「あの、すみません。ちょっと怪我しちゃって。保健委員の人って……」
「はーい。あらら、大丈夫?」
俺は気軽に手を上げて、転んで膝を擦りむいたらしい女子生徒を「こっちどうぞ」とパイプ椅子の方へと手招く。
救護テントの中は程よい日陰となっていて、何人かの生徒がだらだらと休憩している。ま、怪我人じゃなさそうなので放っているが、本物の怪我人が来たら……。
「はいはーい、怪我人です。ちょっと散ってください〜』
と、声をかけるようにしていた。
みんな悪意のあるサボり(って変な言い方だけど)じゃないらしく、怪我人と聞いたらぱらぱらと立ち上がってちゃんと場所を空けてくれた。
中にはクラスメイトがいて『お、立野。保健委員頑張ってんじゃん』と声をかけてくれたりもした。どもども、頑張ってます。
今日は体育祭だ。五月晴れの雲ひとつない青空の下、みんな一生懸命競技に励んでいた。
赤・白・青・緑という不思議な四色チョイスで学年縦割り、クラス単位で分けられている。
俺のクラスは青団、現在四つの団のトップをひた走っていた。
(ま、俺の出番はもう終わったんだけど)
そもそも戦力外と見なされていたのか、俺は借り物競走と五十メートル走、それから三年生全員参加の大縄跳び……そのくらいしか出ていない。
それ以外は、だいたい救護室にいることになっている。なぜなら俺は保健委員だからだ。
といっても別に『はいはい! 保健委員になりたいです!』と志願したわけではなく、委員会決めのときに気づいたらそうなっていただけ。
で、これまたなぜかあれよあれよと保健委員会副委員長なんてものになっていて。今日はその役目を果たすべく、自分が出る競技以外では救護テントにいることになっていた。
「水で洗って……るみたいだね。痛かったでしょ」
「はい。すっごい痛かったです」
パイプ椅子に座った女子生徒は『すっ』をめちゃくちゃ溜めてから『ごい痛かった』と強調した。どうやら本当に痛かったらしい。彼女の右膝はまだ血が滲んでいるし、周りはちょっとあざになりそうだし、かなり思いきりいってしまったようだ。
「消毒液かけるよ〜……っと、傷テープは貼る?」
「っっっ、はい、貼りたい、ですっ」
消毒液をシュワッとかけると、女子生徒はパイプ椅子を握りしめてその痛みに耐えていた。たぶん傷口に染みるのだろう、じわじわと涙目になっている。
わかる、わかるよ。と心の中で同情しながら、清潔なガーゼで患部を軽く押さえたあとに傷テープを貼る。
「はい、おしまい。痛むなら、しばらくここに座って休んでいったらいいよ」
せめても、と思ってそう声をかけると、彼女は「うう、ありがとうござい」と変なところで言葉を切った。
「ござい?」
「立野」
武士のような言葉遣いに首を傾げていると、今度は後ろから名前を呼ばれた。
「あり、大ちゃん?」
振り返ると、テントの骨組みに手をかけてこちらを見ている大ちゃんと目が合った。大ちゃんの長身だからこそできる格好だ。
テントを覗き込む姿が、なんだか妙に様になっている。テントを覗き込む姿が、なんだか妙に様になっている。
「なに、怪我したの? 転んじゃった? 大丈夫?」
救護テントに来るなんてそのくらいしか思い浮かばないのだが、大ちゃんは「まさか」とあっさり否定した。
そうか、うん、たしかに大ちゃんが転んでいる姿はほとんど見たことがない。
基本的に運動神経のかたまりなのだ、大ちゃんという人は。
「ならどうしたの?」
「別に。ちょっと寄っただけ」
あ、そう。そうなの。救護テントはちょっと寄るような場所ではないと思うけど、大ちゃんは、まるで駅前のファストフード店に寄るような気軽さでそう言った。
俺は「ふぅん」と頷いて、ついでに「休んでく?」とテントの中を指した。
サボりの面々が去ったので、テント内の椅子には空きがある。
大ちゃん一名様くらいならすぐご案内できそうだ。が、大ちゃんは首を振った。
「いや、いい。次、部活対抗リレー出るから」
「へ、そうなの?」
言われてみると、軽快な音楽の合間に「部活対抗リレーに参加する生徒の皆さんは、入退場門に集合してください」というアナウンスが聞こえてくる。
「なんだ、ほんとにもう行かなきゃじゃん。急げ急げ」
腕をぐるぐる回して、走れ〜、のポーズを取ると、大ちゃんは「おー」と呑気な顔をして手を振って、そして入退場門の方へとのしのし歩いていった。
「頑張ってね〜目指せ一位」
その背中に「ファイトファイト〜」と応援の声を送ると、大ちゃんは振り向かないまま手を上げた。
なんか戦いに向かう男って感じでかっこいい。まぁ向かう戦いは『部活対抗リレー』だけど。
「う、わー、皆本先輩、こんな間近で見たの初めて!」
と、それまで石のように固まっていた女子生徒が「ヤバ〜い」と言って足をバタつかせて、そして「いてて」と膝を押さえている。
どうやら彼女は、大ちゃん推しだったらしい。
「皆本先輩と仲良いんですか?」
「うん。中学校から一緒なんだ」
正直に答えると、女子生徒が「いいなぁ〜!」と大きな声を上げた。
「皆本先輩って普段どんな感じなんですか?」
キラキラとした目で問われて、俺は傷テープを救急箱に片付けながら「どんなって……」と言葉を探した。
「あのまんまだよ」
それ以外になんとも言いようがない。突然テントにやって来て、『きゃあ』って騒がれても知らん顔で、競技の呼び出しがかかってるのにのしのしゆっくり歩いていくような、そんな感じの人。
正直に答えると、女子生徒はますます目を輝かせて、ついでに頬まで赤くした。
「やっぱ裏表ない感じなんだ〜すてきぃ」
(なるほどそういう言い方もあるのか)
ふてぶてしいとか、神経がワイヤーでできてるとか、そういうつもりで言ったのだったが、彼女はとても好意的に受け止めてくれたらしい。
たしかにどんなときでもあの態度は変わらないので、ある意味裏表がないってことかもしれないけど。物は言いようだなぁ。
「あ、部活対抗リレー見なきゃ!」
彼女は椅子の向きを変えて、グラウンドの方に身を乗り出した。俺は座る彼女の脇に立ち『ほほぉー』と腕を組む。
「そんなに重要? 応援合戦とかの方が見応えあるんじゃない?」
「なに言ってるんですか。今年は野球部の三連覇がかかってるんですよ」
「さ、三連覇って」
そんな、なにかの大会みたいに。と言いかけたが、女子生徒がえらく真剣な顔をしていたので飲み込む。
「皆本先輩が入部してから負けなしなんですよ。でも今年は陸上部が打倒野球部って燃えてて、あとバスケ部とバレー部、大穴で山岳部も優勝狙ってるらしいです」
「へぇえ~?」
まさかそんな見どころたっぷりの競技だとは思わなかった。
みんなそれほど部活対抗リレーに力を入れているのか。俺は文化部で参加したことがなかったので知らなかった。
うちの学校は部活が多いので、文化部は対抗リレーにエントリーすらされないのだ。
へーほー、と思っているうちにグラウンドで行われていた競技が終わって、各々ユニフォームに身を包んだスポーツ系の部活動生たちがわらわらとグラウンドに入場してきた。
「おぉ~、参加人数多いね」
俺もついつい身を乗り出して居並ぶ面々を見てしまう。
あぁ、たしかに陸上部の面々は『打倒野球部』『王者奪還』なんて書かれた鉢巻を各々巻いているし、バスケ部もバレー部もめらめらと背後で幻の炎を燃やしているし、ザックを背負った山岳部は「いっちにー」と揃って屈伸している。
「なんか、みんな気合い十分って感じ?」
「当然ですよ。うちの学校って運動部に力入ってるじゃないですか。み〜んな身体能力に自信あるんですよ。それが二年連続野球部に一位かっさらわれちゃったからもう火がついちゃって」
女子生徒が、拳を握って熱弁してくれる。
「しかも二年ともアンカーの皆本先輩が追い上げて勝ってるんですよ。皆本先輩が出るのは今年で最後だから、打倒野球部っていうか打倒皆本大輝って感じですね」
「詳しいねぇ」
予想以上に情報を与えてもらって、俺は感心して女子生徒を見やる。後輩だろうに二年前の勝敗から知っているとは、只者ではない。
彼女は「部活の先輩から聞いただけですよ。うち、女バスなんです」と教えてくれた。
女バス、女バス……あ、女子バスケットか、と納得したところで、パァンッ! とピストルが鳴って、生徒たちが一斉に走り出した。
(そんなに大事な競技だったんだ)
俺は走るユニフォーム姿のみんなを見ながら、呑気にそんなことを考える。
「あ、陸上部速いね」
陸上部が集団から抜け出してびゅーんと駆けていく。それに、サッカー部とバスケ部、ちょっと離れて野球部と続いている。
今の今まで注目してない競技だったのだが、こうなると俄然野球部を応援したくなる。
だって俺はいつだって大ちゃん応援団(所属人数、一人)だから。
(あれ? でも、そんな大事な競技の前にどうして……)
どうしてわざわざ、大ちゃんは救護スペースに来たんだろう。
はて、と首を傾げていると、女子生徒が「あ!」と叫んだ。
それまで順調に走っていた野球部の選手が、派手に転んでしまったのだ。バトンを上手く渡しながらじわじわと順位を上げて、もうすぐ一位の陸上部に追いつくというところだったので、非常に惜しい。
「あぁん、徒競走でスライディングしなくてもいいのに!」
女子生徒の悲鳴のような突っ込みはちょっとおもしろくて、こんな場面じゃなかったら笑っていたかもしれない。でも今はそれどころじゃない。
あっあっ、と言っている間に彼はサッカー部やらバスケ部、おまけに山岳部にも追い抜かれていく。それでもどうにか立ち上がり、最後の走者である大ちゃんにバトンを渡した。
「きゃーっ、皆本先輩!」
女子生徒がより一層盛り上がって、ついに立ち上がってしまった。バスケ部の応援をしなくていいのかな、なんてちらっと思ったけど、今はとにかく大ちゃんの応援だ。
「わっ……!」
ドンッと地面を蹴り勢いよく走り出した大ちゃんはとにかく速い。速い、速い!
近くにいた山岳部を追い越して、ぐんぐんバスケ部に追いついて、サッカー部に追いついて……そして最後のコーナーで陸上部のアンカーと肩を並べた。
(大ちゃん、大ちゃん……っ!)
それを見ていたらなんだかじっとしていられなくて、なにかしたくて、とにかく応援したくて。
キャーッキャーッと叫ぶ女子生徒の横から俺も身を乗り出して、拳を突き上げてしまった。
「大ちゃんっ、いけーっ!」
俺が叫んだ瞬間、大ちゃんが「はっ」ってちょっと笑ったような気がした。
けど、一瞬後に湧き上がった、割れんばかりの歓声にかき消されて、なにも……なにもわからなくなってしまった。
「きゃーっきゃーっ! 皆本先輩かっこよすぎ!」
大ちゃんはみんなの期待を裏切ることなく、陸上部と一歩、いや半歩の差でゴールテープを切っていた。かなりギリギリの接戦だ。
野球帽を取って顎を持ち上げ青空を仰ぐ大ちゃんは、マウンドの上で三振を取ったときと同じで。きらきら眩しくて格好いい。
大ちゃんって男は昔からそうなのだ。ここでストライク決めたら勝ち越しってときはピシャッと投げ切るし、なんとなく空気が悪いときはドカンと一発ホームランなんて決めちゃう。
ここぞというとき必ず決める男なのだ。
だからさ、なんていうか結局大ちゃんは……。
「かっこいいんだよなぁ」
悔しいくらい、とこぼすと、女子生徒が「わかります〜」と同意してくれた。そうそう、大ちゃんは格好いいのだ。
そんな大ちゃんは、野球部のみんなに「うぉ〜っ!」ってぺしぺし叩かれたり肩組まれたり揉みくちゃにされてる。にこにことそれを見守っていたら、大ちゃんがこっちを見た。
「ん?」
ぱくぱくと動く口元をよーくよーく見ると、どうやら『勝ったぞ』と言っているようだった。
「きゃあ! 皆本先輩今こっち見てませんでした? 見てましたよねっ?」
女子生徒が赤くなった頬に手を当てている。
俺はそれを否定せず、でも目は大ちゃんの方に向けたまま、同じようにぱくぱくと口を動かして『やったね』と返した。
大ちゃんが、切れ長の目をキュッと細めて嬉しそうな顔をする。
(ほんと、かっこいいんだよ)
都合のいい解釈だけど、大ちゃんは部活対抗リレーの前に俺の顔を見に来たんじゃないかな、って気がした。いや、わかんないけど。
そ。大ちゃんの考えてることなんてわからない。いつだって自分で考えて自分で決めて、誰にもなにも言わず行動するような人だから。
だから俺は俺で勝手に考えて、好きなように解釈しちゃうし、好きなように応援するし、好きなように喜ぶ。
「おーめーでーとー」
口をぱくぱくさせるだけでなく、両手を口端に当てて、俺は思いきりそう叫んだ。まぁ周囲の歓声に紛れちゃう程度の声だったけど。
すると、大ちゃんが珍しく歯を見せて笑った。
俺に向かって笑ったかどうかはわからなかったけど、まぁ俺に笑ったんだということにしておこう。

