俺と大ちゃんの終わらない夏


「ふんふふん。大ちゃん、大ちゃん、大ちゃんさん。体の大きい大ちゃんさん。態度も大きい大ちゃんさん。本名大輝(だいき)の大ちゃんさん。ふんふふん。野球が大好き大ちゃんさ~ん~」

 なんて自作の歌を歌っていたら、ごつ、と後頭部に衝撃を受けた。

「いてっ!」

 衝撃を与えてきたのは『大ちゃんさん』こと大ちゃんだった。
 今日も坊主頭を光らせて(っていうほどツルッとしてない。どちらかというと坊主に毛が生えたいがぐりって感じ)、ずん、って感じで立っていた。
 もう肌寒い秋だというのに、ブレザーを脱いで肩にかけている。
 まぁ真冬でもトレーニングシャツに短パンで走っているような人なので、このくらい平気なのだろう。

「あら、大ちゃん」

 朝なのにすでに気だるげな雰囲気を漂わせる大ちゃん。
 垂れ目なせいで眠そうに見えるからかな、なんて言ったらもう一発くらいそうだ。

「好き勝手歌ってんじゃねぇよ」

 そう言い残して、大ちゃんはのっしのっしと歩いて行った。
 そのうち大ちゃんの周りには三組の一軍メンバーがわらわら集まってきて、通学路を塞ぐ勢いで笑い合って盛り上がっていた。
 俺は後頭部を擦りながら華やかな彼らを見やり「へへっ」と口をゆるめる。

「へへっ、じゃねぇよ。なんであんな絡めるの? こわ〜」

 気がつけば隣に、いつもつるんでいる高橋くんがいて。俺は「はよ」と挨拶してから、笑ってしまった。

「こわ〜、って大ちゃんのこと? そんなに怖くないよ」

「いや、怖いから。あんなのにあんな絡みをしてしまったら、俺ぁもう明日から学校に行けないよ。てか今日から行けない、もう帰る。保健室にも行けない。体育では誰も組んでくれない。校舎裏でぼっち飯。修学旅行もひとりぼっち」

 そこまで言うの、とけたけた笑ってから、俺はもう他の生徒の波に消えてしまった大きな背中を目で探した。
 背中は見えなくなっても、周囲から頭ひとつ抜けてる大ちゃんの、その特徴的な短髪はよく見える。

 猫背気味なのになんであんなに大きいかね、と思いながら、俺は「怖くないよ、ほんとに」と繰り返した。





 大ちゃんは授業中、大抵寝てる。で、先生もそれを黙認してる。なぜなら、大ちゃんはスターだからだ。
 大ちゃんは野球部のエースだ。と言ってももう引退して、今の肩書きは元エース。
 しかし、ただの元エースではない。来年の春にはプロの野球選手になることが決まっている、ミラクルスーパー元エース様だ。
 少し前にあったドラフト会議ってやつで、なんとかチーターズっていう九州を本拠地にしているチームに入ることになった……らしい。
 俺は野球に詳しくないからいまいちピンとこない。けど、大ちゃんがそのチームに入るなら、そこを応援することになるのだろうことはわかってる。
 俺が贔屓にするチームのエースは、いつだって大ちゃんなのだ。

 そんなわけで。進路の決まっている大ちゃんは、いつもぐーすか寝てる。
 か、ぼんやりとの外を見てる。か、手に持ってギチギチ動かす筋トレグッズを動かしてる。
 あのギチギチするやつって、なんて名前なんだろう。
 俺は一番後ろの席なので、窓際の前から三列目の大ちゃんが寝てるのも、窓の外を見ているのも、ギチギチしているのも、全部見えている。
 そしてそれをちらちら気にしている女子(もしくは男子)がいるなっていうのも見えている。

(大ちゃんは人気者だなぁ)

 俺は内心でぽつりと呟いて、視線を前に戻した。黒板の板書と自分のノートに差ができていることに気がついて、慌てて書き足す。
 俺は類い稀な才能もないので、大学に入るには一般入試を受けなければならない。
 三年生の秋という大事なこの時期、授業中にぼんやりするなど許されないのだ。

(今日は久しぶりに部活に顔出したいけど、うーん)

 俺も少し前まで部活に所属していた。引退したてほやほやの、元書道部ヒラ部員だ。
 大ちゃんと違って俺は箸にも棒にもどんな賞にも引っかからなかったけど、有意義な三年間を過ごせたんじゃないかと思う。なにより、書道部の部室からはグラウンドがよく見えたのがよかった。
 墨汁の匂い、(すずり)で墨を擦る音、グラウンドの声と小気味いい金属バットの音。
 目をつむるだけで、暑い夏のあの日を思い出せる。

 ふと顔を窓際に向けると、大ちゃんがこっそりスマホをいじってるのが見えた。
 一瞬だけ、たたたって感じで触って、おしまい。
 もしかしてと思って、机の中にしまっていた自分のスマホをこっそり引き出す。
 ロック画面に『今日一緒帰らん?』と一文だけのメッセージが届いているのが見えた。
 もちろん授業中にスマホなんていじれない俺はそのメッセージを見て、心の中でだけ大きな『まる』を作って、大ちゃんに念を送っておく。
 念が届いたかどうかはわからないが、首の後ろに手をやった大ちゃんは、ふわ、とあくびをして机に伏せてしまった。
 俺は念を送るのを諦めて、今度こそ授業に集中することにした。
 部活に顔を出すのは、また明日にしよう。



「今日、練習参加しなくてよかったの?」
「ん。腕の調整で休み」
「友達はよかったの?」
「別にいい」

 放課後。裏門にある大きな木の前で待ち合わせて一緒に帰るのが、お決まりの流れだ。
 そこでようやく、周りを気にせずのびのびと会話することができる。
 そんな俺と違って、大ちゃんの方は誰が周りにいようとのびのびしてるけど。大ちゃんは周りにいる人によって態度を変えたりはしない。
 俺たちは、クラスは同じでも属する派閥(はばつ)が全然違うので、日中はなかなか一緒にいられない。
 話したら話したで『謎メン』『でっかいのがちっちゃいのいじめてる』って言われたり、高橋くんなんかには『こわっ』『(おど)されてんの?』って言われる。
 大ちゃんは外野になんて言われてもなにも言ったりしないから、俺だけが一生懸命『俺たち同中だったんだよ〜』と説明してる。
 この三年間で『大輝さんと立野(たての)くんはおなちゅーでまぁまぁ仲良い』という情報が浸透した……いや、浸透というより表面にちょろちょろっと広がったくらいだ。
 未だに一緒にいると『なんで?』って顔される。
 こっちこそ『なんで?』だ。それなりに仲良くやり取りしているつもりなのに。
 俺と大ちゃんは、どこからどう見ても仲良くしている感じに見えないらしい。誠に遺憾(いかん)である。

「俺と大ちゃんって、なんで仲良く見えないのかな」

 学校の裏門を出ると、直滑降かってくらい急な坂道が現れる。
 しかも頭上には鬱蒼(うっそう)と木が生い茂っていていつでも薄暗いし、さらに今の時期は落ち葉が多い。
 下手するとそれを踏んで足を滑らせて転んで、そのまま坂の下の方に転がり落ちかねない。
 そのせいか、この道は生徒から『恐怖の裏道』なんて呼ばれている。
 俺は『恐怖の裏道』を滑って転がり落ちないよう、細心の注意を払いながらそろりそろりと歩いているが、大ちゃんは相変わらずのっしのっしって感じで歩いてる。
 落ち葉に対する遠慮ってものがない。俺に対する気遣いもない。そしてやっぱり猫背気味。

(マウンドに立ってるときは真っ直ぐなのにな)

 変なの、と思いながら、とにかく俺は坂道を無事に下りることに神経を集中させていた。

「さぁ、知らね」
「うおっ」

 いきなり喋るからびっくりして数歩とっとっ、と前に進んでしまった。坂道だからつま先が痛い。
 ところで今の『さぁ』というのは、もしかして俺の先ほどの言葉に対する『さぁ』であろうか。
 言うに事欠いて『知らね』とはなんだろうか。俺は謎メンと言われるたびに地味にショックを受けているというのに。
 だって、だって俺たちはさ……。

 二人して黙って、てくてくのしのしと坂道を歩いて下りて、俺たちはようやく坂の下にあるバス停に辿り着いた。
 俺たちの住む町へ向かうバスは、正門側のバス停よりこちら側の方が本数が多いのだ。ちなみに、人も少ないから、なにかと人目を引く大ちゃんと帰るにはちょうどいい。
 ……が、本日は先客がいた。同じ高校の制服を着た、女子生徒二人だ。あまり見覚えのない顔だから、たぶん下の学年の子だと思う。
 女の子たちは、大ちゃんを見るなり「きゃあ」と色めきたった。
 なるほどなるほど。俺はちらりと左隣の大ちゃんを見上げる。大ちゃんはなにも考えていないような顔をして、ぼーっとバスが来るであろう方向を見ていた。

 「あ、あの……皆本(みなもと)先輩」

 と、きゃっきゃと盛り上がっていた女子生徒たちが、おずおず控えめな様子で近づいて来た。俺のことは目に入っていないかのように、きらきらした目でひたすら大ちゃんを見上げている。
 それはまぁいいのだ。わかるから。大ちゃんの吸引力はすごい。吸引力の変わらない、ただひとつの大ちゃん。なんて言ったら、また頭を小突かれるだろうか。

「えっと、ファンです。あ、いつも応援してます。プロになられるって本当にすごいなって思ってて、あの、おめでとうございます」
「おう」
「……さ、サインもらってもいいですか?」

 ここに、とピンク色のメモ帳と、ペンを差し出す女の子のその手は震えていて。しばらくそれを見下ろしていた大ちゃんは「いいけど」と短く頷いた。

「価値が出るかどうかは保証しないぞ」

 そう言って、ペンとメモ帳を受け取り、さらさらとそこに名前を書いていく。慣れた手つきは、大ちゃんが日頃どれだけそれを求められているのかを教えてくれる。大ちゃんは、人気者だ。

「あのぉ、握手もしてもらってもいいですか?」

 メモ帳を受け取った女の子が、ぽぉっとした顔で大ちゃんを見上げている。大ちゃんは間髪入れずに「わり」と謝った。

「一応大事な時期だから、手は勘弁して」

 大ちゃんは投手だ。その手が、その指先から放たれる白球が、とんでもない奇跡を生み出すのを、俺は何度も見てきた。
 女の子たちも一緒だったのだろう、ハッとしたように肩を跳ねさせ「あっ、ごめんなさい」と謝った。

「んや。応援ありがとな」

 ちょうどそのとき、バス停の前にするりとバスが滑り込んできた。

『大野、いずみ団地経由、桜木タウン行きです〜、ご乗車の方は……』

 大ちゃんは「立野」と俺に声をかけて、バスの方へのっしのっしと歩き出した。女の子たちの「やば!」「マジかっこいいんだけど」という言葉を背中で聞きながら、俺は大ちゃんに続いてバスに乗り込んだ。

「手」
「ん?」
「手、大切にしてるんだね」

 バスの中はがらんとしていて。俺と大ちゃんは、一番後ろの広い席に並んで座った。普通の二人がけだと、大ちゃんの体が半分通路にはみ出してしまうからだ。大ちゃんは縦に高く、横にがっしりしている。
 俺の言葉をどう思ったのか、大ちゃんは「まぁな」と軽く返してきた。そんでもって、膝の上に置いた俺の手に、自分の手を重ねてきた。

「わ」

 いきなり、でっかくてあたたかい手が降ってきて。びっくりして一瞬飛び上がって、すとん、と腰を落ち着ける。
 俺の一連のわたわたの間に、大ちゃんは背もたれにもたれかかって目を閉じていた。

「今は、大事なもんしか掴まないようにしてる」

 言うだけ言って、大ちゃんはがっつり目を閉じると、ぐうぐう寝息を立てて眠ってしまった。授業中あれだけ寝たというのに、まだ寝足りなかったらしい。

「……へへ」

 俺はがっしりと掴まれた手を見下ろしてから、視線を逸らして窓の外に目をやった。バスは車高が高いので、外を走るどの車からも、俺たちの手元なんて見えやしないだろう。

 大ちゃんの本名は大輝、皆本大輝。今年の夏、甲子園でたくさん三振を奪って話題になった、我が校のエースピッチャー。
 野球少年のくせにぶっきらぼうで厳つくて、周りからは『大輝さん』とか『みなもっちゃん』なんて呼ばれている。誰も『大ちゃん』なんて呼ばない。もちろん、『大ちゃんさん』とも呼ばれない。
 大ちゃんはモテるけど、中学生のときにできた恋人のことをとても大事にしている。こんなに厳ついなりをしているくせに、意外と一途なのだ。
 ちなみにその恋人というのは、実は、その……俺のことである。


「団地のとこ、過ぎたら起こすからね」
「ん」

 返事なのか寝言なのかわからない、短い言葉を返して、大ちゃんが俺の方に寄りかかってくる。
 俺は遠慮なく「ちょっと重いよ」と押し返しながら、握られた手を、さりげなく自分からも、ぎゅっ、と握り返してみた。