寡黙な野球部エースは俺の小説がお気に入りらしい

 どこだ、どこで落としたんだ……!?

 きょろきょろと足元に視線を集中させながら、俺は焦りに焦っていた。

 探してるのは作品の起承転結を書いたプロット──所謂(いわゆる)小説を書く時の設計図──で、それを書いたノートをどこかに落としてしまった。

 文庫本サイズのプロットノートには、ラメ入りのマスキングテープを背表紙に貼ってるから、これ以上ないくらい目印としては優秀だ。

 だからすぐ見つかると思いたいけど、あと十分くらいで昼休みが終わってしまう。

 部室からクラスまでの廊下を重点的に探しても、多分足りないだろうし……中を見られたら終わりだ。

 あの中には命よりも大事な……は言い過ぎた、ボツにした黒歴史的なネタも書いてる。

 それこそ恋愛ドラマのセリフ的なものも書いてあって、キスシーンの描写もある。なんで書いたら消すかページを破るかしないんだ、俺も。

 そもそも『昼メシ食べた後にちょっとプロット練り直そう』なんて考えなければ、ノートを持っていく理由はなかったんだよな。

 (せわ)しなく足を動かしながら、頭の中に浮かんだのは俺がまだ小学生で、小説を書き始めた時の事。

 ──なんだこれ、キメェ!

「……っ」

 あの時掛けられた言葉や声音までも思い出して、さぁっと血の気が引いていく。

 無意識にその場で立ち止まって、ひくりと頬が引き攣った。

 ……なんで今思い出すんだ、昔の事なんか関係ないだろ。

 ぎゅうと痛みを感じるくらい手を握って、でもそれだけじゃ足りなくて……ああもうっ!

「ほんと……馬鹿、だ」

 はは、と無意識に乾いた笑いが漏れる。

 もうあの日から五年も経ってるってのに……こんな時にフラッシュバックするとか、勘弁してくれよ。

 でも落ち込んでる場合じゃないのは分かってるから、ゆっくりだけどまた足を動かす。

「どこに落としたんだ、俺は」

 ブツブツと口の中で言いながら、恐怖が焦りに変わっただけマシだと思う。

 今回執筆するのは最終的に五千字くらいの予定で、長編専門の俺からしたら朝飯前だ。

 もちろん、ノートがなくても少しでも気合いと根気があれば、物語は書ける。

 でも無くしたのは初めてで、加えて一からプロットになんて書いたのか思い出しながら、その先を書いていくなんて無理かもしれない。

 部活の中で、早い人だともう本文が終わってるのに……! チクショウ、なんですぐ気付かなかったんだ!

 いや、分かってる。昼食を食べ終えて教室に戻る途中の廊下で、文芸部の後輩と会って……某配信者の動画投稿の話に夢中なった。

 あの時、自分でも気付かないうちに手から滑り落ちたんだ。

 こうなりゃ誰か……最悪、高嶺(たかみね)を呼ぶしかないかもな。

 正直、単に俺の不注意で『大事なノートを落としたから見つけるの手伝って』って言うのは気が引けるけど、背に腹は代えられない。

 高校生活で唯一、高嶺は『本当の』俺を知ってる奴だから。

 一旦その場で立ち止まって高嶺に電話しようとしてると、きらりと光るものが目の端に映った。

「っ……?」

 あれ、もしかして俺のノート?

 ちょっと疑問を感じながら、俺は小走りで何かが光った場所──窓際に駆け寄る。

「あ、あった……!」

 思った通り、そこには無地のノートが窓際の縁に立て掛けられていた。

 安堵のままノートを手に取ろうとすると横から手が伸びてきて、ふっと視界から消える。

「なっ……!?」

「──それ、お前の?」

 反射的にノートの行方を追って振り返ると、同時に低い声が聞こえた。

 俺を軽く見下ろす形で、短髪の男子生徒がこちらを見つめていた。

 やや日焼けした手には俺のノートを持っていて、話し掛けてきた相手が予想外の相手でまた驚く。

 その相手は四組の三澄(みすみ)で、生粋(きっすい)の野球バカって言われてる男だった。

 確かピッチャー? ってポジションで、次期主将と噂されているエース的存在。

 つい先週の金曜日、小説のネタを探しに野球部を見学した時に見た以来、かもしれない。

 クラスも別だし部活も真逆だし、なんなら性格も絶対交わらないし……三澄と直接関わる事なんて無いはず、だったんだけど。

 俺をまっすぐ見つめてくる瞳が鋭くて、どくりと心臓が嫌な音を立てる。

 三澄の目には、見覚えがあった。

 野球部を見学したあの日、夢中になってノートに書き(つら)ねた言葉の中に『鋭い瞳』があったから。

 あの時は遠目からしか分からなかったけど、それ以外の動作も他の人とは違うと思って感情のままに書いた。

 その時は単に、『我ながらいいじゃん』って自画自賛してたけど。

 ボールを投げる時のまっすぐで鋭利な瞳と、三澄が俺を見てくる瞳がまったく同じで……知らないうちに三澄をモデルにしていたと確信する。

「……な、なんで」

 ほとんど混乱した頭のまま、俺は三澄に向けて疑問を口にした。

 すると三澄は俺のノートを手に持ったまま、無表情で口を開く。

「そこ、落ちてたから。誰のか知らないけど、中見た」

 三澄はちらりと後ろに視線を向けて、また俺を見る。

「っ、あ」

 ひくりと頬が引き攣ると同時に、消えたと思った恐怖がまた湧き上がってきて、手の平を握り締めて耐えた。

 お、お前の中にプライバシーの侵害って言葉はないのか!?

 ……まぁ名前書いてないし誰のか分からないから、逆の立場なら俺も中身を確認すると思うけど。

 じわじわと背中に嫌な汗が伝っていくのを感じて、今すぐにでも三澄の手からノートを奪い返したい。

 でも話した事もない、まして拾ってくれた恩人にいきなりそんな事をしたら変人認定されるのは確実だ。

「で、これお前の?」

 俺が黙ってる間にも、三澄は重ねて尋ねてくる。

『そうだ』って言いたいのに、喉がカラカラに渇いて声を出せない。

 ……そんな、まっすぐに俺を見るな。頼むから、余計なことは言わないでくれ。

「あれ、聞こえてる?」

 黙ったままだからか再三、三澄が尋ねてきてノートを俺の顔の前でひらひらさせる。

 でも『返して』ってすぐに言えるくらい、余裕なんてあるはずもなくて。

「そう、ですけど」

 ほとんど苦し紛れに口の中で呟いて、俺も負けじと三澄を見る。

「っ」

 五センチとかそれくらいしか変わらないのに、三澄の体格の良さに驚いた。

 人ひとり分の距離があるけど、さすが野球部と言うべきか……学ランの上からでも分かるくらいがっしりとしていた。

 こうして三澄の身体を見てるとほんの少し恐怖が(やわ)らいで、呼吸が楽になっていく。

「……あの、見つけてくれてありが──」

 ややあって口元に淡く笑みを浮かべて、三澄の手からノートを受け取ろうとすると、すんでのところでひょいと避けられた。

「はい?」

 ひく、と頬が引き攣って、中途半端に浮かべた笑みが崩れ落ちる音がする。

 今、何が起こったんだ?

 疑問に思っても、すぐに三澄から答えが返ってくることはない。……ってか無表情なの、普通にめちゃくちゃ怖いんですけど。

「この続き、ないのか」

 やがて三澄がノートを差し出しながら、表情と同じくあまり抑揚のない声でぽつりと言った。