夕暮れの部室で、お互いの本音をぶつけ合ってから、数週間。
俺たちは「付き合おう」という決定的な言葉を口にできないまま、学園祭当日を迎えていた。
一ノ瀬はというと、演劇部の演出や脚本の最終調整で連日飛び回っていたし、俺は俺で、学園祭初日に企画されている部活対抗のミニゲームの準備に追われていた。
お互いの距離感に、どこか照れくささを抱えたまま、ついに演劇部の舞台本番の時間がやってくる。
熱気に包まれた体育館。
「絶対、最前列で観てね」と一ノ瀬に言われた通り、俺はステージの正面の席に座っていた。
ブザーが鳴り、照明が落ちる。幕が上がると、そこには豪華な衣装を纏った部員たちと、あの女子部員──看板女優の姿があった。
物語が進むにつれて、心臓が嫌な音を立てるのを止められなかった。でも、それは嫉妬じゃない。恥ずかしさのせいだった。
ステージ上のヒロインは、怒るとすぐに顔を真っ赤にして、鈍感で、でも必死に相手の服の袖を掴む。
そして、主役の男の愛おしそうな仕草、紡がれるセリフの数々──。
『他の誰かにそんな顔で笑いかけるのも、僕の知らないところで誰かの特別になるのも、全部嫌なんだ』
『間違えるたびに、僕は君に一歩近づくよ』
言葉のチョイスこそ、舞台用に変えられている。でも、それは間違いなく、一ノ瀬が俺に見せた執着そのものだった。
それに対して「な、何言ってんの?」とパニックになりながら、耳まで真っ赤にするヒロイン。そのリアクションは──紛れもなく、俺自身だ。
あいつ、本当に全部、俺たちを台本に使ったのかよ。
客席の誰もが「なんて切なくて情熱的なラブストーリーなんだ」と、息を呑んで見つめている。俺はただ、これ以上ないくらい顔を真っ赤にして、震えることしかできなかった。
ステージで繰り広げられているのは、俺たちの「答え合わせ」だった。
劇的なフィナーレを迎え、大成功の拍手の中で幕を下ろす。
照明が明るくなった瞬間、呆然とする俺の肩が掴まれた。
「二宮、お前こんな最前列にいたのかよ」
振り返ると、サッカー部のユニフォームを着た三宅と部員たちが、フランクフルトを片手にニヤニヤしながら立っていた。
「いやー、一ノ瀬の脚本まじですげぇな」
「あのヒロインの男勝りっていうか、テンパった時の怒り方……なんか二宮に似てなかった?」
「俺もそれ思った。一ノ瀬、二宮を観察してキャラ作りの参考にしたんじゃね?」
俺の気持ちを知ってか知らずか、口々に感想を言い合う。
鋭すぎる身内の勘に、俺は冷や汗が止まらなくなった。
「な、何言ってんだよ! んなわけねぇだろ、ただの演劇のヒロインだって!」
「そういうとこな。あ、この後、サッカー部で買い出し行くけど、二宮も──」
三宅が言いかけた瞬間、ポケットの中でスマホが激しく震えた。慌てて画面を開くと、一ノ瀬からのメッセージが表示される。
『舞台袖に来て。待ってる』
「あ、悪ぃ。ちょっと用事あるから、先行ってて!」
「おい!」
呼び止める声を背中に受けながら、体育館を飛び出す。
バックステージは、ひんやりとした静寂に包まれていた。さっきの喧騒が遠のいていく。
ぼんやりと照明が灯る、薄暗い空間に足を踏み出す。
「わっ……!」
背後から、強い力で抱きしめられた。
「一ノ瀬……っ、離せよ。三宅たち、まだその辺にいるんだって」
「こんなとこまで来ないから」
耳元で、一ノ瀬の少し掠れた低い声が響く。俺の肩に顔を埋めるようにして、愛おしそうに腕の力を強めた。
「……舞台、どうだった?」
ずるい男だ。俺が最前列でどんな顔をして観ていたか、分かってるくせに聞いてきている。
小さくため息をつくと、重ねられた一ノ瀬の腕に自分の手を重ねた。
「すげぇ良かった。てか、あのセリフもリアクションも全部俺じゃん。三宅たちにも怪しまれたんだからな」
「狙い通り」
腕を解かれて、くるりと身体を反転させられる。
至近距離で見つめてくる。もう慣れた──とは言えない。でも多分、これからだんだんと慣れていくんだろう。
「なぁ、一ノ瀬。聞きたいことあるんだけど」
「何?」
「その、当て書きとか勉強会とかで呼び出す前から、俺のこと……」
言葉が詰まる。視線を泳がせる俺の顎を、一ノ瀬の長い指先が優しく上を向かせた。困ったように、でもひどく愛おしそうに目を細める。
「まだ気づいてなかったの? 本当の始まりはね、瞬が赤点を取るより、もっと前だよ」
「え?」
「ほら、覚えてない? 保健室で、瞬が声かけてくれたじゃん」
初めて、まともに一ノ瀬と話した日だ。
「あの時、なんの偏見も持たずに話しかけてくれたのが嬉しくて。気がついたら、目で追ってた」
「……まじか」
「僕と違って、いつも友達に囲まれてて。だから、どうにか振り向いてほしくて」
じゃあ、あの噂が立つ原因になった最初の勉強会も、ヒロインの当て書きのためだった実験も、全部。
あの日、保健室で心を奪われた一ノ瀬が仕組んだ、俺を独占するための壮大なプロットだったってことか。
「最初から、瞬のことしか見てなかった」
付き合うなんて言葉を飛び越えた、一ノ瀬の重すぎる愛の答え合わせ。どうしようもなく愛おしい。
「……ありがと。好きになってくれて」
「それ、僕の台詞なんだけど」
楽しそうに笑う王子様に、俺はきっと、これからもずっと翻弄され続けるんだろう。
胸の奥を満たす、どうしようもないくらいの甘い痛み。それを抱えながら、俺はあいつの胸元に、今度は自分からそっと顔を埋めた。
学園の王子様が書き上げた舞台は、今日、満員の観客を魅了して大成功のうちに幕を閉じた。
でも、誰も知らない。その完璧な脚本の裏側に、一人の男を振り向かせるためだけの、こんなにも必死で、一途なプロットが隠されていたなんて。
一ノ瀬蓮の書くプロットは、いつだって強引で、意地悪で、完璧だ。
そして、その極上のシナリオの上で、これからも世界一幸せなヒロインを演じ続けられるのは、俺だけの特権らしかった。
俺たちは「付き合おう」という決定的な言葉を口にできないまま、学園祭当日を迎えていた。
一ノ瀬はというと、演劇部の演出や脚本の最終調整で連日飛び回っていたし、俺は俺で、学園祭初日に企画されている部活対抗のミニゲームの準備に追われていた。
お互いの距離感に、どこか照れくささを抱えたまま、ついに演劇部の舞台本番の時間がやってくる。
熱気に包まれた体育館。
「絶対、最前列で観てね」と一ノ瀬に言われた通り、俺はステージの正面の席に座っていた。
ブザーが鳴り、照明が落ちる。幕が上がると、そこには豪華な衣装を纏った部員たちと、あの女子部員──看板女優の姿があった。
物語が進むにつれて、心臓が嫌な音を立てるのを止められなかった。でも、それは嫉妬じゃない。恥ずかしさのせいだった。
ステージ上のヒロインは、怒るとすぐに顔を真っ赤にして、鈍感で、でも必死に相手の服の袖を掴む。
そして、主役の男の愛おしそうな仕草、紡がれるセリフの数々──。
『他の誰かにそんな顔で笑いかけるのも、僕の知らないところで誰かの特別になるのも、全部嫌なんだ』
『間違えるたびに、僕は君に一歩近づくよ』
言葉のチョイスこそ、舞台用に変えられている。でも、それは間違いなく、一ノ瀬が俺に見せた執着そのものだった。
それに対して「な、何言ってんの?」とパニックになりながら、耳まで真っ赤にするヒロイン。そのリアクションは──紛れもなく、俺自身だ。
あいつ、本当に全部、俺たちを台本に使ったのかよ。
客席の誰もが「なんて切なくて情熱的なラブストーリーなんだ」と、息を呑んで見つめている。俺はただ、これ以上ないくらい顔を真っ赤にして、震えることしかできなかった。
ステージで繰り広げられているのは、俺たちの「答え合わせ」だった。
劇的なフィナーレを迎え、大成功の拍手の中で幕を下ろす。
照明が明るくなった瞬間、呆然とする俺の肩が掴まれた。
「二宮、お前こんな最前列にいたのかよ」
振り返ると、サッカー部のユニフォームを着た三宅と部員たちが、フランクフルトを片手にニヤニヤしながら立っていた。
「いやー、一ノ瀬の脚本まじですげぇな」
「あのヒロインの男勝りっていうか、テンパった時の怒り方……なんか二宮に似てなかった?」
「俺もそれ思った。一ノ瀬、二宮を観察してキャラ作りの参考にしたんじゃね?」
俺の気持ちを知ってか知らずか、口々に感想を言い合う。
鋭すぎる身内の勘に、俺は冷や汗が止まらなくなった。
「な、何言ってんだよ! んなわけねぇだろ、ただの演劇のヒロインだって!」
「そういうとこな。あ、この後、サッカー部で買い出し行くけど、二宮も──」
三宅が言いかけた瞬間、ポケットの中でスマホが激しく震えた。慌てて画面を開くと、一ノ瀬からのメッセージが表示される。
『舞台袖に来て。待ってる』
「あ、悪ぃ。ちょっと用事あるから、先行ってて!」
「おい!」
呼び止める声を背中に受けながら、体育館を飛び出す。
バックステージは、ひんやりとした静寂に包まれていた。さっきの喧騒が遠のいていく。
ぼんやりと照明が灯る、薄暗い空間に足を踏み出す。
「わっ……!」
背後から、強い力で抱きしめられた。
「一ノ瀬……っ、離せよ。三宅たち、まだその辺にいるんだって」
「こんなとこまで来ないから」
耳元で、一ノ瀬の少し掠れた低い声が響く。俺の肩に顔を埋めるようにして、愛おしそうに腕の力を強めた。
「……舞台、どうだった?」
ずるい男だ。俺が最前列でどんな顔をして観ていたか、分かってるくせに聞いてきている。
小さくため息をつくと、重ねられた一ノ瀬の腕に自分の手を重ねた。
「すげぇ良かった。てか、あのセリフもリアクションも全部俺じゃん。三宅たちにも怪しまれたんだからな」
「狙い通り」
腕を解かれて、くるりと身体を反転させられる。
至近距離で見つめてくる。もう慣れた──とは言えない。でも多分、これからだんだんと慣れていくんだろう。
「なぁ、一ノ瀬。聞きたいことあるんだけど」
「何?」
「その、当て書きとか勉強会とかで呼び出す前から、俺のこと……」
言葉が詰まる。視線を泳がせる俺の顎を、一ノ瀬の長い指先が優しく上を向かせた。困ったように、でもひどく愛おしそうに目を細める。
「まだ気づいてなかったの? 本当の始まりはね、瞬が赤点を取るより、もっと前だよ」
「え?」
「ほら、覚えてない? 保健室で、瞬が声かけてくれたじゃん」
初めて、まともに一ノ瀬と話した日だ。
「あの時、なんの偏見も持たずに話しかけてくれたのが嬉しくて。気がついたら、目で追ってた」
「……まじか」
「僕と違って、いつも友達に囲まれてて。だから、どうにか振り向いてほしくて」
じゃあ、あの噂が立つ原因になった最初の勉強会も、ヒロインの当て書きのためだった実験も、全部。
あの日、保健室で心を奪われた一ノ瀬が仕組んだ、俺を独占するための壮大なプロットだったってことか。
「最初から、瞬のことしか見てなかった」
付き合うなんて言葉を飛び越えた、一ノ瀬の重すぎる愛の答え合わせ。どうしようもなく愛おしい。
「……ありがと。好きになってくれて」
「それ、僕の台詞なんだけど」
楽しそうに笑う王子様に、俺はきっと、これからもずっと翻弄され続けるんだろう。
胸の奥を満たす、どうしようもないくらいの甘い痛み。それを抱えながら、俺はあいつの胸元に、今度は自分からそっと顔を埋めた。
学園の王子様が書き上げた舞台は、今日、満員の観客を魅了して大成功のうちに幕を閉じた。
でも、誰も知らない。その完璧な脚本の裏側に、一人の男を振り向かせるためだけの、こんなにも必死で、一途なプロットが隠されていたなんて。
一ノ瀬蓮の書くプロットは、いつだって強引で、意地悪で、完璧だ。
そして、その極上のシナリオの上で、これからも世界一幸せなヒロインを演じ続けられるのは、俺だけの特権らしかった。
