好きな子のことを思ってこっそりお弁当を作ってたら余裕で本人にバレてた件


 ──本日はお時間をいただきありがとうございます、二年C組鎌原さん。

「こちらこそ。しがない一般家庭科部員である俺なんかに、わざわざ君たち新聞部の貴重な時間とページを割いてくれてありがとう。すごく光栄だし、嬉しいよ」

 ──えっと…。今回の企画は"校内の隠れた有名人を取材する"というものなんです。鎌原さんのお弁当がSNSで大きな話題になってから数日が経ちますが、何か身の回りで反響等ありましたか?

「特に反響はないかな。もともと友人が多い方ではないし、あの投稿だって、家庭科部の後輩が勝手にやったものだからね」

 ──家庭科部の後輩というと、一年A組の流谷くんですね。僕、同じクラスなんですよ。

「あれ、そうなんだ。じゃあアイツの自由奔放っぷりも知ってるだろ。やめろと言ったらやるし、やれと言ったらやらない。そんな感じで、俺の弁当を勝手に隠し撮りして、それが何故だか拡散されてしまって…」

 ──では、あの投稿は偶然だったんですね。投稿は今も伸び続けていて、とても男子高校生が作ったとは思えない、かわいくて美味しそうといったコメントがついています。鎌原先輩本人の写真も見られているようですよ。

「ん? 俺の写真も載っているのか?」

 ──はい。顔は写っていませんが、ちょうどあそこ…家庭科部の調理場ですね。そこで料理をする先輩の後ろ姿とか、野菜を切る手元とか。

「…アイツ、最近何かコソコソしてるなと思ったら、そんなことを…」

 ──すみません、少し話が逸れてしまいました。それでは、話題となったお弁当について──


 ◆


「──これは全ての料理に共通する真理だが、結局、出来立てが一番おいしい。そんな中で、弁当は“冷めてから完成する作品”なんだ。時間が経てば、あらゆる食材の水分量が変わるし、そうなると、苦労して調整した味は当然ぼやける。だから俺は、最初から“冷めた状態”を基準に設計する。彩りだってもちろん気にしてるけど、何度も言うように写真のためじゃない。視覚で味を補完するため…まあ。わかりやすくいうと、茶色一色よりカラフルな方がテンション上がるだろ。そういうことだ」

 ──なるほど、参考になりました。

「本当に? わかった?」

 ──ええ、とても。最後に、一つ質問をさせていただきたいのですが。

「はあ。弁当や料理に関連することならいいよ」

 ──鎌原さんは、そういったこだわりの詰まったお弁当を、毎日作っていますよね。すばり、モチベーションとなっているものは何ですか?

「モチベーション?」

 ──毎朝早起きをして、自分でお弁当を作るのって、結構大変だと思うんです。僕も親に負担をかけたくないと思って一時期挑戦していたんですが、一週間も続かなくて…なので、何か継続する秘訣があるなら、教えていただきたいと思いまして。

「……これを食べた相手がどんな反応するか想像をすること、かな。弁当箱を開けたときのリアクションや、口に入れた瞬間の表情。おかずを食べる順番だとか、そういう細かいところまでね」

 ──えっ。

「何だよ」

 ──すみません、少し驚いてしまって…。

「おかしなことは言ってない。俺の作った料理を、相手が口に入れ、咀嚼し、飲み込む。栄養バランスや彩り、そしてコスト。時間による劣化にも配慮しつつ、相手の好きなものを散りばめた至高とも言える作品が、届けたい相手に正しく評価されているところを想像してごらんよ。これに勝る幸福ってないだろ。それが毎日、学校帰りに買い物へ行って前日にある程度具材を仕込んで、朝ちょっと早く起きて料理やら情熱やら何やらのすべてを弁当箱に詰め込む、って作業を続けるモチベーションだね」

 ──なるほど。お弁当、自分の分以外にも作られているんですね。益々すごいです。失礼ですが、お相手は彼女さんとか?

「彼女? いないけど」

 ──では、お友達? 鎌原さんのお弁当を毎日食べられるなんて、羨ましいです。

「いや、誰の分も作ってないよ。毎日俺の分だけ。一つ」

 ──……それでは、どなたを想像して?

「……もういいかな、この話は。料理の話と関係がないと思うし。他に質問ある? ないなら今日は、この辺で失礼するよ」





「新聞部ってのは、性格が曲がったやつしかいないのか?」

 新聞部に頼み込まれ、インタビューを受けてから一ヶ月と少し。パーテーションにより、調理場と裁縫場で別れている広い家庭科室の隅で、鎌原は大きなため息を吐いた。それから、目の前にある長机に、今朝拾ってきた校内新聞を放り投げる。あれだけ熱心に料理や弁当について語ってやったのに、見出しは次の一文に占拠されていた。

”バズり弁当の製作者、鎌原初乃に想い人!? 愛しい相手を思い、毎日弁当を作り続けるその心境を独占インタビュー”

「プライベート侵害罪だ。俺が大きい声で怒ったら、きっと新聞部は廃部になるぞ。オマエと同学年のインタビュアーと、俺の写真を無遠慮に撮りまくっていたあの女子生徒に、今日という日を生涯にわたり後悔させてやる」
「インタビュアーはともかく、あの女の子は新聞部じゃなくて写真部っすよ。てか、プライベート侵害罪ってなんですか? 聞いたことない。存在する?」
「いや。今作ってみた」
「だと思った。ただでさえ馬鹿な俺の頭に、変な言葉インプットすんのやめてください」

 机の向かい側、家庭科部の後輩である流谷が、スマホを片手にのんびりと答える。鎌原はもう一度新聞を手に取り、くしゃくしゃに丸めてやろうと考えて、やめた。あまり破壊してしまうと、紐で縛って古紙回収に出せないからだ。

「まあ。こんな変な記事出されちゃったのはカワイソーだけど、家庭科部より新聞部の方が人数多いし、この校内新聞もまあまあ人気なんで、鎌原先輩が大きい声出しても勝ち目ないと思いますよ」
「人気だから良いとか、人数が多いから正しいみたいな考え方はいい加減見直されるべきだ。というか、そもそも流谷が勝手に写真なんか載せるから俺がこんな目に」
「それはもう散々謝ったじゃないですかあ。俺だって身内向けアカウントに何気なく投稿したつぶやきが、あんなに拡散されて大勢に見られて、朝のニュースにまでなっちゃうとは思ってなかったし」

 最近のニュースには、一般人の注目を集めたSNSの投稿を取り上げるコーナーなんていうものがあるらしく、鎌原は実際に見ていないが、どうやらそこでも流谷の投稿と、弁当の写真が紹介されたらしい。新聞部が鎌原のところへやってきたのも、これがきっかけだ。流谷が数度の脱色で傷んだ頭をぺこりと下げる。謝りつつ、弁当の写真が話題になった後も、鎌原の料理風景などをせっせと投稿しているところを見ると、あまり反省はしていないのだろう。何なら、もう一度注目を集めてやろう、と企んでいる気配すら感じる。
 とりあえず、新聞部の取材はもう受けない。当分は口もきいてやらない。少数派には少数派なりの戦い方があるのだ。鎌原が心に決めていると、ようやくスマホを置いた流谷が、突然真剣な声を出した。

「それより、大丈夫なんですか?」
「何が」
「鎌原先輩の好きな人。こんなに大々的に取り上げられたら、向こうにバレちゃいませんか? 想像して弁当作ってるってことは、好物とかも知ってるってことだし、結構親しい仲なんでしょ」
「ああ……」

 一応、彼なりに鎌原のことを慮ってはいるらしい。鎌原は一瞬、家庭科室の外に目をやる。窓の向こうには、気持ちが良いほどの青空が広がっていた。

「それは、絶対に大丈夫」
「ほんとにぃ?」
「ほんとに。それより、今度の買い出しについてなんだが…」


 ◆


 昼休みの教室は、思い思いに賑わっている。一目散に購買へ走る生徒。待ち合わせて中庭へ移動する生徒。次の授業のため、教科書を開きながらパンを齧る生徒。その喧騒に混ざって、鎌原は鞄から弁当を取り出した。今日も今日とて自信作だ。
 ふと、教室の前方の扉から、とびきり体格の良い男子生徒が入ってくる。──来た。思いながらも態度には出さず、鎌原は背筋を伸ばす。沸き立つ感情を殺し、冷静さで外装をコーティングする。こんなことはもう、一年生の頃から何度も繰り返していたから、今ではすっかり慣れたものだった。男子生徒は大きな体で教室を狭そうに移動して、教卓と黒板の隙間をうまく潜り抜ける。そして、道中他の生徒に声をかけられながらもようやく、鎌原の席へ辿り着き──

「西村、お疲れ」
「おー、おつかれ古澤!」

 かと思えばそのまま素通りして、鎌原の隣に座る男子生徒、西村へ声をかけた。鎌原に対しては、声をかけるどころか視線すらよこさず、まるで眼中にない。当然だ。だって鎌原には、たった今入ってきた男子生徒、古澤と特に面識がない。名前を知られているかどうかすら怪しい。鎌原はもちろん、知っているけれど。
 古澤亮司。二年A組。二年生にして、剣道部の部長。スポーツ特待生としてこの学校へ入学し、大人たちの期待通りの成績を納め続けている男。血液型はA型。趣味は体を動かすこと全般。好きな食べ物はハンバーグ。三日前までは唐揚げ。苦手な食べ物は里芋。ただし、すりおろしたものや揚げたものなど、少し加工をすれば大丈夫。身長は百八十五センチ。体重は八十三キロ。握力は……

「古澤、また飯それ? よく飽きないよな」
「うん。上手くて、これ」
「弁当は?」
「二限の後に食べた」
「相変わらずの早弁…」

 そんな会話が聞こえてきて、鎌原の思考は中断される。ちらり。自然な動作で隣の席の様子を伺うと、古澤が惣菜パンの包装を破っているところだった。大きいコッペパンに、厚みのあるハンバーグが二つも挟まっている、購買の商品でも特に男子生徒から人気の品だ。

「古澤はそれのどこが好きなの? ハンバーグ? コッペパン?」
「ハンバーグ。濃い味付けが良い」

 …なるほど、濃い味付け。思いながら、鎌原は頭の中にある”古澤フォルダ”にメモを追加する。しかし、いくら好きだからって肉だけではだめだ。きちんと野菜も食べなければ。そうしたら、明日の弁当は…。

 ──と、いうような感じに。

 鎌原初乃、どこにでもいる普通の男子高校生。入学式で見かけた古澤亮司に人生初の一目惚れ。……した、のをようやく認め、自覚をしたはいいものの、二人の間には接点がまるでない。剣道部と家庭科部。文化祭実行委員と図書委員。二年A組と二年C組。文系と理系。そんな垣根はぶっ飛ばして、堂々と接点を作りにいけるような性格であれば良かったが、残念ながら鎌原は、社交性やら愛嬌などとは対局のところに身を置いている。つまり、きっかけもないのに話しかけらんないよ、ということである。そんな状態なので、古澤とは友人どころか、知り合いにもなれないまま一年生が終わり、このまま名前をつけられるような関係にはなれずに三年生まで進むんだろうな…と。半ばもう諦めて、最近では、何とか自分の気持ちに決着をつけ、新たな趣味でも何でも見つけて、前向きに生きる術を探していたところだった。

 しかしながら二年生になって、西村という男が隣の席になると、状況が変わる。当初は知らなかったが、なんと彼は、たまたま古澤と同じ中学出身、かつ友人という、奇跡みたいな身分の持ち主だったのだ。そのため鎌原は、毎日の昼休みに古澤が自分の教室、しかも座席の近くまでやってきて、さらには好きな食べ物の話を惜しげもなく披露してくれる。のを、こっそり聞くことができるという、好立地を手に入れることができてしまった。初めて自分のクラスに古澤が現れ、尚且つこっちに近寄ってきて、隣の席に腰を下ろした時はこのまま死んでしまうのかしらと思うくらいに汗が止まらなかったが、今では西村くんマジでサンキュー、という気持ちである。
 そしてそこから、鎌原のあまり大っぴらにはいえない趣味が始まった。いえないとか言いつつ校内新聞の一面を飾ってしまった現実には取り急ぎ目をそらすとして、盗み聞きした古澤の情報を元に、鎌原は明日の弁当を考える。毎日毎日考えて、古澤の好きそうな弁当を毎日作って、毎日、自分で綺麗に完食する。自産自消の四文字を背負い、それでも鎌原は小さな幸せを得ていた。
 だって、君の好きなものを勝手に調べて、君のことを勝手に考えて、勝手に弁当を作ったから食べてください、なんて、正気を失わなければ言えない。まして、君のことが好きです、なんて。
 名前のついた関係になるよりも、下手に行動をして嫌われるよりも、遠くから見守っていたい。嫌いというよりは、無関心がよい。古澤を目の前にして、改めて自分自身の気持ちと向き合ったとき、鎌原が至った結論だった。

 というわけで鎌原は、この気持ちを外に出すつもりはないし、弁当の件だって、古澤本人には知られるはずがない、という確信を持っている。そもそも、会話をしたことがない。目が合ったことだって一度もない。そんな相手が、自分のことを思いながら弁当を作っているなんて、古澤自身夢にも思わないだろう。だから鎌原は、家庭科室で流谷に”本人に気持ちがバレることはない”と断言した。
 けれど、少しだけ不安になっていたのだろう。いつもより早い鼓動を自覚すると、自分を宥めて、弁当に手をかける。
 ふと、視線を感じた。顔を上げると、クラスメイト数人が鎌原の手元──正しくは、これから開示されるであろう弁当の中身を、興味深そうに観察していた。何かおかしなことが? 考えて、先日散々怒り散らかした校内新聞を思い出す。
 ……たしかに。あんな記事が出た後では、どんな弁当なのか気になる……か?
 思考を納得に傾けつつ、さっぱり理解できない。どうして、特別仲が良いわけでもない、一クラスメイトである俺の恋愛事情が気になるのだろう。鎌原は、解いたばかりの弁当を包み直し、席を立つ。別に視線なんか気にせず、ここで食べたってよかったのだが、何だか居心地が悪かった。
 ──古澤も、あの新聞を読んだのだろうか。流谷が、けっこう人気だと言っていたし、手には取ったのかもしれない。想像すると、心臓がいつもとは違う動き方をする。脳裏に浮かぶのは、心底嫌そうな古澤の顔だ。え、俺を思って弁当? 毎日? キモ。会話すらしたことがないのに、そうやって自分を遠ざける古澤の顔だけは、まるで本物みたいに想像できてしまうから不思議だった。
 ……絶対、大丈夫。大丈夫だ。何度も言うが、古澤と鎌原の間には接点がない。こんな状況で気持ちが古澤に伝わってしまうなんて、それこそ太陽が西から登るとか、氷河期の氷から恐竜がそのまま出てくるとか、そのレベルの話だ。とても現実的ではない。
 現実じゃない。


 ◆


「氷河期の氷から恐竜のものと思われる爪、発見」

 朝のニュースを聞き流し、鎌原は家を出る。担いだ通学鞄がいつもより軽く感じるのは、弁当が入っていないからだろう。特に心境の変化があったわけではなく、ただ単に寝坊をした。男子高校生なのだからそういうこともある。それに、昨夜は考えごとばかりでよく眠れなかった。そもそも、毎日作ってるのが普通、みたいなこの空気がおかしいのであって、など。誰に責められているわけでもないのに、心の中でいろいろな言い訳をしながら学校へついて、あっという間に昼休み。通学中に買ったパンを机の上に出すと、教室が少しざわついた。隣の席には古澤がいるが、相変わらず目すら合わない。

「あの、鎌原くん」

 聞き間違いかと思ったが、どうやら違う。このクラスで、自分に用事がある生徒なんているのだろうか。不思議に思いながら顔を上げると、話したこともない女子生徒が立っていた。

「…何?」
「鎌原くんの好きな人って、このクラス?」

 前置きも何もなかった。話しかけられたこと。その話題。鎌原がいろいろなことにびっくりしていると、少し離れた場所で、別の女子生徒数人がこちらの様子を伺っているのが見えた。

「……なんで?」
「何となく…ね?」

 何か、含みがあるような言い方だと思った。女子生徒は振り返り、背後にいる仲間たちと視線を合わせて、くすりと笑う。あまり好きじゃない雰囲気だった。こういう時、社交性と愛嬌を持ち合わせている人間ならうまく切り抜けるのだろうが、鎌原は違う。違うので、ぎこちない表情のままパンを掴むと、静かに席を立つ。

「…ごめんね。それはひみつ」

 なけなしのコミュニケーション能力で、言葉に棘が生えないようにと気を遣ったら、まるで小さな子供に話しかけているみたいになった。これでは逆に馬鹿にしていると思われるのではないだろうか。どうしよう、明日から幼児語弁当キモ男みたいなあだ名がついたら。ああ、もう。対人関係にもレシピ本があればいいのに。考えたら止まらなくなって、追加で何か言葉をかけてこようとした女子生徒の横をすり抜けると、逃げるように教室を出る。廊下へたどり着いた時、背後からきゃあ、と湧いた声が聞こえたような気がしたが、それ以上深く考える元気も余裕もなかった。
 やっぱり、新聞部のインタビューなんて受けるんじゃなかった。


 ◆


 中庭は、鎌原の心境と反し、信じられないほど穏やかだった。柔らかい風に木々が揺れ、小鳥が囀り、雲はゆっくりと流れる。周囲はすでにお昼を終えた生徒ばかりで、思い思いの雑談に興じていた。鎌原は食事を摂る気になれず、ぼんやりしながら、その景色の一部に加わる。一番隅っこの、一番苔に覆われているベンチ。ここが最近の定位置だった。

 疲れている。ものすごく。とんでもなく。

 ここ数日、鎌原は教室でお昼を食べていない。お昼に教室へ居ないということは、もちろん古澤の最新メシ事情も把握ができていないということで、当然、弁当自体も作れていない。原因はわかりきっていて、校内新聞プラス、あの女子生徒の一件だ。直接声をかけてきて以来、特に何かコンタクトがあったわけではないのだが、連日、遠巻きに弁当の内容、というか、鎌原のお昼を気にしているのが、手に取るようにわかる。そんな中で呑気にお食事なんて、ここぞというときの度胸だけはある、と自負している鎌原にも無理なことだった。
 初めて話しかけられた時、誤魔化さずに言えば良かったのだろうか。まさか。本人がすぐそこにいるのに、言えるわけがない。ありもしないことを適当に答えようか。いや。偶然、その特徴に当てはまってしまう人がいるかもしれない。これは、自分の中に秘めると決めた感情だ。偶然の産物であっても、誰かに迷惑をかけるようなことは避けたい。じゃあどうすれば良かったんだよ。わかんねえ。疲れた。

「あれー、先輩だ」

 聞き覚えのある声がして、顔をあげる。視線を向けると案の定流谷がいて、鎌原にむけて手を振っていた。それから、背後に引きつれていた派手な生徒たちに別れを告げ、小走りで近寄ってくると、特に断りも入れず鎌原の隣に腰を下ろす。羨ましいくらいの気やすさだった。態度も表情も、何もかもが軽くて、そのまま空へ飛んでいくんじゃないだろうか、と思うほどだ。本人には絶対に言わないが、鎌原は流谷のこういうところが、すごく羨ましい。

「珍しいっすね、先輩がお外でご飯なんて。しかもコンビニ飯」
「……モチベーションがなくて」
「あら…」

 特に何か、意味を含ませた言い方をしたわけではないのだが、流谷は何かを察したように口元へ手を当てる。それから、鎌原の肩をぽんぽんと叩いた。

「大丈夫、先輩。女なんて星の数っすよ」
「…その言葉と俺に、何か関係が?」
「人間の数だけ出会いはあるぞってことです。ていうか、失恋の後ってなんか、世界輝いて見えません? 吹っ切れるというか、すれ違う人全員に対して”あ、もしかしたらこの人が俺の恋人になるかも知んない”って思いながら歩くのが楽しい、というか」

 何を言っているかは正直よくわからないが、流谷なりに鎌原を励まそうとしてくれているのだろう、ということはわかる。別に、落ち込んでなんかいない。なんて、いつものように捻くれてもよかったが、この時ばかりは、流谷の気持ちをありがたく受け取ることにした。鎌原が口角を持ち上げると、流谷も嬉しそうにする。
 しばらくそうして、いつも家庭科室で交わしているような雑談をしていた。お料理配信しましょうよ、絶対人気出ますよ。興味ないし嫌だ。そんな会話をしている途中、ふと、流谷の視線が、校舎を見上げてぴたりと止まる。軽口ばかりを放っていた口がへの字に曲がって、首がわざとらしく傾いた。黒板に書いてある文字がよく見えない時みたいだ。

「……うーん」
「どうした?」

 聞き返すが、答えがない。唸るばかりの流谷に痺れを切らし、鎌原は視線の先を追おうと首を伸ばす。寸前で、がし、と肩を掴まれて阻止をされた。

「痛いな。なんだよ」
「…ねえ、先輩? 今日は食材の買い出し、行きますか?」
「いや、今日は」

 行かない。というか弁当自体、しばらく作らない。少なくとも、あの校内新聞の存在が風化するまでは。答えようとして、流谷がやたら近くにいることに気が付いた。常時、人との距離感がおかしいやつではあるが、いつもは今日みたいにべたべたと身体を触ってきたりしない。…最近、いつもと違うことばかり起こるな。鎌原が思っていると、流谷が立ち上がり、かと思えばもっと近くに座り直す。肩と肩がくっついて、狭いし窮屈だ。離れたいが、鎌原の横にはもう余分なスペースがない。

「えー? せっかく先輩と放課後デートできるかと思ったのに」
「変なこと言うなよ、ただの荷物持ちだろ」
「うんうん。俺、力持ちだもんね。散々見せてあげたから、先輩も知ってるもんね?」
「知ってるけど…」

 ……なんか、変な言い方だし、声色だ。まるで、何かを楽しんでいるような。鎌原は、二足歩行の黒猫をみるような目で流谷を見つめる。本人は、それを全く意に介さない。

「じゃあさ。今度買い出し行く時、終わったら先輩の家行っていい? 先輩が作ったホットケーキ、また食べたい」
「別に構わないが……家庭科部の全員から”えっこれケーキなの? お煎餅作ってるのかと思った”と言われたあれをまた食べたいのか……? 本当に…?」

 ますます奇妙だ。もしかしたら熱があるのかもしれない。…今度、何か栄養があるものを作ってやるか。口元に手を当てて考え込んでいると、流谷の弾むような声がする。

「…ふーん、なるほどね」
「……さっきからオマエ、なんか様子変だぞ。どうした?」
「先輩。俺、新しい趣味見つけました。けど、先輩の邪魔したくないんで、ほどほどに楽しもうと思います」
「…よかったね?」

 よくわからないが、本人が満足をしているのなら、それでいいのだろう。首を傾げながらも頷くと、流谷が鎌原の手を握り、ぶんぶんと振り回す。随分気合の入った握手だな、と呑気に思った。


 ◆


 放課後。家庭科室には静かな時間が流れている。今日は予定のある生徒が多いらしく、部活に参加しているのは鎌原と流谷だけだ。その流谷も、先ほどちょっと自販機で飲み物買ってきますと言って出ていってしまったので、調理場と裁縫場を含めた広い教室には今、鎌原一人が残されている。

 規則正しく動く秒針を見つめながら、鎌原はため息を吐いた。結局気分になれなくて、お昼を食べなかったのが原因か、諸々イレギュラーが多いせいか。鎌原には判断がつかないが、おそらく後者だろう。
 まさかあの校内新聞が、ここまで影響を及ぼすなんて。
 卑屈になっているわけではないが、友達が少なく、校内での知名度だってもちろんない自分なんかの記事が注目を浴びるだなんて、鎌原は夢にも思っていなかった。最初のうちは、記事の存在が薄れればまた以前のように過ごすことができる。なんて思っていたけれど、この様子だと少し、厳しいかも知れない。かといって、僕は失恋しましたから思い人を想像して作成した弁当はもう存在しません。以降は放っておいてください。なんて嘘を、堂々とばら撒くような勇気もない。鎌原はもう一度息を吐く。
 ……もういっそ、やめるべきなのかも知れない。
 何事にも、引き際や潮時というものはある。多分、今がそれだ。そもそもこんな、言葉を選ばずにいうなら激キモ卑劣弁当趣味が許される道理なんて、はなからなかったのだ。ばれる前に自ら手を引け。さすれば、今の処遇で許してしんぜよう。うちなる誰かの声が、頭上から聞こえる。妄想だ。十分にわかっている。わかっている、けど。

 好きだ、と思ったのは本当で。

 入学式。プログラムが一通り終わって、退場をする時。すれ違った横顔に、一瞬で全てを奪われた。あの時だけ、視界に映る景色の解像度が変わって、なんだかまるで、映画の中み引き摺り込まれたみたいだった。主役はもちろんあの人。自分はモブの中のモブ。同じフィルムに収まるのを、奇跡的に許されている存在。今まで好きな人はおろか、恋愛自体に興味がわかなかったのは、きっと古澤亮司という存在を知らなかったからだ。彼を置き去りに、自分の人生へ恋だの愛だのが介入してくるなんて、想像がつかない。
 けれど、所詮はただの一目惚れだ。鎌原は、古澤のことを深く知っているわけではない。自分が見聞きした情報で構成した古澤を、自分勝手に愛でている。こんなのは、お人形遊びと変わらない。だから。だから。だから。
 それを、進展をさせる勇気がないなら。ただ一方的に好きだと思って、傷つける傲慢さも、傷つく度胸も持てないなら。何も変わらない関係を望むなら、何も行動に移すべきではなかった。これはきっと罰だ。自分がそうしたいから、この気持ちを何か別の手段で消化したかったから、中途半端に表へ出してしまった。そんな都合の良い奴が、何のお咎めも無しに元気よく過ごしていて良いはずがない。
 やはり、もう弁当はやめよう。明日からは、正真正銘、普通の男子高校生として生きていく。鎌原が決意を固めた時、家庭科室の扉が勢いよく開いた。

「先輩、お客さんですよ!」

 流谷の大きな大きな声が、人気の少なくがらんとした家庭科室に反響する。上の階の教室まで響いたんじゃないだろうか。鎌原が、それに負けないくらいに大きなため息を吐きながら、ゆっくり振り返る。

「俺に客なんて来るわけない。どうせまた新聞部だろ、今度は一体何を」

 書くつもり。続けようとした言葉が、舌の上から喉の奥へと逃げていった。音をなくした口が開いたままになって、みっともないと思うのに、戻せない。身体を反転させ、視界に収めた家庭科室の入り口。先ほどまではなかったのに、いつの間にか大きくて黒い壁が建立されている。いや、壁ではない。いや。

「鎌原くん、こんにちは」

 ふるさわりょうじ。
 そんなひらがなを思い浮かべたのを最後に、鎌原の思考は停止した。眼球だけがかろうじて動いて、こちらへ歩み寄ってくるその姿を追う。生きてる。動いてる。ほんもの。ていうか名前、呼ばれた。名前、知ってた。知られてた。幼稚な言葉ばかりが渦巻いて、人間らしい行いが一つもできない。そうこうしているうちに、生きて動いている本物の古澤が、鎌原の目の前までくる。恵まれた体格。利発そうな表情。厚い唇。微かに日向の匂い。なんだこれ、何が起きているんだ? 完全に放心している鎌原を哀れに思ったのか、入り口で様子を見守っていた流谷が慌てて二人のそばへ駆け寄ると、鎌原の背中を叩く。そこでようやく現実へ帰ってくることができて、鎌原は慌てて口をひらいた。

「こ、こんにちは。本日は、お日柄もよく、三角定規の満員御礼でして」
「先輩、日本語おかしいっすよ!」

 お水! 言いながら、流谷が自販機で買ってきたのであろうペットボトルを渡してくれる。地獄で仏だ。いや、古澤は別に地獄の擬人化ではないけど。お礼を言いながら、ラベルも見ずに蓋を開け、躊躇いなく口内へ液体を招き入れたら、舌がとれそうになった。激薬かと思った。信じられない気持ちで手元を見ると、やたらとメルヘンなフォントでおしるこサイダーと書いてある。……そういえば流谷は、味覚音痴を治したい、とかいう前代未聞の理由で、家庭科部へ入ってきたんだっけ……。鎌原がしみじみしていると、成り行きを黙って見守っていた古澤が、二人の間に身体をわり込ませてきた。それほど無理やりな動作ではなかったが、古澤の体格だからだろうか、なかなかの迫力だ。鎌原は一歩だけ後退し、流谷は少しよろけたが、それでもどこか楽しそうに、自身へ背を向ける古澤を見上げている。

「…俺、あんまり話が上手じゃないから、単刀直入に聞くんだけど」

 口をひらく古澤は、少し気まずそうだった。対する鎌原は、いつも横から盗み見るだけだった人物と、向かい合っているという現実。話しかけられた喜び。一体何を言われるんだろうという恐怖。いろいろな感情に襲われて、顔を赤くしたり青くしたりしている。しかしその前で、古澤ももしかしたら、同じくらいに緊張しているのだろう。いつもの彼らしくなく、何度か自分の髪を触って、視線をいろいろなところに泳がせた後。ようやく決心したように、鎌原としっかり目を合わせて──

「鎌原くんって、俺のことが好きなんじゃないの?」

 確かに、そう言った。