氷の射場、残心に燈る温度

 肩を落とし、猫背になっている。鳴海は微笑みながら、優しく腰を叩いた。
 普段の女子に見せるチャラさではなく、心からの優しい笑みだった。

 的花は練習を重ねるが、結局最後まで的に当てることはできない。しかし、だからこそミリ単位のズレも許されない弓道の奥深さを知った。
 それと同時に、自分の感情の意味を知った。胸の奥が熱くなるのと同時に、この想いが通じることはない。

 それが分かり、泣きそうになった。それでもなく姿を見られたくないため、必死に笑顔を浮かべた。
 外は暗くなっており、的花の不器用な笑みが街灯に照らされている。鳴海はその笑顔を見つめ、にこやかに微笑んでいた。

「あ、あのしゃ! 宮内っ! おっ! 俺っ! この後、ラ! ラーメン行く、行くんだけどさあっ!」
「あー、はあ」

 鳴海はいきなり声が裏返って、自分で自分にショックを受けている。そんな彼を、的花は怪訝そうに見ている。

「お前も、行く? ……あ、いや、いか、いしょに、しょく……じ、食事行かない!? ちがっ、ただの飯っ! ラーメンっ!」
「……ぷっ……先輩、めちゃくちゃ噛んでますよ」
「……っ、うるさいっ! お前が腹減ってそうな顔してるからだろっ!」
「まあ、いいですよ〜ラーメン、食べたいです」
「そ、そうか……うん……ふう」

 的花は不思議そうに、鳴海の顔を見つめる。鳴海は的花の顔を見て、さらに狼狽えてしまう。
 噛んでしまい、吃ってしまった。鳴海の視線が泳いだり、喉仏が緊張でゴクリと動いたりする。

 肌寒くなっているが、緊張のあまり汗が止まらない。額からの汗が、床に溢れてしまう。
 鳴海は嬉しさと恥ずかしさで、少しだけ大柄な態度を取ってしまう。

 その様子を見つめ、的花は優しく微笑んだ。鳴海は、顔を真っ赤にして的花に見えないところで小さくガッツポーズをした。

 ――先輩、可愛いな〜。

 的花は着替えのために、弓道場を後にした。鼻歌を口ずさみながら、部室へと入った。 

「うっ…………しゃあああああああああ!!!!!!!!」

 鳴海は的花の足音が遠のくと、両手を大きく上げた。一気に腰元まで持ってくると、弓道場に響くような大きな声を出した。
 まるで地響きのようで、近くの部活動の人が驚いていた。それがチャラ男で有名な榊鳴海だとは、誰も思わない。

 鳴海はだらしくなく顔を緩ませ、ジタバタと体を動かしている。忙しなく、弓道場の端から端を行ったり来たりしている。
 落ち着きがなく、妙なダンスをし始める。しかし音程というかリズムが悪いため、ロボットのようにだった。

「なあなあ! 斎藤っ! 聞いてよっ!」
「……聞きたくない」
「宮内、可愛いよなっ! 初めて話したけど、一目惚れだったんだよ! なんで、今気づくかな! 半年以上も経っているのに、鈍すぎだろっ! あー、ほんと可愛いっ! 人って恋をすると、語彙力低下するんだな!」
「………聞きたくない」
「あー、もうっ! 俺ってば、世界一の幸せ者っ! 俺! デートに行くんだっ! うしっ!」
「話、聞けよ」

 何かを思いついたのか、徐にスマホを取り出した。その時の顔は、無邪気な子供だった。
 親友である同じクラスの斎藤に、満面の笑みで電話していた。頭の中は、的花のことでいっぱいだった。

 声色からして、浮き足立っている。いつも以上に声が高く、テンションが高い。
 それを察知したのか、斎藤はめんどくさそうにボソッと呟く。しかし今の鳴海の耳には、入ることはない。

 斎藤の制止も虚しく、鳴海は思っていることを告げる。的花への熱い想いに、デートという名のラーメン屋に行くこと。
 斎藤は一言も発さずに、親友の言葉を聞いていた。電話口でも分かるぐらいに、疲弊していた。

 そんな親友の言葉もやはり、今の鳴海には聞こえない。見た目や行動に似合わず、鳴海は恋人がいた経験がないのだ。

「おい鳴海、弓道場でガッツポーズは品格ゼロだろ。つーかお前、女子に囲まれてるくせにデートなんて一度もしたことねえだろ。高一の時、俺に五時間ノンストップで弓道語ってきたエネルギーを全部後輩にぶつけるなよ。同情するわ」
「うふふ、楽しみ〜」
「ダメだ、こりゃ」

 斎藤は何を言っても無意味だと思いつつ、声をかける。心の中で、話したことがない後輩に同情していた。
 鳴海は物事に集中すると、途端に周りが見えなくなる。そのためか、驚異的な集中力で弓道が得意なのである。

 斎藤は、才能がこんなにも羨ましくないのは初めてだと。心の中だけでなく、本人にも告げている。
 しかし鳴海は、超ボジティブ人間なので気にも留めていない。それどころか、全く持って耳に届いていないのだ。

「先輩は、着替えなくていいんですか」
「あっ……い、今っ……きがっ……着替えようとしたとこでっ! 待ってて!」
「はあ〜いっ、かわいっ」

 的花が戻ってきた時、ちょうど斉藤との電話が終わっていた。鳴海はニコニコしており、的花は少し引き気味だった。
 そこで鳴海が、弓道着姿だったことに気がついた。そのことを指摘すると、鳴海は必要以上に慌てていた。
 その様子を見つめ、的花はボソッと呟く。しかし鳴海には聞こえないようで、光の速さでその場を後にした。

「宮内は、なんで弓道始めようと思ったんだ? 俺は、親父がやってたからだけど」
「あー、憧れの人がいまして」
「へえ………そうなんだ」

 制服姿で、二人はラーメン屋に向かっていた。月も出ているような、静かで幻想的な雰囲気だった。
 そこで鳴海は、的花に気になっていることを聞いた。鳴海としては、弓道を始めてくれたのは嬉しい。

 しかしそのきっかけに、興味を持った。そんなのは口実で、少しでも長く話したいだけである。
 そこで憧れの人に、去年のことを話そうとした。しかし鳴海は、急に俯いてしまった。
 何も言わなくなって、暗い顔をしている。的花は心配そうに、顔を覗き込んだ。

 ――僕、何か怒らせるようなことしたのかな?

「せんぱ……うわっ」
「宮内! だいじょ……」
「……あ」

 的花は鳴海の様子が気になって、前を見ていなかった。そのため小石に躓き、転びそうになった。
 鳴海が咄嗟に、的花の腰を抱きしめた。そのため後ろから、抱きついたような体勢になった。