卒業アルバムのアイツが、頭から離れない‼

 大学に行けば媛守がいつもいた。というのも、同じ学部であり必修科目も同じであり一年生の大半の時間割を占めるそれのためにお互い登校する。すると必然的に顔を合わせることになるのだ。
 会って話しても教授の口癖だとか課題の話だとか他愛もない話ばかり。付き合っているということが首の皮一枚つないでいるのよで、同じ授業は隣にいる口実があった。貫太も同じ学部ゆえに、同じ教室にいるはずだが新入生歓迎会で付き合いだしたらしい彼女と常にいるらしい。
 教室の前方で真面目に教授の話を聞いている媛守のすぐ横で、俺は授業そっちのけでノートに落書きをする。
 早く終わらないかと時計を見てはノートに目をやっては進まない時計の針に大げさに言って苦しめられる。俺はこの一カ月間、本当に付き合っているのか度々疑っている。授業とは関係のないことに思考回路を回す。コツンと軽く二の腕をつつかれる。それに返事する間もなく媛守の小さな頭が肩に乗っかり耳元でささやかれる。

「それ、何ですか?」

 耳にかかる吐息の熱とくすぐったさを感じ、心臓が跳ね上がった。

「ばっ……なんでもねぇよ」

 恥ずかしさという条件反射で飲み込んだ言葉は媛守にバレているのだろう。口元を隠しながら目を細めて笑われる。

「かわいいですね。その……羊?」

 ノートをなぞる骨ばった指の示す先には、落書きをしたばかりの犬のつもりで描いたイラスト。
 羊と言われたそれに、口を膨らませて訂正する。

「……犬だ」

 目を丸くした媛守は、犬だったんですねと驚き謝る。
 誰に見せるつもりでもなかった落書きを間違えられても特に怒りなど感じない。しかしこういうときに、へこむ媛守が愛おしくてつい、怒ったふりを続けてしまう悪い癖がついた。
 そっぽを向いたまま膨らませて不機嫌を演じる俺の頬を媛守がつつく。

「かわいいです」
「羊か?」

 意地の悪い俺は、嫌みったらしく言った。

「……犬も、です」

――犬、も?
 犬以外に何にかわいさを抱いたのか理解をできず眉間にしわを寄せると、頬をつついていた指が一段と押された。

 こんな何でもない日を過ごす中で気が付いたことがある。
 媛守は『かわいい』とよく口にするようになった。それが俺に対してではなく、他の何かに対してだ。一度友人の貫太に相談したこともあったのだが、男なんてそんなものだなどと適当に返答された。
 俺に対する言葉だと仮定さえできない好き同士ではない関係。仮定さえ無理だと頭では理解しているクセに相談したのは、”自分に言われている”と第三者から認められることに多少期待していたのかもしれない。自分が媛守に対してかっこいいもかわいいも言葉にしないことを棚に上げていることからは目をそらしていた。
――期待したって無駄なんだ。
 しかしそれだけにとどまらず、かわいいとは言うのに俺の名前を呼ぶことが極端に少ないことに気づき始めた頃には媛守にかわいいと言われた無機物も何もかもに嫉妬した。
 自分の女々しさに呆れる日々へ変わっていくことが惨めで仕方がない。
――こんなことなら付き合わなかった方が……
 ネガティブな思考を吹き飛ばすように頭を振る。

「どうしたんですか?」

 俺の行動に不信に思ったらしい媛守が本棚に伸ばす手を止める。大学の帰り道、本屋に寄った俺たちは既に30分は同じ棚の前にいた。いや、正確に言えば媛守が本棚の前から動かないのだ。
 俺は媛守と一緒に帰れると思い、ついて来た。寄り道がしたいと言った媛守に特に早く帰る理由がなかったため了承したのだ。ただ媛守の寄り道とやらは思っていたよりも長く興味もない本の前で媛守の様子をただ伺うだけの時間が過ぎていた。
 なんでもないと、答えると再びかじりつくように本棚を見ては本を手に取り、購入の可否を精査する。その姿はまるで絵画のようで美しい。見上げる横顔は筋の通った鼻を際立たせた。
――見た目はかっこいいのに、言動はかわいい。変な奴。
 俺も媛守の真似をして本棚から一冊の本を手に取った。いわゆる文庫本のコーナーになっており、作家の名前が50音順で並べられている。俺は安直に目線の先にあった"ま行"の作家らしい。作家名とタイトルは聞いたことも見たこともない。俺の場合、本屋に来てもコミックコーナーに行くときがあるくらいの場所。本屋に入ることも久しぶりだ。
 表紙を見やる。特に人物のイラストがあるわけではなく風景のみで、イラストありきの漫画ばかり読む俺にとってページをめくることに手が止まる。

「その方、元々絵本作家さんなんですよ‼」
「そう、なんだ?」
「はい! 大人が読んでも感情が動かされるような、幼い頃に出会っていたかったような。そんな絵本を描く方なんです‼ それに……」

 ピタリと話すのを止める。好きなことになると饒舌になるのだろう。俺は媛守のことを1つ知れたことが嬉しいだけだ。ただ媛守はそれを恥じる。

「ごめんなさいー……。話続けちゃうのほんと、やめたいです」
「いいと思うけど?」
「だって本に興味ないですよね?」

 しっかりとバレていた。隠しても仕方がないと思い「そうだな」と視線を逸らす。そうは言っても好きなものを俺に語るのはやめなくていいと本当に思っていた。だから勘違いのないように目を見て話したいと、媛守を仰ぎ見る。

「でも媛守には興味あるから」

 遠回しに言ったところで恋愛感情がバレるわけなく、媛守はよくわからないという表情だ。
――言いたいのに、言えねぇ。

 もどかしい気持ちを表に出すわけにはいかない。
 俺が媛守のことを好きになったらどうするんだという問いに対して、嬉しいなど即答してなかったことから察するに困らせるだけだと感じ取った。逆に、媛守に俺の事を好きになってもらえれば俺に断る理由がない。

「なぁ、明日デートしねぇ?」
「え……?」

 突然の提案にキョトンとするのも無理はない。何せ、休日に遊ぶということもしたことがなかった。それに恋を知りたいと言う割には、全くその気を見せない媛守の意表を突いたのだろう。
 趣味は違えど、小学校が同じという人生から見た一瞬でも共通した時間が俺たちにはある。それに気づいてない媛守にいつか言ってやりたいいと心の内に秘めていた。だからいい機会だと思い誘ったのだ。それだけではなく、媛守の好きなものも嫌いなものも全部知りたい。
 媛守だから知りたいのに、そのスタートラインに立ててもいなかった俺は、付き合っているのか不安だとか、名前を呼んでもらえないとか、何かと理由をつけて遠回しにしていた自分を恥じた。
――決めたじゃないか。好きになってもらうって。
 焦り戸惑う媛守にわざとジッと目を見つめる。

「ダメ、か?」
「ダ、ダメなわけない‼ うれしい‼」

 普段から誰にでも敬語の媛守がタメ口になる。それが特別感を感じさせ、うれしさでテンションが高ぶったまま約束の土曜日を迎えた。