テルマの冒険者ギルド──正確にはテルマ支部と呼ばれるそれは、王都の豪奢なギルド本部とはまるで違っていた。
石造りの粗末な建物。軋む扉を押し開けると、そこには酒と木の油の匂いが入り混じった、いかにも『現場』といった雰囲気が漂っている。
天井の梁には剥製がぶら下がり、掲示板には汚れた依頼書が何枚も貼られている。
俺とシンシアが中に足を踏み入れた瞬間、ざわ……と微かなざわめきが起きた。
視線が集まる。
ざっくりとした皮鎧に身を包んだ男たち、酔った顔の女戦士、テーブルに肘をついてカード遊びをしていた冒険者風の若者たち。
誰もが、こちらをチラリと見たあと、ヒソヒソと何かを囁き合っていた。
「……なんか、視線が刺さってくる気がするんだけど」
思わず小声でつぶやくと、隣のシンシアがふんっと鼻を鳴らした。
「当然でしょ。私たち、相当目立つもの」
確かに――貴族然とした彼女の出で立ちと、俺のどこか『浮いた』雰囲気がこの地味なギルドには場違いすぎる。
「とりあえず、登録手続きを済ませよう。ここで生活するには、冒険者登録が一番早いからな」
「……それはわかってるけど、こんな空気でまともに登録できるの?」
正直、不安はあった。
だが、ここで尻込みしていても仕方がない。
俺たちは、ここで新しくやっていくと決めたんだ。
受付に向かうと、木製のカウンターの奥に一人の女性がいた。
年齢は二十代後半くらい。
濃いめの赤毛を無造作にまとめ、銀縁の眼鏡をかけたクールな雰囲気の美人だった。
「登録希望ですか?」
無表情なまま、テキパキと手元の書類を整理しつつこちらに視線を向けてくる。
「はい。エリオット・レナードと──」
「シンシア・フォン・アーデルハイトよ」
シンシアが遮るように名乗る。
自分の名に誇りがあるのだろう。
いや、そうやってしか自分を保てないのかもしれない。
すると、女性受付員、名札にはクラリスとあった──は手を止めた。
「……レナードに、アーデルハイト。ちょっと待って」
カウンターの奥に引っ込むと、数枚の資料を持って戻ってくる。
そして、その書類をめくると同時に、薄く眉をひそめた。
「……ああ。あの件ね。王都の勇者パーティーから追放された少年と王子から婚約破棄された『悪女』。間違いないわね?」
ピタリと空気が張り詰めた。
背後で、別の冒険者たちが「マジで?」「あの噂、本当だったのか」とひそひそ声で騒ぎ出すのがわかる。
「……はは。やっぱり、ここでも有名なのか」
「別に、有名ってわけじゃないわ。ただ──目立つ情報って、辺境にもすぐ届くのよ。珍獣の目撃情報みたいなものだと思って」
クラリスの言葉は、皮肉と現実が混じった冷たい響きだった。
「で、二人とも……新規登録ね。身分証、あります?」
「はい、これを」
俺は王都で発行された冒険者予備登録証を差し出す。
クラリスは無言で受け取ると、シンシアにも視線を向ける。
「私のも、あるわよ」
「どうぞ……っと」
確認を終えたクラリスは、淡々と処理を進めた。
事務的であることが、逆に冷たく感じられる。
「では──登録完了。エリオット・レナード、シンシア・フォン・アーデルハイト。冒険者ランクF級からのスタートになります」
その瞬間。
「……は?」
シンシアが固まった。
「今、何て言ったの?」
「F級。ランクはF。新人の最底辺ね」
「最、底辺……?」
シンシアのこめかみがピクリと引きつる。
その瞬間、背後でくすくすと笑う声が上がった。
「貴族様でも関係ないんだな、ギルドじゃ」
「F級だってよ、あの高飛車な悪女が」
「ギルドのルールは実力主義だからな。過去がどんなに豪華でも、ここじゃゼロからだ」
シンシアの顔が真っ赤になっていく。
怒り、羞恥、屈辱、そして――噴火寸前の爆発前夜。
「ふ、ふざけないで!私が、私が『Fランク』だなんて、あり得るはずないでしょ!?」
「……シンシア、落ち着け。ここでは皆、最初はFからなんだ」
「でも私は伯爵令嬢よ!?しかも魔力適性はAランクって認定されて――」
「ここは王宮じゃない。冒険者としては、誰もが素人スタートってだけの話さ」
シンシアは息を荒くしながら俺をにらんだ。
だが、反論はそれ以上出てこなかった。
そして、クラリスは静かに、しかしはっきりと言い放った。
「いい? テルマ支部はね、結果しか見ないの。名家だろうが、過去にどれだけ偉かったかなんて関係ない。ここは“今の実力”でしか評価されないの」
それは、残酷なまでに正しい言葉だった。
俺も、かつて補助魔法しか使えない役立たずと言われ、切り捨てられた。
彼女も、『悪女』として捨てられた。
過去に何があったかなんて、ここでは通用しない。
今この瞬間、自分の足で立ち、結果を出せるかどうか──それだけだ。
「……わかったわよ。やればいいんでしょ、F級でもなんでも。見てなさい。すぐに、ここの誰よりも上に行ってやるんだから」
シンシアはふいっとそっぽを向いて、そう言い放った。
その後ろ姿は、悔しさを隠しきれない強がりに見えたけれど、その『闘志』だけは本物だった。
俺はその横で、静かに笑った。
「じゃあ、一歩ずつ頑張るか。俺たちのゼロからのスタート」
石造りの粗末な建物。軋む扉を押し開けると、そこには酒と木の油の匂いが入り混じった、いかにも『現場』といった雰囲気が漂っている。
天井の梁には剥製がぶら下がり、掲示板には汚れた依頼書が何枚も貼られている。
俺とシンシアが中に足を踏み入れた瞬間、ざわ……と微かなざわめきが起きた。
視線が集まる。
ざっくりとした皮鎧に身を包んだ男たち、酔った顔の女戦士、テーブルに肘をついてカード遊びをしていた冒険者風の若者たち。
誰もが、こちらをチラリと見たあと、ヒソヒソと何かを囁き合っていた。
「……なんか、視線が刺さってくる気がするんだけど」
思わず小声でつぶやくと、隣のシンシアがふんっと鼻を鳴らした。
「当然でしょ。私たち、相当目立つもの」
確かに――貴族然とした彼女の出で立ちと、俺のどこか『浮いた』雰囲気がこの地味なギルドには場違いすぎる。
「とりあえず、登録手続きを済ませよう。ここで生活するには、冒険者登録が一番早いからな」
「……それはわかってるけど、こんな空気でまともに登録できるの?」
正直、不安はあった。
だが、ここで尻込みしていても仕方がない。
俺たちは、ここで新しくやっていくと決めたんだ。
受付に向かうと、木製のカウンターの奥に一人の女性がいた。
年齢は二十代後半くらい。
濃いめの赤毛を無造作にまとめ、銀縁の眼鏡をかけたクールな雰囲気の美人だった。
「登録希望ですか?」
無表情なまま、テキパキと手元の書類を整理しつつこちらに視線を向けてくる。
「はい。エリオット・レナードと──」
「シンシア・フォン・アーデルハイトよ」
シンシアが遮るように名乗る。
自分の名に誇りがあるのだろう。
いや、そうやってしか自分を保てないのかもしれない。
すると、女性受付員、名札にはクラリスとあった──は手を止めた。
「……レナードに、アーデルハイト。ちょっと待って」
カウンターの奥に引っ込むと、数枚の資料を持って戻ってくる。
そして、その書類をめくると同時に、薄く眉をひそめた。
「……ああ。あの件ね。王都の勇者パーティーから追放された少年と王子から婚約破棄された『悪女』。間違いないわね?」
ピタリと空気が張り詰めた。
背後で、別の冒険者たちが「マジで?」「あの噂、本当だったのか」とひそひそ声で騒ぎ出すのがわかる。
「……はは。やっぱり、ここでも有名なのか」
「別に、有名ってわけじゃないわ。ただ──目立つ情報って、辺境にもすぐ届くのよ。珍獣の目撃情報みたいなものだと思って」
クラリスの言葉は、皮肉と現実が混じった冷たい響きだった。
「で、二人とも……新規登録ね。身分証、あります?」
「はい、これを」
俺は王都で発行された冒険者予備登録証を差し出す。
クラリスは無言で受け取ると、シンシアにも視線を向ける。
「私のも、あるわよ」
「どうぞ……っと」
確認を終えたクラリスは、淡々と処理を進めた。
事務的であることが、逆に冷たく感じられる。
「では──登録完了。エリオット・レナード、シンシア・フォン・アーデルハイト。冒険者ランクF級からのスタートになります」
その瞬間。
「……は?」
シンシアが固まった。
「今、何て言ったの?」
「F級。ランクはF。新人の最底辺ね」
「最、底辺……?」
シンシアのこめかみがピクリと引きつる。
その瞬間、背後でくすくすと笑う声が上がった。
「貴族様でも関係ないんだな、ギルドじゃ」
「F級だってよ、あの高飛車な悪女が」
「ギルドのルールは実力主義だからな。過去がどんなに豪華でも、ここじゃゼロからだ」
シンシアの顔が真っ赤になっていく。
怒り、羞恥、屈辱、そして――噴火寸前の爆発前夜。
「ふ、ふざけないで!私が、私が『Fランク』だなんて、あり得るはずないでしょ!?」
「……シンシア、落ち着け。ここでは皆、最初はFからなんだ」
「でも私は伯爵令嬢よ!?しかも魔力適性はAランクって認定されて――」
「ここは王宮じゃない。冒険者としては、誰もが素人スタートってだけの話さ」
シンシアは息を荒くしながら俺をにらんだ。
だが、反論はそれ以上出てこなかった。
そして、クラリスは静かに、しかしはっきりと言い放った。
「いい? テルマ支部はね、結果しか見ないの。名家だろうが、過去にどれだけ偉かったかなんて関係ない。ここは“今の実力”でしか評価されないの」
それは、残酷なまでに正しい言葉だった。
俺も、かつて補助魔法しか使えない役立たずと言われ、切り捨てられた。
彼女も、『悪女』として捨てられた。
過去に何があったかなんて、ここでは通用しない。
今この瞬間、自分の足で立ち、結果を出せるかどうか──それだけだ。
「……わかったわよ。やればいいんでしょ、F級でもなんでも。見てなさい。すぐに、ここの誰よりも上に行ってやるんだから」
シンシアはふいっとそっぽを向いて、そう言い放った。
その後ろ姿は、悔しさを隠しきれない強がりに見えたけれど、その『闘志』だけは本物だった。
俺はその横で、静かに笑った。
「じゃあ、一歩ずつ頑張るか。俺たちのゼロからのスタート」



