小学校の卒業式当日に配られた卒業アルバムは、分厚く重い。
最後に配布されたことで今日しかないと、白紙になっているページをクラスメイト皆に寄せ書きで埋めてもらうので必死だった。
そのため載っている写真には目もくれず、手当たり次第にいる人に声をかけては書いてもらった。真っ白だった数枚のページがびっしりと色とりどりのペンで書かれた寄せ書きでカラフルに埋まったページが誇らしくなっていた。
重たくなったランドセルをランドセルと同じ大きさの背中に背負い、帰路につく。横では一緒に帰っていた複数の友人たちが、重たい卒業アルバムを二人がかりで開きながら歩いていた。そして、その1人が俺のことを指さして言う。
「おい! れーやの顔なんだよ!!」
「ぎゃはは!!」
俺の顔写真を見て豪快に笑われる。
なんて失礼な奴らなんだと思う反面そういえば自分の顔写真も見ていなかったと気が付かされる。2人の間を割り込んで覗き込んだ。
『林崎怜也』と書かれた名前の上には、縦に長い長方形に切り取られた俺の写真が載せられている。
斜めに向いた顔はツンと唇を突き出し目は半分も開いていない。カメラレンズと言うものが苦手すぎるあまり、何度撮り直しても視線がカメラに向かなかったのだ。なんならこれはマシな方だ。
「う、うるせーよ! ほらお前らだって……」
友人たちを揄ってやり返してやろうと彼らの写真を探そうとした時だった。視線は1人のクラスメイトに留まる。
女子ではない。男に対して反射的に目を奪われた。
いや、まさか……処理しきれない感情が口から溢れそうになる。
「かわ、い……」
「れーや?」
「あっ、いやなんでもない。俺先帰るわ。今までありがとな」
せっかくの最後の挨拶を口先だけで瞬間的に終わらせる。
家の戸を勢いよく明け放ち、帰宅直後に飛びつくおやつさえ目もくれずは自室のある2階にドタドタと足音をさせながら階段を駆け上がる。
走ったことで息が上がり肩で呼吸をする。
息を整える間もなくランドセルを開き、親に出してなかった長年のプリントをまき散らす。そんなこと見向きもせずアルバムを取り出すと自クラスの卒業写真まで一直線だ。
そして正座に座りなおすと、指でなぞりながら名前を呼ぶ。
「媛守叶南……」
学校では目を隠すように伸びていた前髪は、うまい具合に目を避けられていて、二重になっているタレ目が露わになる。写真でも分かるほど長く密度のあるまつ毛と色素の薄い瞳に吸い込まれるように見入った。
――多分、卒業写真だからと髪を避けさせられたんだろうな。
小さな鼻と小さな唇。
クラスにいたのは知っている。ただ、目立たない生徒だった。それに、身体が弱いのか体育はいつも休んでいたし、正直給食の時間は自分の給食に夢中だったから誰かの顔を見ることもなかった。
そんなに顔を見たことなかったのは、俺の興味の問題だけではない。
媛守が常にマスクをしていたからだ。故にマスク下を見たことがなかった。
こんなにかわいいとは思ってもいなかった。
今日が卒業式。大半の
――媛守の中学は……あぁ、そうだった。
お受験をして全く別の中学に進学するとかいう噂を耳にしたことがある。それを思い出し落胆した。
母の「おやついっらないの⁉ ケーキよ‼」という声が飛んできたのは聞こえていても媛守叶南の顔写真から目が離れることがなかった。
「ああ!! もー! こんなんどうすればいいんだよ!!」
かわいいと思ったことのなかった感情に自分が追いつけず癇癪を起し、落ち着こうと必死に目をつむる。耳に響く心臓の音がうるさい。走ったせいか、他の理由なのか。
その中でコトンと、胸の奥で静かに落ちる音が鳴った。再び瞼を開いたときには答えが後者だと呆気なく受け入れる。
「好きになっちまったじゃないか……」
***
媛守叶南に心を寄せたところで、再会できるもわけもなく何年も経った。中学、高校と、告白されても付き合うことはしなかった。
綺麗事を言えば誠実でありたかったから。本音を言えば、告白してきた女子が媛守よりかわいいと思えなかったから。拗らせた恋心を持ち合わせた俺は大学生になっていた。きっと大学でも、この恋をどうすることもできず思い耽ることになるのだ。
着慣れないスーツを纏って、桜が散ってしまった入学式を終える。
式が行われていた市営の体育館の入り口付近でスマホ片手に偶然同じ大学に進学した友人を待つ。退場ゾロゾロと出てきた中に、俺の知る人物が勢いをつけて飛びついてきた。
「怜也ぁぁぁ!!」
「うわっ、貫太」
貫太は高校で仲良くなった友人だ。飛び込んできた流れで頭上に重みを感じる。いつも俺の頭を肘置きにされるのだ。まぁ、悪いやつではないのだが、貫太の高い身長も相まって俺の身長の低さを思い出させるのだ。
170を過ぎることなく止まった身長。欲を言えば身長はもっと欲しいが、遺伝と言われれば仕方のないことだった。幼少期の面影を残す顔つきは、広い白目に対して黒目は小さく目尻が微量に吊り上がっている。
高校卒業ぶりの貫太の重みに耐えられず入学式を終えた新入生でごった返す場所で、 バランスを崩した。
「うわぁ!」
情けない声を出し、目の前からやってきた長身の男性の胸に飛び込む。
「あ、すんません‼」
慌てて手で押しのけ、顔を上げる。
――え?
俺の思考が停止する。彼は「大丈夫ですよ」と、一言放つと颯爽と歩いて行ってしまう。
「めっちゃ綺麗な顔してたけど、残念男かー、これが女の子だったら恋に落ちて運命の出会いとかなるんだろうな!」
横で男だとか女だとか言葉を羅列する貫太に構う余裕などない。人混みの中に紛れていく彼を目で追う。
――だって、あれは……媛守叶南だ。
直感がそう言った。
ワイシャツの上からは細く見えたが、支えられた時に感じだほどよくついた筋肉。かわいいとは離れた体格の良さと顔立ち。ゴツゴツとした骨ばった指が男らしさを加えていた。
かわいいまま成長しているとばかり思っていた。
でも、間違いなく媛守だ。確認の意味を込めて、貫太に問う。
「アイツの名前は?」
「え? 知らんよ。言う前にどっか行っちゃったし」
「……だよな」
「なるほど…どんな可愛いアイドルにも女優にも靡かなかったのはそういうことだったのか」
勝手に解釈を進める貫太は、俺の恋愛対象が男だと思っているらしい。
それの正解は俺も知らない。どんな可愛い人と言われても媛守より可愛いとは思えなかった。媛守叶南しか眼中になかった俺にとっては男が好きとかではなく、媛守叶南しか好きになったことがないのだ。
「そんな恋する怜也くんに新歓という素晴らしきイベントがあるぞ!!」
「そんなのいつ言われたんだよ……」
貫太曰く、入学前からこの大学のグループがあったらしく、そこで話になっていたらしい。
「さっきのやつが来るとは限らないだろ」
「ほぉ、やっぱり彼にご興味が……」
「うるっさい」
媛守のことを恋々と思い続けるだけでいいのだろうか。 そもそもまだ好きなのだろうか。かわいいと思うだけでは好きに直結していた小学生の頃とは違う。
指定された店に到着すると既に何十人もの人が集まっていた。
軽く自己紹介を、と幹事が指揮を執る。こんな大人数の自己紹介で何が分かるのかと思いながら順番を待つ。待つのは俺の順番ではない。媛守叶南と確信している人物だ。まるで間違えるはずのないテストの答えが簡単すぎて不安になるような気分だ。
長かった前髪はさっぱりと切られ、短く切りそろえられている。ハッキリと見える目には密度のある睫毛。整った顔立ちは小学生を彷彿とさせる。
――好きだな。
いざ彼の順番になり、生唾を飲むほどの緊張に水を手に取った。そして立ち上がった彼から柔らかな声が発せられる。
「文理学部1年の媛守叶南です」
「ゲホッ」
口に含んだ水が、喉を支える。
――本当に媛守だ……。
後半にも差し掛かるともう誰も聞いておらず各々が気になった人と会話の花を咲かせている。 そんなときに現れた美麗な新入生に誰もが会話を止めた。突然視線が集まったことに驚いたのか恥ずかしそうに言う。
「え、えっと。サークルとかまだよくわからないんですが、大学生活楽しみたいです。よろしくお願い、します」
あっという間に囲まれた媛守には、しばらく近づけそうにはない。いや、近づく勇気がでなかった。
程なくすると、俺の順番が回ってきたため軽く自己紹介をする。
「あー、文理学部1年の林崎怜也です。よろしくお願いします……」
俺の名前を覚えているだろうか。チラリと媛守に視線だけ動かす。しかし相変わらず媛守の周りを女子たちが囲っており、俺の話など届いていそうになかった。
心の隅で落胆している気持ちもあるが、一回も話したことがないのだから覚えているわけがないと言い聞かせる。
全員の自己紹介が終わったところで、どこかに行っていた貫太が俺の隣に戻ってきた。
「怜也ー、名前分かったじゃん!」
「名前は知ってたよ。確認したかっただけだし」
「え? なんで?」
「それは……」
小学生の時の出来事と中学は別で話す機会もなくなったこと、ありのままを話す。
「何?! 小学校の同級生だったのか?!」
「あぁ。確信がなかったけど、名前も同じだしそうだと思う」
思うなんて、不確定な要素を追加する自分が情けない。
「まさか、小学校のときの同級生に恋するなんて人生分からないものだね」
「……別に」
歯切れの悪い俺の様子に、貫太が何かを察する。
「え、まさか。小学校の頃から好き……とか??」
「……だったらなんだよ」
口を尖らせて言う。次の瞬間、貫太の声が鼓膜を揺らす。
「えぇぇぇぇぇぇ!!!! 何してるだ! 早く行け!!」
「行けるわけないだろ!」
こっちはたった今、本人の口から媛守叶南という名前の裏付けができたばかりだ。焦りと暴露した緊張で渇いたのどを潤そうと近くにあったコップをゴクリと喉を鳴らし、一気に飲み干す。
すると、1人の先輩が駆けつけ俺の手からコップを奪った。
「それ! 私の日本酒!!」
「へ?」
お酒を飲んだと自覚すると、アルコールの辛味と喉の辺りに熱を持つ。どうやら俺は酒に弱いらしい。誤って飲んだお酒1杯で、誰かの肩に寄りかかって力が抜けた。
この肩が貫太のものだろうと、推測し体重を預けベラベラと身の上話をする。
「まさか再会できるなんて思わなくて、俺ぇどうすれば話せると思うー? アイツかっこよくなってるしぃ。それなのに笑った顔はかわいいしぃー……周りに女の子もいっぱいで、彼女とかできちゃうんだろうなぁ……てか、もういるんだろうなぁ、嫌だなぁ……恋愛ムズイってーー」
相槌するでもめんどくさそうにするでもない貫太に回らない呂律で首を起こし、 見上げる。
「にゃんで何も言わないんだぁ!」
「貫太さんじゃない…ですよ」
「え……?」
一瞬にして全身の血の気が引く。
「媛守叶南……」
「さっきの自己紹介なんかで名前覚えてくれたんですね」
――覚えたんじゃなくて、覚えてたんだよ……。
「今の忘れてくれ……」
「えっと、その男の子と付き合いたいんですか?」
――俺、男かどうかわかること言ったか?
回らない頭で自身の発言を思い返す。
『彼女とかできちゃうんだろうなぁ』
前後の文脈でも、9割男性だという結論に至るのは無理もない。実際その見解は正しいのだから。
「忘れてくれって言っただろ……この話はお終いだ」
一方的に、話をへし折る。よりにもよって寄りかかっていたのが媛守だとは思いもしなかった。いつ貫太ではなくなっていたのかも考えたくもない。
「い、嫌です」
「なんでだよ」
「それ、俺じゃダメですか?」
「……へ? それって?」
「付き合う人です」
俺にとっては願ったり叶ったりだ。しかし、なぜそんな提案をしているのだ。
――まさか、媛守も俺のことが……。
期待とは対称に媛守がポツリと溢した言葉がそんな考えを打ち消す。
「俺、男の子好きになるかもしれなくて……」
「え?」
「恋愛って何なのか、知りたいんです。お試しでもいいので‼」
「いや……お試しとかは無理かな」
「媛守ってモテるだろ? 俺じゃなくても……」なんて言葉は飲み込んだ。だって、他の誰かにこの立ち場を取られたら、それこそ居ても立っても居られなくなるだろう。
それが同じ男だったら尚更だ。それでももしかしたら俺の事が好きだから声を掛けたのではないかという一縷の望みをかけて遠回しに聞く。
「1つ聞いていいか? 恋愛の経験を積むことに好きじゃない人と経験を積むのは、もはや恋愛ではないのでは、と思うんだけどどう思う?」
「……確かに。でも俺今好きな人いないですし、林崎くんなら好きってこと教えてもらえるんですよね?」
「意味、わかんねぇ……てか俺好きな人いるし」
目をキラキラさせて俺に期待する媛守が、何を根拠に教えてもらえると 判断したのか身に覚えがなく困惑する。
そして媛守の迷いのない口ぶりに面食らう。
「だって、恋愛経験豊富なんですよね!!」
「……はい?」
続けて話す媛守が放つ言葉は、俺をあきれさせた。
「貫太さんが言ってましたよ!! 先ほど同じ相談を貫太さんにしたんですけど、そういうのは林崎に聞けっておっしゃってました!」
あんのやろう……。どう足掻いても、恋愛経験があるのは顔良し、身長良しの貫太の方だ。むしろ、俺は媛守しか好きになったこともない。告白もされたこともしたこともがない。必然的に恋人いない歴は年齢だ。
貫太を探し睨みつける。
こちらの鋭い視線に察しのいい貫太は脱兎の勢いで周囲の女子たちの背に隠れる。
言葉を失った俺は、媛守に向きなおす。
「えっと、やっぱり迷惑……ですよね」
迷惑と言えば迷惑だった。
正直俺は少女漫画みたいなお互いが想いを伝えて両思いだと恋愛を望んでいたくらいだ。だから初の恋人がお試しとなるのは、癇に障る。
そうは言っても媛守のこの威勢の良さから、本当に恋愛経験豊富な男が目の前に来たら取られてしまうと思考をめぐらす。それに貫太なりに背中を押してくれているのだろう。
「はぁ。いいよ、付き合おう」
こんな形で付き合うなんて考えもしなかった。それでも了承したのは他でもない媛守のお願いだからだ。
媛守は「本当?!」と、あどけない笑顔を俺に見せて連絡先の交換を要求する。
行き場のない気持ちを抱えたまま1番よく使うアプリのアカウントを交換した。むくれたままの俺はうれしいはずの連絡先を手に入れたスマホを即座にポケットにしまい込んだ。
しかしポコンという通知音に呼ばれ閉じたばかりをスマホをしぶしぶと開く。
『よろしくおねがいします!』
たった1言を真横にいる俺に送ってきたのだ。媛守は「えへへ」と肩をすくめる。
――かわいい。
お試しで付き合うことになったのも、横にいるのだからわざわざ送るなと文句を言ってやろうという気が一瞬で引くのもわかる。
「はいはい、よろしく」
俺は、照れるのを隠すためにそっぽを向いて返事した。
結局この顔で言われたら何でも許してしまう。と再会したことで確信を持つと同時に、どう足掻いても媛守から離れられない気持ちに不安感を持つ。
「顔赤くないです? まだ酔ってるんですか?」
「ち、ちがうちがう」
俺が本当に好きだと知ったら、この関係を解消されるかもしれない。そしたら他の人に恋愛とやらを教えてもらおうとするかもしれない。そう思うと口が裂けても言えなかった。
最後に配布されたことで今日しかないと、白紙になっているページをクラスメイト皆に寄せ書きで埋めてもらうので必死だった。
そのため載っている写真には目もくれず、手当たり次第にいる人に声をかけては書いてもらった。真っ白だった数枚のページがびっしりと色とりどりのペンで書かれた寄せ書きでカラフルに埋まったページが誇らしくなっていた。
重たくなったランドセルをランドセルと同じ大きさの背中に背負い、帰路につく。横では一緒に帰っていた複数の友人たちが、重たい卒業アルバムを二人がかりで開きながら歩いていた。そして、その1人が俺のことを指さして言う。
「おい! れーやの顔なんだよ!!」
「ぎゃはは!!」
俺の顔写真を見て豪快に笑われる。
なんて失礼な奴らなんだと思う反面そういえば自分の顔写真も見ていなかったと気が付かされる。2人の間を割り込んで覗き込んだ。
『林崎怜也』と書かれた名前の上には、縦に長い長方形に切り取られた俺の写真が載せられている。
斜めに向いた顔はツンと唇を突き出し目は半分も開いていない。カメラレンズと言うものが苦手すぎるあまり、何度撮り直しても視線がカメラに向かなかったのだ。なんならこれはマシな方だ。
「う、うるせーよ! ほらお前らだって……」
友人たちを揄ってやり返してやろうと彼らの写真を探そうとした時だった。視線は1人のクラスメイトに留まる。
女子ではない。男に対して反射的に目を奪われた。
いや、まさか……処理しきれない感情が口から溢れそうになる。
「かわ、い……」
「れーや?」
「あっ、いやなんでもない。俺先帰るわ。今までありがとな」
せっかくの最後の挨拶を口先だけで瞬間的に終わらせる。
家の戸を勢いよく明け放ち、帰宅直後に飛びつくおやつさえ目もくれずは自室のある2階にドタドタと足音をさせながら階段を駆け上がる。
走ったことで息が上がり肩で呼吸をする。
息を整える間もなくランドセルを開き、親に出してなかった長年のプリントをまき散らす。そんなこと見向きもせずアルバムを取り出すと自クラスの卒業写真まで一直線だ。
そして正座に座りなおすと、指でなぞりながら名前を呼ぶ。
「媛守叶南……」
学校では目を隠すように伸びていた前髪は、うまい具合に目を避けられていて、二重になっているタレ目が露わになる。写真でも分かるほど長く密度のあるまつ毛と色素の薄い瞳に吸い込まれるように見入った。
――多分、卒業写真だからと髪を避けさせられたんだろうな。
小さな鼻と小さな唇。
クラスにいたのは知っている。ただ、目立たない生徒だった。それに、身体が弱いのか体育はいつも休んでいたし、正直給食の時間は自分の給食に夢中だったから誰かの顔を見ることもなかった。
そんなに顔を見たことなかったのは、俺の興味の問題だけではない。
媛守が常にマスクをしていたからだ。故にマスク下を見たことがなかった。
こんなにかわいいとは思ってもいなかった。
今日が卒業式。大半の
――媛守の中学は……あぁ、そうだった。
お受験をして全く別の中学に進学するとかいう噂を耳にしたことがある。それを思い出し落胆した。
母の「おやついっらないの⁉ ケーキよ‼」という声が飛んできたのは聞こえていても媛守叶南の顔写真から目が離れることがなかった。
「ああ!! もー! こんなんどうすればいいんだよ!!」
かわいいと思ったことのなかった感情に自分が追いつけず癇癪を起し、落ち着こうと必死に目をつむる。耳に響く心臓の音がうるさい。走ったせいか、他の理由なのか。
その中でコトンと、胸の奥で静かに落ちる音が鳴った。再び瞼を開いたときには答えが後者だと呆気なく受け入れる。
「好きになっちまったじゃないか……」
***
媛守叶南に心を寄せたところで、再会できるもわけもなく何年も経った。中学、高校と、告白されても付き合うことはしなかった。
綺麗事を言えば誠実でありたかったから。本音を言えば、告白してきた女子が媛守よりかわいいと思えなかったから。拗らせた恋心を持ち合わせた俺は大学生になっていた。きっと大学でも、この恋をどうすることもできず思い耽ることになるのだ。
着慣れないスーツを纏って、桜が散ってしまった入学式を終える。
式が行われていた市営の体育館の入り口付近でスマホ片手に偶然同じ大学に進学した友人を待つ。退場ゾロゾロと出てきた中に、俺の知る人物が勢いをつけて飛びついてきた。
「怜也ぁぁぁ!!」
「うわっ、貫太」
貫太は高校で仲良くなった友人だ。飛び込んできた流れで頭上に重みを感じる。いつも俺の頭を肘置きにされるのだ。まぁ、悪いやつではないのだが、貫太の高い身長も相まって俺の身長の低さを思い出させるのだ。
170を過ぎることなく止まった身長。欲を言えば身長はもっと欲しいが、遺伝と言われれば仕方のないことだった。幼少期の面影を残す顔つきは、広い白目に対して黒目は小さく目尻が微量に吊り上がっている。
高校卒業ぶりの貫太の重みに耐えられず入学式を終えた新入生でごった返す場所で、 バランスを崩した。
「うわぁ!」
情けない声を出し、目の前からやってきた長身の男性の胸に飛び込む。
「あ、すんません‼」
慌てて手で押しのけ、顔を上げる。
――え?
俺の思考が停止する。彼は「大丈夫ですよ」と、一言放つと颯爽と歩いて行ってしまう。
「めっちゃ綺麗な顔してたけど、残念男かー、これが女の子だったら恋に落ちて運命の出会いとかなるんだろうな!」
横で男だとか女だとか言葉を羅列する貫太に構う余裕などない。人混みの中に紛れていく彼を目で追う。
――だって、あれは……媛守叶南だ。
直感がそう言った。
ワイシャツの上からは細く見えたが、支えられた時に感じだほどよくついた筋肉。かわいいとは離れた体格の良さと顔立ち。ゴツゴツとした骨ばった指が男らしさを加えていた。
かわいいまま成長しているとばかり思っていた。
でも、間違いなく媛守だ。確認の意味を込めて、貫太に問う。
「アイツの名前は?」
「え? 知らんよ。言う前にどっか行っちゃったし」
「……だよな」
「なるほど…どんな可愛いアイドルにも女優にも靡かなかったのはそういうことだったのか」
勝手に解釈を進める貫太は、俺の恋愛対象が男だと思っているらしい。
それの正解は俺も知らない。どんな可愛い人と言われても媛守より可愛いとは思えなかった。媛守叶南しか眼中になかった俺にとっては男が好きとかではなく、媛守叶南しか好きになったことがないのだ。
「そんな恋する怜也くんに新歓という素晴らしきイベントがあるぞ!!」
「そんなのいつ言われたんだよ……」
貫太曰く、入学前からこの大学のグループがあったらしく、そこで話になっていたらしい。
「さっきのやつが来るとは限らないだろ」
「ほぉ、やっぱり彼にご興味が……」
「うるっさい」
媛守のことを恋々と思い続けるだけでいいのだろうか。 そもそもまだ好きなのだろうか。かわいいと思うだけでは好きに直結していた小学生の頃とは違う。
指定された店に到着すると既に何十人もの人が集まっていた。
軽く自己紹介を、と幹事が指揮を執る。こんな大人数の自己紹介で何が分かるのかと思いながら順番を待つ。待つのは俺の順番ではない。媛守叶南と確信している人物だ。まるで間違えるはずのないテストの答えが簡単すぎて不安になるような気分だ。
長かった前髪はさっぱりと切られ、短く切りそろえられている。ハッキリと見える目には密度のある睫毛。整った顔立ちは小学生を彷彿とさせる。
――好きだな。
いざ彼の順番になり、生唾を飲むほどの緊張に水を手に取った。そして立ち上がった彼から柔らかな声が発せられる。
「文理学部1年の媛守叶南です」
「ゲホッ」
口に含んだ水が、喉を支える。
――本当に媛守だ……。
後半にも差し掛かるともう誰も聞いておらず各々が気になった人と会話の花を咲かせている。 そんなときに現れた美麗な新入生に誰もが会話を止めた。突然視線が集まったことに驚いたのか恥ずかしそうに言う。
「え、えっと。サークルとかまだよくわからないんですが、大学生活楽しみたいです。よろしくお願い、します」
あっという間に囲まれた媛守には、しばらく近づけそうにはない。いや、近づく勇気がでなかった。
程なくすると、俺の順番が回ってきたため軽く自己紹介をする。
「あー、文理学部1年の林崎怜也です。よろしくお願いします……」
俺の名前を覚えているだろうか。チラリと媛守に視線だけ動かす。しかし相変わらず媛守の周りを女子たちが囲っており、俺の話など届いていそうになかった。
心の隅で落胆している気持ちもあるが、一回も話したことがないのだから覚えているわけがないと言い聞かせる。
全員の自己紹介が終わったところで、どこかに行っていた貫太が俺の隣に戻ってきた。
「怜也ー、名前分かったじゃん!」
「名前は知ってたよ。確認したかっただけだし」
「え? なんで?」
「それは……」
小学生の時の出来事と中学は別で話す機会もなくなったこと、ありのままを話す。
「何?! 小学校の同級生だったのか?!」
「あぁ。確信がなかったけど、名前も同じだしそうだと思う」
思うなんて、不確定な要素を追加する自分が情けない。
「まさか、小学校のときの同級生に恋するなんて人生分からないものだね」
「……別に」
歯切れの悪い俺の様子に、貫太が何かを察する。
「え、まさか。小学校の頃から好き……とか??」
「……だったらなんだよ」
口を尖らせて言う。次の瞬間、貫太の声が鼓膜を揺らす。
「えぇぇぇぇぇぇ!!!! 何してるだ! 早く行け!!」
「行けるわけないだろ!」
こっちはたった今、本人の口から媛守叶南という名前の裏付けができたばかりだ。焦りと暴露した緊張で渇いたのどを潤そうと近くにあったコップをゴクリと喉を鳴らし、一気に飲み干す。
すると、1人の先輩が駆けつけ俺の手からコップを奪った。
「それ! 私の日本酒!!」
「へ?」
お酒を飲んだと自覚すると、アルコールの辛味と喉の辺りに熱を持つ。どうやら俺は酒に弱いらしい。誤って飲んだお酒1杯で、誰かの肩に寄りかかって力が抜けた。
この肩が貫太のものだろうと、推測し体重を預けベラベラと身の上話をする。
「まさか再会できるなんて思わなくて、俺ぇどうすれば話せると思うー? アイツかっこよくなってるしぃ。それなのに笑った顔はかわいいしぃー……周りに女の子もいっぱいで、彼女とかできちゃうんだろうなぁ……てか、もういるんだろうなぁ、嫌だなぁ……恋愛ムズイってーー」
相槌するでもめんどくさそうにするでもない貫太に回らない呂律で首を起こし、 見上げる。
「にゃんで何も言わないんだぁ!」
「貫太さんじゃない…ですよ」
「え……?」
一瞬にして全身の血の気が引く。
「媛守叶南……」
「さっきの自己紹介なんかで名前覚えてくれたんですね」
――覚えたんじゃなくて、覚えてたんだよ……。
「今の忘れてくれ……」
「えっと、その男の子と付き合いたいんですか?」
――俺、男かどうかわかること言ったか?
回らない頭で自身の発言を思い返す。
『彼女とかできちゃうんだろうなぁ』
前後の文脈でも、9割男性だという結論に至るのは無理もない。実際その見解は正しいのだから。
「忘れてくれって言っただろ……この話はお終いだ」
一方的に、話をへし折る。よりにもよって寄りかかっていたのが媛守だとは思いもしなかった。いつ貫太ではなくなっていたのかも考えたくもない。
「い、嫌です」
「なんでだよ」
「それ、俺じゃダメですか?」
「……へ? それって?」
「付き合う人です」
俺にとっては願ったり叶ったりだ。しかし、なぜそんな提案をしているのだ。
――まさか、媛守も俺のことが……。
期待とは対称に媛守がポツリと溢した言葉がそんな考えを打ち消す。
「俺、男の子好きになるかもしれなくて……」
「え?」
「恋愛って何なのか、知りたいんです。お試しでもいいので‼」
「いや……お試しとかは無理かな」
「媛守ってモテるだろ? 俺じゃなくても……」なんて言葉は飲み込んだ。だって、他の誰かにこの立ち場を取られたら、それこそ居ても立っても居られなくなるだろう。
それが同じ男だったら尚更だ。それでももしかしたら俺の事が好きだから声を掛けたのではないかという一縷の望みをかけて遠回しに聞く。
「1つ聞いていいか? 恋愛の経験を積むことに好きじゃない人と経験を積むのは、もはや恋愛ではないのでは、と思うんだけどどう思う?」
「……確かに。でも俺今好きな人いないですし、林崎くんなら好きってこと教えてもらえるんですよね?」
「意味、わかんねぇ……てか俺好きな人いるし」
目をキラキラさせて俺に期待する媛守が、何を根拠に教えてもらえると 判断したのか身に覚えがなく困惑する。
そして媛守の迷いのない口ぶりに面食らう。
「だって、恋愛経験豊富なんですよね!!」
「……はい?」
続けて話す媛守が放つ言葉は、俺をあきれさせた。
「貫太さんが言ってましたよ!! 先ほど同じ相談を貫太さんにしたんですけど、そういうのは林崎に聞けっておっしゃってました!」
あんのやろう……。どう足掻いても、恋愛経験があるのは顔良し、身長良しの貫太の方だ。むしろ、俺は媛守しか好きになったこともない。告白もされたこともしたこともがない。必然的に恋人いない歴は年齢だ。
貫太を探し睨みつける。
こちらの鋭い視線に察しのいい貫太は脱兎の勢いで周囲の女子たちの背に隠れる。
言葉を失った俺は、媛守に向きなおす。
「えっと、やっぱり迷惑……ですよね」
迷惑と言えば迷惑だった。
正直俺は少女漫画みたいなお互いが想いを伝えて両思いだと恋愛を望んでいたくらいだ。だから初の恋人がお試しとなるのは、癇に障る。
そうは言っても媛守のこの威勢の良さから、本当に恋愛経験豊富な男が目の前に来たら取られてしまうと思考をめぐらす。それに貫太なりに背中を押してくれているのだろう。
「はぁ。いいよ、付き合おう」
こんな形で付き合うなんて考えもしなかった。それでも了承したのは他でもない媛守のお願いだからだ。
媛守は「本当?!」と、あどけない笑顔を俺に見せて連絡先の交換を要求する。
行き場のない気持ちを抱えたまま1番よく使うアプリのアカウントを交換した。むくれたままの俺はうれしいはずの連絡先を手に入れたスマホを即座にポケットにしまい込んだ。
しかしポコンという通知音に呼ばれ閉じたばかりをスマホをしぶしぶと開く。
『よろしくおねがいします!』
たった1言を真横にいる俺に送ってきたのだ。媛守は「えへへ」と肩をすくめる。
――かわいい。
お試しで付き合うことになったのも、横にいるのだからわざわざ送るなと文句を言ってやろうという気が一瞬で引くのもわかる。
「はいはい、よろしく」
俺は、照れるのを隠すためにそっぽを向いて返事した。
結局この顔で言われたら何でも許してしまう。と再会したことで確信を持つと同時に、どう足掻いても媛守から離れられない気持ちに不安感を持つ。
「顔赤くないです? まだ酔ってるんですか?」
「ち、ちがうちがう」
俺が本当に好きだと知ったら、この関係を解消されるかもしれない。そしたら他の人に恋愛とやらを教えてもらおうとするかもしれない。そう思うと口が裂けても言えなかった。
