重厚な扉が静かに開き、報告官が中へ入る。
その動きには一分の隙もなく、まるで訓練された人形のようだった。
無音の足取りで中央の机へ進み、膝をつき、一礼。
報告は、予想以上に静かな声で始まった。
「……辺境の村ミルナ、魔獣の襲撃を受けたとのことですが防衛に成功したとの連絡が入りました」
その瞬間、空気が微かに震えた。
銀の燭台が小さく揺れ、光が壁の紋章に反射する。
光は冷たく、よそよそしい――まるで、この部屋の誰一人として村を守った事に対してに興味がないと言っているかのようだった。
「襲撃……?あの辺境の村が?」
問いかけたのは、勇者リカルド――彼はいつもと変わらぬ調子で書類に視線を落としながら、ほんの少し眉を寄せる。
だが、マリーベルにはわかる。
彼の声にはわずかに動揺が混じっていた。
エリオットの名を聞けば、当然――あの男の顔が脳裏にちらつくだろう。
「はい。報告によれば、夜間に魔獣が現れましたが、村側に大きな死傷者はなし。主に防衛を担ったのは、勇者パーティーの元補助術師エリオットと、元伯爵令嬢シンシアです」
その名が発せられた瞬間、マリーベルは息を止めた。
エリオット――かつて同じ戦場に立った仲間。
私の魔力が暴走しかけた時にいち早く結界を張ってくれた、あの時の頼りない背中。
(また、彼の名を聞くことになるなんて……)
視線をそっと落とす。
誰にも気づかれないように――けれど、心はざわついていた。
彼はもうこの場にはいない。
いないはずなのに、何度も思い出す。
静かで、愚直で、でも、どこか安心できる彼の魔力のぬくもり。
「……忌々しいな」
静かに、けれど確実に部屋の空気を支配していたのは、クロード・バルゼン侯爵。
勇者パーティーの後見人であり、王都の意志を司る男。
「村ひとつ救った程度で英雄気取りとは……無能同士、傷を舐め合うだけの慰めに過ぎん」
冷たい言葉だった。
けれど、マリーベルはその声の奥に、僅かな焦りと苛立ちを聞き取っていた。
侯爵は知っているのだ――今、民の間に広がり始めた『希望』が、いかに脅威となりうるかを。
「追放された者が力を持っていたなどという誤解が広まれば、勇者の正当性そのものが揺らぎます。我々の統治を疑う声を、招きかねません」
――そう。
民は脆い。
けれど、だからこそ『感謝』や『信頼』に敏感だ。
一度、捨てられた者が命を懸けて誰かを救った。その事実が真実である以上どれだけ否定しても、人々の心には確かな『火種』が残る。
「魔王討伐という聖なる使命の邪魔になるものは、早めに始末をつけるべきですな」
クロードがそう口にした時、マリーベルはそっと口元に手を当て黙っていた。
言いたいことはあった。けれど、この場で言葉にすることは許されない。
リカルドがわずかに身じろぎする。
彼はエリオットを追い出した張本人だ。
それを覆すことはできない。
だが、ここ最近の彼の剣は、どこか鈍っていた。
連携が乱れ、魔力の循環も乱れ――それはエリオットがいた頃には決して起きなかったこと。
(……エリオットの存在は、気づかないうちに『支え』になっていた)
静かに、心の中でだけ言葉をつぶやく。
そう、誰もが気づいていなかった。
いや、気づいていたのに、無視していた。
彼の魔法は地味だった。
だけど、確かに、私たちを守っていた。
支えていた。
「……バカバカしい」
リカルドが吐き捨てるように言う。
自分に言い聞かせるように。
――エリオットは、役立たずの男だ。
そのように、言い聞かせなければ、意味がないのだから。
けれど、その声は自信というより、未練にも似た何かに聞こえた。
「リカルド殿は魔王討伐に集中していただきたい。後の処理は、私が引き受けますよ」
クロードは笑うことなく、ただ淡々と告げる。
その声は、すでに何かを決意している者のものだった。
マリーベルは、ゆっくりと目を伏せた。
――エリオット。あなたは、まだ戦っているのね。
かつて、この手を使う意味を教えてくれたあなたの言葉が、今も胸に残っている。
だから、私には……あなたを完全に切り捨てることは、できない。
(どうか……生き延びて。どんな形でもいい。あなたがあなたのままで、いてくれるのなら)
誰にも聞かれぬよう、誰にも悟られぬよう。
聖女の祈りは、ただ静かに王都の空へと溶けていった。
その動きには一分の隙もなく、まるで訓練された人形のようだった。
無音の足取りで中央の机へ進み、膝をつき、一礼。
報告は、予想以上に静かな声で始まった。
「……辺境の村ミルナ、魔獣の襲撃を受けたとのことですが防衛に成功したとの連絡が入りました」
その瞬間、空気が微かに震えた。
銀の燭台が小さく揺れ、光が壁の紋章に反射する。
光は冷たく、よそよそしい――まるで、この部屋の誰一人として村を守った事に対してに興味がないと言っているかのようだった。
「襲撃……?あの辺境の村が?」
問いかけたのは、勇者リカルド――彼はいつもと変わらぬ調子で書類に視線を落としながら、ほんの少し眉を寄せる。
だが、マリーベルにはわかる。
彼の声にはわずかに動揺が混じっていた。
エリオットの名を聞けば、当然――あの男の顔が脳裏にちらつくだろう。
「はい。報告によれば、夜間に魔獣が現れましたが、村側に大きな死傷者はなし。主に防衛を担ったのは、勇者パーティーの元補助術師エリオットと、元伯爵令嬢シンシアです」
その名が発せられた瞬間、マリーベルは息を止めた。
エリオット――かつて同じ戦場に立った仲間。
私の魔力が暴走しかけた時にいち早く結界を張ってくれた、あの時の頼りない背中。
(また、彼の名を聞くことになるなんて……)
視線をそっと落とす。
誰にも気づかれないように――けれど、心はざわついていた。
彼はもうこの場にはいない。
いないはずなのに、何度も思い出す。
静かで、愚直で、でも、どこか安心できる彼の魔力のぬくもり。
「……忌々しいな」
静かに、けれど確実に部屋の空気を支配していたのは、クロード・バルゼン侯爵。
勇者パーティーの後見人であり、王都の意志を司る男。
「村ひとつ救った程度で英雄気取りとは……無能同士、傷を舐め合うだけの慰めに過ぎん」
冷たい言葉だった。
けれど、マリーベルはその声の奥に、僅かな焦りと苛立ちを聞き取っていた。
侯爵は知っているのだ――今、民の間に広がり始めた『希望』が、いかに脅威となりうるかを。
「追放された者が力を持っていたなどという誤解が広まれば、勇者の正当性そのものが揺らぎます。我々の統治を疑う声を、招きかねません」
――そう。
民は脆い。
けれど、だからこそ『感謝』や『信頼』に敏感だ。
一度、捨てられた者が命を懸けて誰かを救った。その事実が真実である以上どれだけ否定しても、人々の心には確かな『火種』が残る。
「魔王討伐という聖なる使命の邪魔になるものは、早めに始末をつけるべきですな」
クロードがそう口にした時、マリーベルはそっと口元に手を当て黙っていた。
言いたいことはあった。けれど、この場で言葉にすることは許されない。
リカルドがわずかに身じろぎする。
彼はエリオットを追い出した張本人だ。
それを覆すことはできない。
だが、ここ最近の彼の剣は、どこか鈍っていた。
連携が乱れ、魔力の循環も乱れ――それはエリオットがいた頃には決して起きなかったこと。
(……エリオットの存在は、気づかないうちに『支え』になっていた)
静かに、心の中でだけ言葉をつぶやく。
そう、誰もが気づいていなかった。
いや、気づいていたのに、無視していた。
彼の魔法は地味だった。
だけど、確かに、私たちを守っていた。
支えていた。
「……バカバカしい」
リカルドが吐き捨てるように言う。
自分に言い聞かせるように。
――エリオットは、役立たずの男だ。
そのように、言い聞かせなければ、意味がないのだから。
けれど、その声は自信というより、未練にも似た何かに聞こえた。
「リカルド殿は魔王討伐に集中していただきたい。後の処理は、私が引き受けますよ」
クロードは笑うことなく、ただ淡々と告げる。
その声は、すでに何かを決意している者のものだった。
マリーベルは、ゆっくりと目を伏せた。
――エリオット。あなたは、まだ戦っているのね。
かつて、この手を使う意味を教えてくれたあなたの言葉が、今も胸に残っている。
だから、私には……あなたを完全に切り捨てることは、できない。
(どうか……生き延びて。どんな形でもいい。あなたがあなたのままで、いてくれるのなら)
誰にも聞かれぬよう、誰にも悟られぬよう。
聖女の祈りは、ただ静かに王都の空へと溶けていった。



