俺と大ちゃんの終わらない夏


「はいさ~い。これ、どう?」

 と、端っこにパイナップルとハイビスカスがついた陽気なサングラスをかけて大ちゃんに話しかけてみたら、大ちゃんは「……」と無言だった。なんとも面白味のない反応である。
 俺は「ちぇ」と舌打ちしながら、千円もしたそれをシャツのポケットにしまった。

「大ちゃんがちょっとでも陽気に見えるかな〜と思って買ってきたのに」

 大ちゃんは器用に片眉を持ち上げたあと「それ、俺のかよ」と言った。

「そうだよ。変装用」

 サングラスを必要としているのは大ちゃんなのだから、当たり前だ。
 もともと有名だった大ちゃんは、球団のキャンプを経てますます人気者になってしまった。この旅行中だって、何度も声をかけられている。サングラスのひとつやふたつ、かけた方がいいじゃないんだろうか。
 大ちゃんはしばし無言になったあと、「いいか、立野」と低い声を出した。

「俺みてぇなデカい男が、んなサングラスかけてるとこ想像してみろ」

 つまり今の大ちゃんにサングラスをかけたところを想像しろということだ。俺は大ちゃんから一歩離れて腕組みして、そして黒いシャツにデニム、さらに黒い帽子を目深に被った大ちゃんに頭の中でパイナップルサングラスを合成してみた。

「……なんかますますヤバいやつかも」
「だろうがよ。っていうか買うなら昨日だろ。明日には帰るんだから」

 大ちゃんはそう言って、さっさと土産物屋を出てしまった。まぁたしかに、変装用のサングラスを買うなら旅行初日の昨日が妥当だったかもしれない。
 外に出るとぺっかぺかの快晴で、三月だというのに半袖でいいくらい温かい。

「待ってよ、大ちゃん」

 呼びかけると大ちゃんはあっさりと立ち止まって、俺を振り返って待っててくれる。もともと俺を置いていくつもりなんてなかったのだ。
 サングラスは壊滅的に似合わないけど、大ちゃんは優しい男なのだ。





 沖縄旅行は移動も合わせて二泊三日。旅行会社が企画する卒業旅行パック(飛行機代からホテル代から、全部こみこみだ)なんていうおあつらえ向きのものがあって、旅行初心者の俺たちはそれを利用することにした。なんにしても、旅行代を出資してくれた両親には大感謝だ。

「見て見て見て! 窓の外海だよ、海! オーシャンビューのホテルだ~! やぁ~、なんかさぁこうやってホテルに友達と、あ、大ちゃんは友達じゃなくて恋人だけど。とにかく家族以外の人と泊まるのって初めてじゃない? あ、大ちゃんは遠征とかであるのか。でも俺って初めてだしさぁなんかちょっとドキドキするっていうか緊張しちゃった。ってうか飛行機に乗るのもいつぶりって感じだし。海もすんごい綺麗じゃなかった? 飛行機から見えた海がさ、もう、こう、ぶわぁ~って青くて、なんか天国来ちゃったっ? って感じだったよね。ね、大ちゃん!」
「ちょっと落ち着け、立野」

 ホテルに到着してすぐ、ぺらぺらと喋る俺の肩に、大ちゃんが、のし、と腕を置いた。『念のために被って』と俺がお願いした帽子を取って、ソファの上に放り投げながら。

「おー、ほー……あ! ねね、冷蔵庫にお水あった。お菓子もあるよ。これ食べたり飲んだりしていいやつ? お金かかる?」

 目についた引き出しやら扉やらをパタパタ開けたり閉めたりしていたら、水とお菓子を見つけた。お茶のパックとインスタントコーヒーもある。

「てか、なにしとんの」

 水を手に持ってそれでもうろちょろしてたら、ベッドに座った大ちゃんに変な顔をされた。

「んー……探検?」
「あ、そ」

 大ちゃんはさらに変な顔をして肩をすくめた。なんか、好きにしとけば、って雰囲気が漂っている。
 そりゃあ大ちゃんは遠征で旅慣れしてるだろうけど、こういうとこに泊まるなんて、俺は修学旅行以来なんだからな。もうちょっと一緒に感動してくれてもいいじゃないか。
 探検を中止して、俺は写真を撮るために窓際でスマホを構えた。写真のテーマはずばり『青空、青い海、そして俺!』だ。ハイチーズ……って感じで撮ろうとしたら、なんと横から大ちゃんが割り込んできた。

「ぎゃあ! 坊主の横入りだ!」
「うるせ。おら、撮るぞ」

 俺たちはそうして何枚か写真を撮って、じゃれ合いながらベッドに寝転んで、ひとつのスマホを覗き込みながら『この写真いいじゃん』なんて言って笑い合った。
 両親の厚意とパックのおかげで、いわゆるリゾートホテルなんてところに泊まることができた。部屋も広いし、プールなんてのもあって、俺は『すごーい』と目がきらきらになってしまった。

「いつかプール付きの家になんて住めたらいいなぁ」

 俺がそう言うと、大ちゃんは「なんで」と真顔で聞いてきた。

「なんでって……やっぱ豪邸と言えば庭付きプール付き、って感じじゃん。夏はそこで浮き輪浮かべて、ぷかぷかしとくんだよ」
「立野、別に泳ぎ得意じゃないだろ」

 それはそう。俺はせいぜい二十五メートルを泳ぎ切るので精一杯だ。だが、水泳が苦手なだけで、水自体は嫌いじゃない。

「だからぷかぷかなんだって」

 泳ぐんじゃないんだよ浮かぶんだよ、と『ちっちっちっ』と指を振ってみせると、大ちゃんが若干『うざ』って顔をした。いいじゃん別に、ただの夢なんだから。

「プールね、わかった」

 大ちゃんは『了解』って感じで頷いていたが、一体なにをわかってくれたのだろうか。はてな、って感じだけど、まぁ大ちゃんがいいならいいや。



 一日目はほとんど移動で、観光はホテルの探検のみ。
 夜は沖縄料理が食べられるという店に行って。俺は生まれて初めて海ぶどうを食べて、すっかりそのとりこになってしまった。海ぶどうってなんでこんな美味しいの。ぷちぷちしてるし、塩味がほどよくて、ちょっぴり潮の香りがして。大ちゃんに止められなかったら永遠に海ぶどう食べてたかもしれない。
 二日目は唯一丸一日遊びに使える日だ。水族館とかシュノーケリングとかいろいろ考えたんだけど、車のない俺たちにはそんなにいっぱいできることなんてなくて。結局『なんか沖縄の自然が見たい』ということで、谷やら鍾乳洞(しょうにゅうどう)やらを巡るツアーを選んだ。
 鍾乳洞は神秘的で綺麗だったし、近くにあるフルーツ園も行けて……なんか見たことない果物とかかき氷とか食べられて、大満足だった。さとうきびも美味しかったし、ヤシの実ジュースも美味しかった。パイナップルも美味しかった。とにかくいろいろ美味しかった。
 俺はのびのび大満喫だけど大ちゃんはどうだったかな、と思ったら、大ちゃんは『立野がずっといろいろ食べてておもしろかった』と言っていた。なんか違うような……と思ったけど、大ちゃんが楽しかったならそれでよし。
 一旦ホテルに帰って、そしてまた移動して、今度は有名なアメリカの西海岸っぽいイメージのショッピングタウンでぶらぶらお土産を買ったり(サングラスはそこで買った)、でっかいステーキ食べたり、海を眺めたりして楽しんだ。
 飛行機から見えた海があんまりにも綺麗で『天国に来ちゃった?』って思ったけど、本当の本当に天国かもしれない。だって、なんだかもうずっと楽しくて仕方ないんだ。





「こんなにずっと大ちゃんといるのって変な感じ」

 サングラスを買った店からほど近い海岸。オレンジ色に染まった海を眺めながらそう言うと、大ちゃんが「変な感じってなんだよ」と返してきた。
 海岸から続く石でできた階段には、一定の距離をおいて観光客らしき人たちが点々と座って夕陽を見ている。俺たちもその点々の中の一組だ。二人並んで、俺たち友達ですよ感を出しながらこっそりと足先だけくっつけて、きらきらと光る海を見ている。

「だってずーっとだよ? 朝から晩までさ。それで、明日も一緒にいるんだ」

 お泊まりは何度かしたことはあるが、どちらかの家族がいたし、二人だけでこんなに長くいることはなかった。大ちゃんは必ず野球の練習があったし、丸っと一日中遊ぶなんてことはほとんどなかった。しかも夜も一緒なんてさ。なんだかもう、夢みたいだ。

「変って、嫌ってことか?」
「ううん」

 大ちゃんの言葉に、俺はすぐに首を振る。だって嫌じゃないから。嫌なはずがないから。

「逆だよ。とっても嬉しい。一瞬一瞬が全部楽しい」

 この気持ちはまるで、きらきら、きらきらと光る海のようだ。
 波が立つのにあわせて光は揺れて、動いて、上がって下がって、反射する。そのたびにちかちかと眩しい。すぐに形を変えて、でも輝き続けるその光と同じように、俺の心の中で楽しいという気持ちがずっと光り続けてる。
 馬鹿みたいなことを言い合って、楽しい。
 変なサングラスをかけて笑って、楽しい。
 手を繋ぐ代わりに、ときどきこっそり手の甲を擦り合わせて、楽しい。
 美味しいものを食べて冷たいジュースを飲んで、『これ美味しいよ』なんてお互いのそれを交換するのが楽しい。
 ぶらぶら歩いて『ここ入ろうよ』なんてお店を覗くのも楽しい。
 大ちゃんが笑顔で楽しい、俺も笑顔になって楽しい。
 一瞬、一瞬、すべてが楽しいのだ。毎秒楽しくてもうどうしようって感じるくらい。

「でもちょっと困る」

 正直に気持ちを伝えると、大ちゃんが「なんで?」と静かに聞いてきた。凪(な)いだ海と同じように、穏やかな声だった。

「だって、ずっと一緒にいたくなっちゃう」

 白いシャツから伸びた大ちゃんの剥き出しの腕。オレンジに染まっているそこに手を伸ばしかけて、どうにか耐える。だって大ちゃんは有名人で、どこからカメラを向けられてるかわからないからだ。『あ、あれ皆本大輝だ。写真撮っとこ〜』なんて撮られたときに俺と大ちゃんが手を繋いでいたらまずいだろう。
 まずい……ってのに、大ちゃんはなんのためらいもなく俺の手をわしっと掴んだ。いつかのバスの中で手を握られた時のように、大きな手のひらですっぽりと包むように。

「あの、大ちゃん……」
「一緒にいる」

 それが、物理的な意味でないことはすぐにわかった。
 だって俺たちは春から別々の場所で頑張ることになっているんだし、こんなふうに四六時中一緒にいることなんてできない。
 でも、大ちゃんは『いる』と言ってくれた。ならばきっと、俺たちはこれから先ずっと一緒にいられるのだ。たぶん、きっと、おそらく、絶対。
 だって大ちゃんは、有言実行の男だから。口にした夢は全部まるごと叶える男だから。

「……ん」

 俺は小さく頷いて、そしてもうちょっとだけ大ちゃんに体を寄せた。石の階段は日暮れと共にちょっとだけひんやりしてきて、だけど隣にいる大ちゃんはぽかぽか温かい。なにしろ大ちゃんは新陳代謝が良くて、冬でも体温がやたら高いから。

「一緒にいようね」

 離れていてもさ、俺はスポーツアプリで大ちゃんを見るし、大ちゃんには『週刊立野』をちゃんと送るから。こうやって隣にいなくても、一緒にいるって思えるくらいの関係になれたらいいなと、本気でそう思う。

「そしていつかさ、同じ家で暮らせるようになったらいいよね。楽しそう」
「そうだな」

 大ちゃんは俺の欲張りな願望をあっさり肯定してくれた。そうだなって、そんな未来があったらいいなって感じで。
 沖縄の、三月の海風がそよそよと吹いて、俺の髪の毛を巻き上げる。わぷ、となっていたら大ちゃんが自分の帽子を取って俺に被せてくれた。そして自分はまさかの、俺の胸ポケットから取り出したパイナップルハイビスカスサングラス(カタカナが続きすぎてなにかの呪文みたいだ)をかけた。

「大ちゃん?」
「俺用なんだろ」

 大ちゃんはしれっとした顔でそんなことを言う。いやだからこんなに逞しい腕を持つ大男に陽気なサングラスは……、うん、まぁいいや。だって大ちゃん用なんだもん。

「そんなに変じゃないよ」

 似合ってるよ、とは決して言えないけど。俺は大ちゃんの帽子を目深に被りながら、くすくすと笑った。
 やっぱりさ、この瞬間も楽しいねって。そう伝わるように。