し掛かった、その時だった。
「──エレナ」
不意に、少し低くて、だけど驚くほど澄んだ声に名前を呼ばれた。
「ひゃいっ!?」
変な声が出て、慌てて振り返る。
そこに立っていたのは、夕日に照らされて白銀の髪をきらめかせた、シオンさんだった。白い魔術科のローブを羽織り、相変わらず非の打ち所がない美貌で、彼は静かに私を見つめていた。
「シ、シオンさん!? びっくりした……どうしたんですか、こんな時間に」
「教官に用事があってね。……君こそ、そんな時間まで自主練かい? 相変わらず熱心だ」
シオンさんは私の手にある書類と、少し乱れた髪、そして腰の騎士剣に目を留め、ふっと柔らかく口元を緩めた。その僅かな微笑みだけで、数日前のマインちゃんとの会話がフラッシュバックして、私の心臓がトクンと跳ねる。
「あ、ええっと、私もグレン教官に頼まれ事をして……。あ、そうだ! シオンさんも、文化祭の代表に選ばれたんですよね? おめでとうございます」
「ありがとう。君も選ばれたんだろう? 風の噂で聞いたよ。身体強化もなしに、生身の剣技だけで代表の座を勝ち取るなんて……さすが、僕の……」
シオンさんはそこまで言って、ハッと小さく息を呑み、不自然に言葉を区切った。
「僕の」の後に続く言葉が何だったのか、聞きたいような、聞くのが恐ろしいような沈黙が流れる。
夕日の赤さのせいだけじゃない。シオンさんの綺麗な耳の裏が、ほんの少しだけ赤くなっているのが見えた。
シオンさんはこほん、と小さく咳払いをすると、スッと視線を私から少し斜め下へと外した。
「……エレナ。その、来週の、文化祭のことなんだけど」
「は、はい」
不意に、名前を呼ばれて背筋が跳ねる。
「文化祭の後に、後夜祭があるだろう。……もし、まだパートナーが決まっていないなら」
シオンさんは一度言葉を止め、意を決したように、その鮮烈な蒼い瞳で真っ直ぐに私を見た。
「──後夜祭のエスコートとダンス、僕にさせてくれないか。君の時間を、僕に空けておいてほしい」
「え──」
廊下を吹き抜ける秋の夜風が、私の髪を揺らす。
あまりの直球な誘いに、私の頭は一瞬で真っ白になった。
マインちゃんの言っていた『72.8%』という細かい数字が、脈絡もなく頭の中をぐるぐると駆け巡る。
呆然と立ち尽くす私を見て、シオンさんはそれ以上私の返事を急かすことなく、「……じゃあ、返事はまた今度。風邪をひかないようにね」とだけ言い残し、どこか少し早足で廊下の奥へと去っていってしまった。
一人残された廊下で、私は自分の顔が信じられないほど熱くなっているのに気づく。
(嘘……本当に、誘われちゃった……!?)
手元にある書類をぎゅっと胸に抱きしめながら、私は破裂しそうな心臓を必死に抑えていた。
文化祭の代表戦。そして、後夜祭。
私の初めての文化祭は、想像を遥かに超えた大嵐になる予感を孕みながら、幕を開けようとしていた。
