卒業アルバムのアイツが、頭から離れない‼

 何分経っただろうか。
 走ったことと媛守への信用が消えたことにより大泣きしたせいで肩で息をしていた俺は、ようやく深呼吸ができるまでになった。

 水を吸った靴が気持ち悪い。後ろを振り向いても媛守はついてきておらず、それどころか媛守の車さえなくなっていた。
 今は話せないからちょうどいい。
――アイツなんて……。
 ”嘘つきだ”と浮かぶ言葉を心の奥底にしまう。そう。俺も同じだ。
 自分でしたことは自分に返ってくる。ということを痛感する。恋愛て、嘘をつかないことが最短の道なのだろうか。きっとそうじゃない。できもしない嘘をついたことが間違いだったんだ。
 もう一度大きく深呼吸をして、弱まり始めた雨の中を足を踏み出した。
 運良く近くに屋根のついた休憩スペースを見つけ、重たい足で向かった。木製の机を挟むようにベンチが設置されたそこに腰かける。
 肩を落として俯いた頭から不規則に落ちる雫が視界を通過するのをひたすら眺める。落ちる間隔が徐々に長くなっていく。

「どうやって帰ろ……」

 力のない声を出した俺にゆらりと影が覆いかぶさる。
 
「一緒に帰るに決まってんだろ、バカが。雨ん中出て行きやがって……コンビニまでタオル買いに行ってたんだよ」

 芯のある低い声。敬語でもおどおどするでもない口調。めんどくさそうな話し方の中に微かに媛守の優しかった声色の鱗片が垣間見える。
――っ!
 今ここに来て声をかける人などひとりしかいない。頭では理解してるのに身体が拒否するみたいに顔が上げられない。
 本当に媛守か? 違う。
 かわいい媛守こんな横暴な口の利き方をするとか、ありえない。
 つい数分前に今までの媛守が作り物だと確信をもっていた。それが本当だと、根拠が裏付けされた。そこまでわかっているのに、心のどこかで信じたくない気持ちの方が強かった。
 半開きになる口から言葉が出てこない。目の前の事実に恐怖で身体がこわばる。
 傘の水滴をいい加減に振るバサバサとした音が聞こえる。音の割には、雨粒はこちらにこないことから外に向かってやっていることは理解できた。
 全部が乱暴なのではなくこういう前の媛守の優しさの真似事はやめてくれ。もういっそのこと俺は乱暴やつで優しさも全部嘘でしたって言われた方が納得できる。
――狡い……気を許しそうになるだろ。
 いつまでも顔を上げようとしない俺の頭上にタオルが無造作に投げられ乗っかった。
――優しくするな……。
 タオルを手で鷲掴んで息を吐けば腕の力が抜けた。フェイスタオルだと思われたものは重力に負けてスルリと髪の毛を撫で落ちていく。

「いらない」

 投げやりな言葉は媛守の長い溜息を誘った。自分で言っておいて、心臓が痛い。
――俺は媛守に嘘をつかれたんだ。
 優しさなど受け取るもんかと、暗示をかける。
 
「ったく……拭けよ」

 命令口調になりながらも俺の手からタオルを強引に奪い取ると乱暴に髪を拭かれる。
 そして無理やり顔を上げさせられた。

「いっ……」
「泣いてただろ?」

――誰のせいで‼‼
 問いには答えず、抵抗すみたいに感情をぶちまける。

「お前嘘ついてたとかふざけんなよ! 猫かぶって騙される俺を見て楽しかったか? 楽しかったよな?! もう別れてやる‼ こんなの恋愛じゃない‼‼」

 言った。言ってしまった。
 息を殺して見つめると、顔を歪めて吐き捨てられた言葉に面食らう。

「どっちがだよ」

――え?
 俺の嘘に気づいてたということか? いつから?

「やっぱり小学生の頃の目立たなくておとなしい俺が好きなんだ?」
「……なん、で」
「小学生の頃からとか馬鹿すぎ」
「は????」
「こっちは!」

 荒立てた声に空気が揺らぐ。そして俺の身体を貫通していしまうんじゃないかと思うほどの凛とした眼差しを向けられると、状況が呑み込めない俺の思考を一刀両断する。

「卒園アルバムのてめぇの顔が頭から離れねぇんだよ‼」

――"卒園"……?
 媛守は吹っ切れたような顔をし、前髪をかき上げ顎を突き出すと舌を無邪気に出す。

「俺のこと嫌いになったとか他の人が好きだとか言っても無駄だから」

 腰を曲げて俺と視線を合わせる。かき上げたしっとりとした髪がゆっくり元の位置に戻ろうとし俺の髪の毛を掠める。距離の近さに手には汗をじんわりと感じ、呼吸が浅くなる。
 目を細めた媛守は「舐めんなよ?」と付け加えた。
 意地の悪い笑みを浮かべる薄い唇と密な睫毛に垂れた目尻は間違いなく媛守だ。ただ1つわかるのは、俺が付き合っていたときに見ていた媛守は全てが幻想だったということ。
――これ以上、媛守のそばにいてはダメだ。
 それなのにこの状況に怯えも怒りも感じない。それどころか、媛守のひとつひとつの仕草、言動にまた新しい媛守が見れた。と、歓喜している自分の感情を受け入れられない。

「もう何も信じられねぇ……じゃあな」

 おぼつかない足取りで立ち上がり、来た道に踵を返そうと足の進行方向を変える。それを見計らったかのように手首を強く握られる。

「……離せ」
「離さない」

 斜め後ろに思い切り腕ごと引っ張られ、その勢いのまま媛守の身体に背中を打ち付ける。
 そして手首を握ってえいたはずの媛守の大きな手が一回り小さい俺の手の甲を包む。手に気を取られていると蛇が巻き付くみたいに、そろりと移動してくるもう片方の腕が俺の腰を抱いた。

「別れるって何? 好きになってもらう以外怜也(・・)に選択肢ねーから」

 首筋に温かさを感じる。吐息の熱さに早くなる鼓動が背中を火照らせる。
――伝わるな。伝わるな……!
 願うだけの努力は無に帰したようで、俺の顔を覗きこむ形に媛守の首が伸びる。
 睫毛が当たりそうなくらい顔が近く、意識的に息を止め口をつぐむ。
 媛守はゆるりと口角を上げると、頬にキスを落とした。キスした口が頬を食べるみたいに軽く閉じる。
――やばい……。
 唇同士じゃないのに愛されてるみたいなキス。嘘ついたやつなのに、俺を傷つけたやつなのに。離れた唇をつい目で追った。

「期待しただろ」
「す、するわけねぇ!」

 嘘。期待した。羞恥心を悟られたくないと咄嗟に目を伏せる。
――だから、これ以上期待させるな。馬鹿野郎……。
 額にしわを寄せ涙をこらえ、肩を縮こめる。
 媛守が握ったままの俺の手を大切なものを扱うように、そっと力が籠められるのを感じた。