寡黙な野球部エースは俺の小説がお気に入りらしい

 三澄(みすみ)は俺をじっと見たまま、微動だにしない。

 ってか瞬きしてる? 息はしてるよな、さすがに。

 そっと目を伏せたり左右を見回したりするけど、悲しいことに俺と三澄以外に廊下に出てる人間はいなかった。

 ……すっごい気まずい。

 暑くもないのに頬に汗が伝って、俺が言えたことじゃないけどイライラしてくる。

 黙ってないでなんとか言えよ、いや何も言わなくていいですお願いします!

 じわじわと三澄の視界から逃げるように、壁に背中をくっ付けて図書室から離れようとする。

 でも三澄は俺の考えてることが分かってるのか、単なる野生の勘とかいうやつなのか、ズンズンと距離を詰めてくる。

「……は、っ?」

 瞬き一つした頃にはもう三澄が目の前にいて、なんなら俺が少し顔を上げれば唇が触れ合いそうな距離だった。

 ……三澄ってまつ毛長いんだな、それにいい匂いがする……石鹸(せっけん)、いや柔軟剤とかかな。

 とくとくと心臓が速くなっていくのをぼんやり感じていると、三澄の顔が近付いてきてるのに気付いた。

「っ……!」

 ドン、と渾身の力で三澄の胸を押すと『ゴホッ』と三澄が咳き込んで二歩後ろに下がった。

 な、何しようとしたんだ!?

 いつものポーカーフェイスも忘れて、キッと三澄を睨み付ける。

 すると俺の反応に三澄は軽く目を見開いて、でもやっぱり無表情のまま口を開いた。

「……ごめん、立花(たちばな)と話したいと思っただけ。なのに、最近ずっと逃げてばっかだから困る」

 ……漫画とかドラマなら、言われた方は多少なりとドキッとするもんなんだろう。

 けど三澄はあんまり顔が変わらないし、言葉に気持ちがこもってないから照れるもクソもない。

 まぁ三澄の言う通り、確かに顔を見たら方向転換したりスルーしたり、相手にとって嫌な行動を取ってた自覚はある。

 でも三澄も悪いんだろ、何考えてるのかちゃんと言わないから。

 ……なんてはっきり言えたら、苦労しないんだよな。これ以上距離感バグられたら困るし。

「だ、だったら」

 俺は低く溜め息を吐くと、半ば呆れ気味に続けた。

「俺と話したい時は追ってこないでください。気付いてないと思いますけど、追い掛けてる時の顔が無表情だから怖いんです」

 間違ったことは言ってない。むしろ事実を教えてるに過ぎないから、これで三澄も少しは行動を改めるだろう……と思いたい。

「話すにしても俺が言えることなら言いますし、聞かれたらちゃんと答えます。……小説の続き、以外」

 最後に慌てて付け足す。先に言っておかないと、まず一番に……最悪あのノートを見せるまで聞いてきそうだから。

 最初は俺の不注意だったとはいえ、三澄に大事なノートを見られるのはもうコリゴリだ……!

「分かった」

 ぐるぐる悩んでる俺とは対照的に、三澄はいとも簡単に肯定した。

「あ、じゃあ……」

 あまりに呆気なく首肯されて驚いた反面、それ以上に『あの』三澄が顎に手をあてて、小さく(うな)ってるのに驚く。

 え、そんな考えること?

 俺は次に何を言うかも忘れて、三澄が口を開くのを待つ。

 本当ならこのまま一言断って図書室に入ればいいんだけど、なぜかそうしたくなかった。

「──は」

 やがて三澄が何か言った気がして、でもあんまりにも小声だから俺を緩く首を傾げる。

「えっと、なんて……?」

 このまま無視するのも失礼だから、一応尋ね返す。これでくだらなかったら怒るぞ、心の中で。

「……立花の、おすすめの本は」

 囁くような言葉だったけど、それが三澄が精一杯考えた『聞きたいこと』の一つ目だとは思わなくて、脳裏に宇宙が広がった。

 地球ってこんなに丸くて青かったんだ、とか空想に逃げたくなる。

 けど一生懸命考えてくれたのに、答えないのも違うよな。

「……夏目漱石(なつめそうせき)、とか。『夢十夜(ゆめじゅうや)』って作品なんですけど……っ!?」

 知ってますか、と続ける前に更に三澄が距離を詰めてくる。

 それもさっきと同じくらい、むしろまつ毛が触れ合いそうなくらいの近さで。

「っなに、す……っ」

 落ち着いたと思ってた心臓の音が、また速く大きくなった。

 ドクドクと鼓動が早鐘を打つのを聞きながら、俺は三澄を見上げる。

 すると三澄は少し、本当に少しだけ眉を下げて、硬く唇を引き結んでいた。

 ……なんて顔、してるんだよ。

 なんだか三澄が泣きそうに見えて、でも俺の方から触ったり声を掛けるのは気が引けて、堪らず視線を逸らす。

 すると頬が熱くなってる気がして、でも心臓の音以外に変わったところがないから違和感しかない。

 なんなんだよ、三澄もだけど俺もおかしいぞ!

 どれほどそうしてたのか分からないけど、ほんの数秒くらいかもしれないし、長くても三十秒もなかったかもしれない。

「──ごめん」

 やがて三澄は短く呟くと俺から離れて、振り返ることなく近くの階段を下りていった。

「……は、っ?」

 何が起きたのか分からなくて、思考がフリーズする。

 目の前にローディングの文字が見える、しばらくお待ちくださいってか。

「はぁ……」

 三澄の背中が見えなくなってしばらくして、俺は改めてその場にうずくまった。

 あいつの考えてる事が分からない。

「……なんでおすすめの本、聞いてきたんだろ」

 失礼だけど本当に三澄が読むとは思えないし、単に会話の糸口が欲しかっただけ? いや、そしたらもっと質問攻めされるだろうし。

「というかあれ、だよな……」

 いつも無表情で、でも瞳だけはまっすぐで……三澄がはっきり感情を出したのは初めて見たかもしれない。

 頭撫でたらよかったかな、三澄の髪って見た目以上に柔らかそうで気持ちよさそう。

「いや、俺も距離感バグってるだろ……!? 三澄じゃないんだから!」

「……たーちーばーなー?」
「ひゅっ」

 すると図書室の引き戸がゆっくり開いて、中から部長──海理(かいり)さんが半分だけ顔を覗かせていた。

 ……あっ、やべぇ。一瞬息止まった。

 にこにことお手本みたいな笑顔を浮かべてる時は、この人が本気で怒ってる時だ。

「なぁに一人で騒いでんのかなぁ?」

 ゆっくりとした足取りでこっちに歩いてきて、けど腰が抜けてしまったのか身体が少しも動かなくて。

「ち、違うんです。さっきまで三澄が……」

「確かに声聞こえてたけど、半分はお前の大声だったぜ? ここ、図書室の前って分かってる?」

 部長が口を開く度に元から低い声が更に低くなって、ああこれ絶対に詰んだ……。

「ごめん、なさ……い」

 若干涙目になりながら、呟くように謝罪する。

 でも、こんな時なのに頭の中に浮かぶのは、三澄の複雑そうな顔だった。