正直に言って、憑依タイプではなく自然タイプだと自覚した倉敷は実力をうなぎ登りに上達させていった。とはいっても大根役者だった頃と比べたらという話であり、まだ彼の実力では舞台に立つことはできないと俺は思う。
倉敷自身もそれは自覚をしているようで、自分の成長を感じつつも、それはほんの些細な成長であり、まだまだ自分には実力が足りないことを理解しているようであった。
「もう一度今のシーン、お願いしてもいいですか?」
「……一度休憩にしようか」
「僕はまだいけます!」
倉敷は俺からの助言があったとしても、まだまだ焦りがあるようで、休憩を挟むまもなく演技の練習を続けている。これは俺が演技指導をしているときだけではなく、それ以外の時間も演技の練習や勉強に明け暮れているに違いない。
その証拠に目の下に隈ができている。これはおそらく睡眠時間を削ってまで勉強や練習をしているからであろう。心做しか少しだけ痩せてきている気がする。
「休息を取るのも大事だ。それに今日はとっておきのアドバイスをしてやる」
「はい! 休みます!」
素直過ぎるのも問題だと思う。
休息を取るのも大事だと言う言葉に従ったのか、アドバイスを聞きたくて休息を取ることにしたのかは彼自身だけが知ることだろう。
しかし彼自身だけが知ると思っていた真相は、次の瞬間には俺も知ることとなる。
「それで! アドバイスってなんですか?」
どうやら倉敷は俺からアドバイスが聞きたくて休息を取ることにしたらしい。
つまり俺の休息は大事であるという熱弁はなかったことにされたわけだ。
俺は小さなため息を吐く。
「あ! 朝倉先輩って僕といるときため息を結構な頻度で吐きますよね……。もしかして僕の演技ってそんなにひどいですか!」
「あぁひどいね」
「そんなノータイムな! まぁ……そうかもしれないですけど……」
天才子役である『朝倉啓一』であれば人前でため息なんて吐くことはないだろう。
きっと、俺にとって倉敷勤という存在は——特別だからこそ、ため息を吐けるのだ。
心を許していると言える。
いつからだろうか。
有名人である俺は学校では誰一人として友達を呼べる人はいない。
だからいつも時間を一人の時間を潰すために、一人でいることをひた隠しにするために自動販売機に行って缶コーヒーを買う。
そうすれば一人だってことに気づかれないし——倉敷勤が俺の元に来てくれるから。
有名人というものは厄介なもので、学校では暗黙の了解として天才子役『朝倉啓一』には声を掛けてはいけないというものがある。
暗黙の了解のため実際に聞いたりする訳では無いが、俺が仕事で学校を休んでいる最中に教師サイドから『朝倉啓一』と有名人としてではなく一生徒として接するようにとお達しがあったらしい。
それは案外厄介なもので、学校中がそのお達しを忠実に守っているせいで、誰にも俺に声をかけてこないのだ。人と話しかけるには何かしらの話題が必要だ。
つまりおれに話しかけるにも何かしらの話題が必要になるわけだが、俺に掛ける話題といえば”天才子役『朝倉啓一』”の話題だ。その話題を禁止にされてしまっては誰も俺に声を掛けることはできないだろう。
——ただ一人、倉敷勤を除いては。
いつからだろう。
自動販売機へ向かう理由が時間を潰すためから、倉敷勤に見つけて貰うためになったのは。
「——輩? 朝倉先輩?」
「え、あぁ、すまん」
「それで、アドバイスってなんですか!」
「そうだな。倉敷は一言で言えば優等生だ」
俺の意識を取り戻してくれた倉敷はアドバイスをせがんでいる。
そんな倉敷のことを可愛いとか愛おしいとか、そう思ってしまう。
「優等生ですか?」
「そうだ。自然体にはなってきているとは思う。それでも台本通りだなって感想が勝つ」
「で、でも台本通りにするのが演技……ですよね?」
「そう思う人もいるかも知れない。ただ俺はもっと倉敷勤としての演技を見たい。簡単に言うとアイデンティティが足りない!」
「アイデンティティ……ですか?」
「ん。だからこそ俳優は台本に書かれていないことをするんだ。勝手にセリフを追加したり、台本には書かれていない身振り手振りや行動で演技の幅を広げるんだ。でも倉敷はザお手本って感じ。それが悪いわけじゃない。ただ良いわけでもない」
「アドリブってことですか……?」
「そうだな。アドリブだ」
倉敷もわかっているようだ。
しかし倉敷がやったことがあるのは、高校の演劇部だ。アドリブなんてほとんどやったことはないだろう。だからこそ自分の演技にアドリブを加えるという発想に至らなかったのだと俺は推測する。
「……朝倉先輩はどうして僕に優しくしてくれるんですか?」
「え?」
俺は倉敷からの突然の質問にビクッと身体が跳ねる。
脈が速くなる。
項に冷たい汗が流れる。
「優しくする理由……か?」
「……はい」
「や、優しくするのに理由が必要なのか?」
「……僕は必要だと思います。行動の原動力がすべて善意の人間を僕は知りません」
「その人間が俺かもしれないぞ」
「そう……かもしれません。でも僕と、同じ……。いえ、なんでもないです……」
わかっていた。
倉敷勤は異常なほど朝倉啓一に憧れを抱いていると聞いたときからもしかしたらとは思っていた。
憧れを抱いているからといって、同じ高校に進みたいと思うだろうか。
いや、思うかもしれないが、何をやってもダメだったと自分でも思ってしまうほどの人間がふと見たテレビに映った俺に異常なほどの憧れをいただいて同じ学校へ進学し、そしていつか俺のような演技をしたいという願いから、演劇部に入部をするだろうか。
こんなとき天才子役『朝倉啓一』ならどんな選択を取るだろう。
いいや。
これは天才子役『朝倉啓一』としてではなく倉敷勤のことが好きな『朝倉啓一』としてどんな選択を取るのが正解なのだろうか。
「僕じゃだめですか?」
そう倉敷勤の口から放たれた言葉は先ほどまで一緒に練習していた台本にかかれているセリフだ。冴えない男子高校生が学校一のマドンナに恋をして、振り向いてもらうために奮闘するストーリーだ。
(もしかして……)
この台本は演劇部員が意見を出し合って、それを形にしたものだと聞いた。
だとしたら誰かの願望が形になっていてもおかしくない。
「この台本の意見出ししたのって……倉敷か?」
「……ダメですよ……朝倉先輩はアドリブ入れないでください」
「あっ……えっと、え……」
「僕がステージに立ちたい理由は、その現実では実現できないその夢を実現させたいからです」
彼のそれはアドリブであった。
しかし俺は台本通りに進めなければならないらしい。
「……夢を語るのは美しくないわよ。夢は叶えた後に語るのが美しいんだから」
「それでもいいです。僕はあなたに美しいと思われたいわけじゃない。僕はあなたに好きだと。愛おしいのだと。そう思われたいんです」
俺に迫る倉敷は片膝をつき、まるでプロポーズでもするかのように振る舞う。
こんなコト台本には書いていない。
「僕じゃダメですか?」
まさかこの俺が。
天才子役である『朝倉啓一』が高校の演劇部の大根役者なんかに絆されるわけがない。
いや、今の俺は倉敷勤のことが好きな『朝倉啓一』だったな…………。
差し伸ばされたその手を取るのに、時間はかからなかった。
* * *
「朝倉先輩! 今日も演技指導してください!」
いつものように自動販売機の前で缶コーヒーを購入していると、俺を悩ませる存在が声を掛けながら近寄ってきた。
俺は小さなため息を吐きながら缶コーラも購入し、買ったばかりの缶コーラを勤に差し出す。
しかし勤は差し出している缶コーラではなく、左手で持っていた方の缶コーヒーを盗むようにして取る。
「いつもありがとうございます。今日は缶コーヒーの気分です。だから啓一先輩は缶コーラ飲んでください!」
「……余計なことするなっ」
「余計なことはしてないですよ! 僕が飲みたかったのがコーヒーだったんです。いつもありがとうございます」
「……今日は仕事入ってるから演技指導するのは無理」
「じゃあいつならいいんですか?」
勤はお互いの気持ちを確かめてから、今まで以上に遠慮がなくなったと思う。
コイツは今も昔も俺を悩ませる存在であることに変わりはないらしい。
「明日の放課後なっ!」
―fin―
倉敷自身もそれは自覚をしているようで、自分の成長を感じつつも、それはほんの些細な成長であり、まだまだ自分には実力が足りないことを理解しているようであった。
「もう一度今のシーン、お願いしてもいいですか?」
「……一度休憩にしようか」
「僕はまだいけます!」
倉敷は俺からの助言があったとしても、まだまだ焦りがあるようで、休憩を挟むまもなく演技の練習を続けている。これは俺が演技指導をしているときだけではなく、それ以外の時間も演技の練習や勉強に明け暮れているに違いない。
その証拠に目の下に隈ができている。これはおそらく睡眠時間を削ってまで勉強や練習をしているからであろう。心做しか少しだけ痩せてきている気がする。
「休息を取るのも大事だ。それに今日はとっておきのアドバイスをしてやる」
「はい! 休みます!」
素直過ぎるのも問題だと思う。
休息を取るのも大事だと言う言葉に従ったのか、アドバイスを聞きたくて休息を取ることにしたのかは彼自身だけが知ることだろう。
しかし彼自身だけが知ると思っていた真相は、次の瞬間には俺も知ることとなる。
「それで! アドバイスってなんですか?」
どうやら倉敷は俺からアドバイスが聞きたくて休息を取ることにしたらしい。
つまり俺の休息は大事であるという熱弁はなかったことにされたわけだ。
俺は小さなため息を吐く。
「あ! 朝倉先輩って僕といるときため息を結構な頻度で吐きますよね……。もしかして僕の演技ってそんなにひどいですか!」
「あぁひどいね」
「そんなノータイムな! まぁ……そうかもしれないですけど……」
天才子役である『朝倉啓一』であれば人前でため息なんて吐くことはないだろう。
きっと、俺にとって倉敷勤という存在は——特別だからこそ、ため息を吐けるのだ。
心を許していると言える。
いつからだろうか。
有名人である俺は学校では誰一人として友達を呼べる人はいない。
だからいつも時間を一人の時間を潰すために、一人でいることをひた隠しにするために自動販売機に行って缶コーヒーを買う。
そうすれば一人だってことに気づかれないし——倉敷勤が俺の元に来てくれるから。
有名人というものは厄介なもので、学校では暗黙の了解として天才子役『朝倉啓一』には声を掛けてはいけないというものがある。
暗黙の了解のため実際に聞いたりする訳では無いが、俺が仕事で学校を休んでいる最中に教師サイドから『朝倉啓一』と有名人としてではなく一生徒として接するようにとお達しがあったらしい。
それは案外厄介なもので、学校中がそのお達しを忠実に守っているせいで、誰にも俺に声をかけてこないのだ。人と話しかけるには何かしらの話題が必要だ。
つまりおれに話しかけるにも何かしらの話題が必要になるわけだが、俺に掛ける話題といえば”天才子役『朝倉啓一』”の話題だ。その話題を禁止にされてしまっては誰も俺に声を掛けることはできないだろう。
——ただ一人、倉敷勤を除いては。
いつからだろう。
自動販売機へ向かう理由が時間を潰すためから、倉敷勤に見つけて貰うためになったのは。
「——輩? 朝倉先輩?」
「え、あぁ、すまん」
「それで、アドバイスってなんですか!」
「そうだな。倉敷は一言で言えば優等生だ」
俺の意識を取り戻してくれた倉敷はアドバイスをせがんでいる。
そんな倉敷のことを可愛いとか愛おしいとか、そう思ってしまう。
「優等生ですか?」
「そうだ。自然体にはなってきているとは思う。それでも台本通りだなって感想が勝つ」
「で、でも台本通りにするのが演技……ですよね?」
「そう思う人もいるかも知れない。ただ俺はもっと倉敷勤としての演技を見たい。簡単に言うとアイデンティティが足りない!」
「アイデンティティ……ですか?」
「ん。だからこそ俳優は台本に書かれていないことをするんだ。勝手にセリフを追加したり、台本には書かれていない身振り手振りや行動で演技の幅を広げるんだ。でも倉敷はザお手本って感じ。それが悪いわけじゃない。ただ良いわけでもない」
「アドリブってことですか……?」
「そうだな。アドリブだ」
倉敷もわかっているようだ。
しかし倉敷がやったことがあるのは、高校の演劇部だ。アドリブなんてほとんどやったことはないだろう。だからこそ自分の演技にアドリブを加えるという発想に至らなかったのだと俺は推測する。
「……朝倉先輩はどうして僕に優しくしてくれるんですか?」
「え?」
俺は倉敷からの突然の質問にビクッと身体が跳ねる。
脈が速くなる。
項に冷たい汗が流れる。
「優しくする理由……か?」
「……はい」
「や、優しくするのに理由が必要なのか?」
「……僕は必要だと思います。行動の原動力がすべて善意の人間を僕は知りません」
「その人間が俺かもしれないぞ」
「そう……かもしれません。でも僕と、同じ……。いえ、なんでもないです……」
わかっていた。
倉敷勤は異常なほど朝倉啓一に憧れを抱いていると聞いたときからもしかしたらとは思っていた。
憧れを抱いているからといって、同じ高校に進みたいと思うだろうか。
いや、思うかもしれないが、何をやってもダメだったと自分でも思ってしまうほどの人間がふと見たテレビに映った俺に異常なほどの憧れをいただいて同じ学校へ進学し、そしていつか俺のような演技をしたいという願いから、演劇部に入部をするだろうか。
こんなとき天才子役『朝倉啓一』ならどんな選択を取るだろう。
いいや。
これは天才子役『朝倉啓一』としてではなく倉敷勤のことが好きな『朝倉啓一』としてどんな選択を取るのが正解なのだろうか。
「僕じゃだめですか?」
そう倉敷勤の口から放たれた言葉は先ほどまで一緒に練習していた台本にかかれているセリフだ。冴えない男子高校生が学校一のマドンナに恋をして、振り向いてもらうために奮闘するストーリーだ。
(もしかして……)
この台本は演劇部員が意見を出し合って、それを形にしたものだと聞いた。
だとしたら誰かの願望が形になっていてもおかしくない。
「この台本の意見出ししたのって……倉敷か?」
「……ダメですよ……朝倉先輩はアドリブ入れないでください」
「あっ……えっと、え……」
「僕がステージに立ちたい理由は、その現実では実現できないその夢を実現させたいからです」
彼のそれはアドリブであった。
しかし俺は台本通りに進めなければならないらしい。
「……夢を語るのは美しくないわよ。夢は叶えた後に語るのが美しいんだから」
「それでもいいです。僕はあなたに美しいと思われたいわけじゃない。僕はあなたに好きだと。愛おしいのだと。そう思われたいんです」
俺に迫る倉敷は片膝をつき、まるでプロポーズでもするかのように振る舞う。
こんなコト台本には書いていない。
「僕じゃダメですか?」
まさかこの俺が。
天才子役である『朝倉啓一』が高校の演劇部の大根役者なんかに絆されるわけがない。
いや、今の俺は倉敷勤のことが好きな『朝倉啓一』だったな…………。
差し伸ばされたその手を取るのに、時間はかからなかった。
* * *
「朝倉先輩! 今日も演技指導してください!」
いつものように自動販売機の前で缶コーヒーを購入していると、俺を悩ませる存在が声を掛けながら近寄ってきた。
俺は小さなため息を吐きながら缶コーラも購入し、買ったばかりの缶コーラを勤に差し出す。
しかし勤は差し出している缶コーラではなく、左手で持っていた方の缶コーヒーを盗むようにして取る。
「いつもありがとうございます。今日は缶コーヒーの気分です。だから啓一先輩は缶コーラ飲んでください!」
「……余計なことするなっ」
「余計なことはしてないですよ! 僕が飲みたかったのがコーヒーだったんです。いつもありがとうございます」
「……今日は仕事入ってるから演技指導するのは無理」
「じゃあいつならいいんですか?」
勤はお互いの気持ちを確かめてから、今まで以上に遠慮がなくなったと思う。
コイツは今も昔も俺を悩ませる存在であることに変わりはないらしい。
「明日の放課後なっ!」
―fin―



