氷の射場、残心に燈る温度

 鳴海にお礼を告げようとして、後ろを振り向く。鳴海も的花の顔を、心配そうに覗き込んだ。
 タイミングがかち合ってしまい、弾む息が触れ合うほどの至近距離になった。

 鳴海の明るい茶髪から、ふわりと柑橘系のいい香りが鼻腔をくすぐる。
 的花がぱっちりとした二重の目で鳴海を見上げると、その長いまつ毛が細かく震えているのが分かった。

 鳴海の顔から、一気に余裕が消える。的花の顔が信じられないほど赤くなっていく。
 それと同時に、鳴海の耳の端も見る見るうちに真っ赤に染まっていった。

「……わりぃ」
「い、いえ。……ありがとうございます」

 二人は弾かれたように、お互いに大きな一歩を踏み出して距離を取った。
 冷え切った道のはず。しかし二人の周りだけ、熱気で空気が歪んでいるようだった。

「……先輩、お箸どうぞ」
「……あっ、さんきゅ」

 学校近くの評判のラーメン屋さんに入った。店内は活気に満ち溢れており、絶えず行列ができている。
 外は冷え切っており、息をすると白く濁っている。和気藹々とした雰囲気で、誰もが楽しそうにラーメンを啜っている。

 冷え切った体に、熱いスープと麺が程よく染みている。しかしそんな中、二人の席だけが氷点下だった。
 鳴海が醤油で、的花が味噌を頼んだ。いつも元気ハツラツな大将も、二人を見て静かになってしまった。

 ラーメンが来たため、的花は箸を鳴海に手渡した。いつもの元気はなく、弱々しく呟いていた。
 カウンターの席に横並びで座り、湯気のあがるラーメンを啜る。美味しいはずが、緊張感のせいで味がしない。

「この店、女子ウケもいいんだよね〜」

 いつもならば、鳴海は軽口を平然と叩いている。普段の様子を思い出し、的花は横にいる鳴海を見つめる。
 なぜかさっきから一言も喋らず、ひたすら黙々と麺を口に運んでいる。

 ――……気まずい。静かすぎる。いつもみたいに、適当にチャラチャラ喋ってくれた方がまだマシなのに……。

 首元まで真っ赤にしたまま、どんぶりに顔を埋める勢いで食べていた。不器用な鳴海は、箸を持つ指先がいつもより少しだけぎこちなく震えている。

 猫舌なのか、時々熱そうにしている。レンゲに麺を入れ、静かに冷ましている。
 顔に飛んだスープを、手の甲で吹いていた。その所作が本物の猫みたいで、自然と口角が上がった。

「……あー、美味いな、ここ」
「え? あ、はい。美味しいです」
「……おう。……いっぱい食えよ」
「……はい」

 鳴海は的花の視線に気がつき、静かに見てきた。目が合った途端に、気まずそうに逸らす。
 会話が、絶望的に続かない。いつもなら、鳴海は場を盛り上げることに躍起になっている。

 しかし今日は、借りてきた猫のように静かである。的花の様子を何度も盗み見ては、顔を赤らめている。
 カウンターの下、触れ合いそうな距離にある鳴海のガッシリとした太ももの体温。

 それが、スラックス越しに伝わってくるような気がした。的花は、慌てて目の前のスープを口に含んだ。
 気まずいのに、胸の奥がじんわりと温かい。居心地が悪くなく、満ち足りた気持ちになっていた。
 それから、二人が一緒に下校することは、いつしか静かな日課になっていった。季節は瞬く間に流れ、冷たい冬の風が吹き抜ける頃。

「最近っ、なるみん付き合い悪いよ~」
「あはは! 確かにね~」
「あー! なんか、隠してるっ! さては、好きな人ができたとか?」
「鋭いな~まあ、大会も近いしね~」
「あっ、はぐらかしたっ!」 

 校門前で女子に囲まれて、口角を完璧な角度で上げている。相手の目を見て、さらりと甘い言葉を吐く。
 完璧なチャラ男スマイルを浮かべているが、目は冷めている。そんな鳴海を、的花が遠くからイライラしながら見つめている。

 的花は、自分がなんでイラついているのか分かっていない。眉間にしわを寄せ、鬼の形相をしている。
 不機嫌そうに貧乏ゆすりをして、腕組みをしている。そのせいか、周囲の生徒は的花に近づかないようにしている。

「宮内〜、待たせてごめん!」
「……別に待っていないです。帰ります」
「……宮内っ、待ってよ~」

 一緒に帰りたいため、鳴海のことをずっと待っていた。鼻歌を口ずさみ、待ちきれずに小躍りをしていた。
 数分前までは、周りが引くほどニコニコしていた。それなのに、鳴海はチャラチャラして女子に囲まれている。

 そのことが、的花は気に食わない。浮かれている鳴海は気づいていないが、女子が睨んでいる的花に気が付き退散していく。
 鳴海が的花を見つけて、満面の笑みで駆け寄ってくる。的花は自分がイラついている原因が分からずに、鳴海に当たってしまう。
 帰ろうと背を向けてしまい、一瞬だけ鳴海は悲しそうにしていた。しかし直ぐに、いつもの笑顔になり駆けていく。

「でさ~そこで、斎藤が転んで~」
「意外ですね~斎藤先輩は、そんなミスしないと思っていました」
「あいつのドジは、筋金入りだからな~」
「ふふっ……先輩と話していると、楽しいですっ」
「……お、俺も……楽しい」

 二人は話しながら、ゆっくりと歩を進める。学校から駅まで10分程度だが、30分はかけている。
 どちらからともなく、それが当たり前になっていた。少しでも話したいというのが、正直な気持ちであった。

 鳴海は冗談を言っているつもりなのに、的花に見つめられると不自然に視線を逸らす。
 耳の端がじわじわと赤くなり、無意識に首筋を掻いて落ち着かせようとする。その様子を見て、的花は優しい気持ちになった。

 ――先輩といると、本当に楽しいな。

「あー、あのしゃ……ゴホンッ……宮内の誕生日って、いつ?」
「ふふっ……クリスマスイブですよ」
「大会の日か……そっか~」
「先輩、ニヤニヤして気持ち悪いですよっ」
「そっか~因みに~俺は、大みそかだよっ」
「聞いていないですが、教えてくれてありがとうございます」

 他愛もない話をしていると、緊張しまくりで噛んでいる鳴海に質問をされた。その様子が可愛いため、自然と笑顔になった。
 的花の息をするような毒舌を、今日も華麗に受け流している。正確に言うと、都合の悪いことは聞こえないのである。
 的花も毒舌だが、満面の笑みを浮かべている。二人の中には、誰にも入ることができない不思議な空気が漂っている。

「大会で優勝するからさ〜付き合ってあげてもいーよっ」