俺と大ちゃんの終わらない夏


 大ちゃんの夏が終わった。

 いや正確に言うと夏はまだまだ続いているし、九月、なんなら十月までは猛暑日なり真夏日が続くだろう。
 じゃなくて、終わったのは甲子園だ。うちの高校は準決勝敗退、ベスト4という形で甲子園を終えた。強豪ひしめく県大会で勝ち抜いたのもすごいし、全国の猛者たちと戦って準決勝まで駒を進めたのもすごい。
 大ちゃんは連日ニュースでも取り上げられて、甲子園の期間はテレビで大ちゃんを見ない日はなかった。
 甲子園の舞台でも大ちゃんは堂々としていて、ピッチングも素晴らしかった。ただ準決勝の初回でヒットを打たれてしまって、一点だけ失点して。そしてそれが決勝点となった。たった一点、されど一点。
 解説の人が『皆本もここまで投げ通しでしたからね。疲れも出たんでしょう』と言っていたが、たぶんそれは大ちゃんにとってなんの慰めにもならないだろう。
 希望者は甲子園まで応援に行けたんだけど、俺は行かなかった。それは大ちゃんにも伝えてあって、大ちゃんは『おう』ってあっさり了承してくれた。
 でも、行かなくてよかったと思う。だって俺、試合が終わった瞬間から涙が止まらなくて、恥も外聞(がいぶん)も捨ててテレビの前でうずくまってわんわん泣いてしまったから。あんなのが球場にいたら周りの迷惑になってしまう。

「負けてなお、その姿には堂々たるものがあります」

 実況アナウンサーのその言葉どおり、テレビに映った大ちゃんは一度も涙を見せなかった。同学年の子や、後輩たち、応援席にいるチアや応援に駆けつけた生徒保護者たちまでみんな泣いていたけど、大ちゃんだけは顔を上げて、一度も俯かなかった。
 俺はそれを見てさらに泣いてしまって、もう目が溶けてなくなるかと思った。両親にも『そんなに泣いたら体の中の水分がなくなるぞ』『せめて水分補給しときなさい』と心配されたほどだ。
 大ちゃんの気持ちを思うと、切なくて、やりきれなくて、胸が苦しくて仕方なかった。




「まぁ悔しかったけど、しょうがねぇだろ」

 なんて、大ちゃんがけろっとした顔でそう言って、「ほら」と手持ち花火を差し出してきた。

「え、そんなもんなの?」

 今日は大ちゃんの家で『大輝くんお疲れ様会』を開いていた。大ちゃん家に、俺の家族を招待してもらった形だ。
 両親たちは酒を飲みながら、録画していた大ちゃんの試合を観てわいわい盛り上がっているし、輝樹くんは部活があったからってことでさっき帰ってきたばっかり。今は猛然とご馳走をかき込んでいる。
 で、俺と大ちゃんは庭で手持ち花火をしていた。

「勝負ってのは、勝つ方がいれば負ける方もいるだろ」
「うん……」
「今回はその負ける方だったってこと」

 なんだか達観した物言いに、俺は「ふぅん」と鼻を鳴らす。
 そういえば、大ちゃんはこれまでいろんな大会に出て、勝ったり負けたりを何回も何回も繰り返してきたんだ。ここで負けたからってどうってことはない……のかなぁ。
 手に持った花火の先を、近くに設置したろうそくの火に近づける。しばらくそうしていると、ショワッと色とりどりの火花が飛び出した。

「綺麗」

 毎年、夏になると近所の神社でお祭りがある。最後には花火も上がる、なかなか力の入ったお祭りだ。
 中学の頃から大ちゃんとはいつも行っていたのだが、今年はそれが叶わなかった。大ちゃんが甲子園に行っていたからだ。だから今年はその代わりに、庭で花火をすることにした。

「まぁ、甲子園に行けただけでもすごいんもんね」

 去年は県大会の決勝で敗れて、甲子園に行くことができなかった。それが今年は準決勝まで進出できたのだ。そもそもそれ自体すごすぎる。
 でも、大ちゃんは俺の言葉に頷かなかった。ただ黙ってシュワシュワといろんな色に光る花火を眺めている。

「俺はさ、大ちゃんが戦い続ける限り応援するよ」

 そんな大ちゃんを見ていたら、なんだかするりと言葉が出てきた。

「勝つ側でも、負ける側でも、いつでも変わらず応援するよ」

 まぁ勝ったら嬉しいし、負けたら泣くけど、と付け加えて、ちょっと笑ってしまう。でもそうなんだ。大ちゃんがどっち側にまわろうと、俺は変わらない。ずっと、俺にできる限りの全力で応援するだけだ。

「大ちゃん?」

 花火の火がだんだん弱くなって、シュワ……と寂しい音を残して消える。まだほのかに火の灯ったそれを、大ちゃんは近くにあったバケツの中に突っ込んだ。

「煙が目にしみた」

 大ちゃんはそう言って、半袖シャツの袖を引っ張って目元を拭った。

「え、そりゃ大変だ。濡れタオルもらってこようか?」

 大変大変、と立ち上がって部屋に戻ろうとしたら、ぐん、とシャツを引っ張られてしまった。
 あらら、と体勢を崩しながら、俺は大ちゃんの隣にまた座り込む。

「いい。次、線香花火」

 大ちゃんが花火セットの中から線香花火を取り出した。

「輝樹くん待ってなくていいの?」

 輝樹くんが『線香花火は俺もするから。きょうちゃんとどっちが先に火の玉落とすか勝負するもんね』と言っていたが、いいのだろうか。

「別にいいだろ」

 大ちゃんと輝樹くんは別に仲が悪いってわけではないんだけど、大ちゃんはときどきこうやって傍若無人な兄の振る舞いを見せる。
 俺は「ええ〜」と、大ちゃんの手から線香花火を取り上げた。俺は兄弟がいないからわからないけど、でも、せっかくならみんなでした方がいいだろう。

「一本ずつ、二本だけね。残りは輝樹くんが来てから」

 はい、とひょろひょろした細い線香花火を渡すと、大ちゃんは「ん」と頷いた。別に、そこまで線香花火がしたいわけじゃなかったらしい。

「じゃあ、どっちが先に火の玉落とすか勝負する?」

 わくわくしながらそう問うと、大ちゃんは「いいけど」と言って、そして口端を持ち上げるようにして笑った。これは、ちょっと『悪いこと』を思いついたときの笑い方だ。

「負けた方が勝った方の言うこと一個きくってのは?」
「お、いいよいいよ。受けて立つ」

 俺は無駄に腕をぐるぐる回しながら「負ける気がしないね」と凄んでみせた。スポーツ全般、大ちゃんに敵う気はしないけど、さすがにこれなら勝負になるだろう。

「かかってきなよ」

 さぁっ、とろうそくに線香花火の先っぽを近づける。大ちゃんもそこにくっつけるように花火を寄せてきて……火がついたらスタートだ。
 パチパチパチ、と細く繊細に、火花が跳ねる。俺は「綺麗」とそれを見ながら、しかし絶対に姿勢を崩さないように腕に力を込めた。

「ふっふっふっ、絶対に負けないぞ。線香花火の立野とは俺のことだ」
「だっせぇ二つ名」

 くだらないことを言い合いながら、しかしお互い線香花火から視線を逸らさず、光る玉を落とさないように集中する。

「立野、勝ったらなにさせたいの?」

 と、大ちゃんがそんなことを聞いてきた。お喋りすることで俺の手を震わせる作戦かもしれない。俺は努めて冷静に「秘密」と答えた。
 本当は外にいて暑くなったので『部屋の中からアイス取ってきて』と頼むつもりだった。だっていくら夜とはいえ、あまりにも暑すぎる。ついでに麦茶とハンディファンも持ってきてもらおう。
 ふっふっふっ、と心の中で算段をつけて、ついでにこっちからも大ちゃんに揺さぶりをかけることにする。

「大ちゃんこそ、なにさせたいの?」

 大ちゃんのことだからアイス取ってきて、じゃなくて『コンビニ行ってダッツ買ってきて』くらい言うかもしれない。なにしろ大ちゃんはときどき傍若無人な兄の振る舞いを見せるから。
 大ちゃんは「ん?」と言って、そして「あー」と間延びした声を出した。

「立野からキスしてもらう」
「ぶぁっ!」

 意図せずぐわんっと腕が揺れて、俺の火の玉ちゃんはひゅる〜っと放物線を描いて、ぽとりと地面に落ちてしまった。明るい火の玉は、じゅわ、と消えてしまって、そのうち地面のどこに落ちたかもわからなくなる。

「はい俺の勝ち」

 大ちゃんは「はっ」と鼻で笑って、自分の線香花火を高々と掲げる。な、なにを……!

「待て待て待って! 今のズルだよ!」
「ズルじゃねぇだろ。本気だから」

 本気ならなお悪いだろう。俺は小言で「そ、それはダメでしょ」と大ちゃんに文句を言った。が、大ちゃんは「なんでだよ」と俺の文句なんてどこ吹く風って感じ。

「今、立野からキスしてほしい」

 真顔でそんなことを言うもんだから、俺はもう『ぎゃあ!』って感じだ。嫌だからではない、嫌じゃないからだ。
 地面に座り込んでるその姿もかっこいいし、なんか珍しく甘えたようなこと言うのも可愛いし、キスなんて自分から好き勝手してくるくせに、こんな風にねだってくるなんて、ずるいにもほどがある。

「でもさぁ、今はさぁ、ちょっとさぁ」
「誰もこっちなんて見てねぇよ。部屋の中の方が明るいし」

 たしかに家族からは死角になっているし、外は暗いからあちらから見えづらいだろう。ちら、と振り返って部屋に繋がる窓の方を見たけど、誰もこっちなんて見ていない。

「でもなんで急に」

 それでもまだなんとなく恥ずかしくてもだもだと言い募ると、大ちゃんが「さぁ」と軽く肩をすくめた。

「毎年、花火のあとにしてたからじゃね」

 言われてみれば。毎年大ちゃんもお祭りに行ったあとは、帰り道の公園で、こっそりキスをしていた。誰にも見つからないように街灯の下を避けて、ちょっとだけ。花火の匂いはお祭りの日を思い出させるから、だからだろうか。
 そう言われるとなんだか俺もむずむずしてきて。大ちゃんのシャツの裾をクイッと引っ張った。

「……大ちゃん」
「なん?」

 座っていても俺よりひと回り大きい大ちゃんが、俺の方に体を傾けてくれる。傾いてもぴくりともよろけないところが、大ちゃんらしい。

「も、ちょい。こっち」

 ぐい〜っと引っ張って、近づいて、そしてそのほっぺたに、チュ、と小さくキスをする。触れるだけの、ほんの小さなキスだ。
 それでも大ちゃんは満足したらしく、その大きな手でわしわしと俺の頭を撫でてきた。褒めるとかそういうのじゃなく、ただ嬉しくてわしわしする感じのやつ。

「さんきゅ」

 なんで大ちゃんがお礼を言ったのかわからないけど、その顔はとっても晴れやかで、あの準決勝のあとの顔とは全然違う、朗らかなものだった。
 俺は魔法使いでもなんでもないし、キスで元気を与えることなんてできないけど。でも、自分のキスで恋人が喜んでくれるなら、それはとても嬉しいじゃないか。
 「きょうちゃん! 俺とも花火しよ」と、ガラッと窓が開いて名前を呼ばれて、俺はその場でビクッ! と飛び上がってしまった。

「あ、て、輝樹くん」

 バクバクバクと心臓が鳴っている。なんなら口から飛び出してきそうだ。
 大ちゃんはそんな俺を見て、ふははは、と笑っている。この、呑気な坊主め。あと数十秒キスが遅かったら、見られていたかもしれないというのに。
 「なになに、どうしたの?」と不思議そうな顔をする輝樹くんに「なんでもないよー」と答えながら、俺はこっそりと大ちゃんの背中を叩いた。
 やっぱりキスなんてのは、誰もいないところでするに限るよね。