俺と大ちゃんの終わらない夏


 高校二年生の、夏。大ちゃんたち野球部は県予選の準決勝で敗退し、甲子園への切符を逃してしまった。

「えっ、明日からまた部活なの? 明日? もう?」

負けちゃったから、じゃあゆっくり心と体を休めて……とならず、次の次の日には練習が始まるというのだから驚きだ。どうなっているんだ、野球部。

「おう」

 俺が毎週買っている漫画週刊誌を読みながら、大ちゃんは我が物顔で俺のベッドに寝そべっている。
まるで大ちゃんの部屋のようだ……が、間違いなく俺の部屋なのだ。机の上に一応という体で転がっている教科書には、『立野恭介』と書いてある。
 大ちゃん属する野球部は、昨日試合に負けて、今日は休みで、明日からまたいつも通りの部活なのだという。すごすぎる。俺なんて、夏休み週三回午前中だけの部活ですら、きついなぁって感じなのに。
 夏休みが練習で消化されても文句ひとつ言わない大ちゃんは、本当にすごい。
 大ちゃんは、せっかくの丸一日休みを『立野と遊ぶ』に費やしてくれた。観ようって言ってた映画観て、ゲーセン行って、釣り堀行って。家に帰って、今日観た映画のシリーズ作品をサブスクで一本だけ観て。コンビニ飯食べて、風呂入ってアイス食べて。そして、エアコンの効いた部屋でまったりだらだらしている。
 『夏休みみてぇ』と言った大ちゃんに『夏休みだよ』と至極真っ当に返してしまった。大ちゃんの夏休みは、毎年ほぼほぼ野球に消えていく。

「肩、大丈夫なの?」
「おう」

 気になっていたけど聞けなかったことを、できるだけサラッと聞こえるように問うてみる。大ちゃんは気にした様子もなく、あっさり頷いた。
 昨日の準決勝、大ちゃんは試合に出なかった。準々決勝で腕を痛めたからだ。病院に行って大事ないと診断されたらしいが、昨日の試合には出られなかった。どうやら監督の指示らしい。
 大ちゃんがいなくても、うちの野球部は強い。強いけど大ちゃんがいたらもっと強い。結果論でしかないが、大ちゃんを欠いたことによって試合は負けてしまった。
 大ちゃんが甲子園に対してどれだけ熱意を傾けていたか知っている俺は、下手な慰めを言うこともできない。
 なにしろ俺は、こういうときに上手いことを言うのが本当に苦手で、言うたびいつも大ちゃんに微妙な顔をさせてしまうのだ。慰めを口にするのは、中学二年生のときに卒業した。
 たぶん大ちゃんも、俺のそんな言葉は求めていない。

「大ちゃん、頑張ったね」

 ただそれだけ言っておく。頑張ったっていうのは昨日の試合ではなくて、これまでの毎日に対して。これは慰めでもなんでもなく事実なので。

「おう、めちゃくちゃ頑張った」

 大ちゃんも素直に頷く。そして、ぺらりと漫画のページをめくりながら「でも負けたから」と続けた。

「うん」
「もっと頑張る」
「そっかぁ。……うん、頑張れ」

 これで終わり。たぶん大ちゃんはこれ以上この件についてなにも言わないし、俺もなにも言わない。
 付き合っていても、恋人でも、俺たちは別の人間なので、すべての感情を共有することは難しい。そりゃあすべてを分かち合えたら一番なんだろうけど。
 でも、分かち合えなくても一緒にはいられる。

「……あ、その漫画おもしろいでしょ? 大ちゃん好きそうだなって思ってたんだよね」

 大ちゃんが読んでいるページがちらりと目に入って問うてみる。と、大ちゃんが顔を上げずに「おう」と言った。俺は本棚から単行本を一冊取り出す。
 大ちゃんが好きだろうなって思って、一巻から最新刊まで集めたのだ。まぁ、俺自身も好きな話だし。

「はい、これ。一巻から読んだらいいよ」

 予想が当たったのが嬉しくて、にこにこ笑いながら本を差し出すと、大ちゃんが手を伸ばして本……じゃなくて、俺の腕を掴んだ。

「ぅわ」

 そのまま引っ張られて、俺は大ちゃんの上に、ばふっと倒れ込んだ。
 俺だってそれなりの重さはあるはずだが、大ちゃんは全く苦しそうじゃない。むしろ嬉しそうに俺にぎゅっと腕を回している。

「好きだ」
「え、漫画が?」

 まだ漫画の話が続いていたのかと思って問えば、大ちゃんが「馬鹿」と笑った。

「立野が、好きだ」

 大ちゃんが投げるストレートボールのようにまっすぐな言葉が、俺の胸の中にあるキャッチャーミットにバスンッと収まった。大ちゃんの『好き』は、しばらくミットの中でギュルギュルと回ってから、摩擦熱を残して止まる。

「……ぅおれもっ」
「はっ、『ぅおれ』」

 俺の弾んでしまった言葉を、大ちゃんが笑う。俺は唇を尖らせて「おれおれおれ、俺も!」と繰り返した。
 漫画を、大ちゃんの顔の横の方に放って、そのままその頭に伸ばす。大ちゃんの頭は短髪だ。中学のときはショリショリとジョリジョリくらいの中間の、ほぼ坊主って感じだったけど、今はそれより長くなった。中学の頃の髪型を知っている俺は便宜(べんぎ)上(?)、未だに大ちゃんを坊主呼びしているが、今大ちゃんの頭で坊主と呼べるのは、後頭部から襟足にかけて……くらいだ。そこだけは昔と変わらずショリショリとジョリジョリの間くらい。最高の手触りだ。
 この間、クラスの女子が、大ちゃんに『皆本くんの後頭部、めっちゃ触り心地良さそう〜。ねー、触ってもいい?』って聞いてた。
 桜貝みたいなピンクのつやつやした爪にほっそりとした指、あの手で触れられたら、大ちゃんだってドキドキするんじゃないかな、なんて思った。けど、大ちゃんは嫌だよって言った。なんで嫌かとか教えたり、なにかのフォローするとかもなく、ただ『嫌だよ』だけ。
 彼女たちは気にした様子もなく『え〜残念〜、触りた〜い』って笑ってた。俺はそれを背中で聞きながら、こっそり席を立ってトイレに向かった。
 俺の手のひらにはたしかに大ちゃんの頭の感触があって、それを思い出して、居た堪れなくなったからだ。
 『たしかにああいう刈り上げって気持ちいいもんね、触りたくなるよね』って彼女たちに同意する気持ちと、『大ちゃんが触らせないでくれてよかった』ってホッとする気持ちと、『俺だけがあの手触りを知っている』っていうずるい優越感みたいなのでごちゃごちゃになって。俺はトイレの個室にこもって、しばし『うー……』と呻(うめ)いてしまった。

「立野、俺の頭触るの好きな」

 こめかみから側頭を辿って、短い髪に指を差し込んで、撫でる。そして最後に襟足のショリショリに触れて、ちょっとだけくすぐったくて笑っちゃう。
 こんなにも思いきり大ちゃんの頭を撫でられるのは、きっとこの世で俺しかいない。
 その事実が俺を、恥ずかしいような、それでいてやっぱり嬉しいような気持ちにさせてくれる。

「うん、好き」

 そう言った途端、背中と頭の後ろに腕が回って、ぎゅうと抱きしめられた。
 二人の間にあったわずかな隙間が埋まって、俺の顔が大ちゃんの顔の横にくる。
 顔を横向けると、大ちゃんもこっちを向いた。自然と唇が近づいて、ちゅ、と軽くくっつく。体が密着してるから、大ちゃんの心臓がドクドクって脈打ってるのも、キスするうちに股間のあたりが硬くなっていくのもよくわかる。
 自身の唇で大ちゃんの下唇を挟んで、ふざけるように、むにぃと引っ張ると、大ちゃんが笑う。笑って、「よっ」と声を上げて、そのまま体を反転させた。
 俺は大ちゃんの上から転がり落ちて、あっという間に背中にベッドが当たってて。気がつけば大ちゃんを見上げていた。

「今日、していい日?」

 大ちゃんが、俺の下半身に自身の下半身を擦り寄せる。大ちゃんの少し硬いそれが、同じくゆるゆると勃(た)ち上がった俺の股間に触れた。

「いい日だよ」

 何気に、毎回律儀にエッチの確認を取ってくる大ちゃん。俺もまた律儀に返事を返す。俺たちは、お互い無言で体を起こした。
 漫画とかエッチな動画とかなら、キスしながらするするって服が脱げて気がつけば二人は裸で準備オッケーで……ってなるんだろうけど、俺たちには無理だ。
 最初の頃、キスしながら服を脱がし合ってみたが、どうにも上手くいかなかった。大ちゃんがピタッとした野球部のアンダーウエアみたいなのばっかり着てるせいだ。あれ、めちゃくちゃ脱がせにくい。
 俺がもたもたジタバタするから大ちゃんも俺の服を脱がせられなくて、結局それ以降キスしながら脱ぐのはやめた。
 ちゃんと体を起こして、それぞれ服を脱いでいく。んー……、できればパンツは履いておきたいけど。
 大ちゃんの方を見ると、大ちゃんも潔く服を脱いでいた。運動系の部活だけあって(これは偏見かもしれないが)、脱ぐのにためらいがない。
 大ちゃんの体はみっしりしている。筋肉があるのもそうだが、体全体に厚みがあるのだ。厚いけど、ちゃんと腹筋は割れているし、背中にも筋肉がついていた。
 太もももがっちり太くて、なんだか見応えがある。大ちゃんがパンツに手をかけたのを見て、俺はなんとなく「あ」と声を上げてしまった。

「なん?」

 大ちゃんが中腰のまま俺を見る。俺はしばらく「あー」とためらってから……。

「それ、俺が脱がしてもいい?」

 と聞いてみた。大ちゃんはしばらく無言で固まったあと、そのままベッドに腰掛けた。

「いいけど。なん、急に」
「いや、なんか……練習?」
「はっ。なんの練習」

 大ちゃんが笑う。俺はいそいそとベッドから下りて、大ちゃんの前に……どうしようかな、と悩んでから屈んだ。ベッドから足を下ろして腰掛ける大ちゃんの、開いたその足の間に座る形だ。

「……」
「……」

 なんかこの体勢はまずい気がする。エッチな気がする。と思いながらも、座ったまま大ちゃんのパンツに手を伸ばす。大ちゃんもなんだか無言だ。
 大ちゃんのパンツは俺のと同じでボクサータイプだが、生地が薄くてサラッとしている、スポーツタイプのやつだ。

(パツパツだな)

 なんて思いながらも、パンツ越しに大ちゃんのソレを指で触ってみる。
 なんというか、大ちゃんはこういうところも大変ご立派だ。しっかりばっちり体格に見合っている。大ちゃんのに比べたら、俺のそれなんてとても控えめ……いやいや、一般サイズだ。ちゃんと一般サイズ、うん。

「……おい、立野」
「あ、ごめん」

 気がつけば大ちゃんの股間をボーっと見つめていた。やばい、これじゃただの変態だ。
 俺はそろそろ……っと大ちゃんのパンツを脱がせようとするんだけど、大ちゃんの太ももが(たくま)し過ぎて、難しい。え、本当に難しい。ギュンっていきなり下げたら大ちゃんも嫌だろうし、かといって勢いがないと筋肉に引っかかりそうだし。

「うー……大ちゃん、やっぱり大ちゃんがしてぇ」

 若干半泣きになりながらお願いしてみると、見下ろしていた大ちゃんが『っ』と変に声を詰まらせた。若干前屈みになっている。

「今のは、なんかよかった」
「よ、よかったの?」

 どこらへんが? と思ったけど、大ちゃんは本当に『よかった』らしく、ちょっとだけ切羽詰まったような顔をしていた。いつも余裕のありげな顔してばっかりな大ちゃんにしては、とても珍しい。珍しいから……なんだかドキドキする。
 大ちゃんは俺の願いを聞き届けて、手早く自分で下着を脱ぐと、俺を引っ張り上げるように持ち上げてベッドに押し倒してきた。

「立野、もういい?」
「……うん」

 大ちゃんの顔が近づいてきて、俺は目を閉じる。どこもかしこも厳つい大ちゃんの、唯一といっていいほど柔らかい場所である唇が、俺の唇に触れた。





 俺たちが初めてこういうことをしたのは、高二の春だ。付き合い出したのは中学二年生のときだったので、俺たちはまる三年間清いお付き合いを続けたことになる。
 『したい』と言いだしたのは、俺の方だ。高校一年生の冬だった。『大ちゃんと、してみたい』と言ったら、大ちゃんは『立野に性欲があると思わんかった』と驚いていた。そりゃあ俺だって健全な男子高校生だし、それなりにムラムラする。
 二人でやり方を調べて、準備して。どっちが()れるとか挿れないとかちゃんと話し合って、日取りもしっかり決めて……。したいと言い出してから初めて事に及ぶまで、季節がひとつ過ぎてしまった。



 初めてのとき、大ちゃんは何回も俺に『大丈夫か?』って聞いてきた。風呂場で準備してきたあと、服を脱がすとき、キスするとき。普段の尊大さはなりを顰めて、本当に俺にばっかり気遣って。
 途中からはもう『大丈夫か』と『痛くねぇか』の繰り返し。すでにたっぷり緊張していたのに、大ちゃんのその過剰な気遣いで余計に体がガチガチになって、二人してちょっと休憩ってなった。
 手を繋いで、ふぅって息を吐いて。そこでようやく俺は、いつもはさらっと熱い大ちゃんの手が、じっとりと汗かいて冷たくなってるのに気がついた。
 思わず『大ちゃんも緊張してんの?』って聞いたら、大ちゃんは頷いて、『痛い思いさせたくない』『立野がこれで俺のこと嫌にならんかって、怖い』と言った。あの大ちゃんが、怖いと言ったのだ。あまりにもおったまげて、俺は逆に笑えてしまった。
 笑ったら体の力もすっかり抜けて。俺は余裕を持って大ちゃんを抱きしめることができた。抱きしめてるうちに大ちゃんの体からも力が抜けて、そのままどうにかこうにか俺たちはひとつになれた。
 めちゃくちゃ大成功って感じの体験じゃなかったけど、俺たちらしくていいな、って今でも俺は思ってる。





「……ふっ」
「なん、思い出し笑い?」

 行為が終わって、下着だけ穿いてベッドでゴロゴロしてたら、先にシャツを着た大ちゃんが首を傾げた。
 俺は「うん」と頷いてから、短パンを穿こうとしていた大ちゃんの、その背中にのしかかった。

「なんだよ」
「いや、いやぁ」

 今でも、大ちゃんは俺に、大丈夫か? ってよく聞いてくる。大丈夫か、痛くないか、きつくないか、大ちゃんは自分の気持ちいいより、俺の気持ちいいを優先させようとしてくる。投手はわがままな人間だ、なんてよく聞くけど、大ちゃんはそうでもない気がする……っていうのは、恋人の欲目かもしれない。

「大ちゃん、好きだよ」
「おう」
「大ちゃんとエッチするのも、好きだ。全然怖くないし嫌じゃないよ」

 大ちゃんは無言になったあと、俺を背中に乗せたまますっくと立ち上がった。俺はバランスを崩して落ちかけて、慌てて大ちゃんの腰に足を巻きつける。

「お、落ちるよっ」
「落とそうとしてんだよ」

 その場でぐるぐる回られて、俺は「わぁわぁ」言いながらきゃっきゃと笑った。これが、大ちゃんなりの照れ隠しだとわかっていたからだ。
 大ちゃんの首にしっかりと手を回して、そのがっしりとした肩に頬を当てて。俺は「大ちゃん、好きだよ」ともう一回言葉にして伝えた。