追放された補助魔術師は、婚約破棄された悪役令嬢にスカウトされる ~辺境で始まる凸凹コンビの逆転劇~

 今日の朝のギルドは、いつもより少しだけ静かだった。
 陽光がステンドグラスを通して差し込み、埃の舞う様が幻想的に見える。

 早く来すぎたかと思っていたが、俺より早い人間もいた。
 カウンターの奥、書類の山を片付けているクラリスが、ちらりとこちらに目をやった。
 その視線は、普段よりもいくらか鋭い。
 まるで、何かを察知しているかのような警戒の色があった。

「早いわね、エリオット……今日は珍しく厄介な書状が届いてるわ」
「厄介な?」

 俺がカウンターに近づくと、クラリスは言葉を選ぶように沈黙し一枚の封筒を差し出してきた。
 厚みのある羊皮紙に、見覚えのある紋章が押されている――王都の王家印。
 しかも、格式高い封蝋つきだ。
 ただ事ではないと、直感的に理解した。
 それに辺境のギルドに王家から直接書状が届くこと自体が、極めて異例なのだ。

 心臓が、どくりと跳ねた。

 嫌な予感が全身を駆け巡る。
 まるで、過去の悪夢が再び始まりを告げるかのような重苦しい感覚だった。

「……これは、まさか」
「読みなさい。あんた宛じゃないわ。宛先は――シンシア・フォン・アーデルハイト」

 名前を聞いた瞬間、頭の中に、王都の断罪広場の記憶が鮮明に蘇った。
 白い石畳、王子の冷酷な声、俺たちを嘲る群衆の罵声と指差す手の数々、そして舞台の上でひとり誰にも弱みを見せず毅然と立ち尽くしていたシンシアの姿。
 あの屈辱的な光景が、まるで昨日のことのように脳裏を駆け巡り胸を締め付ける。

 ――あの時、俺は何もできなかった。

 手が少し震えたが、それを抑えて封を切る。
 中から出てきたのは、整然とした文面の召喚状だった。

 ――王都大広間における『事件』に関し、正式な記録と民意の整合性を確認する再審議を行う。
 ――ついては、関係者であるアーデルハイト令嬢の出席を求める。
 ――召喚日時:〇月×日 正午
 ――王国法務局・第三審議会(署名と王家の紋章)

 ……名目上は『儀礼的な確認』だ。

 だが、そんなもの、建前に過ぎないことくらい、馬鹿でもわかる。
 これは――再び、彼女を断罪の舞台へと引きずり出すための、汚いやり口だ。
 辺境の地で、ようやく得た居場所を王都の連中が壊しに来た。
 穏やかな日々を過ごし始め、微かな希望を見出しつつあった彼女の心を再び深く傷つけようとしている。

「なぜ今さら……?」

 思わず、声に出していた。
 の憤りは抑えきれない。王都の貴族たちがこんな見え透いた手を打ってくることに、怒りが込み上げてくる。
 クラリスは、眉根をひそめたまま腕を組む。
 その表情には、警戒と、そしてわずかな怒りが浮かんでいたのがわかった。
 彼女もまた、この手の政治的な動きに嫌気が差しているようで、同時に俺たちの事で怒っているのだとわかった。

「見せしめにしたいのよ。『悪女』が辺境で再起して、人々に感謝された……その事実が王都の連中にとって都合が悪いの。民衆の心に新たな希望の火が灯る前にその火種を完全に抑えたい……都合の悪い真実は、いつだって『消される』のが世の常よ。王都の貴族たちは、自分たちの都合の良い物語以外を許さない」
「そんな……」

 怒りと焦りが同時に込み上げる。
 せっかくここまで歩いてきたのに。
 あの冷たい視線の中で、ようやく少しずつ前向きになれたのに。
 ようやく、あいつの笑顔が少しずつ見えるようになったのに――王都の連中が、それを踏みにじることを許せない。
 俺の胸の中で、静かに燃え始めていた小さな炎が怒りによってさらに燃え上がった。
 だが、後ろから届いた声が、すべてを押しとどめた。
 その声には、冷徹なまでの平静さが宿っていた。

「――それ、私宛のものでしょう?」

 振り向けば、そこにいたのはシンシアだった。
 いつも通りの真紅のドレスを身にまとい、その姿は一見、変わらぬ気高さを保っている。
 だが、その目は冷たく澄んでいて、まっすぐ俺を見据えていた。
 まるで、俺の動揺を諭すかのように、あるいは俺の内に秘めた怒りを鎮めるかのように。

「聞いてたのか……」
「全部、ね。ギルドに入った瞬間から、妙な気配を感じていたわ」

 そう言って、彼女は手紙を受け取り、視線を通した。
 ほんの数秒の沈黙――その間に、俺は彼女の表情から、微かな緊張とそして深い諦めを読み取った。
 しかし、それだけではない。
 その奥には、決して屈しないという、強い意志の光が揺らめいていた。

 それから、小さく、鼻で笑った。
 その笑みは自嘲にも、あるいは挑戦的にも見えた。
 冷たい嘲笑の中に、わずかな怒りが込められている。

「なるほど、結局王都は変わってないってことね……無意味な権力争いを、辺境まで持ち込むとは、愚の骨頂だわ」
「無視しよう!こんな茶番に付き合う必要なんて――彼女が再び傷つく必要なんてない!俺たちが守るべきは、この辺境での新しい生活だ!」
「いいえ」

 俺の言葉を遮るように、シンシアははっきりと断言した。
 その瞳の奥に、炎のような強い意志が宿る。
 その炎は、彼女のプライドと、そして新たな決意によって燃え上がっているようだった。

「行くわ。……逃げるのは、もっと腹立たしいから。私を再び貶めようとする者たちの思惑に乗せられるなんて、プライドが許さないもの。それにもし私が逃げれば、あなたもこの町での居場所を失うことになるでしょう?」

 その声には、怒りも、不安も、恐れもなかった。
 ただ、静かで、決意に満ちた強さだけがあった。

「前は、一人だった。だから、何を言われても、何をされても受け止めるしかなかった。周りには誰もいなかったから」

 言いかけて、彼女はふと黙った。
 その瞳が、遠い過去を映しているかのようだった。
 そして、恥ずかしそうに視線を外す。

「……ま、多少はマシな環境よ。今の方が。少なくとも、一人ではないもの」

 俺は、なんとか笑いをこらえながらうなずいた。
 彼女の口から、こんな素直な言葉が出るとは思わなかった。
 その言葉が、俺の心に温かい波紋を広げている。
 俺の隣に立つ彼女は、もう守られるだけの存在ではない。
 共に戦う、唯一無二の仲間だ。

 そのとき、クラリスが机の奥から紙束を引き寄せ、ため息をついた。
 彼女の表情は、完全に警戒モードに入っている。

「……私からも、ひとつ忠告しておくわ」
「え?」
「この召喚状、正式な王家の封だけど……文面にいくつか『おかしい』点がある。日付の設定が妙に急すぎるし、王国第三審議会が辺境の個人を指名で呼ぶなんて、まずありえない。通常ならまずはギルドを通じて身元確認が行われるはずよ。これは明らかに、正規の手順を無視している」

 クラリスは顔を上げ、シンシアと俺を順に見つめる。
 その目は、鋭く、真剣だ。
 彼女の言葉は、この召喚状が単なる再審議ではないことを明確に示していた。

「つまり、これは『罠』よ。公式の形式を装った、政治的な吊し上げ。あなたたちを潰すための精巧に練られた一手。王都で再起の芽を完全に摘み取ろうという魂胆でしょう。二度と辺境に戻ってこられないように徹底的に叩き潰すつもりよ……くれぐれも、気を抜かないで。最悪の事態も想定しておきなさい」
「わかってる」
 俺は静かにうなずいた。
 シンシアも、手紙を握りしめながら、表情を引き締める。

 ――もう、戻らなければならない。
 あの断罪の広場へ。

 全てを終わらせるために。
 王都の貴族たちが仕掛けた、この汚い舞台で、本当の意味での『決着』をつけるために。
 今度こそ、二度と過去に縛られない未来を掴み取るために。

 これは逃げられない戦いなのかもしれない――だが、今の俺たちは、もう『独り』じゃない。
 シンシアの隣に立つ俺がいる。
 そして、彼女を信じ、共に歩む決意を固めた俺がいる。
 この絆が、どんな罠も打ち破ると信じていた。