好きな子のことを思ってこっそりお弁当を作ってたら余裕で本人にバレてた件



 視界の端からいつも、こちらを伺っている男がいる。鎌原という生徒である。
 俺の好物ばかりを詰めた弁当を、これみよがしに食っている男がいる。これも鎌原という生徒である。
 俺のことが好き……な筈。の、男がいる。やっぱり、鎌原という生徒である。

 面識らしい面識はない。部活は別。委員会は別。クラスは別。接点といえば、古澤の友人、西村と同じクラスで、隣の席。そういう感じなので、実際にその姿を見るまでは、申し訳ないが存在すら知らなかった。後に西村から聞いた話では、一年生の頃から色々と噂になっている人物ではあったらしい。男なのに、美人という言葉が似合う顔立ちで、あまり人と群れない。実際の性格はともかく、気の強そうな雰囲気をしているから、周囲からすれば、親しみにくく、近寄りがたい。高嶺の花、という言葉を文字ったタイトルの曲があって、そこからついたあだ名が、高嶺の初乃さん。全くもってセンスがない。去年作られた名前に今更眉を顰めているのは古澤だけだろう。
 そんな彼の存在をはっきりと認識したのは、二年生になったばかりの頃。古澤が初めて、西村のクラスを訪れた時だ。教室の扉を開け、入り口付近にいた顔見知りに声をかけられながら、目当ての友人を探して顔を上げた瞬間。こちらを見て顔を赤くしたり、青くしたりしている生徒を視界に収めた。サーモグラフィみたいだ。思ったけれど当然、初対面の人間に向かってそんなことを言って良いはずがないので口には出さず、なんでもないようにその席を通り過ぎて、友人と合流する。最初こそ、体調が悪いのかもしれないとか、自分の背後に化け物でも立っていて、そいつを見てしまったが故のリアクションなのかと思っていたが、どうやら違う。この生徒は──鎌原初乃は、紛れもなく自分を、古澤を見て、こんなことになっているのだ。気がついた時は不思議で仕方がなかったが、クラスへの訪問を何度か繰り返すうち、古澤は察した。
 こいつってもしかして、俺のことが好きなんじゃないか?
 自意識過剰ならそれでもいいが、そういうことにすると、あらゆる事象に説明がつく。たとえば、西村との何気ない会話で挙げた好物が、翌日には鎌原の、レシピ本からそのまま出てきたんじゃないかと思うほどに鮮やかな弁当のメンバーに、何気ない顔で加えられていることとか。ハンバーグ。唐揚げ。エビフライ。これだけなら、偶然ということもあり得る。だから古澤はたまに、ちょっと特殊な事情がないと作らない、まして弁当に入れないだろうな、というような料理も、好物という体で口にした。餃子の皮だけ。タコではなく、イカの形をしたウインナー。ナシゴレン。ケバブ。スコッチエッグ。全て、話題に上げた次の日にはきちんと、長方形の弁当箱に収まっていた。精度が高すぎて怖いくらいだった。
 というか、怖い。なぜなら、目的がわからないからだ。もしかして、二人の間にこれといった接点がないから、自ら作ろうとしてくれているのだろうか。そう思っても、鎌原は別に、弁当を見せびらかしてくるわけでも、それを話題に話しかけてくるわけでもない。無だ。ただ、人の好物ばかりが詰められた弁当を作って、誰に褒められることもなく、一人で食べている。

 話しかけてくれればいいのに。
 古澤は、いつからかそう思うようになった。当初抱いていた恐怖は消えて、今はなんだか、本当に不思議なことに、鎌原のことが、健気な良い子に思えてきている。鎌原とは、どういう人間なんだろう。一度、西村に聞いたことがあるが、帰ってきた答えは「鉄仮面で何考えてるかわからなくて、悪いやつではないんだろうけど絡みづらい」だった。つまり、よく知らないということである。そして何より、鉄仮面。これが? 俺を見るだけで顔色を変えて、こちらを見ないように一生懸命、それでも満足げに弁当を広げている、こいつが?
 話しかけてくれればいいのに。思いは日に日に強くなった。いっそ、自分から行くべきだろうか。いやでも「君っていつも俺の好きなものばかり作ってるよね。横から盗み見てたよ」なんて、とてもじゃないが言えない。せめて同じクラスか、何か一つでも他に接点があれば、気兼ねなく声をかけることができるのに。

 そんなことを考えていた、ある日。
 学年中に、そこそこ人気があるらしい校内新聞の最新号が出回って、そうしたら鎌原はもう、教室でお昼を過ごさなくなった。


 ◆


 ──僕の作った料理を、愛しい人が口に運んで、褒めてくれる。それを想像するだけで、天にも昇る心地なんです。まさに料理とは、この世に生まれ落ちた類稀なるエロス。アフロディーテ。ミニチュアピンシャー。

 とても読んでいられなくなって、古澤は校内新聞から目を離すと、貸してくれた生徒に返却する。いつだったか、図書の課題で海外の恋愛小説を読んだ時もこんな気分になった。インタビュー記事、ということになっているけれど、こんなに甘ったるい言葉たちが、本当にあの鎌原の口から出てきたのだろうか。事実なら直接聞いてみたい気もする。
 昼休みの教室は、主に女子たちが繰り広げる、鎌原の噂でいっぱいだった。新聞が出回ってから、ほとんど毎日こんな様子だ。高嶺の初乃、なんてあだ名の人間が、実は毎日、好きな人を思って弁当を作っていた。確かに、余暇で盛り上がるには十分な話題なんだろう。
 その相手が俺だ、とわかったら、周りの人間はどんな顔をするだろう。
 古澤は完食した惣菜パンのゴミを捨てると、西村に別れを告げて教室を出る。そうしてそのまま、自分の教室へ戻る前。そういえば先ほどの授業で、理科室に忘れ物をしていた。大したものではないけれど、こうやって思い出しているうちに取りに行くのがいいだろう。そう考えて踵を返すと、教室棟を離れる。
 校舎内はどこもかしこも騒がしかった。渡り廊下までくると、その喧騒は少しだけおさまって、窓の外には中庭が見える。ここで昼を過ごすのも心地良さそうだ。そう思って視線を向けると、無数にいる生徒の中から、一方的に見覚えのある姿をみつけた。高嶺の花──鎌原は、昼休みだというのに食事を摂る様子もなく、一番隅っこのベンチに腰を下ろして、物憂げに花壇を見つめている。なんだか久しぶりに顔を見た。変わらず、元気でいるだろうか。古澤の足が自然と止まる。

「ねえねえ、聞いた? 鎌原くんの話」

 声は、古澤と同じように渡り廊下の窓から中庭を見下ろし、会話をしている女子生徒のものだった。盗み聞きをしよう、と意気込んだわけではないのだが、知っている名前が出てくると、ついつい意識を向けてしまう。

「お弁当の話?」
「ちがうよ。鎌原くんの好きな人が、北川さんって話」
「えー! なんで?」

 なんで? 思わず口に出そうになって、古澤は慌てて口を閉じる。おそらくは同学年だが、面識のない生徒の会話へ堂々と混ざるわけにはいかない。

「実はあの校内新聞が出る前から、鎌原くんファンの子がこっそりお弁当を観察して、おかずを毎日チェックしてたらしいんだけど」
「えー! それはそれでめちゃくちゃすごくない?」
「ね、よくやるなあって感じ。それで、いまその子が作った”鎌原くんおかずリスト”がクラスに出回っててさ……それを照合した結果、なんと! 北川さんの好物ばっかりだったんだって!」

 いや、俺の好物だが? 思いつつ、古澤は平静を装う。そんな噂をされているとは露知らず、視線の先の鎌原はひらひら泳ぐ蝶々をぼんやり見つめている。

「うーん。でもそれだけじゃ弱くない? 確証ないっていうか」
「まだあるよ。この間、鎌原くんのお昼がコンビニだった時あったじゃん」
「あれは衝撃だったね……」
「その前日に、北川さんが鎌原くんの目の前で、うっかり彼氏いるって言っちゃったらしいの! もうさー、タイミング的に完璧じゃない?」
「あー……なるほど。彼氏いるってわかっちゃったから、お弁当を作るモチベーションなくなって、突然お昼がコンビニになったってことね」
「そうそう! でもまさか、その直後に北川さんが鎌原くん本人に好きな人だれ? って聞きに行くとは思わなかったよね」
「ねー、大胆。でもさ、川北さんって彼氏いるんでしょ? 聞いてどうするつもりだったんだろう」
「まあでも、鎌原くんみたいな綺麗な人に告白されたら、悪い気はしないじゃん。付き合えないけど、告白されたっていう実績は欲しい、みたいな」
「えー、わるいこと考えるなあ」

 くすくす。盛り上がる女子生徒二人から少し離れたところで──古澤は、まったく良い気分ではなかった。
 話にあがっていた日のことは覚えている。古澤も、鎌原がいつもの弁当ではなく、コンビニの袋を取り出した時に、宇宙がひっくり返るほどの衝撃を受けたうちの一人だ。そしてそのあと、女子生徒に好きな人が同じクラスにいるのかと聞かれ、すこしだけ狼狽えたあと、とろけそうに甘い声で「ひみつ」と答えた鎌原の表情も、その後の教室のざわめきも、もちろん覚えている。覚えているに決まっている。
 だってあれは、俺を思って形作られた声色で、表情だ。……確証はないけれど、そのはずだ。それなのに、本来は俺だけのものであるはずのそれらが、どういうわけだか、クラス全員の目の前で惜しげもなく披露されて、挙句、よく知らない女子生徒のものになろうとしている。こんな現実を心地よく受け入れられるはずがない。
 無意識のうち、指先に力が籠った。視線の先、今まで鎌原しかいなかったところに、気がつけば人影が増えている。たぶん、いやおそらく絶対、校則違反な髪色で、制服を好き勝手に着崩して、鎌原の生活とはあまり関わりがなさそうな生徒だ。……まさか、かつあげとか。ちらりとそう思ってしまったが、二人の親しげな様子を見ていると、そういうわけではなさそうだ。勝手に安心していると、その派手な生徒と一瞬、視線が交わる。
 そしてそれから、派手な生徒と鎌原の距離が、露骨に近くなった。まるで、古澤に見せつけているようだ。派手な生徒は声が大きいから、古澤の位置からでも、話している言葉がいくつか聞こえてくる。放課後デート。買い出し。家に行く。……俺、以外と? 自然とそんな言葉が浮かんで──古澤亮司は、限界だった。


 ◆


 脳みそが一度に処理できる情報量には限りがある。それを超越してありとあらゆる衝撃的事実を次から次に詰め込まれると、体は停止、表情筋は硬直、人間は無惨にも、ただの置き物と化してしまう。ちょうど、今の鎌原のように。
 全部、ばれていた。頭からつま先まで、本人に全部。絶対に大丈夫だと思っていたのに、絶対に秘密だと決心していたのに。

「俺がきた理由、わかった?」

 話し終えて、古澤は首を傾げる。家庭科室にきたばかりの頃はどこか拗ねている様子だったが、思いの丈をぶちまけたからだろうか。今はなんだか、満足そうに見えた。訪ねられている。それはわかるのに、ほとんど瀕死の鎌原は、意味のある言葉を作れない。

「え、っと……」
「要約すると、俺のこと好きはなずの鎌原くんが、いろいろなところに思わせぶりな態度を取っているみたいだから、直接真相を確かめにきたって話なんだけど」
「古澤亮司、こえー…」

 流谷が小さな声で呟く。それを視線だけで黙らせると、古澤は「それで」と言葉を続けた。

「どうなの、鎌原くん」
「どう、とは」
「俺のこと、好きなんだよね」

 好き。生まれて初めて聞くような響きだった。これは、現実か? 今からでも夢ってことにならないか? この状況から入れる保険があるんですか?
 古澤は、答えを聞くまで鎌原を逃すつもりはないらしい。向かい合って距離を詰めて、誰であっても邪魔をされないように。意志の込められた視線が、真っ向から鎌原を射抜く。勘弁してほしい。鎌原は命乞いがしたかった。だって、人生で初の一目惚れをしちゃうような顔面がこの距離にあって、自分だけを写していて、それで。
 大丈夫、今ならまだ間に合う。だって古澤には確証がない。まあもうほとんどばれているに等しいけれど、ここで鎌原が首を横に振れば、まだ古澤の勘違いだった、ということにできなくもない、ような気がする。だから、言え。違いますって、早く。早く否定して、古澤をこの一件から解放してあげないと。
 指先が震えているのに気がつかないふりをして、鎌原は体にぐっと力を込める。大丈夫、俺ならできる。ここぞというときの度胸ならあるって、散々思い込んできただろう。そうやって自分に言い聞かせ、覚悟を決めて顔を上げると、視線の先には、こちらを見下ろす古澤がいる。輝きは黒曜石のようなのに、確かな熱を籠らせる虹彩が、鎌原を捉えて離さない。
 ──その瞳に溶かされたい、と思った。

「……す、好き……です……」

 脳内が自分へのブーイングで包まれる。言っちゃったじゃん、普通に。何してんのまじで。自問自答を繰り返しても、そこに論理的な答えはない。これから先も、用意できる気がしない。

「……うん、そうだよね」

 古澤が満足げに微笑む。緩やかに持ち上がる口角。少しだけ赤く染まった頬。そんな顔は初めてみた。心臓がありえない音を立てて、体温が急上昇する。このまま溶けて、液状になっても不思議じゃない。鎌原が自分の頬に手を当てていると、古澤がその手を奪って、大きな両手で握りしめた。ひえ。鎌原の口から悲鳴が漏れる。

「あ、あの、古澤、くん?」
「鎌原くんは、俺のことが好きだよね」
「……は、はい」
「うん、ありがとう。それでね、ここへくる途中に気がついたんだけど、俺も鎌原くんのこと、気になってるっぽい」
「えっ…えっ!?」
「だから、鎌原くんがもし、まだ俺のこと好きなら」

 握りしめた手の指を解いて、絡める。手をつなぐ、というよりは、祈るみたいな形だった。古澤が、自身の胸元に鎌原の手を招く。どくどくと忙しない鼓動が伝わってきて、鎌原はそこで初めて、古澤の緊張を理解した。

「恋人になろうよ。知ってると思うけど、俺けっこう強いし、買い出しの役にも立てると思うし、何より──鎌原くんが作る料理なら、誰よりもおいしそうに食べられる自信あるよ」

 ──理解が現実に追いつかない。
 言葉の意味は、わかる。だってどれも知っている単語だ。鎌原は古澤のことが好きなので、それはもう、視線一つで骨抜きにされるくらいに好きなので、古澤と親しくなる妄想だって、幾度となく繰り返してきた。だからこういうシーンも、頭の中で思い描いたことくらいはある。あるけれども、まさか、現実になるなんて。
 恋人。頭の中で反芻する。恋人。恋人って、世間一般がイメージしているような、あれ? 俺と古澤くんが? 本当に? ていうか、気になってるの? 俺のことを? あの古澤くんが?
 空いている手で、頬をつねってみる。当然、目の前の光景は変わらない。ただ、首を少し傾ける古澤がいる。その顔がたまらなく可愛いと思った。

「どうかな、鎌原くん」
「……ま」
「ま?」
「……まずは、お友達、から…」
「…いや、付き合えよ!」

 この日一番の大声を出す、流谷の近く。古澤は少しだけ驚いたような顔をした後「それでもいいよ。俺、勝ちたいと思った勝負には負けたことないし」と、自身たっぷりな様子でそう言った。