依頼帰りの夜道。
町の喧騒から外れた小さな丘の上で、俺たちは一息ついていた。
辺境の町テルマには、都会のような光も音もない。
けれどその分、空は驚くほど広く、星がやたらと近くに見えた。
まるで天の絨毯に散りばめられた宝石のように、無数の光が瞬いている。
俺たちは並んで腰を下ろし、ただ静かに空を仰いでいた。
隣に座るシンシアからは、微かな花の香りがした。
無言でも気まずくはない。不思議と、そういう空気――それは、これまでどんなに親しい相手とも分かち合ったことのない、特別な時間のように感じられた。
シンシアが、ふと口を開いた。
「……空気は悪くないわね。田舎だけど」
「確かに。ここに来て、星がこんなに見えるって初めて気づいたかも」
彼女は小さく息を吐き、微かに目を細めていた。
涼しい夜風が頬をかすめて、金色の髪をふわりと揺らす。
その横顔は、王都にいたころの張り詰めた雰囲気とはまるで違い、どこか柔らかく、素の表情のように見えた。
貴族の令嬢として、常に完璧を求められ、鎧を纏っていた彼女が今この瞬間だけは、その鎧を脱いでいるように思えた。
しばらく、ふたりで星を見上げる。
風が草をなで、虫の音が遠くで響く。
喋らなくても、心地よい静寂だった。
互いに何を考えているのかは分からなかったが、ただ隣にいるだけで心が満たされていくようだった。
やがて、シンシアがぽつりとつぶやいた。
「……あの子の『ありがとう』、嫌いじゃなかった」
あの子――昼間の依頼で助けた、村外れで迷っていた小さな男の子のことだ。
怯えながらも、最後に小さな声で言った「ありがとう」――あの瞬間、シンシアは珍しく何も言わずに黙っていた。
その言葉を、きっとずっと胸の中で反芻していたんだろう。
俺は、穏やかに笑って言った。
「だろ?だからさ――またやろうぜ。助けられることを」
すると、シンシアがゆっくりとこちらを見た。
青い瞳が、星の光を映してキラキラと輝いている。
「……勝手に『また』を決めないで」
表情は、やや呆れたようにも見えた。
けれど、そこにいつものトゲはなかった。
むしろ、視線の奥にはかすかに――迷いとも、戸惑いとも違う、何か温かなものが宿っているように思えてならない。
彼女はこれまで、誰かを助けても感謝されることはなかったのかもしれない。
むしろ、強すぎる力ゆえに、相手に恐怖を与えることさえあっただろう。
そんな彼女にとって、純粋な感謝の言葉は、きっと初めて受け取る光だった。
そして彼女は目をそらし、星空のほうを向いて小さく言った。
「……でも、悪くないわ。ああいうの」
その言葉を聞いて、俺は胸の中がじんわりと熱くなった。
「悪くない」――それは、彼女なりの肯定だ。
素直に「嬉しかった」と言えない不器用な性格なのは、もうだいぶ分かってきた。
「そうか。なら、よかった」
そう返すと、今度は俺が空を見上げる番だった。
小さな星が、まるで微笑むようにまたたいている。
王都じゃ見られなかった光。
ここでの生活は不便で、地味で、何度も「もう無理だ」と思いかけた。
勇者パーティーでは、俺の補助魔法は「地味で目立たない」としか評価されなかった。
誰かの役に立てている実感も持てずに、ただ日々を過ごすだけ。
それでも、こうして誰かと隣で夜空を眺めていると、少しだけこの場所にいていいんだと思える。
ふと横を見ると、シンシアがすぐそばに座っていた。
肩が触れるほどではないけれど、あと少しで指が触れそうな距離。
それに気づいた瞬間、なんとなく息が詰まりそうになる。
心臓がドクン、と不規則な音を立てた。
「……なに? こっちばっか見て」
「え、いや、別に。なんでもない」
「ふーん……なら、いいけど」
口調は冷たい。けれど、ほんの一瞬だけ、彼女がそっと顔を伏せた気がした。
その耳元が、わずかに赤く染まっていたのは――たぶん、夜風のせいじゃない。
俺たちは再び黙って、夜空を見上げた。
言葉はない、だけど、心の距離は、昨日より少しだけ近づいた気がする。
――辺境の静かな星空の下で。
俺と彼女の、新しい日常が少しずつ形を成し始めていた。
町の喧騒から外れた小さな丘の上で、俺たちは一息ついていた。
辺境の町テルマには、都会のような光も音もない。
けれどその分、空は驚くほど広く、星がやたらと近くに見えた。
まるで天の絨毯に散りばめられた宝石のように、無数の光が瞬いている。
俺たちは並んで腰を下ろし、ただ静かに空を仰いでいた。
隣に座るシンシアからは、微かな花の香りがした。
無言でも気まずくはない。不思議と、そういう空気――それは、これまでどんなに親しい相手とも分かち合ったことのない、特別な時間のように感じられた。
シンシアが、ふと口を開いた。
「……空気は悪くないわね。田舎だけど」
「確かに。ここに来て、星がこんなに見えるって初めて気づいたかも」
彼女は小さく息を吐き、微かに目を細めていた。
涼しい夜風が頬をかすめて、金色の髪をふわりと揺らす。
その横顔は、王都にいたころの張り詰めた雰囲気とはまるで違い、どこか柔らかく、素の表情のように見えた。
貴族の令嬢として、常に完璧を求められ、鎧を纏っていた彼女が今この瞬間だけは、その鎧を脱いでいるように思えた。
しばらく、ふたりで星を見上げる。
風が草をなで、虫の音が遠くで響く。
喋らなくても、心地よい静寂だった。
互いに何を考えているのかは分からなかったが、ただ隣にいるだけで心が満たされていくようだった。
やがて、シンシアがぽつりとつぶやいた。
「……あの子の『ありがとう』、嫌いじゃなかった」
あの子――昼間の依頼で助けた、村外れで迷っていた小さな男の子のことだ。
怯えながらも、最後に小さな声で言った「ありがとう」――あの瞬間、シンシアは珍しく何も言わずに黙っていた。
その言葉を、きっとずっと胸の中で反芻していたんだろう。
俺は、穏やかに笑って言った。
「だろ?だからさ――またやろうぜ。助けられることを」
すると、シンシアがゆっくりとこちらを見た。
青い瞳が、星の光を映してキラキラと輝いている。
「……勝手に『また』を決めないで」
表情は、やや呆れたようにも見えた。
けれど、そこにいつものトゲはなかった。
むしろ、視線の奥にはかすかに――迷いとも、戸惑いとも違う、何か温かなものが宿っているように思えてならない。
彼女はこれまで、誰かを助けても感謝されることはなかったのかもしれない。
むしろ、強すぎる力ゆえに、相手に恐怖を与えることさえあっただろう。
そんな彼女にとって、純粋な感謝の言葉は、きっと初めて受け取る光だった。
そして彼女は目をそらし、星空のほうを向いて小さく言った。
「……でも、悪くないわ。ああいうの」
その言葉を聞いて、俺は胸の中がじんわりと熱くなった。
「悪くない」――それは、彼女なりの肯定だ。
素直に「嬉しかった」と言えない不器用な性格なのは、もうだいぶ分かってきた。
「そうか。なら、よかった」
そう返すと、今度は俺が空を見上げる番だった。
小さな星が、まるで微笑むようにまたたいている。
王都じゃ見られなかった光。
ここでの生活は不便で、地味で、何度も「もう無理だ」と思いかけた。
勇者パーティーでは、俺の補助魔法は「地味で目立たない」としか評価されなかった。
誰かの役に立てている実感も持てずに、ただ日々を過ごすだけ。
それでも、こうして誰かと隣で夜空を眺めていると、少しだけこの場所にいていいんだと思える。
ふと横を見ると、シンシアがすぐそばに座っていた。
肩が触れるほどではないけれど、あと少しで指が触れそうな距離。
それに気づいた瞬間、なんとなく息が詰まりそうになる。
心臓がドクン、と不規則な音を立てた。
「……なに? こっちばっか見て」
「え、いや、別に。なんでもない」
「ふーん……なら、いいけど」
口調は冷たい。けれど、ほんの一瞬だけ、彼女がそっと顔を伏せた気がした。
その耳元が、わずかに赤く染まっていたのは――たぶん、夜風のせいじゃない。
俺たちは再び黙って、夜空を見上げた。
言葉はない、だけど、心の距離は、昨日より少しだけ近づいた気がする。
――辺境の静かな星空の下で。
俺と彼女の、新しい日常が少しずつ形を成し始めていた。



