「立花さ、なんか最近疲れてる?」
木曜日の放課後、文芸部の片付けをしていると一緒に残っていた部長が遠慮がちに聞いてきた。
「……そう見えます?」
あれ、これ最近高嶺にも言われたような。
『静かな時の千晴って、本当に存在したんだ』
って毎日言われてる気がする、大体嫌みっぽく聞こえるけど。
「普通にしてるんですよね、これでも」
部員が片付け忘れたらしい本を本棚に戻しながら、ぽつりと言う。
正直なところ身体が疲れてるって自覚はもちろん、精神面で参ってる自覚もない。
でも部長は嘘をつかないから、そう見えてるんだろう。
ふざける事はあっても、周りをよく見て先回りする節がある人だから。
「たまーに三澄がここに来るだろ。午後練無い時くらいだけど。いつも立花、三澄がいたら面倒臭そうな顔してるから、大丈夫かなって」
「面倒、なんて」
思ってないと言えば嘘になる。
ただ、三澄と顔を合わせて話すのが、前より気まずくなったのは事実だ。
なぜか三澄は先週の月曜から、昼休みになると必ず一組の教室に来て一緒に昼食を食べていた。
まぁ高嶺とか他のクラスメイトも混ざってるから、二人きりじゃないんだけど。
俺はそんな中で三澄と会話する事はほとんどなくて、なんなら高嶺が色々と遠慮なく聞いてるのが大半だった。
『野球部って朝練もあるし大変そうだね。嫌じゃない?』
『俺、バスケ部なんだ。試合いつ? 応援しに行くよ』
『ねぇ優真って呼んでもいい?』
三澄には珍しく高嶺のペースに呑まれそうになってて、『いやお前も距離感おかしいだろ』って何度も心の中で突っ込んだりした。
けど聞かれたことにはちゃんと答えてるし、やっぱり口下手なだけで話すのが嫌いじゃない、のかもしれない。
というか、三澄に話し掛けない俺も悪いけど。なんとなく距離あるんだよな、気まずいのはもちろんあるとして。
ただ、三澄は弁当を食べ終わると会話もそこそこに、俺の顔を見てから『またな』と言ってさっさと教室に戻ってしまう。
それも高嶺が三澄に質問してるうちに食べ終わるようなもんだから、一組に来なくてもいいんじゃないかと思う。
「……いや、面倒ですね。ちょっと」
たっぷり一分くらい頭の中で考えて、呟くように言った。
一体三澄が何をしたいのか今も分からないし、ちゃんと聞きたいけど二人きりで話すのは気まずいし。
「あ、やっぱり? けど立花がいなかったらすぐいなくなるからなぁ。向こうに練習しに行ってるっぽいけど」
部長はグラウンドの裏手の方に、ちらりと視線をやる。
今日は日直だったから五分くらい遅れてしまって、そのごく短い間で三澄が図書室に顔を出したらしい。
部長の言う通り三澄はすぐにいなくなって、そのまま練習しに行ったとか。
「今日は守備やってるな。──あ、守備ってのはバッターが投げたボールを捕るポジションのこと。まぁ簡単に言えば、捕れなかったら相手チームの有利になる」
野球のルールもポジションも何も分からないからか、部長は窓に視線を向けたまま簡単に説明してくれる。
「送球って分かる? ボールを捕ったら、一塁とか二塁に向かって投げるんだ。走者が塁に触れるまでに野手が受け取れなかったらアウト。ちなみに野手ってのは……」
「へ、へぇー……」
噛み砕いて教えてくれるのはありがたいけど、段々と部長の声に熱がこもってきて、早口になっていく。
ごめんなさい、言ってることは分かるんだけど分かんないです。
「……なるほどー」
俺は愛想笑いを浮かべながら相槌を打つしかなくて、部長の声を右から左に聞き流す。
ただ部長に倣って窓に視線を向けると、三階の図書室からでも練習してるところがはっきり見えた。
さすがに誰が誰とかは分からないけど、あの中に三澄もいるんだろうな。
「──ってこと」
そんな声が聞こえたと思ったら、パッと部長が俺に視線を戻して『分かった?』って聞いてくる。
「あ……た、多分」
反射的に呟いたけど、語尾に『はてな』があったよな絶対。
「そっかあ。ならいいけど」
にこ、と淡く微笑んで部長は言葉を切ると、自分のペンケースとノートを持って俺の近くにやってくる。
といっても机を一つ挟んでるから、物理的な距離はあんまり縮まってない。
でも部長は机に軽く身を乗り出して、俺にだけ聞こえる声量でゆっくりと口を開いた。
「──三澄に『もうここに来ないで』って言おうか?」
「え、っ」
予想してなかった言葉が聞こえてきて、俺は小さく声を漏らした。
……俺の聞き間違いじゃないよな? 確かに部長はよく周りを見てるけど、交友関係にはあんまり口出してこないのに。
「あ、先に言っとくと部長としてじゃなくて、単に先輩としてな。なーんか、最近の立花見てたら心配なんだよな。なんつーの、今にも感情が爆発しそうというか」
部長──いや、海理さんがいつになく真剣な声で続ける。
「自分じゃ気付いてないと思うけど、三澄が居たら無理して笑ってるだろ。同級生なのに敬語も使ってさ」
なんだろう、部長にそんな意図はないと思うのに『おかしい』って言われてる気がする。
……まぁ傍から見たらおかしい自覚はあるし、三澄にだけ敬語なのも認めるけど。
それにしても、だ。
「立花が迷惑してる、ってのは言わないけどさすがに」
だって可哀想じゃん、と海理さんは黙ったままの俺に向けて、やんわりと微笑む。
「……何も友達選べとは言ってないんよ。ただ……嫌なら嫌って、俺には弱音吐いてもいいというか」
かと思えば少し遠くを見る仕草をして、同時に目を向けた先に視線の先に何かあったのか軽く瞳を見開いた。
「あ」
「へ」
海理さんはぽかんと口を開けて、なんというかアホ面……は言い過ぎか。
俺も海理さんの視線を追って振り返ってみるけど、図書室内にはもちろん出入り口の近くには誰もいない。
「え、なんですか」
まさか幽霊でも見た? 俺、そういうの一番苦手なんだけど。
背筋がぞわぞわして反射的に腕を撫でさすると、ごく小さな声で海理さんが『なるほどねぇ』と呟いたのが聞こえた。
「ままま、まさか本当にゆうれい……」
「いや、なんでそうなるんだよ」
震える声もそのままに尋ねれば、すかさずツッコミを入れられる。いつもと立場が逆じゃん。
「けど幽霊かもなぁ」
「冗談でもそういうのやめてください、ほんとに」
海理さんはいたずらっ子みたいに微笑んで、ゆっくりと人差し指を俺に向ける。
「いやいや、俺霊視出来るから。……ほら、立花の肩に黒い影が」
「ひぃっ!」
今まで聞いたことがない低くておどろおどろしい海理さんの声に、堪らず目を閉じて肩を竦ませる。
「──と思ったら何もなかったわ。すまん、見間違い」
「は、っ……?」
目を開けると海理さんは軽く手を合わせて謝ってきて、俺が何か言うよりも早くさっと机に置いていたペンケースとノートを持つ。
「さて、そろそろ暗くなってきたし帰るかぁ」
「あっ……はい。そうですね」
ついさっきまで真剣な表情をしてたのに、あんまりにものんびりした声で言うもんだから俺も反射的に頷く。
もはや、からかわれた! って怒る気持ちよりも、なんだか誤魔化された気がしてモヤモヤした。
こういうことするくらいなら、素直に教えてくれてもいいだろ。
「どっか寄ってくとこある? あったら一緒行くけど」
でもその表情はもう俺が知る『いつもふざけてる文芸部部長』と変わらなくて、さっきまでとは違うギャップに風邪を引きそうだった。
「……子供扱いしないでくださいよ」
確かに窓から見える太陽はオレンジ色に染まっていて、こういうのってなんていうんだっけ。
後で調べないとな、と頭の片隅で思いながら俺は帰る準備をした。
木曜日の放課後、文芸部の片付けをしていると一緒に残っていた部長が遠慮がちに聞いてきた。
「……そう見えます?」
あれ、これ最近高嶺にも言われたような。
『静かな時の千晴って、本当に存在したんだ』
って毎日言われてる気がする、大体嫌みっぽく聞こえるけど。
「普通にしてるんですよね、これでも」
部員が片付け忘れたらしい本を本棚に戻しながら、ぽつりと言う。
正直なところ身体が疲れてるって自覚はもちろん、精神面で参ってる自覚もない。
でも部長は嘘をつかないから、そう見えてるんだろう。
ふざける事はあっても、周りをよく見て先回りする節がある人だから。
「たまーに三澄がここに来るだろ。午後練無い時くらいだけど。いつも立花、三澄がいたら面倒臭そうな顔してるから、大丈夫かなって」
「面倒、なんて」
思ってないと言えば嘘になる。
ただ、三澄と顔を合わせて話すのが、前より気まずくなったのは事実だ。
なぜか三澄は先週の月曜から、昼休みになると必ず一組の教室に来て一緒に昼食を食べていた。
まぁ高嶺とか他のクラスメイトも混ざってるから、二人きりじゃないんだけど。
俺はそんな中で三澄と会話する事はほとんどなくて、なんなら高嶺が色々と遠慮なく聞いてるのが大半だった。
『野球部って朝練もあるし大変そうだね。嫌じゃない?』
『俺、バスケ部なんだ。試合いつ? 応援しに行くよ』
『ねぇ優真って呼んでもいい?』
三澄には珍しく高嶺のペースに呑まれそうになってて、『いやお前も距離感おかしいだろ』って何度も心の中で突っ込んだりした。
けど聞かれたことにはちゃんと答えてるし、やっぱり口下手なだけで話すのが嫌いじゃない、のかもしれない。
というか、三澄に話し掛けない俺も悪いけど。なんとなく距離あるんだよな、気まずいのはもちろんあるとして。
ただ、三澄は弁当を食べ終わると会話もそこそこに、俺の顔を見てから『またな』と言ってさっさと教室に戻ってしまう。
それも高嶺が三澄に質問してるうちに食べ終わるようなもんだから、一組に来なくてもいいんじゃないかと思う。
「……いや、面倒ですね。ちょっと」
たっぷり一分くらい頭の中で考えて、呟くように言った。
一体三澄が何をしたいのか今も分からないし、ちゃんと聞きたいけど二人きりで話すのは気まずいし。
「あ、やっぱり? けど立花がいなかったらすぐいなくなるからなぁ。向こうに練習しに行ってるっぽいけど」
部長はグラウンドの裏手の方に、ちらりと視線をやる。
今日は日直だったから五分くらい遅れてしまって、そのごく短い間で三澄が図書室に顔を出したらしい。
部長の言う通り三澄はすぐにいなくなって、そのまま練習しに行ったとか。
「今日は守備やってるな。──あ、守備ってのはバッターが投げたボールを捕るポジションのこと。まぁ簡単に言えば、捕れなかったら相手チームの有利になる」
野球のルールもポジションも何も分からないからか、部長は窓に視線を向けたまま簡単に説明してくれる。
「送球って分かる? ボールを捕ったら、一塁とか二塁に向かって投げるんだ。走者が塁に触れるまでに野手が受け取れなかったらアウト。ちなみに野手ってのは……」
「へ、へぇー……」
噛み砕いて教えてくれるのはありがたいけど、段々と部長の声に熱がこもってきて、早口になっていく。
ごめんなさい、言ってることは分かるんだけど分かんないです。
「……なるほどー」
俺は愛想笑いを浮かべながら相槌を打つしかなくて、部長の声を右から左に聞き流す。
ただ部長に倣って窓に視線を向けると、三階の図書室からでも練習してるところがはっきり見えた。
さすがに誰が誰とかは分からないけど、あの中に三澄もいるんだろうな。
「──ってこと」
そんな声が聞こえたと思ったら、パッと部長が俺に視線を戻して『分かった?』って聞いてくる。
「あ……た、多分」
反射的に呟いたけど、語尾に『はてな』があったよな絶対。
「そっかあ。ならいいけど」
にこ、と淡く微笑んで部長は言葉を切ると、自分のペンケースとノートを持って俺の近くにやってくる。
といっても机を一つ挟んでるから、物理的な距離はあんまり縮まってない。
でも部長は机に軽く身を乗り出して、俺にだけ聞こえる声量でゆっくりと口を開いた。
「──三澄に『もうここに来ないで』って言おうか?」
「え、っ」
予想してなかった言葉が聞こえてきて、俺は小さく声を漏らした。
……俺の聞き間違いじゃないよな? 確かに部長はよく周りを見てるけど、交友関係にはあんまり口出してこないのに。
「あ、先に言っとくと部長としてじゃなくて、単に先輩としてな。なーんか、最近の立花見てたら心配なんだよな。なんつーの、今にも感情が爆発しそうというか」
部長──いや、海理さんがいつになく真剣な声で続ける。
「自分じゃ気付いてないと思うけど、三澄が居たら無理して笑ってるだろ。同級生なのに敬語も使ってさ」
なんだろう、部長にそんな意図はないと思うのに『おかしい』って言われてる気がする。
……まぁ傍から見たらおかしい自覚はあるし、三澄にだけ敬語なのも認めるけど。
それにしても、だ。
「立花が迷惑してる、ってのは言わないけどさすがに」
だって可哀想じゃん、と海理さんは黙ったままの俺に向けて、やんわりと微笑む。
「……何も友達選べとは言ってないんよ。ただ……嫌なら嫌って、俺には弱音吐いてもいいというか」
かと思えば少し遠くを見る仕草をして、同時に目を向けた先に視線の先に何かあったのか軽く瞳を見開いた。
「あ」
「へ」
海理さんはぽかんと口を開けて、なんというかアホ面……は言い過ぎか。
俺も海理さんの視線を追って振り返ってみるけど、図書室内にはもちろん出入り口の近くには誰もいない。
「え、なんですか」
まさか幽霊でも見た? 俺、そういうの一番苦手なんだけど。
背筋がぞわぞわして反射的に腕を撫でさすると、ごく小さな声で海理さんが『なるほどねぇ』と呟いたのが聞こえた。
「ままま、まさか本当にゆうれい……」
「いや、なんでそうなるんだよ」
震える声もそのままに尋ねれば、すかさずツッコミを入れられる。いつもと立場が逆じゃん。
「けど幽霊かもなぁ」
「冗談でもそういうのやめてください、ほんとに」
海理さんはいたずらっ子みたいに微笑んで、ゆっくりと人差し指を俺に向ける。
「いやいや、俺霊視出来るから。……ほら、立花の肩に黒い影が」
「ひぃっ!」
今まで聞いたことがない低くておどろおどろしい海理さんの声に、堪らず目を閉じて肩を竦ませる。
「──と思ったら何もなかったわ。すまん、見間違い」
「は、っ……?」
目を開けると海理さんは軽く手を合わせて謝ってきて、俺が何か言うよりも早くさっと机に置いていたペンケースとノートを持つ。
「さて、そろそろ暗くなってきたし帰るかぁ」
「あっ……はい。そうですね」
ついさっきまで真剣な表情をしてたのに、あんまりにものんびりした声で言うもんだから俺も反射的に頷く。
もはや、からかわれた! って怒る気持ちよりも、なんだか誤魔化された気がしてモヤモヤした。
こういうことするくらいなら、素直に教えてくれてもいいだろ。
「どっか寄ってくとこある? あったら一緒行くけど」
でもその表情はもう俺が知る『いつもふざけてる文芸部部長』と変わらなくて、さっきまでとは違うギャップに風邪を引きそうだった。
「……子供扱いしないでくださいよ」
確かに窓から見える太陽はオレンジ色に染まっていて、こういうのってなんていうんだっけ。
後で調べないとな、と頭の片隅で思いながら俺は帰る準備をした。


