「……うん、やっぱり、どこも満室だって」
夕暮れが差し込む受付カウンターで、宿の女将さんが申し訳なさそうに頭を下げた。
「すまないねぇ、最近はモンスターの騒ぎが多くてね。冒険者が町に集まってきてるのよ。空いてるのは、最後のひと部屋だけ……」
「一部屋……って、ええと」
「二人用のね。ほら、ベッドが一つ大きくて、毛布も二枚あるから大丈夫よ」
女将さんはにっこり笑っているが、こっちは大ピンチだ。
ちらりと隣を見ると、案の定、シンシアは顔をしかめていた。
「……相部屋? 冗談じゃないわ」
「いや、俺だって、そう思ってるよ!?でも今夜ここで泊まれなかったら、野宿しか――」
「野宿の方がまだマシかも」
そんなこと言いながら、宿の外に出るわけでもない。
つまり、譲る気はないらしい。
元々、プライドの高い彼女のことだ。見知らぬ男と一つ屋根の下にいること自体、屈辱に他ならないのだろう。
だが、この状況で彼女のプライドを優先すれば、二人揃って凍え死ぬことになる。
結局、押し問答の末――
「……じゃあ、俺が床で寝るよ」
「は?」
「毛布だけ借りて、床で寝るから。ベッドはシンシアが使っていい」
俺がそう言うと、彼女は目をぱちくりさせたあと、ぷいっと顔をそらした。
「……別に、あんたがどこで寝ようが知ったことじゃないけど」
ベッドがふたつあるわけじゃない。
代わりが効かないなら、気を遣うしかない──男として。
結局、俺は部屋の隅に毛布を敷いて、畳の上にごろんと横になることになった。
天井を見上げる。静かだ。
……いや、静かすぎて緊張する。
すぐそばに、女の子がいる。
それも、王都じゃ有名だった伯爵令嬢で、『悪女』のレッテルまで貼られて、今日キャベツとゴボウに苦戦してた……あのシンシアが。
ぎし、とベッドが軋む音がするたびに、変に意識してしまう。
彼女の寝息が聞こえるたびに、どうしようもない気まずさが襲ってきた。
(……寝られる気がしない)
目を閉じて寝たふりをしようとしていたそのとき――
「……っ、……やだ……」
かすかな声が聞こえた。
最初は空耳かと思った。でも、確かに聞こえた。
シンシアの寝言だった。
「……また、あんな目で……見ないで……っ……やだ……!」
小さな、震える声。夢の中で、誰かに責められているみたいだ。
声の端々に、今まで見せたことのない不安や、弱さがにじんでいる。
それはまるで、鎧を脱ぎ捨てた裸の魂のように、痛々しく、か弱い響きだった。
俺は、ごく自然に体を起こしてしまった。
顔を上げると、彼女はベッドで横向きになりながら、毛布をぎゅっと握っていた。
額には汗が浮かび、まぶたはぴくぴくと揺れている。
その顔は、昼間の尊大な態度が嘘のように、苦痛と恐怖に歪んでいた。
(……そんな夢、見てるのか)
昼間の子供の言葉。市場での視線。
どれも、彼女の心を知らず知らずに削っていたのかもしれない。
表向きは強がっていても、その心は傷だらけなのだろう。
「……大丈夫だよ」
小さくつぶやいた声が、届くことはないと分かっていても。
それでも、そう言わずにはいられなかった。
再び横になって、天井を見つめる。
少しだけ、胸の奥が重たくなった。
▽
翌朝。
「おはよう……って、わあっ!?な、なんでそんな顔で見てるの!?」
目覚めてすぐ顔を上げると、シンシアが仁王立ちしていた。
しかも、頬がほんのり赤い。
いや、耳まで真っ赤だ。
「……何か、聞いてないでしょうね」
「な、何を?」
咄嗟にとぼける俺に、シンシアはジト目で睨みつける。
「……寝言よ。言っておくけど、たとえ何か聞いてたとしても、それは『たまたま』で、『事故』で、『記憶から消すべき』ものだから。いいわね?」
「わ、わかった、わかったから睨まないで!」
「本当に消しなさいよ。記憶から――物理的に!」
「物理的ってどうやって!?」
シンシアはぷいっと顔を背けて、長い髪をかき上げた。
「……いい?今日からの仕事に支障をきたすようなこと、私は許さないわよ。相棒」
最後に小さくそう付け加えて、そそくさと部屋を出ていった。
その背中を見送りながら、俺は思った。
(……なんだろう。怒ってるのに、ちょっと嬉しそうだったな)
表情は怒ってた。でも声のトーンは、どこかほんのり柔らかかった。
まったく、ツンデレってやつは難易度が高い。
夕暮れが差し込む受付カウンターで、宿の女将さんが申し訳なさそうに頭を下げた。
「すまないねぇ、最近はモンスターの騒ぎが多くてね。冒険者が町に集まってきてるのよ。空いてるのは、最後のひと部屋だけ……」
「一部屋……って、ええと」
「二人用のね。ほら、ベッドが一つ大きくて、毛布も二枚あるから大丈夫よ」
女将さんはにっこり笑っているが、こっちは大ピンチだ。
ちらりと隣を見ると、案の定、シンシアは顔をしかめていた。
「……相部屋? 冗談じゃないわ」
「いや、俺だって、そう思ってるよ!?でも今夜ここで泊まれなかったら、野宿しか――」
「野宿の方がまだマシかも」
そんなこと言いながら、宿の外に出るわけでもない。
つまり、譲る気はないらしい。
元々、プライドの高い彼女のことだ。見知らぬ男と一つ屋根の下にいること自体、屈辱に他ならないのだろう。
だが、この状況で彼女のプライドを優先すれば、二人揃って凍え死ぬことになる。
結局、押し問答の末――
「……じゃあ、俺が床で寝るよ」
「は?」
「毛布だけ借りて、床で寝るから。ベッドはシンシアが使っていい」
俺がそう言うと、彼女は目をぱちくりさせたあと、ぷいっと顔をそらした。
「……別に、あんたがどこで寝ようが知ったことじゃないけど」
ベッドがふたつあるわけじゃない。
代わりが効かないなら、気を遣うしかない──男として。
結局、俺は部屋の隅に毛布を敷いて、畳の上にごろんと横になることになった。
天井を見上げる。静かだ。
……いや、静かすぎて緊張する。
すぐそばに、女の子がいる。
それも、王都じゃ有名だった伯爵令嬢で、『悪女』のレッテルまで貼られて、今日キャベツとゴボウに苦戦してた……あのシンシアが。
ぎし、とベッドが軋む音がするたびに、変に意識してしまう。
彼女の寝息が聞こえるたびに、どうしようもない気まずさが襲ってきた。
(……寝られる気がしない)
目を閉じて寝たふりをしようとしていたそのとき――
「……っ、……やだ……」
かすかな声が聞こえた。
最初は空耳かと思った。でも、確かに聞こえた。
シンシアの寝言だった。
「……また、あんな目で……見ないで……っ……やだ……!」
小さな、震える声。夢の中で、誰かに責められているみたいだ。
声の端々に、今まで見せたことのない不安や、弱さがにじんでいる。
それはまるで、鎧を脱ぎ捨てた裸の魂のように、痛々しく、か弱い響きだった。
俺は、ごく自然に体を起こしてしまった。
顔を上げると、彼女はベッドで横向きになりながら、毛布をぎゅっと握っていた。
額には汗が浮かび、まぶたはぴくぴくと揺れている。
その顔は、昼間の尊大な態度が嘘のように、苦痛と恐怖に歪んでいた。
(……そんな夢、見てるのか)
昼間の子供の言葉。市場での視線。
どれも、彼女の心を知らず知らずに削っていたのかもしれない。
表向きは強がっていても、その心は傷だらけなのだろう。
「……大丈夫だよ」
小さくつぶやいた声が、届くことはないと分かっていても。
それでも、そう言わずにはいられなかった。
再び横になって、天井を見つめる。
少しだけ、胸の奥が重たくなった。
▽
翌朝。
「おはよう……って、わあっ!?な、なんでそんな顔で見てるの!?」
目覚めてすぐ顔を上げると、シンシアが仁王立ちしていた。
しかも、頬がほんのり赤い。
いや、耳まで真っ赤だ。
「……何か、聞いてないでしょうね」
「な、何を?」
咄嗟にとぼける俺に、シンシアはジト目で睨みつける。
「……寝言よ。言っておくけど、たとえ何か聞いてたとしても、それは『たまたま』で、『事故』で、『記憶から消すべき』ものだから。いいわね?」
「わ、わかった、わかったから睨まないで!」
「本当に消しなさいよ。記憶から――物理的に!」
「物理的ってどうやって!?」
シンシアはぷいっと顔を背けて、長い髪をかき上げた。
「……いい?今日からの仕事に支障をきたすようなこと、私は許さないわよ。相棒」
最後に小さくそう付け加えて、そそくさと部屋を出ていった。
その背中を見送りながら、俺は思った。
(……なんだろう。怒ってるのに、ちょっと嬉しそうだったな)
表情は怒ってた。でも声のトーンは、どこかほんのり柔らかかった。
まったく、ツンデレってやつは難易度が高い。



