俺と大ちゃんの終わらない夏


『サンダース矢中(やなか)、夜も主砲が大活躍!? ファンの女性とお熱い夜! 記者は見た、ホテル街に消えた二人……!』

 コンビニで少年漫画誌を立ち読みしながら、下世話なタイトルがババンっと書かれた週刊誌をちらりと見やる。
 『サンダースの矢中選手』は俺でも知っている有名な野球選手だ。

(ふーん、へー、ほー……)

 中身は見なくとも、その文言だけで内容は伝わってくるというものだ。俺は漫画誌を閉じて、お気に入りのミントガムと共にレジに持っていく。
 ちょっと前、『いい加減漫画雑誌なんて買うのやめたら』なんて母さんに話を振られたので『勉強の息抜きだよ』と返したら『まぁ、週に数百円程度で息が抜けるならいいわね』となぜか逆に購入を肯定されてしまった。母さんはたぶん、話のわからない人ではないと思う。
 レジで会計を済ませるのと同時に、ポケットの中にしまっていたスマホがヴヴッと震えた。コンビニを出て、メッセージを確認しようと軒下に寄ったのと「立野」と声をかけられたのは同時だった。

「大ちゃん」
「おう」

 首元まであるピタッとした……野球部の人がよく着ているツルンとした素材のアンダーウエアに、パーカーを着た大ちゃんが立っていた。上はそんな感じでまぁまぁ暖かそうなのに、下は短パンに運動靴だ。組み合わせが謎すぎる。

「なんで短パンなの? 寒くないの?」
「別に。走ってきたし」

 大ちゃんは寒さなんて感じさせない、平気そうな顔をしている。俺は制服の上にコートを着て、さらにマフラーまで巻いてもまだ寒いというのに。きっと大ちゃんは、俺の数倍代謝がいいのだ。

「見てる方が寒いよ」
「じゃあ肉まん買ってくる」

 なんで『じゃあ』なのかわからないが、大ちゃんは肉まん購入を宣言し、さっさとコンビニに入っていった。なんでだ。
 ()に落ちないまましばらく待っていると、肉まんの入った袋を持った大ちゃんが出てきた。

「これ食ってたら暖かそうに見えるだろ」
「いや、自分が食べたかっただけでしょ」

 絶対にそうだ、と断言すると、大ちゃんはそれにはなにも答えず。早速がさがさと肉まんを取り出すと、むいっ、と半分に割った。

「ん」

 そして、片方を俺に渡してくる。こんなことでちょっと嬉しくなってしまうなんて情けない。俺は「ん、ありがとう」と肉まんを受け取った。

「食べながら帰ろうぜ」
「うん」

 のしのしと歩き出した大ちゃんの後を追って、俺も歩き出す。冬の夜の帰り道、明るいコンビニから離れると住宅地はひっそりと静まりかえっていて。まるでこの街に俺たちしかいないみたいだ。
 俺と大ちゃんの足音と、肉まんを食べる「はふ」という音だけが響いていた。



 俺は週に三回塾に通っている。火曜日、水曜日、金曜日だ。オンラインの塾なので自宅でも受けられるのだが、俺は家よりも、ここは勉強する場所ぞと決められた空間で勉強する方が(はかど)るので、できる限り塾に足を運んでいる。なんというか、塾のあのピリッとした空気が好きなのだ。
 受験も追い込みの時期とあって、みんなそれぞれ必死に机に向かっている。俺もまぁごたぶんに漏れず、一生懸命勉学に励んでいるのだが、受験の方は……まぁなるようになると思う。
 大ちゃんに受験はない。代わりに、引退後も野球部の練習に参加して体を整えている。年が明けて二月になったら球団の練習に混じるらしい。いわゆる春季キャンプだ。
 俺はプロ野球の知識も少ないから、知っているのはテレビで見た程度の知識である。なにやら日本の南の方にある各球団キャンプに行って練習するのだ。
 俺が知ってるキャンプといえば自然いっぱいの場所にテントを立てて、みんなでカレーを作ったりキャンプファイヤーを楽しんだりするアレだが、たぶん内容は全然違うんだと思う。
 一度大ちゃんに『そういうキャンプとは違うんだよね? みんなでテントに泊まったりしないんだよね?』と聞いたら、日本語がペラペラの宇宙人を見るような……つまり奇妙なものを見るような目で見られてしまった。うん、俺が間違っていたんだろう。
 大ちゃんはもちろん野球が好きだし、自分のことなのでなにをするかもどこに行くかもちゃんとわかっている。たまにぽつぽつと教えてくれたりもするけど、もともと口数が多い方じゃないので、たぶん俺は知らないことの方が多い。
 それでも、俺たちは一緒にいる。



 俺が塾の帰りが遅くなり出してから、大ちゃんはこうやってたまに迎えに来てくれるようになった。ロードワークのついで、と言っているが、こんな時間に走り込みはしないだろう。たぶん、ただ俺を迎えに来るために出てきてくれている。ありがたいし、正直嬉しい。

「手、繋ぐ?」
「おう」

 肉まんを食べ終わって右手を差し出すと、すでにふた口で肉まんを腹に収めていた大ちゃんが、左手で俺の手を握った。
 短パンのくせにめちゃくちゃあったかい。明らかに俺の方が暖かい装備なのに、一体どういう仕組みなんだろうか。

「もうすぐ年末だねぇ。今年も初詣一緒に行く?」
「おう」

 俺と大ちゃんは、中学生のときから一緒に初詣に行っている。そこで旧年のお守りを返して新年のお守りを買うのが、毎年元旦の恒例行事だ。

「大ちゃんはキャンプに行くし、俺は受験だし、なんだかんだしてたら卒業かぁ」

 早いね、としみじみ言うと、大ちゃんも「だな」と返してくれた。
 ちょっと前までは一緒に帰ったりしていたのだが、今はそれも減った。俺が、放課後になったらすぐ塾に向かうことが増えたからだ。大ちゃんのいるグラウンドを横目で見ながら、俺は一人で裏門を出て、急な坂を下って、バスに乗って塾に向かう。
 年が明けたらもっと会う時間が減って、春になったらもっともっと会う時間が減る。顔を合わせる時間は減っていく一方だ。でも、俺はそんなに寂しくない。

「大ちゃんの言ってたスポーツチャンネル……の、アプリ? 登録したよ」
「おう」

 この間、大ちゃんに、スポーツ中継がたくさん見られるアプリを入れてくれ、と言われた。月額でお金がかかるので母さんに聞いてみたら、『大ちゃん見るためでしょ? いいよ』とあっさり言われてしまった。母さんはやっぱり、話のわからない人ではない。

「それで野球の試合、見られっから」
「うん」
「そのうち、たくさん映るようになる」
「うん」

 大ちゃんは、俺が寂しくないように、会えない分そのアプリで顔を見せてくれると約束した。
 すぐには無理かもしれないけど、絶対に毎日顔を見せてやる、と。
 大ちゃんは有言実行の男だ。才能もあるが努力を怠らない。それが実力に繋がっている。中学生のときはストレートで三振をたくさん奪って、フォークもカーブも投げられるようになって、高校生になって甲子園に行って『怪物』なんて言われて、練習試合だけど『完全試合』を果たしたこともある。俺に書かせた目標は、ことごとく自らの手で叶えてきた。
 俺はこの間、書き初めで書いてと言われた『チーターズの一軍エース』という言葉を思い出す。大ちゃんはきっと、チーターズの一軍でエースになるだろう。
 そのうち俺は毎日大ちゃんを見るようになって、今日も元気に野球してるな、って安心するんだろう。確信に近い予感がした。

「俺も頑張る。立野も頑張れ」
「……うん」

 俺の本命大学は、九州にある教育大学だ。滑り止めは地元の私立大学の教育学部。
 九州はめちゃくちゃ遠いというわけでもないので、学校も両親もそう反対はしなかった。むしろ母さんは『なんかそんな気がしてた』と言ってくれた。『滑り止めは九州じゃなくていいの?』と聞かれたが、俺は『それはいい』と答えた。
 別に意地を張ったわけではなく、学びたいことや将来の夢と照らし合わせた結果だ。大ちゃんの夢は大ちゃんだけの夢、そして、俺の夢は俺だけの夢だ。

「その前に大ちゃんはキャンプだよね。頑張ってね」
「おう」

 いずれ一軍という目標があるとはいえ、まだ高校生の大ちゃんがプロの練習についていくのは大変だろう。
 大ちゃんに気負った様子はないが、やっぱりそれなりに緊張したり……しないのかな。
 頭より心臓の方に毛が生えているらしい大ちゃんは、なにがあっても泰然自若(たいぜんじじゃく)。焦らない、慌てない、騒がない。
 大ちゃんが緊張しているらしいところを、俺は一回も見たことがない……。

(……こともなかった)

 過去に一度だけ、大ちゃんが焦った顔をしたのを見たことがある。俺はそのときのことを思い出して「ふっ」と吹き出した。

「なに?」
「いや、なんでもない」

 笑う俺を、大ちゃんは、なんだこいつという顔で見ていた……が、そのうち興味を失ったかのように前を向いてしまった。それでも、大ちゃんの大きくてあったかい手は、俺の冷たい手をぎゅっと握っている。時折にぎにぎと不規則に握られて、俺はへにゃへにゃと笑ってしまった。
 大ちゃんは、俺を笑顔にするコツをよく心得ている。

「なぁ、立野」
「ん?」
「キャンプから帰ってきたら、ご褒美が欲しい」

 およそ大ちゃんらしくない発言に、俺は思わず隣を見上げた。何気にストイックな大ちゃんがご褒美なんてものを求めてきたのは、付き合ってから初めてかもしれない。

「え、ご、ご褒美? ご褒美って、ご褒美?」
「あぁ」

 俺の動揺なんて知ったこっちゃないとばかりに、大ちゃんが頷く。

「大ちゃんがそういうこと言うの、珍しいね。俺にできること?」

 そりゃあ、俺にできることならなんでもやってあげたいが……。
 俺にできることっていうのは実はとても少ない。
 中学生のときは受験のために勉強を教えたりしたが、高校になってからはそれも減った。
 お互いの懐事情(お小遣い)も知っているので高価なプレゼントなんてできないのもわかっているだろう。
 手料理や手作りのお菓子なんて求めるタイプでもないし……果たしてなにがご褒美になるのやら。

「立野の受験が終わって、俺がキャンプから戻ってきて、ちゃんと卒業したら」
「うん」
「泊まりでデートに行ってみたい」
「……うん?」
「旅行行きたい、二人で」
「えっ、えぇ〜?」

 大ちゃんの言葉には、いつもためらいというものがない。俺は(つまず)いて転びかけて、大ちゃんの手に引き上げられる。

「泊まりって、二人で? 俺と大ちゃん?」
「そう。もう十八だし」

 大ちゃんはなんてことない顔して頷いてから「いつも」と続けた。

「忙しくて、お互いの家行ったり来たりするだけだろ」

 それはそうだ。付き合い出してからこっち、買い物に行ったり、ラーメン食べに行ったり、公園で走ったりバット振ったりする大ちゃんを見に行ったりはしてたけど。たぶんどれも、デートって感じではなかった。
 そもそも大ちゃんはほとんどの休みは野球で潰れていたので、せっかくの休日は家で休もう……なんて、そんなことばっかりで。まぁ近所だからお互いの家は行ったり来たりしてたけどさ。

「するのも、お互いの部屋でしかしたことないから。立野が、声とか我慢してないとこ見たい」
「お、おぉ……」

 する、というのはつまりその、そういうことだ。……エッチなことだ。
 俺たちはその……したことはあるけど、基本的に家で、しかも誰もいないときを狙ってこっそりとしかしたことはない。
 ご近所さんに聞こえたらと思うと声を出せず、家族の誰かが帰ってきたらと思うと時間をかけてなんてこともできず。本当に、こっそり素早く慌ててって感じでしかしたことはない。
 繋いだ手にじんわりと汗が滲む。あんなに寒くて仕方なかったのに、頬どころか頭の先まで熱くなってきた。
 「別に、我慢とかしてないけどさ……」と俯きながら答えると、つむじあたりに大ちゃんの視線を感じた。俺は「嘘です我慢してます」と早口で短く答える。いつも枕に顔を押し付けているしな。それで我慢していないと言い張るのは、無理な話だった。
 それがご褒美になるのかどうかはさておき、まさか大ちゃんがそんな恋人っぽいことを考えているとは思わず、俺は言葉に詰まった。
 大ちゃんは俺を急かすこともなく、黙って横を歩いてくれる。大ちゃんの運動靴がぺたぺたと地面を叩く音が、妙に大きく聞こえた。

「……俺も行きたいです。デート、旅行」
「おう」

 マフラーに鼻先まで埋めてもごもごと小さく答えると、大ちゃんがのんびりと頷いた。余裕ありそうな声に聞こえたが、俺の手を握る大ちゃんの手がより一層熱く感じて、大ちゃんもドキドキしてるのか、と気づかせてくれる。
 今日塾で覚えてきたことが全部吹き飛びそうだ、と思いながら、大ちゃんの足並みに合わせて夜道を歩く。



 家に帰ったら珍しく母さんが先に帰っていて「あらやだ赤い顔してどうしたの? まさかこの時期に風邪?」なんて言われてしまった。
 もちろん風邪ではなかったので熱も咳も鼻水も出ず、ただ無性に悶々としながら、その日も深夜まで勉学に励んだ俺なのであった。