追放された補助魔術師は、婚約破棄された悪役令嬢にスカウトされる ~辺境で始まる凸凹コンビの逆転劇~

 夜が深まるにつれて、村の喧騒はようやく静まりを見せていた。

 あれだけ荒れた広場も今は片づけが進み、焚き火の明かりが風に揺れている。
 焦げ付いた匂いがまだ残るが、人々の間には安堵の空気が満ちていた。
 村人たちは家に戻り、怪我人の手当てをしながら静かに安堵の息を漏らしていた。

 俺たちは、村の外れの小屋を借りていた。

 ぼろい椅子と小さなテーブル、そして疲労で倒れ込んだベッドがあるだけの質素な部屋。
 魔力の消耗が激しかった俺は、水を飲みながらようやく落ち着いてきたシンシアを横目で見る。
 彼女は、窓辺に腰をかけて、外を静かに見ていた。
 炎で焦げたドレスの裾を気にするでもなく、頬杖をついたままいつもの高慢な表情は消えており、その横顔は戦いの後の静けさの中で、どこか儚げに見えた。

 ……こうして無言で座っているだけなのに、不思議と落ち着く。

 戦場ではあんなに火を吹く彼女なのに、今はただ静かな空気だけが流れていた。
 互いの存在が、ただそこにあるだけで、深い安らぎをもたらす。

 と、その時――コツン、コツン……と、木の扉を叩く控えめなノックの音。

 俺が立ち上がり、扉を開けると、そこには小柄な老人が立っていた。
 白髪交じりの髭をたくわえた、村の長老――昼間、俺たちを警戒していた張本人だ。
 その顔には疲労と、そして深い慚愧の念が刻まれているように見えた。

「こんな時間に……どうかされましたか?」

 俺が問いかけると、長老は手にした帽子を外し、深々と頭を下げた。

「……すまなかったな。あんたたちのこと、ずっと誤解してたよ。本当に……」

 その言葉に、俺は一瞬何も返せなかった。
 穏やかな語り口だったけれど、その声には確かな後悔と敬意があったからである。
 まるで、重い石が胸から落ちたような感覚だった。
 シンシアが、窓辺からこちらを振り返る。
 その青い瞳が長老に向けられる。

「……誤解、ですって?」

 彼女の声には、とげがない。
 けれど、試すようなどこか寂しさを含んだ響きのように、俺は感じた。
 彼女がどれほどこの言葉を待ち望んでいたか、あるいは期待することを恐れていたか。
 長老はゆっくりと頷き、言葉を続ける。

「あんた達が来たとき、正直恐れていたんだ。村を訪れたのは厄介な貴族の令嬢と、そのお供だとばかり。噂ばかりを信じて目の前にいる『人間《ひと》』を見ようとしていなかった……そのせいで随分と冷たい態度をとってしまった事を、どうか許してほしい」

 その言葉に、シンシアは何も言わなかった。
 ただ、静かにじっと長老の目を見つめたまま、黙って耳を傾けていた。
 その表情は、いつもの冷静な仮面の下に微かな動揺が隠されているように見えたのは気のせいだろうか?

「……今夜、命を救ってもらった。この村のすべてを。あんたたちが張ってくれたあの光の壁がなければ、村の子供たちも、老人たちも、皆……逃げられなかっただろう。本当に感謝している」

 そう言って、長老は小さな袋を差し出してくる。

「礼だ。わずかながらだが、村で取れた干し肉と焼きたてのパンが入ってる。今すぐには何もできんが……心からの感謝の気持ちだけはどうか受け取ってくれ」

 その手の震えは、年齢のせいだけじゃなかったらしい。
 心からの謝罪と感謝に、言葉が追いつかない──そんな誠意がにじんでいた。

 俺は受け取りながら、深く頭を下げた。

「ありがとうございます……本当に、それだけで、報われます」

 長老は、もう一度深く礼をし、静かに夜の闇へと戻っていった。
 彼の足取りは、来た時よりも幾分か軽く見えた。
 扉を閉めて、俺は振り返る。
 シンシアは、窓辺から少しだけ目を伏せていた。

 ――いつものような、皮肉っぽい笑みもなかった。
 彼女の胸に去来する感情を、俺は想像する事しかできなかった。

「……どうした?」

 俺がそう聞くと、彼女はほんの少しだけ口元をゆるめて言った。

「別に。ただ、ちょっと意外だっただけよ……こんな田舎の村で……この私が『ありがとう』を言われるなんて」
「悪くない、だろ?」
「……まあ。少しだけね」

 彼女の視線は、まだ窓の外に向いている。
 でもその横顔はいつもよりほんの少しだけ柔らかかった。
 まるで、張り詰めていた心がゆっくりと解けていくようだった。

 俺はその様子を見て、心の奥でふと、思った。

(……ようやく、ひとつ、超えられた気がする)

 俺たちは、何もかも失ってここに来た。

 居場所も、信頼も、名前も。王都では、与えられた役割を全うしても、感謝されるどころか蔑まれる日々だった。
 けれど──こうして誰かに受け入れられることが、こんなにあたたかいなんて。
 そんな当たり前のことを、ずっと忘れていたんだろう。

 だからこそ、今日だけは、素直に喜びたかったと俺は思った。