感情代行人

病室の白い天井を見ながら、私は小さく息を吐く。
私はあと何回、水曜日を迎えられるだろう。

「昨日のドラマ見た?」
「見た見た!最近は月9より火10の方がキュンキュンするよねー!」

隣のベッドから聞こえてくる会話に耳を傾け、今日が水曜日だと確信をする。
よりにもよって、なんで今日が水曜日なんだろう。こんなにも調子が悪いって言うのに。

「白石さん、今日は外出許可出せないよ。自分の状況分かってるの?先週ダメって言ったのに無理したからだよ」

主治医はいつも私に怒ってくる。自分の人生なんだから、最後くらい好きに生きさせてほしいだけなのに。

古賀くんにメールを送る。
「会いたい」と打っては消して、「実は余命宣告を受けてるの」と打っては消して。いつもいつもその繰り返し。

古賀くんと出会った時にはもう、私の余命は残り半年だった。同情して欲しいわけでも、そばに居させたい訳でもないから、私は言わないことを決めている。
彼に、私の病気を背負わせたくないから。知らないままの姿で、笑っていて欲しいから。

『ごめん、今日しずくに行けない』
『どうしたの?何かあった?』
『仕事が忙しくて。落ち着いたら顔出すね』
『了解。無理しないでちゃんと寝てね』

古賀くんはいつも、私が寝れているかや、ご飯は食べたかを確認してくる。その言葉の意味を、本当は聞きたい。自惚れてもいいのかと、聞いてみたい。
でも、そんなこと出来るはずがない。残り少ない人生を打ち明けたところで、彼と一緒に生きていけるわけではないから。

「そういえば、この前友達が感情代行人に依頼したんだって」
「え!最近流行ってるやつ?」

隣のベッドから、興味深い言葉が飛んできた。

「そうそう。彼氏と別れる為に利用したらしいんだけど、何でも代行人の人が、水とかパフェまでぶっかけられたらしくて。自分で別れ話しなくてよかったって言ってた」
「うわー、感情代行人って嫌な仕事だね」
「友達はすごく助かってたけどね〜別れ話じゃなくて告白とかでも利用する人いるらしいよ」
「へぇ、私も酒井くんに告白する時、代行人に依頼しようかな」
「いいじゃん!もしダメだった時の傷は減らせるかもよ」

私はそっと、布団の上で携帯を握りしめた。
私の場合は、傷じゃ済まされない。唯一の生きる希望が、光が、水曜日が、消えてなくなる。

…私が死んだ後に、想いを届けてもらうことができたらいいのに。

一方的でずるい考え。
生きている間の彼の笑顔は考えられるのに、死んだ後の彼の笑顔を考えられていない、自己中心的な欲望。
それでも、それだけが、唯一の想いを伝える方法だと思った。彼の笑顔だけを見て人生を終わりたいと言う、私のわがままでもある。


次の水曜日。私はまた外出許可が貰えなかった。二週間も古賀くんに会えないなんて、今までに一度もなかったのに。

『今日は来る?仕事忙しい?』

古賀くんからのメールに、何も返せないまま時間だけが過ぎる。じっとしてられなくなった私は、ベッドから立ち上がり、軽くジャンプをした。

…よし、大丈夫。
根拠のない大丈夫を唱えて、服を着替え、私は病室を出ていった。


喫茶しずくに着いた頃には既に十五時を回っていたけれど、外から見える窓際の席には、古賀くんの姿があった。私を待ってくれているのだと嬉しくなる。

姿を見れた嬉しさのあまり、鼓動が激しくなる。
脈を打つ音が大きく聞こえる。
これが体の悲鳴だと気づいた時には、既に私の体は力が抜けて、地面に崩れ落ちた。
古賀くんから見えないようにと、力を振り絞って電柱の後ろに隠れる。その時、誰かが私に駆け寄ってきて、そこで意識が無くなった。

目覚めるといつもの病室に居て、横には久しぶりに見る顔が座っていた。

「仁美ちゃん…どうしてここに?」
「どうしてって!お店の近くで倒れてたから、私びっくりして」

仁美ちゃんは喫茶しずくのマスターのお孫さん。仁美ちゃんが手伝いをしていた時期に、週に二回ほど顔を合わせていた仲。

「貧血か何かだと思って連れてきたけど、こんな、専用のベッドまであるなんて、どういうこと?」
「んー、今入院しててさ」
「それは見たらわかる」
「えーっと」

仁美ちゃんは表情ひとつ変えずに私をじっと見つめてくる。彼女は昔からこんな感じで、打ち解けられた試しは一度もないし、嘘が通じたことも一度もない。

「私ね、もういつここが止まってもおかしくないって言われてるんだ」

私は右手で、心臓を軽く叩いてみせた。その瞬間、仁美ちゃんは勢いよく立ち上がった。

「おお!びっくりした。流石の仁美ちゃんでも、動揺するよねこんな話」

仁美ちゃんは静かに座り直し、咳払いをした。

「っ、いつから…?」
「もうだいぶ前。昔から入退院繰り返してて、ついに寿命がもうすぐって感じ」
「古賀さんは知ってるの?」
「…知らないよ。誰も知らない」
「言わなきゃ。おじいちゃんとも、架純ちゃん仲良いんだし」

古賀くんだけじゃない。あの空間にいる人みんなに、私は笑ってて欲しいから、病気の事は一切伝えてない。

「ううん、言わない。仁美ちゃんにも、言わないつもりだったよ。こんな状況だから言っちゃったけど」
「そんな…でもさ…」
「いいの。私はただの常連客のままでいたいの。それで、たまに『架純ちゃん何してるかな?』って思い出してもらえるだけで十分」
「古賀さんには?ただの常連客のひとりで、しずくで知り合った人って思い出されるだけでいいの?…好きなんでしょう?」
「…やっぱ気づいてた?」
「分かりやすくギター弾いてアピールしてたじゃない。こっち向け〜って心の声聞こえてたよ」
「あはは、そんな分かりやすかったかな?でもまあ、うん、好きだよ、古賀くんのこと」
「だったら…!」
「ううん、言わない。もう決めたの」
「…頑固」

不貞腐れたような表情を浮かべる仁美ちゃんに、私はどうしてか嬉しくなった。

「そうかも。…ただね、私が居なくなった後に、好きを伝えられたらいいのになとは思うの」
「居なくなった後…?そんなの、生きてるうちに伝えなきゃ」
「伝えないよ〜。病気の事も、好きって気持ちも、絶対伝えない。私は古賀くんに何も背負わせたくないの。…少しくらい困らせてもみたかったけどね」

仁美ちゃんは、私の想いにため息をついた。

「はぁ…架純ちゃんって昔からそういう所あるよね、頑固でワガママ。決めたことを変えない。…どうせ、何言っても変わらないんだろうね」
「…うん。変わらないよ。それでね、感情代行人って仕事知ってる?私それを利用しようと思って…」

私の言葉の何に驚いたのか、仁美ちゃんはまた勢いよく立ち上がった。

「え何!ビックリするからそれやめて!」
「あ…ごめん。感情代行人…私の知り合いが働いてるから…」
「え!そうなの!じゃあその子にお願い出来ないかな?」
「…なにを?」
「私が居なくなった後の、古賀くんへの告白」

サイトを見て考えてはいたけれど、なかなか踏み出せないでいた。知り合いの知り合いに感情代行人がいるなんて、これを運命と呼ばずになんと呼ぶんだ。

「…本気なら、依頼書渡すことはできる。でも、本当によく考えて。自分の口で言わなくてもいいのか、後悔しないか。よく考えて」
「うん、ありがとう」

仁美ちゃんはあまり肯定してくれなかったけれど、なんだかんだ頼んだら依頼書を渡してくれそうだった。

その日の夜、私は古賀くんへの手紙を書いた。
ただ好きという気持ちだけを、まっすぐに伝えたい。
涙が落ちて、何枚も書き直したのに、不思議と好きを綴った手は疲れなかった。それくらい、いや、それ以上に。
私は古賀くんが大好き。

彼の人生に深く残りたい訳じゃないけれど、忘れられたくもない。
いつかふと、水曜日の喫茶しずくを思い出して、私の事も少しだけ思い出してくれたらいい。

そんな、忘れないで欲しいと言う願いを込めて、想いを綴った。