家を追放された生贄ですが、最強の大悪魔が花嫁になりました

「あら……なにかしら、この臭い。と思ったら、カイルじゃない」

 鼻先にハンカチを当てながら、義姉のドロッセルが露骨に顔をしかめた。

「まったく嫌になりますわね。少し近くを通っただけで、貧民街みたいな臭いがうつりそうですわ」
「仕方ないだろう、ドロッセル。そいつは半分、貧民の血が混ざった出来損ないなんだからな」

 義兄のドロイドが、楽しそうに肩をすくめる。

 二人は上等な服に身を包み、香水の匂いを振りまいていた。
 宝石を飾り、磨き上げられた靴を履いて、何一つ不自由なく生きていることが一目でわかる。

 対して僕は、ぼろ布をつないだような服を着て、屋敷の敷地の端に建てられた小屋に住んでいる。
 壁には隙間があり、風が吹く度に寒さが入り込む。
 雨が降れば屋根から水が落ちてくる。

 それが、僕……カイル・バーンクレッドの唯一の居場所だった。

「……」

 なにも言わない僕を見て、ドロイドがつまらなそうに笑う。

「相変わらず反応が薄いな。殴っても泣かない、蹴っても怒らない。人形の方がまだマシだぞ」
「人形は愛玩できますもの。でも、この子は見ているだけで気分が悪くなるわ」

 ドロッセルはそう言って、僕を見下ろした。

「だって、この子、バーンクレッド家の血を引いているくせに、ぜんぜん美しくないんですもの。顔立ちも冴えないし、覇気もないし、立っているだけで薄汚い。お母様が嫌うのも当然ですわ」
「父上だって同じだ。妾腹の子なんて、本来なら存在すること自体が不快なんだからな」

 妾腹。
 半端者。
 出来損ない。

 それが、僕に向けられる言葉だった。

 母さんは、もともとバーンクレッド家に仕えていたメイドだったらしい。
 ある日、父親に見初められたのか、それとも気まぐれに手をつけられたのか……僕は詳細は知らない。
 ただ、その結果として僕が生まれ、母さんは妾という曖昧で惨めな立場に置かれた。

 母さんはあまり笑わない人だった。
 僕に優しくしてくれたことはある。
 でも、愛してくれていたのかどうかは今でもわからない。

 そして母さんは、僕がまだ小さい頃に死んだ。

 病だったのか。
 心だったのか。
 あるいは、もっと別のなにかだったのか。

 それすら誰も教えてくれなかった。

 母さんがいなくなってから、僕の世界はさらに狭くなった。
 屋敷の外れの小屋に押し込められ、必要最低限の食事だけを与えられて、生きるとも死ぬともつかない時間を過ごしてきた。

 だからもう、なにも感じない。

 蔑まれても。
 殴られても。
 存在を否定されても。

 ……どうでもいい。

「おい、カイル」

 ドロイドが、いつもよりも機嫌のいい声を出した。

「今日はな、お前に良い知らせがある」
「……良い知らせ?」

 僕が顔を上げると、ドロッセルがくすくすと笑った。

「ええ、とても良い知らせですわ。ようやく、お前にも役に立つ時が来たの」
「役に……?」
「生贄だよ」

 ドロイドは、あまりにも軽く言った。

「領地の山に封印されていた悪魔が復活したらしい。で、父上がお前を生贄にすると決めた」
「……」

 一瞬だけ頭が真っ白になった。

 でも、不思議と恐怖はなかった。
 驚きも長くは続かない。

 ああ、そうか。
 そういう終わり方なんだ。

 ……まあ、それもいいか。

「なに、その顔? もっと泣きわめくかと思いましたのに」
「死ぬのが怖くないのか?」

 怖いのかもしれない。
 でも、それ以上に疲れていた。

「……別に」

 そう答えると、ドロイドとドロッセルは顔を見合わせて笑った。

「本当に気味が悪いな」
「でも助かりますわ。素直に生贄になってくれるなら、手間が省けますもの」

 それで話は終わりだった。

 僕の命が使い捨ての道具として扱われても、誰一人として心を痛めない。
 この家にとって僕は、最初から最後まで、そういう存在なのだ。

 でも、それでいいのかもしれない。
 生きる意味がわからないまま生き続けるより、終わりが決まる方が少しだけ楽だと思った。



――――――――――



 馬車に揺られて数時間。
 僕は兵士達に付き添われ、バーンクレッド家の領地の外れにある山へと運ばれていた。

 山の空気は冷たく、空は曇っている。
 森のざわめきが耳に重く響き、まるで世界そのものが僕の最期を見届けようとしているみたいだった。

 やがて、洞窟のような大きな入口の前で馬車は止まった。

「行け」

 兵士の一人が短く命じる。

 彼らはそこで足を返す。
 どうやら、悪魔のいる最深部まで付き合うつもりはないらしい。

「……逃げないのか?」

 別の兵士が、拍子抜けしたように僕を見た。

「逃げませんよ」

 逃げたところで行く場所なんてない。
 そう答えると、兵士は気まずそうに目を逸らした。

 僕は一人、ダンジョンの中へ足を踏み入れた。

 中は暗いはずなのに不思議と道は見えた。
 壁や天井に埋め込まれた鉱石のようなものが、ぼんやりと青白く光っているためかもしれない。

 死にに来たはずなのに、そんな光景を綺麗だと思ってしまった。

「……最後に見る景色が、これでよかったのかもしれないな」

 自分の声は驚くほど静かだった。

 一本道を進んでいくと、やがて巨大な空間に辿り着いた。
 屋敷がいくつも入りそうなほど広い空洞。高い天井。透き通るような光を放つ鉱石。現実離れした幻想的な景色。

 そして……その中心に、一人の少女がいた。

 陽の光を束ねたかのような金色の髪。
 陶器のように透き通る白い肌。
 輝く赤い宝石を思わせる瞳。

 それから、小さな角と腰の辺りから伸びる翼。
 翼はぴょこぴょこと小さく動いている。

 人間じゃない。
 それは一目でわかった。

 なのに……。

「……わぁ……」

 その子はあまりにも綺麗で、可愛くて、僕は思わず見惚れてしまう。

 女の子は少ししてこちらに気づいて、視線をよこす。

「む? なんだ、貴様は?」

 凛とした澄んだ声が響いた。

 僕は、その少女を見たまま、反射的にぽつりとつぶやく。

「……綺麗だ」
「は?」

 女の子が目を丸くした。

「い、今、なんと言った?」
「綺麗だな、って」
「お、お前……我を見て最初に言う言葉がそれか!?」