夜半の御伽噺 ―殺し屋の妖女-

 都心のとあるバーのカウンターで、女が一人、カクテルを飲んでいました。今は雪乃と名乗るその女は、とても奇麗でした。しかし、雪乃は人ではありませんでした。男に虐げられてきた幾多の女たちの怨念が生み出した妖でした。

 雪乃には不思議な力がありました。女を食い物にしてきた男や、殺めてきた男を見つけることができたのです。立派な肩書を持ち、見るからに真面目そうに見える男でも、雪乃の目をごまかすことはできませんでした。
 そういう男たちを闇に葬るのが、雪乃が持って生まれた定めでした。雪乃は、その美しさ、そして巧みな言葉と振る舞いで悪い男たちを虜にしました。雪乃と交わりを持った男たちは、そのさなかに精気を抜き取られ、翌朝、亡骸となって見つかりました。男たちの死は、突然の病としか思われず、雪乃が多くの悪い男たちを殺めてきたことを知る者はありませんでした。
 雪乃は、自分がいつ生まれたのか知りませんでした。生まれてから今まで、どれだけの時が流れたのかも分かりませんでした。しかし、生まれたその時から、雪乃は自らに与えられた力と、するべきことが頭に入っていました。
 自らに与えられた定めに従って、一体どれだけの男を殺めてきたのか、雪乃には数えようがありませんでした。人の世においては、人を殺めることは悪いことと思われていることを雪乃は知っていました。
 それでも、雪乃は、ただ、ひたすら自らの定めに従うだけでした。人の世の良し悪しは、雪乃には無縁の物でした。
 雪乃は、ただ淡々と自らの定めに従うだけでした。
 
 カクテルを飲みながら、雪乃がスマホでネットにアクセスすると、気になる記事が目に留まりました。それは、あるホテルで、歌舞伎町のカリスマホストの亡骸が見つかったという記事でした。
『ああ、あいつか』
 写真を見て雪乃はそう思いました。
 男は、沢山の女のお客に多額のお金を貢がせていました。男は、女たちを客として繋ぎとめるために、契りを結ぶこともしばしばでした。男はヤクザとも繋がっていて、お金に困った女たちには、ヤクザがらみの金貸しからお金を借りさせました。そんな女たちは、更なる苦境に追い込まれ、女として落ちるところまで落ちてしまった者や、自ら命を絶った者もいました。
『なるほど、殺されて当然のクズだった訳だ』
 記事を読みながら、雪乃は自らが男を殺めることになったことに合点がいきました。雪乃には、殺めるべき男を見分ける力はありましたが、そういう男たちが、どのような悪事を働いてきたかを知ることはできなかったからでした。
 
 雪乃が記事を読み終えて、スマホをポケットに入れた時、後ろから男の声がしました。
「お隣よろしいですか?」
 雪乃が振り向くと、そこには綺麗な顔立ちをした若い男が立っていました。真面目なサラリーマンのように見えましたが、雪乃は一目で男の真の姿を見抜きました。
『なんだ、こいつもかよ』
 雪乃はそう思いましたが、そんな思いはおくびにも出さずに笑顔で応じました。
「どうぞ」
「失礼します」
そう断わって男は雪乃の隣に座りました。男は雪乃に名前を尋ねた後、自分を幸雄と名乗りました。
 それから、二人は、お酒を飲みながら話をしました。幸雄は自分のこともあれこれと語りましたが、決して自慢話を続ける訳でもなく、雪乃にも話を振ってきました。幸雄の話には、思わず引き込まれるようなものがいくつもありました。
『こいつ、女を引き付ける術を心得ていやがるな。まあ、こっちも負けちゃいないけどね』
 雪乃は、話をしながら、自分もうまい具合に幸雄をたぶらかせていると思っていました。
『しかし、こいつ、なかなか誘いを掛けてこないな。これじゃあ、狐と狸の化かし合いじゃないか。面倒だな、そろそろ、こっちから誘い出すきっかけを作ってやろうか』
 雪乃がそう思った時、幸雄が思いもかけないことを言い出しました。
「雪乃さん、だいぶ遅くなりましたので、今日はこの辺でお開きにしましょう」
『え、誘ってこないのか?』
 雪乃は驚きました。
「雪乃さん、また、お話がしたいので、連絡先を交換しませんか?」
「ああ、はい」
 雪乃は慌ててスマホを取り出し、二人は連絡先を教え合いました。

 二人して店を出ると、幸雄が口を開きました。
「それじゃあ、また。気を付けてお帰りください」
 言うなり、幸雄は、雪乃を置いてさっさと歩き出してしまいました。
『変な奴だな』
 雪乃はそう感じました。
『なんか、あまり邪気が感じられないな。本当に誠実な奴なのか?』
 雪乃は、少しだけ自分を疑いました。しかし、自分の目に狂いがあるはずはないと思い直しました。
『この私まで騙されそうになるなんて、あいつ、筋金入りのワルだな』
 雪乃は去って行く幸雄の背中を睨みつけました。

 その翌日、雪乃は、また悪い男を殺めました。男は、結婚や偽りの愛を餌に、多くの女からお金を騙し取っていました。しかし、多くの女は騙されたことを恥じて、それが明るみに出ることを嫌い、警察にも届け出ず、泣き寝入りをしてきたのでした。また、男の頼みに応じて暮らしのためのお金を出したりした場合は、明らかな罪として問うことができないこともありました。そんなこともあり、男は多くの女からたくさんのお金をだまし取りながら、世の中を渡って来たわけで、雪乃が殺めるべき男でした。

 その二日後、幸雄から連絡がありました。そして、その週末に食事に行くことになりました。
 二人が食事をしたのは、夜景が美しいホテルの最上階にある高級レストランでした。幸雄は、頭の良さを感じさせる上品な話を次々と語りましたが、それらには気障な所や嫌味な感じは全く有りませんでした。
 幸雄は、相変わらず、雪乃から話を引き出すのも上手でした。美味しい料理やお酒の力もあり、雪乃は少し気が緩みました。
『こいつ、本当に悪い奴なのか?』
『でも、間違いない。こいつはワルだ。気を許しちゃいけないな』
 しかし、そう思った後、雪乃は笑いそうになりました。
『まあ、気を許しても許さなくても、関係ないか。どの道、私がすることは一緒なんだから』
「雪乃さん、どうしたの?思い出し笑い」
 雪乃の思いが顔に出たのか、幸雄が尋ねてきました。
「ううん、何でもないの」
 そう答えると、幸雄は少し表情を緩めただけで、それ以上、何も聞いてきませんでした。

 レストランを出た時、雪乃はふと思いました。
『このホテルに部屋を取ってある、とか言ってくるんだろうな』
 しかし、幸雄の口からそんな言葉は聞かれず、二人は近くの駅まで歩き、そこで別れたのでした。
 雪乃が殺めてきた男たちは、雪乃がたぶらかしたからということもありましたが、大抵は、会ったその日に雪乃の体にむさぼりついてきたものでした。なのに、幸雄は、二度目の夜も雪乃の体を求めてきませんでした。
『どうも勝手が違うな。体じゃなくて、金が目的で、慎重になってるのか?頭が切れそう男だしな。さっさと片を付けたいのに面倒だな』
 雪乃にとって、幸雄は、それまでに会ったことのない類の男でした。
 
 その二日後、雪乃は、また、悪い男の命を奪いました。
 その男は、実際は四十半ばの中年男でした。しかし、男はインターネット上で十代の美少年に成りすましました。男はSNSを通じて多くの十代の少女たちと繋がりを持ちました。そうして言葉巧みに少女たちの裸の写真など集めました。その後、男はそれらの写真をインターネット上にばらまくと脅しをかけ、少女たちに交わりを求めました。弱みを握られた少女たちは、男の求めに従うしかありませんでした。少女の生き血を吸うような男の所業が明らかになったのは、男が不可解に見える死を遂げたことがきっかけで警察が調べを始めたからでした。雪乃が殺めなければ、更に多くの少女たちが悲しい目に合うところだったのでした。
 
 その翌朝、雪乃と幸雄は駅で待ち合わせをして、浦安にある遊園地に向かいました。遊園地などという場所に雪乃が来たのは初めてでした。夜のパレードまで見て、遅くなったのに、幸雄が雪乃をホテルに誘うことはありませんでした。
 
 そうして、いつの間にか、雪乃はごく普通の女のように、幸雄とデートを重ねるようになっていました。
 幸雄が選ぶ映画やライブは、不思議なことに雪乃の好みに合うものばかりでした。
カラオケで聴いた幸雄の歌はうっとりするほど上手でした。幸雄はボーリングや、ビリヤードなどスポーツも得意でした。さり気ない仕草一つにも花がありました。
『こいつ、一体、どんな悪さをしてきたんだ?』
 普段の幸雄の様子から、雪乃がうかがい知ることはできませんでした。
『尻尾を出さないということは、やはり極めつけのワルなのか?』
『でも、多くの女が、こいつに惹かれたのは無理もないな』
『もし、自分が普通の女で、こいつの正体を知らなかったら、とっくに落ちているな』
 幸雄と何度も会っているうちに、雪乃の頭の中では、色々な思いがグルグルと渦を巻くようになりました。
 
 そうしているうちに、二人が出会ってから半年が過ぎました。しかし、幸雄は一向に雪乃の体もお金も求めてきませんでした。それどころか、幸雄は雪乃の手を握ることするありませんでした。そして、時おり見せるさり気ない優しさや心遣いは、とても偽りのもののようには見えませんでした。
『この人は一体何を考えているのだろう?』
 雪乃にはさっぱり分かりませんでした。

 その半年の間にも、雪乃は何人もの悪い男を殺めていました。定めに従っていることには何も感じませんでしたが、悪い男と交わることには、いつのまにか、少しずつ嫌気が差してきました。
 そして、ある時、悪い男にひどい抱かれた方をした後に、雪乃はふと思いました。
『あの人なら、女も優しく抱くのかな?』
 そう思った途端、雪乃はひどく慌てました。
『まさか、私、あいつと寝たいと思ったの?』
『あいつは、殺めるべき男じゃないの』
 雪乃は、自分の中で芽生えた幸雄への気持ちに、ただただ戸惑うばかりでした。
 
 幸雄と過ごす日々が続く中、雪乃は様々な思いに振り回されるようになりました。
『私、一体、どうしちゃったの?』
『幸雄が好きだ。そのことは否定できない』
『でも、これから、どうすれば良いの?』
『やっぱり、定めには従わなくちゃ』
『だけど、あの人を殺したくない』
『好きだから、あの人に抱かれてみたい』
『だけど、そうすれば、幸雄は死んじゃう』
『何を考えてるのよ、あいつは殺されて当然の悪い男なのよ。いつも通りにすればいいじゃない。それで、望みも叶うし、任務終了だから、一石二鳥じゃない』
『でも、もっと、あの人と一緒に居たい』
 いくら考えても、堂々巡りが続くばかりでした。

 そんなある日、雪乃の体を激しい痛みが襲いました。痛みは一旦去りましたが、その後、痛みは繰り返し襲ってきました。そして、痛みは日に日に激しさを増していきました。
『私の体が、定めに従えと言っているんだ』
『早く、幸雄を殺せと、叫んでいるんだ』
 雪乃にはそれが分かっていました。それでも雪乃は幸雄を殺める気にはなれませんでした。痛みに耐えてでも幸雄との日々を終わらせたくないと思いました。しかし、また、いつまでもそうしていることはできないことも分かっていました。
『どうすればいいの?』
 雪乃は答えのない問いを続けるばかりでした。
『望み通り、幸雄に抱かれれば全て終わりだ。この体の痛みも消えるだろう』
『でも、その後は、一体どうなるんだ。幸雄を殺めた心の痛みを引きずったまま、嫌な男に抱かれ続けるのか』
『そんなのは御免だ』
『いっそ、人のように死んでしまえればよいのに』
 雪乃はそんなことさえ考えました。
 
 ある夜、雪乃はとうとう気持ちを固めました。幸雄との日々を終わりにしようと思ったのでした。それが、定めに従うためなのか、心と体の痛みから逃げたかったからなのか、あるいは、ただ幸雄に抱かれたいという気持ちからなのか、もう雪乃自身にも分からなくなっていました。雪乃は幸雄に会ってから初めて大胆な誘いを掛けました。
 そして、雪乃は幸雄に抱かれました。交わりのさなかに、雪乃の体は、それまでに感じたことのない大きな喜びで満たされました。
 
 幸雄が雪乃を抱いたのは、雪乃に惑わされたからではありませんでした。その夜、幸雄は、雪乃に会う前から、雪乃との日々を終わりにしようと決めていたのでした。それが、定めに従うためなのか、心と体の痛みから逃げたかったからなのか、あるいは、ただ雪乃を抱きたいという気持ちからなのか、もう幸雄自身にも分からなくなっていました。
 雪乃との交わりは、それまでの幾多の交わりとは比べ物にならないくらい心地良いものでした。
 
 翌朝、とあるホテルで、安らかな顔で息絶えている雪乃と幸雄の亡骸が見つかりました。
 
                          終