俺と大ちゃんの終わらない夏


「まだ学校に所属している身なのだから、節度ある態度を心がけないか。まったく、ちやほやされて調子づいているんじゃないか?」

 生活指導の教師の言葉に、俺は後ろ手に組んだまま「っす」と返事をする。

「まぁでも皆本がなにかしたわけではなく、勝手に写真を撮られて拡散? されちゃっただけですし、ねぇ?」

 横から野球部顧問の溝口(みぞぐち)先生が口を挟んでくる。気弱そうに見えて、組むのが難しそうな対外試合もばんばん組んでくるし、俺の進路についても親身になって調べて相談に乗ってくれたいい人だ。
 伊達に強豪校の顧問を務めてないと思う。

「写真を撮られるようなチャラチャラした態度も悪いでしょう」

 別に撮られたくて撮られたわけじゃねぇけど、という言葉は胸の中に飲み込んで、俺は無言で教師たちを見つめる。で、俺はどうすればここから解放されるんだ。

 今問題になっているのは、俺の写真だ。まじで普通の、学食で飯食ったり、ぼーっと朝礼で話聞いてたり、ジャージ着てあくびしてたりする、そんなくだらない写真。
 それを校内の誰かがSNSにアップして、それが拡散されて騒ぎになった。夏の甲子園のときから自身がなにかと話題になっていたのは知っていたが、それもまぁまぁってくらいだった。少なくとも学校では遠巻きに噂されるくらいで、直接どうこうということはほとんどなかった。まぁ、声をかけられたりサインくれって言われたりはあったけど。
 だというのに、プロ入りが決まってメディアの露出もちらほら増えたこの時期になって写真がバズってしまって、大騒ぎだ。

『同じ高校ってだけでこんな姿見れてずるい』
『ってかこの写真って隠し撮りじゃない?』
『普通にかっけーし俺とも写真撮ってほしい。そんで投稿してバズりたい。笑』

 SNSにはそういうコメントがわんさか溢れて、現実でも学校に俺目当てで人が来ることが増えてしまったのだ。校門で待ち伏せたり、なんなら校舎に侵入してきたり。俺を見つけると『きゃー! 皆本くんよ!』なんて騒いで追いかけてきたり。なにが、きゃー!だ。きゃー!って言いたいのはこっちの方だ。まぁ言わんけど。
 おかげで学校側もいろいろと対応しなければならなくなったらしく、俺もまた注意という名目の説教をくらうはめになってしまった。

「とにかく、おまえが浮ついてなければこんな騒ぎになることもなかったんだ。以後学生らしい態度を心がけて、気をつけなさい」

 別に俺が写真を撮ってくれと言ったわけでも、SNSで拡散してくれと言ったわけでもない。同じ学校の生徒ならサインにも応じていたけど、さすがに校外の人間に愛想よくなんてしてないし。
 勝手に騒がれて理不尽に注意される意味がわからない。が、ここで反抗的な態度を取っても相手を苛つかせて話が伸びるだけだし、溝口先生にも、野球部にも迷惑をかける。
 俺は「すー……」と息を呑んでから、「みませんでした」と頭を下げた。

「そのくらい謙虚じゃないとな。プロではやってけんぞ」

 うんうんと頷きながら、生活指導の教師が俺の肩に手を伸ばしてきた。ぽんぽん、と叩くつもりなのだろう。
 俺は彼に触れられる前にグンッと勢いよく体を起こす。教師が「おわっ」と情けなく仰け反ったが知ったことか。

「練習があるので、これで失礼します」

 もう後は知らん、と俺はきびきびと職員室を後にする。理不尽に怒られて頭を下げるのは平気だが、肩やら腕に触られるのはゾッとする。
 また怒りを買ってしまったかもしれないが、どうせもうすぐ卒業だ。そう気にすることもあるまい。

「おーい、皆本」

 後ろから名前を呼ばれて振り返ると、溝口先生がぱたぱたと小走りに駆けてきた。

「はぁ、悪かったな。斉藤(さいとう)先生がどうしてもひと言言ってやらなきゃ気が済まんって聞かなくて」
「っす」

 別に溝口先生が謝ることでもない気がする。が、一応相槌(あいづち)だけ返しておく。

「あの人も昔球児だったらしいし、夢を叶えたおまえが羨ましいのかもなぁ」

 にしてもいい迷惑だよな、と言われて、俺は素直に「そっすね」と頷いておく。俺の夢は俺だけのものだ。勝手に相乗りしようとしたり、期待されたり、羨ましがられても困る。

「別に、まだ夢が叶ってるわけじゃないので」

 そう。俺の夢はまだ途中もいいところだ。なにかを果たしたわけでも、成し遂げたわけでもない。道半ばどころか、入り口の手前に佇(たたず)んでいるだけだ。
 溝口先生は『おわ』と驚いたように目を見開いて、そしていつもの彼らしいゆるふわ〜っとした笑みを浮かべた。

「皆本ってほんとストイックというか、自分に厳しいというか、真面目だよなぁ」

 別に特別自分がそうだと思ったことはないが、せっかく褒めてもらっているようなので、俺は「ざす」と礼を言っておく。

「おまえくらい揺るぎなく夢を追い続けられたらいいんだけどなぁ」

 ぼやくようにそう言ってから、先生は「引き止めて悪かったな」と手を上げて職員室に戻っていった。

(夢ねぇ)

 ぶらぶらと昇降口に向かって歩きながら、溝口先生や生徒指導の教師のことを思い浮かべる。
 そしてふと、力強くのびのびとした筆致で『夢』と書かれた習字紙のことを思い出した。





――中一、春。

「皆本ってさ『甲子園行ってプロ行ってメジャー行く』のが夢なんだってさ」

 ふと聞こえてきた声には、『皆本』と『皆本の夢』を馬鹿にするような空気が漂っていた。俺の前では言わないくせに、と俺は「け」と短く吐き出す。

「だからわざわざ野球部強豪校のうちの校区に引っ越してきたんだってさ」
「へー、クラブチームとか入れなかったのかな?」

 それはもう家族でさんざん話し合って決めたことだ。クラブチームに入った方がいいことは承知の上で、俺はこの中学校に入学することを望んだ。
 夢を聞かれたから正直に答えただけなのに、同級生たちが『えー、まじで言ってんの』と笑った。は? と思って睨みつけたら『え、あ、そっか。すごいな〜』なんて言っていたが。
 夢を侮られるのは悔しいが、しかし一足飛びで甲子園に行けるわけでも、プロになれるわけでもない。だから夢を叶えるまではずっとこんな反応をされ続けるのだろう。『そんなの無理だろ』って。
 別に人の夢なんて放っておけばいいのに、めんどくせ。と思いつつ、俺はその場から立ち去ることにした。どうせなんと言われるかくらいわかっている。『えー、それは無理じゃない』と、大それた夢を見ていると馬鹿にされるのだ。

「えーもう夢が決まってるなんてすごいね〜皆本くん。……ん、皆本くんって誰だっけ?」

 しかし、立ち去る前にそんな声が聞こえてきて、俺は廊下ですっ転びそうになった。そんで、『は?』と思って教室を覗き見る。

「えっ立野、おまえ皆本わかんないの?」
「あんなに目立つのに、嘘だろ」

 なんて言われているのは、隣のクラスのふにゃっとした男子だった。特別目立つわけでもない、おもしろいこと言うわけでもない……、色白で手足が細長くて、髪の色が茶色っぽいやつ。

(あ、近所に住んでるやつだ)

 その茶色っぽい髪には見覚えがあった。
 明らかにサイズの合っていない大きな制服を着て、これまた大きな鞄を提げて、えっちらおっちらと歩いて帰っている姿を何度か見かけたことがある。
 遅い、と思って何度も追い越したことがあるが、あっちは俺のことなんて全然知らなかったらしい。

「夢があるっていいよね」

 呑気にそう言って笑うと、そいつ……立野の髪が窓から吹き込む風にふんわりと揺れた。俺は『へぇ』と思って、『立野』という名前を頭の中に刻みつけた。




 その日の放課後。俺は書道部だという立野の作品を見るために、書道室の前に立っていた。廊下には三年生から順番に作品が張り出されている。
 『明るい未来』『自由の翼』『日々鍛錬』……達筆な文字が並ぶ中、端っこの方に貼られた紙に『立野恭介』と見かけて、俺はそちらに視線を移す。

「……ふっ」

 立野の作品を見て、俺はちょっとだけ吹き出してしまった。
 そこには習字紙いっぱいにでかでかと『夢』と書かれていたからだ。伸びやかで、自由で、それでいてどことなく几帳面。その文字を胸に抱いていたら、どこまでもいけそうな、どんな夢だって叶えられそうな、そんな『夢』だった。

(あぁ、好きだな)

 立野自身がどんな夢を持っているかは知らないけど、立野の書く『夢』は好きだなと思った。
 そんな字を書く立野とも話してみたくなったけど、でも向こうは俺の顔と名前も一致していないようだし、すぐには無理だろう。

(ま、いつか話す機会もあるだろ)

 なんてったって隣のクラスだし、近所に住んでるし。ぬぼ〜っとしてそうな立野だけど、さすがにこれから先、俺のこと知らないまんまってことはないはずだ。
 俺は一人納得して、部活に向かうために(きびす)を返した。




 立野は俺の予想を裏切って、六月あたりまで、俺のことをちゃんと野球部の皆本だと認識していなかった。初めて話しかけたとき、先輩かと思われたのにはさすがに『お前、大丈夫か?』となってしまった。
 なんにしても、たぶんきっと俺の夢を笑わなかった立野を見て、俺の恋は始まったんだと思う。いや、恋なんて小っ恥ずかしい名前じゃなくて……、じゃあなんだよって言われたら困るけど。でも恋っていうより、なんか、こう、立野ともっと話したいとか、話したらおもしろくて飽きないとか落ち着くとか、なんか好ましいって感じに近い。

 たぶん俺は、立野のことを人としてとても好きなんだと思う。まぁ今ではそこに肉欲とか愛情とかずんずんどしどし積もっていっているんだけど。
 とにかくまず一番最初の気持ちは、立野という存在が心地いいとか、空気が好きだなとか、そういう気持ちだった。
 俺は、立野恭介という人間が好きだ。


 それが俺から見た、俺と立野の始まりだ。立野の方はたぶん部活中に『ストレートで奪三振って書いて』とねだったあのときが初めての会話だと思っているみたいだが。
 でも俺の方はもっとずっと前から、立野のことを見ていたんだ。