「ご卒業おめでとうございます」
「おー、ありがとう」
差し出された小さな花束と色紙を受け取って、俺はにへらと笑ってしまう。こうやって学校から配られる卒業アルバムとかの他に特別なものを後輩から受け取れるのは、部活に所属していた特権かもしれない。
早速色紙を見てみると『三年間お疲れ様でした』とか『立野先輩のゆるい感じが好きでした』とか『先輩のゆるさで大学でも頑張ってください』とか書かれている。やたら『ゆるい』が多い気がするのは気のせいだろうか。
「俺ってそんなゆるい感じだった?」
別に特別厳しくしたつもりはなかったけど、しかしここまで『ゆるい』と書かれると不安になってしまう。
「はい」
「ゆるゆるです」
「体験入部のとき先輩だってわからなくて、タメ口で話してしまいました。あの時はすみませんでした」
後輩たちはちらりと目を合わせあってから、口々にそんなことを言ってきた。うーん、なんて正直な後輩たちであろうか。
「でも、おかげで部活に来るのが楽しかったです」
「学校生活の中で一番ホッとできた時間でした」
でも、重ねてそう言われて。俺は目を瞬かせて、そして笑ってしまう。正直、めちゃくちゃ嬉しかったからだ。
俺にとっても書道部の活動は、とても大好きな時間であった。墨の匂い、可愛い後輩たち、窓の外から聞こえる野球部の声に重なる吹奏楽部の音色。
なにもかも、大好きで、大切で、特別な時間だった。
今日は卒業式だ。小学校、中学校、そして高校と回数は重ねてきているのでちょっとは慣れたつもりだけど、やっぱりこのお別れに特化した式というのはなんだかもぞもぞしてしまう。もぞもぞというか、そわそわというか、とにかくなんだか落ち着かない。
しかし、落ち着かないのは俺だけではない。特に落ち着かなかったのは大ちゃんだ。いや、正確には大ちゃん本人じゃなく、周りの方なんだけど。
いつもより遅い時間に二人で登校したら、まず一番に昇降口のあたりで「皆本先輩!」と大ちゃんが女子生徒に声をかけられた。
「先輩、あの、第二ボタンもらえませんかっ?」
思わず大ちゃんのブレザー……についた三つしかないボタンをまじまじと見てしまった。三つしかないけど、彼女が言っているのはこのボタンのことなのだろうか。まぁ上から数えても下から数えても第二ボタンだから逆にちょうどいい……のか?
大ちゃんはどうするんだろうと見守っていたら、「ちょっと待って!」と昇降口側の柱から女子生徒が二人出てきた。
「わたしもそのボタン欲しいですっ」
「わたしもっ!」
はいっ、はいっ、と手を上げて主張する彼女たちは、最初に言い出した女子生徒にも負けじと声を張り上げた。
まるで映画のような展開だ。冗談、ヤラせ、ドッキリ……なんて言葉が頭の中に浮かんだが、女子生徒たちの顔は本気である。どうやらこれはガチの『第二ボタン争奪戦』らしい。
え、え、と思って周りを見渡すと、昇降口の端の方で固まっていた女子たちが、ざわ、となっているのが見えた。まさか、彼女たちもそうだというのか……。
突然始まった第二ボタンサバイバルに俺はビビってしまって、「だ、大ちゃん」と小さい声で大ちゃんを呼んで、その制服の裾を引っ張った。大ちゃんは一瞬、明らかに『めんどくせ』という顔をしたが、すぐに「あー」と間延びした声を出した。
「式があるから、今やるのは無理だな」
あ、それはそう。本当にそう。さすがにボタンないジャケットを着て卒業式は気の毒すぎるかもしれない。
女生徒たちもそう思ったのだろう。しん、と静まり返ったあとそれぞれ顔を見合わせた。
「別にやるのは構わないから、式の後にしてくれ」
やるのは構わない、という言葉に彼女たちが色めき立つ。と同時に、誰が大ちゃんのボタンをゲットするかで、バチッと目に見えない火花が飛び散ったのがわかった。
「立野、行くぞ」
大ちゃんはそれでもう言うことは言ったとばかりに、スニーカーを校内用スリッパに履き替えて教室に向かってしまう。相変わらず心臓が強すぎる男である。
まぁ大ちゃんがそれでいいなら……と思って、お互い牽制するように睨み合う女子生徒たちにぺこぺこと頭を下げながら俺も大ちゃんを追って教室に向かった。
で、今日の一大事である卒業式が終わってから。俺は呑気に『ボタンのあれこれは終わったかな』と大ちゃんに声をかけようとした……が、無理だった。もう全然無理だった。
なにしろ大ちゃんが空かないのだ。野球部の面々はもちろん、同級生に、後輩、先生まで、みんなして『大輝さん!』『先輩!』『皆本!』って声かけてきて。大ちゃんと写真を撮りたい人の列ができていた。もういっそ列整理でもしようかと手を上げたいくらいの盛況ぶりだった。
それで、ようやく一人になったか……と思った次の瞬間には女子生徒に声をかけられて校舎裏に連れていかれてさ。しかもそれも一人二人の話じゃない。
ちなみに校門には記者が張っていたりしてさぁ。もう無理、大ちゃんと話すなんて絶対無理、って感じだった。あまりにも競争率が高すぎる。
いつもはその厳つい威圧感によって人を寄せつけない壁をこさえている大ちゃんだが、さすがに卒業式ともなると『最後のチャンス!』とみんなその威圧感の壁をよじ登って飛び越えてくるらしい。……というわけで、俺は大ちゃんに用のある人が全員済ませるまで大人しく待つことにした。
ちゃんと卒業式の前に『今日もバスで一緒に帰ろうね』と約束していてよかった。もししてなかったら、諦めて帰っていたかもしれない。
ようやく大ちゃんと話せたのは、もう校舎からほとんど人がいなくなった頃だった。
「わり、遅くなった」
と、待ち合わせ場所である裏門に現れた大ちゃんはなんと、アンダーウエアに短パン姿だった。しかも手ぶら。数時間前まで卒業式に参列していたようには見えない。なんか、家の近くを散歩してる野球部って感じだ。
「どしたの、それ」
「全部やってきた」
大ちゃんのブレザーのボタンは、式後ものの数分でなくなった、らしい。
目撃者によるとなにやら大くじ引き大会が開催されていたようで、結局大ちゃんも誰がもらっていったかわからないということだった。
そもそもボタン三個なんて競争率が高すぎる、と今度はシャツのボタンを欲しがる人たちが現れて。そんでしょうがないから大ちゃんがジャージに着替えたら、それまで欲する猛者が出てきて。
大ちゃんはもう『めんどくせ』と全部渡してきたらしい。今日つけてもらったばかりのコサージュもネクタイもなにもかも。大ちゃんらしいというかなんというか。
「追い剥ぎにあった坊主」
通学鞄までなくなってしまった大ちゃんを見て思わず素直な感想をこぼしたら、大ちゃんは「あ?」と怒ったように片眉を持ち上げた。
そのままずんずんと近づいてきたので「お、お」と思って身構えていたら、ぬ、と手を伸ばしてきた。まさか大ちゃんに限って俺に手を出したりはしないはず……、と思いつつ、ついギュッと目を閉じると、制服の胸元を引っ張られるような感覚を覚えて、そして……。
「じゃあこれ、もらうぞ」
「へ?」
目を開けたときには、俺のブレザーのボタンがひとつなくなっていた。ちょうど真ん中、上から見ても下から見ても第二ボタンのアレだ。
俺は綺麗な空きができたソコと大ちゃんとを見比べる。大ちゃんの手の中には間違いなく俺のボタンがあって。つまり、大ちゃんが今の一瞬で取っていったということで。
「……そっか。俺があげてもいいんだ」
なぜだか大ちゃんがボタンをあげるイメージが強かったけど、俺があげたっていいわけだ。
俺は自分のブレザーのボタンを引っ張って、第一ボタンと第三ボタンも外す。俺には弟もいないし、制服を譲るような知り合いもいない。このブレザーは今日で着納めだ。
「大ちゃん、はい」
「……んだよ」
大ちゃんの右手を掴んで、その中にボタンをふたつ転がす。そしてギュッと手のひらで包ませた。
「持ってけドロボー」
しょうがないから、俺の純情は全部大ちゃんに託してやろう。
大ちゃんは『はぁ?』と微妙な顔をしていたが、右手にふたつと左手にひとつのボタンをひとまとめにして、そしてそれを短パンのポケットに突っ込んだ。
「こんなにいらねぇよ」
そんなこと言いつつちょっと嬉しそうに頬をゆるめたのが、俺にはちゃんと見えていた。大ちゃんはわかりやすく愛情を示されるのが好きなのだ。
しかし、もう制服もないのに、ボタンだけはしっかり持って帰ってきた息子を見て、大ちゃんのお母さんはどう思うだろうか。
その場面を想像したらなんだかおもしろくなって、俺は、へへ、と笑いながら大ちゃんの横に並んだ。二人で、いつものようにてくてくとバス停までの道を歩く。
三年間毎日のように通った道を、今朝も通った道を、これから先、たぶんもう歩くことのない道を。
「っていうか、ドロボーされたのは俺だっての」
「それはまぁ、たしかにね」
ドロボー被害にあったのは、間違いなく大ちゃんだろう。だってよく見たら靴紐までなくなってる。いくらなんでも取られすぎじゃないだろうか。
「大ちゃんって本当に人気者なんだね」
さすがというかなんというか。こんなに身ぐるみ剥がされるみたいになんでもかんでも持っていかれる人なんて、他にいるのだろうか。
面倒くさがって全部あげちゃう大ちゃんも大ちゃんなんだけどさ。
「立野も、なんかもらってんじゃん」
大ちゃんは、俺が手提げの紙袋に入れた小さな花束と色紙に視線を向けた。
「そ、いいでしょ。あれ、大ちゃんはないの?」
とんでもない人気者の大ちゃんなのに、花束も色紙も、なにも持っていない。もしかしたら『皆本先輩は人気すぎるから贈らなくていいんじゃね?』なんてことになったのだろうか。取られるだけ取られてなにももらえないなんて、ちょっとかわいそうだ。
「あー、なんかすげぇ数もらったから、郵送してもらうことにした」
「ゆっ、郵送っ?」
かわいそうどころの話じゃなかった。いや……まぁそりゃそうか。『みんな大好き皆本大輝』が花束も色紙もなしで送り出されるなんてことないだろうとも。
「あさっての旅行の日までに届くかなぁ?」
「届くだろ。まぁ届かなくても困らんし」
明日は俺の大学の合格発表、そしてあさってからは俺たちは卒業旅行に行くことになっている。うーん、超過密スケジュールだ。
でも大ちゃんはそうこうしてたら球団の寮に入るわけだし、行けるのはそこしかなかったのだ。明日俺が受かってたら特大ハッピーな卒業旅行、万が一落ちてたらハッピーな卒業旅行。まぁ、なんにしてもハッピーであることに変わりはない。だって大ちゃんと初めての旅行なんだもん。
ふんふふん、と鼻歌を歌って裏門から続く急勾配の坂、通称『恐怖の裏道』を下りる。結局、この裏道を転がり落ちることはなかった。ほっ。
「そういえば大ちゃん、たくさん呼び出されてたね」
ふと思い出して、俺は大ちゃんにそんな話を振ってみる。ひっきりなしに呼び出されていた大ちゃんは、一体今日だけでどれだけの人数から告白されたのだろう。
「ん? あぁ」
大ちゃんは一瞬なんのことだって顔したあと、肩をすくめた。嘘だろ、あれだけ呼び出されておいてそんな簡単に忘れられるものなんだろうか。
「まぁ半分以上は本気じゃなかったっぽいけど」
「そうなの?」
「何人かまとめて来たやつらもいたし」
「えっ、連名で告白?」
みんなで揃って『せーの、好きです!』なんてことあるのだろうか。ちょっと詳細を聞いてみたくなったが、連名でもなんでも人様の告白をそんな野次馬根性で聞くのもなんだかな、と思って黙っておく。
「なんだろう……記念受験的な?」
適当な言葉が見つからなくて、とりあえず思いついた言葉で感想を伝える。と大ちゃんが「はっ」と笑った。
「かもな。別に成功するとは思ってないけどとりあえず言っとくか、みたいな」
「へぇ」
それはそれですごい勇気のような気がする。もし俺が彼女たちの立場だったら、決して真似できない。
「まぁでも、それもまた青春だよね」
澄み渡った青空を眺めながらそう言うと、どこからかピンクの花びらが飛んできた。どこからっていうか、バス停の近くにある大きな桜の木だ。話しながらてくてく歩いてたら、いつの間にかこんなところまで来ていたようだ。
なんだか、あっという間だったな。高校の三年間と同じ。過ぎ去ってみたら、物足りないくらい短く感じる。
時計を確認すると、次のバスが来るまであと十分くらいはあった。
「ね、ね、大ちゃん」
俺は周りに誰もいないのを確認してから、大ちゃんのアンダーウェアを引っ張った。黒くてピタッとしたそれが、びよーっと伸びる。
「引っ張るな。……なん?」
「ちょっとこっち」
こっちこっちと、大ちゃんを伴って俺は桜の木の下に向かう。大ちゃんは「はー?」と言いながらも、ちゃんと着いてきてくれた。律儀な坊主だ。
「えっとさぁー……」
「なんだよ」
なんでこんなとこ連れてきた、って顔をしている大ちゃんの前に立って、右足の踵をもじもじと地面に擦りつける。
「あのさぁ、その〜」
「なんよ」
大ちゃんはポケットに手を突っ込んで、じ、と俺を見下ろしている。まじで意味わからん、って顔してるのが本当に大ちゃんって感じだ。
タテにもヨコにもデカいし、タレ目の強面。もうすっかり慣れてる俺だって『黙ってるとこわいな』って思ってしまう。女の子たちはよくこんな巨男に『好きです』なんて言えたものである。すごい勇気だ。
俺は胸を反らすくらい大きく息を吸って、そして肺に空気と勇気を溜める。
「三年間ずっと好きでしたっ。これからもよろしくお願いします!」
そしてそれらすべてを吐き出すように勢いよくそう言って、バッ! と頭を下げながら右手を差し出した。まぁなんというか、愛の告白だ。
もう付き合ってるので『付き合ってください』とは言えないけど、でも、高校三年間ずっと好きだったのは事実だし、これからもよろしくしたいのも事実。
だって、俺だって大ちゃんが好きなのだ。今日大ちゃんに告白してきた人全員に負けないくらい、大ちゃんのことを好きな自信はある。
「はぁー……」
と、重たい溜め息が降ってきた。あ、これ間違えちゃったかな……と思ったのと同時に、ガシッと手を掴まれてびっくりするほどの力で引っ張られた。
「わっ!」
ぐぅんと腕を引かれたことで海老反りみたいに体が反って、俺の視界は青空と、そしてその下でピンクの花びらを散らす桜の木でいっぱいになる。
でもそれが見えたのは一瞬で、次の瞬間には俺の体は大きな体にがっしりと包まれていた。
「こちらこそ、よろしく!」
試合前の挨拶のように、大ちゃんの返事は爽やかだった。むぎゅう、と抱きしめられたまま俺は「ふはっ」と笑ってしまう。
だからやっぱりさ、大ちゃんはわかりやすく愛情を示されるのが好きなんだよね。
俺はにへにへと笑いながら足元に鞄を置いて、大ちゃんの背中に腕を回した。今日は外で抱きしめ合っていても『お、卒業式だからか。青春だねぇ』と思ってもらえるだろう。
ひらひらと花びらが舞うバス停近くの桜の下。俺と大ちゃんは、誰に遠慮することもなく長い時間抱きしめ合っていた。
卒業おめでとう、大ちゃん。卒業おめでとう、俺。
これからもどうぞよろしくね。

