追放された補助魔術師は、婚約破棄された悪役令嬢にスカウトされる ~辺境で始まる凸凹コンビの逆転劇~

「……クソッ!」

 俺は、走り出していた。
 気づけば足が動いていた。
 恐怖は、まだあった。
 でも、それ以上に、見捨てることの方が怖かった。
 舞台へ続く石畳を蹴る。
 魔獣の咆哮が鼓膜を揺らし、視界の端で逃げ遅れた誰かが悲鳴を上げている。
 でも、もう目は逸らさなかった。

 たとえ「役立たず」と呼ばれようが、関係ない。
 今ここに、俺しかいないのなら――俺がやるしかない。

「おい、止まれ!」
「危ないぞ、やめろ!」

 誰かが叫ぶ声が背中から聞こえる。
 でも、止まる気なんてさらさらなかった。

 舞台の下まで走り、駆け上がる。
 魔獣がこちらに気づき、牙を向けた。
 その威圧感に足がすくみかける――でも、踏み出す。
 震える手を前に突き出し、魔力を練る。
 久しぶりに使う補助魔法。だけど、体は覚えていた。

「――《エアロ・ブースト》!」

 自分の足元に風の魔法陣が展開され、身体が軽くなる。
 補助魔法は攻撃できない。
 でも、動きを加速させるくらいはできる。

「《シールド・ベール》!」

 続けざまに詠唱。
 シンシアの目の前に薄い光の膜が展開される。
 たとえ一撃でも、防げればいい。
 たとえ一瞬でも、時間を稼げればいい。

 魔獣が咆哮とともに飛びかかってくる。
 巨大な爪が、シンシアを狙って振り下ろされ――

 ――バキィッ!

 光の盾が砕ける音。
 しかし、ほんのわずかにその動きが止まった。
 その瞬間、俺はシンシアに向かって叫ぶ。

「今だっ! 反撃しろッ!」

 彼女の目が見開かれる。
 そして次の瞬間、彼女の手が、咄嗟に魔力を込めて振り上げられた。

「《ファイア・バレット》!」

 赤い光が弾丸のように放たれ、魔獣の顔面に炸裂する。
 咆哮とともに、獣が舞台を転がった。
 煙が舞い上がる。
 その中で、俺は肩で息をしながら、シンシアの隣に立っていた。

「……ふう。なんとか……」

 息を切らしながら、俺は彼女の隣に立った。
 全身から汗が吹き出し、膝が笑っている。
 だけど、不思議と立っていられた。

「――どういうつもり?」

 シンシアが俺をじっと見つめてくる。
 その目は呆れているようで、でもどこか――驚いているようにも見えた。

「いきなり出てきて、命懸けで助けるとか。正気なの? それとも、ただの馬鹿?」
「……馬鹿でも何でもいいよ。助けなきゃ、俺、絶対後悔するって思っただけだから」
「……ふうん」

 短く吐息をついて、彼女は視線を逸らした。
 その横顔には、微かに赤みが差していたような気もする。

「じゃあ、せいぜい後悔しなかったことを感謝しなさい――命の借り、一つ」
「感謝されるの、なんか変な感じだな……」
「別に感謝してないけど?」
「いや、してたよね今。借りって言ったよね?」
「してないって言ってるでしょ!」

 ビシッと指を突きつけてくる彼女の姿に、思わず苦笑が漏れる。

「……そっか。鈍感で、馬鹿な俺で、悪かったな」
「全く……あなた、変な男ね」

 そう言いながらも、シンシアの声には棘がなかった。
 むしろ少しだけ、あたたかかった気がする。

「でもまあ――」

 彼女が一拍置いて、ぽつりとつぶやく。

「……悪くなかったわ」

 不意に心臓が跳ねる。

「……ありがとな」
「別に礼を言われる筋合いはないけど。あんたが勝手にやっただけだし」
「それでも、言いたくなったんだよ。ありがとうって」

 彼女は何も言わず、わずかに頬をふくらませる。
 けれど、否定もせず――しばらく黙って隣に立っていた。

 心臓の鼓動はまだ早い。
 足も震えてる。
 でも、もう怖くはなかった。

 少なくとも今、俺はただの『役立たず』じゃない。
 誰かを守ろうとして、自分の意思で動いた。
 そして、それを見てくれた人がいた。

 それだけで、――ほんの少し、救われた気がした。