四月、桜が咲く季節。
家から電車とバスを乗り継いで約一時間。高校に入学して、最初の週のこと。体育館で行われた部活動紹介で、うちの高校は写真部が有名らしいと知った。
「全国高校生写真コンテストで最優秀賞を受賞した部員もおり――」
写真のコンテストなんてあることに少し驚いたけど、それ以上に興味をひかれた。
「北野は部活どうすんの?」
体育館を出たところで話しかけてきたのは、同じクラスの井上。俺より少しだけ高い背に、茶色い髪の毛。幼い顔立ちのせいか、おろしたての高校の制服に着られている感じがする。……まあ、それは俺も同じか。
「んー、とりあえず文化部かな。運動部はなし」
「ああ、俺も。練習キツそうだしなー」
井上は軽く笑った。
俺が運動部に入らない理由は、それだけじゃない。中学からの知り合いがいない高校を選んで良かった。
教室に向かう途中、昇降口前の廊下に人だかりができていた。
「なんだろ」
「あー、写真部のやつじゃね? コンテストで賞取ったって」
井上と顔を見合わせる。言わずとも、お互い意見は一致したようだ。ミーハー心で後ろに並び、人波に押されるように前へ出る。
その写真を見た瞬間、息が止まりそうになった。
「これ……」
薄紫色と黄色が溶け合う、朝焼けの写真。構図からして、橋の上から撮ったのだろう。
息を吐いたのは、あまりにも綺麗だったからじゃない。この景色を、知っている人が自分以外にもいるんだと思ったから。
***
部活の見学ができる仮入部期間は、次の日から始まった。
放課後、バイトの面接に行くという井上と別れて、写真部の部室に向かった。ドアを開いて、最初に目に飛び込んできたのはサッカーのユニフォームを着た男子生徒だった。
部室には他に誰もおらず、ひとりで受付と思しき机に座っている。
「ん?新入生?」
「……あの、ここ、写真部で合ってますか?」
「合ってる合ってる。俺、サッカー部と兼部してるんだよね。紛らわしくてごめんな」
ユニフォームの裾をつまんで笑う。強面な印象とは裏腹に、良い人そうだ。
受付と向かい合っている席の椅子を引いて、説明を聞く。
「二年の葉山忍です。普段はサッカー部に行ってるからあんま来られないんだけど、月一の定例会には顔出してる。よろしくな」
葉山先輩から活動内容を一通り聞いたあと、ずっと気になっていたことを尋ねてみる。
「あの、廊下に飾ってある写真って……誰が撮ったんですか?」
「あー、あれね。二年の南。南遊星ってやつ」
「南先輩……」
「仮入部期間は来てないけど、学校にはいると思うよ。たまに他の部活の写真撮ってたりするし」
「そうなんですか……」
少し残念だけど、仕方ない。写真部に来れば、そのうち会えるだろう。
葉山先輩は机の上から紙を取った。
「これが仮入部届。一週間見学できるから、決めたら本入部届を――」
「あ、もう入部決めてるので。本入部届、もらえますか」
「お、即決?」
葉山先輩が嬉しそうに笑った。
***
「失礼しました」
本入部届を受け取って、部室を後にする。
入部には保護者と担任のサインが必要らしい。家に帰ったら説明しないといけないな、と考える。
三階の廊下は三年生の教室が並んでいて、普段は通らないから新鮮だった。
三階と二階をつなぐ階段の踊り場は、窓が開いていた。校舎脇の桜が風に揺れていて、それをぼんやり眺めていると、不意に窓へ人影が映った。
「……え?」
窓の外側。桜の木の上に、人がいる。
「そこの人〜!」
周りを見回しても誰もいない。恐る恐る窓から首を出して見上げると、男子生徒が白い子猫を抱えていた。
「その脚立、押さえててくれないー? 猫いるから両手塞がってて」
「はあ……」
急いで一階まで降りて、木の下に駆け寄った。
脚立を両手で支えると、上から安心したような声が降ってきた。
「ありがとうー!今降りるから!」
その直後だった。子猫が暴れたのか、男子生徒の体勢が崩れた。子猫は軽やかに地面に飛び降りる。けれど、人間の方はそうはいかない。
「うわっ――」
「……っ」
次の瞬間、全身に衝撃が走った。ここが芝生の上だったのが救いだ。二階近い高さから、人ひとり落ちてきたのだから。
「ご、ごめん! 大丈夫!?」
頭上から、柔らかい香りがした。柔軟剤と桜の混じったような、優しい香り――。
……というか。この人、いつまで人の上に乗ってるんだろう。
「……早くどいてもらっていいですか」
「あっ、ごめんごめん」
やっと退いたその人は、悪びれもなく笑う。やっと立ち上がると、ズボンについた草を払いながら言った。
「猫追いかけてたら降りられなくなってさー」
その時、聞き覚えのある声とともに葉山先輩が現れた。
「すごい音したけど、大丈夫か?」
ここは、写真部の部室からそう離れていない。葉山先輩は倒れた脚立と草だらけの俺を見て、状況を理解してくれたようだ。呆れたようにため息をつく。
「はあ、まったく……何してんだよ、南」
え。南? 反射的に、その人を見る。
「あの……もしかして……コンテストで最優秀賞をとった、南先輩ですか」
「ん?なんで俺のこと知ってるの?」
信じられなかった。目の前にいるのは、薄茶色のカーディガンをだらっと羽織った男子生徒。俺より10センチくらいは背が高いのに、猫背のせいで頼りなく見える。
柔らかそうな茶髪に、眠たげな目。起きているのか寝ているのか分からない顔。学年ごとに色が違うネクタイは、緩いどころか付けてすらいない。
「この人が……南先輩……」
想像していた、“ミステリアスな天才写真家”のイメージが、音を立てて崩れていく。
***
一週間後。仮入部期間が終わり、写真部の部室では、新入生歓迎会が開かれていた。
「――ってことで、活動は週に二日! 月一回の定例会では作品を持ち寄って鑑賞します! 普段は各自作品を撮ってるから部室には人がいないことが多いけど、自由に使っていいです! じゃ、説明はこのくらいにして~」
部長の声に続いて、紙コップが一斉に掲げられる。
「かんぱ~い!」
部員は、新入生を合わせて二十人ほど。お菓子やジュースが置かれたテーブルを囲み、笑い声が飛び交う。こういう場でどうすればいいか分からずにいると、肩を軽く叩かれた。
「よ。お疲れ」
「あ、えっと……葉山先輩」
今日はユニフォームではなく、制服姿だった。
「入部してくれてありがとな。あんなことがあったからさ、来ないかもって思ってた。あ、いや、変な意味じゃなくてさ」
「いえ、いいんです。……南先輩は想像と全然違いましたけど」
「はは」
「でも、写真を撮りたい気持ちは本当なので」
昇降口に飾ってある南先輩の写真。あの写真を見た瞬間の気持ちは、まだ胸の奥に残っている。新しい場所で、何か夢中になれるものを見つけたい。
「なになに、何の話~?」
噂をすればなんとやら。振り向くと、紙コップ片手に南先輩が立っていた。
「……どうも」
「あ、この前の子だ。足、大丈夫だった?」
「……まあ」
全身打ったんですけど、という台詞は飲み込んだ。
「あの時はありがとね~。猫には逃げられちゃったけど、いい写真が撮れたよー」
間延びした声に、ゆっくりした話し方。本当に悪いと思っているのか怪しい。
「あの、南先輩」
「ん?」
「俺、一年の北野朔です。改めて、これからよろしくお願いします」
「うん、よろしく~」
それだけ言って、南先輩はふらっと別の輪へ行ってしまった。
「……葉山先輩は、南先輩と知り合いなんですか?」
それまで隣で黙ってやり取りを見ていた葉山先輩に聞いてみる。
「そう。一年の時から同じクラス」
「南先輩って、そんなにすごい人なんですか」
葉山先輩は笑って、少しだけ目を細めた。
「ああ。中学の頃から、コンテストでかなり賞取ってる。最近ではプロも参加する大会でも入賞してるし、天才って言われてるよ」
「……」
視線の先では、その“天才”がお菓子を勢いよく食べていた。
「南くん、そんなお腹空いてたの……?」
「うん、今朝から何も食べてなくてさ~、食べるの忘れてたよねー」
周囲が少し引くくらいの勢いでポテチを消費していく。
……本当に、この人が。あんな繊細で綺麗な写真を撮るんだろうか。
甘いオレンジジュースを飲んでいるはずなのに、やけに苦く感じた。
窓の外では、散りかけた桜がゆっくりと新緑に色づき始めていた。
家から電車とバスを乗り継いで約一時間。高校に入学して、最初の週のこと。体育館で行われた部活動紹介で、うちの高校は写真部が有名らしいと知った。
「全国高校生写真コンテストで最優秀賞を受賞した部員もおり――」
写真のコンテストなんてあることに少し驚いたけど、それ以上に興味をひかれた。
「北野は部活どうすんの?」
体育館を出たところで話しかけてきたのは、同じクラスの井上。俺より少しだけ高い背に、茶色い髪の毛。幼い顔立ちのせいか、おろしたての高校の制服に着られている感じがする。……まあ、それは俺も同じか。
「んー、とりあえず文化部かな。運動部はなし」
「ああ、俺も。練習キツそうだしなー」
井上は軽く笑った。
俺が運動部に入らない理由は、それだけじゃない。中学からの知り合いがいない高校を選んで良かった。
教室に向かう途中、昇降口前の廊下に人だかりができていた。
「なんだろ」
「あー、写真部のやつじゃね? コンテストで賞取ったって」
井上と顔を見合わせる。言わずとも、お互い意見は一致したようだ。ミーハー心で後ろに並び、人波に押されるように前へ出る。
その写真を見た瞬間、息が止まりそうになった。
「これ……」
薄紫色と黄色が溶け合う、朝焼けの写真。構図からして、橋の上から撮ったのだろう。
息を吐いたのは、あまりにも綺麗だったからじゃない。この景色を、知っている人が自分以外にもいるんだと思ったから。
***
部活の見学ができる仮入部期間は、次の日から始まった。
放課後、バイトの面接に行くという井上と別れて、写真部の部室に向かった。ドアを開いて、最初に目に飛び込んできたのはサッカーのユニフォームを着た男子生徒だった。
部室には他に誰もおらず、ひとりで受付と思しき机に座っている。
「ん?新入生?」
「……あの、ここ、写真部で合ってますか?」
「合ってる合ってる。俺、サッカー部と兼部してるんだよね。紛らわしくてごめんな」
ユニフォームの裾をつまんで笑う。強面な印象とは裏腹に、良い人そうだ。
受付と向かい合っている席の椅子を引いて、説明を聞く。
「二年の葉山忍です。普段はサッカー部に行ってるからあんま来られないんだけど、月一の定例会には顔出してる。よろしくな」
葉山先輩から活動内容を一通り聞いたあと、ずっと気になっていたことを尋ねてみる。
「あの、廊下に飾ってある写真って……誰が撮ったんですか?」
「あー、あれね。二年の南。南遊星ってやつ」
「南先輩……」
「仮入部期間は来てないけど、学校にはいると思うよ。たまに他の部活の写真撮ってたりするし」
「そうなんですか……」
少し残念だけど、仕方ない。写真部に来れば、そのうち会えるだろう。
葉山先輩は机の上から紙を取った。
「これが仮入部届。一週間見学できるから、決めたら本入部届を――」
「あ、もう入部決めてるので。本入部届、もらえますか」
「お、即決?」
葉山先輩が嬉しそうに笑った。
***
「失礼しました」
本入部届を受け取って、部室を後にする。
入部には保護者と担任のサインが必要らしい。家に帰ったら説明しないといけないな、と考える。
三階の廊下は三年生の教室が並んでいて、普段は通らないから新鮮だった。
三階と二階をつなぐ階段の踊り場は、窓が開いていた。校舎脇の桜が風に揺れていて、それをぼんやり眺めていると、不意に窓へ人影が映った。
「……え?」
窓の外側。桜の木の上に、人がいる。
「そこの人〜!」
周りを見回しても誰もいない。恐る恐る窓から首を出して見上げると、男子生徒が白い子猫を抱えていた。
「その脚立、押さえててくれないー? 猫いるから両手塞がってて」
「はあ……」
急いで一階まで降りて、木の下に駆け寄った。
脚立を両手で支えると、上から安心したような声が降ってきた。
「ありがとうー!今降りるから!」
その直後だった。子猫が暴れたのか、男子生徒の体勢が崩れた。子猫は軽やかに地面に飛び降りる。けれど、人間の方はそうはいかない。
「うわっ――」
「……っ」
次の瞬間、全身に衝撃が走った。ここが芝生の上だったのが救いだ。二階近い高さから、人ひとり落ちてきたのだから。
「ご、ごめん! 大丈夫!?」
頭上から、柔らかい香りがした。柔軟剤と桜の混じったような、優しい香り――。
……というか。この人、いつまで人の上に乗ってるんだろう。
「……早くどいてもらっていいですか」
「あっ、ごめんごめん」
やっと退いたその人は、悪びれもなく笑う。やっと立ち上がると、ズボンについた草を払いながら言った。
「猫追いかけてたら降りられなくなってさー」
その時、聞き覚えのある声とともに葉山先輩が現れた。
「すごい音したけど、大丈夫か?」
ここは、写真部の部室からそう離れていない。葉山先輩は倒れた脚立と草だらけの俺を見て、状況を理解してくれたようだ。呆れたようにため息をつく。
「はあ、まったく……何してんだよ、南」
え。南? 反射的に、その人を見る。
「あの……もしかして……コンテストで最優秀賞をとった、南先輩ですか」
「ん?なんで俺のこと知ってるの?」
信じられなかった。目の前にいるのは、薄茶色のカーディガンをだらっと羽織った男子生徒。俺より10センチくらいは背が高いのに、猫背のせいで頼りなく見える。
柔らかそうな茶髪に、眠たげな目。起きているのか寝ているのか分からない顔。学年ごとに色が違うネクタイは、緩いどころか付けてすらいない。
「この人が……南先輩……」
想像していた、“ミステリアスな天才写真家”のイメージが、音を立てて崩れていく。
***
一週間後。仮入部期間が終わり、写真部の部室では、新入生歓迎会が開かれていた。
「――ってことで、活動は週に二日! 月一回の定例会では作品を持ち寄って鑑賞します! 普段は各自作品を撮ってるから部室には人がいないことが多いけど、自由に使っていいです! じゃ、説明はこのくらいにして~」
部長の声に続いて、紙コップが一斉に掲げられる。
「かんぱ~い!」
部員は、新入生を合わせて二十人ほど。お菓子やジュースが置かれたテーブルを囲み、笑い声が飛び交う。こういう場でどうすればいいか分からずにいると、肩を軽く叩かれた。
「よ。お疲れ」
「あ、えっと……葉山先輩」
今日はユニフォームではなく、制服姿だった。
「入部してくれてありがとな。あんなことがあったからさ、来ないかもって思ってた。あ、いや、変な意味じゃなくてさ」
「いえ、いいんです。……南先輩は想像と全然違いましたけど」
「はは」
「でも、写真を撮りたい気持ちは本当なので」
昇降口に飾ってある南先輩の写真。あの写真を見た瞬間の気持ちは、まだ胸の奥に残っている。新しい場所で、何か夢中になれるものを見つけたい。
「なになに、何の話~?」
噂をすればなんとやら。振り向くと、紙コップ片手に南先輩が立っていた。
「……どうも」
「あ、この前の子だ。足、大丈夫だった?」
「……まあ」
全身打ったんですけど、という台詞は飲み込んだ。
「あの時はありがとね~。猫には逃げられちゃったけど、いい写真が撮れたよー」
間延びした声に、ゆっくりした話し方。本当に悪いと思っているのか怪しい。
「あの、南先輩」
「ん?」
「俺、一年の北野朔です。改めて、これからよろしくお願いします」
「うん、よろしく~」
それだけ言って、南先輩はふらっと別の輪へ行ってしまった。
「……葉山先輩は、南先輩と知り合いなんですか?」
それまで隣で黙ってやり取りを見ていた葉山先輩に聞いてみる。
「そう。一年の時から同じクラス」
「南先輩って、そんなにすごい人なんですか」
葉山先輩は笑って、少しだけ目を細めた。
「ああ。中学の頃から、コンテストでかなり賞取ってる。最近ではプロも参加する大会でも入賞してるし、天才って言われてるよ」
「……」
視線の先では、その“天才”がお菓子を勢いよく食べていた。
「南くん、そんなお腹空いてたの……?」
「うん、今朝から何も食べてなくてさ~、食べるの忘れてたよねー」
周囲が少し引くくらいの勢いでポテチを消費していく。
……本当に、この人が。あんな繊細で綺麗な写真を撮るんだろうか。
甘いオレンジジュースを飲んでいるはずなのに、やけに苦く感じた。
窓の外では、散りかけた桜がゆっくりと新緑に色づき始めていた。

