もしかしたらもう既に、気づいているんじゃないかな。
毎週、待っててくれて、ありがとう。
これから先、水曜日にしずくへ行っても、きっと私は居ません。
でも、貴方はきっと、変わらずにあの席で、あの本を読んでいるんだろうなと思います。
だからお願いです。
夏はコーヒーが汗をかくまで、冬はコーヒーが冷めるまで。その時間だけでもいいから、私を思い出して。
貴方のことが好きだった私を、貴方が覚えていて。
滲んだ文字を読む自分の声は、あまりにも情けなかった。依頼人の想いが、私の肩に乗っかっているように重たい。
古賀くんの顔は見れなかった。彼が待っている彼女はもうここには来ない。その事をいちばん理解しているのは彼自身だと思ったから。
私があの頃、古賀くんに好きを言えなかったのは、自分に心底自信がなかったからだ。
家に帰れば両親は喧嘩をしていて、時には「詩乃は君が面倒見ればいいだろ」「貴方が見るべきよ」と、私の存在を押し付けあっていた。告白なんかして古賀くんにまで「要らない」と言われたら、私は生きていけなかった。
私は必要とされたかったんだと思う。
こんな変な仕事をしているのも、この仕事は誰かに必要とされる仕事だからだ。言えない伝えられない言葉や想いがある人から、必要とされる仕事。
そんな弱い理由で、私は好きが言えなかった。
彼の手や癖さえも未だに覚えているくらいなのに。私は、彼に会いに行くこともできたのに。
幾らでも、好きを言えるタイミングはあったのに。
最後の言葉を、彼に読んで見せてあげなければならない。
けれどこれは、私が読むべきではない想いで、言葉だ。
無感情が得意で、五年のキャリアを積んできた一ノ瀬詩乃はどこかに行ってしまったみたい。
私は手紙を古賀くんの前にそっと置いた。彼は私の目を見つめて、直ぐに手紙に視線を落とした。
古賀くん。
私は古賀くんが大好きです。
忘れないよ。
白石架純より。
さっきまでとは温度感の違う、最後の言葉を、彼はどう受け取ったのだろう。しばらく呆然と手紙を見つめる古賀くんは、抜け殻のように見えた。
「…ずっと、待っていたんだ」
重たい口を開き始める彼を、私は受け止めきれるか不安に思った。
「そうか。彼女はもう来ないのか」
「…そう、書かれてるね」
「佐々木さん。あ、一ノ瀬さん」
「いいよ、佐々木で」
「少しだけ、僕の話を聞いてくれる?」
彼は汗のかいたコーヒーを拭い、口に運んだ。私はその姿に、頷くことしか出来なかった。
「僕は昔、好きな子がいて。彼女は集中する時、決まって髪を耳にかけるんだ。テストの時、家庭科の裁縫の時、慣れない小説を読む時とか」
「髪を耳にかけるとね、いつも見えてない耳のホクロが見えて、僕にはそれすら可愛く見えてた。残念ながら彼女に告白は出来なかったけど、ひとつ大事な思い出が卒業式の日に出来たんだ」
「この『せせらぎの先』って小説、その彼女が卒業式の日に、図書室に忘れていった物なんだ。僕は未練がましくこの小説を何度も読んでた。そしたら架純ちゃんがね、そんなに何度も読んでたら、小説が照れちゃうよって言ったんだ」
「僕にはそれがすごく印象的で、白石架純って言う人間を知りたくなった。だから、彼女が思ってるよりきっと僕は彼女を見ていたし、色々とね、気づいてもいたんだ。それとね、彼女とは、この小説が繋いでくれた関係だと思ってる。だから、佐々木さん、ありがとう。こうやって、彼女の想いを聞かせてくれて、出会わせてくれて、ありがとう」
古賀くんがあまりに真っ直ぐ伝えてくるから、私は訳もなく泣きたくなった。
この小説の表紙に懐かしさを覚えたのは、持ち主が私だったからだ。
でも、古賀くんの真似をして分厚い小説を読んでみたくなっただけで、実際は半分も読めていないもの。だから無くしても探しに行かなかった。
もし、あの頃図書室に探しに行っていたら、この本が繋ぐ仲は私と古賀くんだったのかもしれない。皮肉にも、ここに来れない依頼人を羨ましく思ってしまう。
「架純ちゃんが、美味しいご飯食べて、よく寝られているといいな」
そう呟く声は、私が今までに聞いた事のない、温かくて優しい声だった。
「そうだね。きっと、元気にやってるんじゃないかな」
私がそう言うと、古賀くんは優しく微笑んだ。
やはり私が見たことの無い、好きな人を想う顔だった。
「ではこれで、白石架純さんからの依頼は以上となりましたので、代行を終了させて頂きます」
最後の挨拶を告げた時、入口の鈴が鳴った。
「え…?田中さん?」
事務職の田中さんが私達のテーブルへと歩いてきた。
「あれ、仁美ちゃん久しぶりだね」
「うん、久しぶり」
古賀くんは田中さんを下の名前で呼び、親しそうな雰囲気。
「一ノ瀬、お疲れ様」
「あ、はい、えっと、お疲れ様です。これは…どういうことでしょうか」
「私、ここのマスターの孫。だから、古賀さんや架純ちゃんとも知り合いなの」
「えーすっごい偶然だね?!」
私は変な冷や汗が出るほどうろたえているのに、やはり田中さんは無感情のままだ。
「正直、色々と誤算があって電話が来た時は私も焦ったけど、一ノ瀬に架純ちゃんの想いをお願いして良かった。流石、うちのエースね」
「た、田中さんが褒めるなんて…明日は雨か雪かな」
「今は9月。雪は降らない」
私たちのやり取りを見ていて、古賀くんは静かに笑っている。そこにマスターが近寄ってきて、古賀くんにそっとギターを渡した。
これが誰のギターなのか。私達は何も言わないけれど、ここに居る人みんなが持ち主を知っている。
「仁美ちゃん」
「なに古賀さん」
「連れてって欲しいところがあるんだ」
「…うん。車用意してある」
「…ありがとう」
古賀くんと田中さんは、そうやり取りをして喫茶しずくを後にした。
私は二人が歩いていくのを、ガラス窓から見守る。
もうここには来れない、恋敵の白石架純さんを思いながら。


