勾玉遊戯:過去編1990-2000

 
 
 あざやかな手つきで食材の下処理を終え、迷いなく調味料を選んだりする。そんな兄を少し後ろから眺めつつ、司はふと、口にしていた。
「柚真兄ってさ……」
「うん?」
「いつから料理とか、するようになったんだっけ? ……ていうか、どうしてそんなに上手いの?」
 両親が家をあけがちな家で、家政を担当してくれる人は家の人間が代わりに雇ってくれているものの、いつのまにか、兄の柚真人が台所に立つことが多くなっていた。そんな経緯もあって柚真人の料理が上手いのは、まあ今更のことなのだけれども、なんとなく、たったいまその手元を見ていて、高校生の手つきじゃないのよね、と思ったのだ。なんというか、やることなすことのすべてがなめらかで、美しい。もともと柚真人にはそういうところがあるのだけれど、目を惹きつけられてしまうほどなのが、謎だ。
 いちおうちゃんと調理用のシンプルなエプロンなぞ身に着けている柚真人は、台所に入ってきていた司を振り向くと、
「いつからというかどうしてというか……自分でできることは自分で出来た方が得だろ」
 柚真人にしてみれば、しかしこれは司の疑問に対してうまく取り繕った答えに過ぎなかった。柚真人には柚真人で、どうして自分が台所に立って料理をするようになったのか、理由があるにはあったのだが、それを司に言うわけにはいかないので――ある。
 司は、ふうん? と、わかったようなわかってないような顔をして、とりあえず納得したようだ。まあそうだろう。柚真人自身、そういう性格をしていることを、司は良く知っているはずだから。つまり、自分でできることは自分でする。そのための努力はそれなりに惜しみなくする方だ。
 けれども、本当のところはというと。
 司は、覚えているだろうか。あれは、確か柚真人が10歳になる年の、誕生日だったろうか。司が、ケーキを作ってくれたことがあったのだ。もちろんそれは、ごく一般的な女の子の、ちょっとした背伸びのようなものであったろう。あるいは、ちょうど学校でも家庭科の調理の授業が始まる頃で、たまさか、料理を家でもしてみたくなったとか。学校で、女の子同士で、お菓子を作るの作らないのの話題が出たとか。妹の手作りケーキは、まあ、まあまあの失敗だった。司はとてもしょげていたけれど、柚真人としてはとても嬉しかった。だから自分もお礼にと思って、その誕生日からほど近かったクリスマスに、ケーキを作ってみた。しかもこちらは抜かりなく、いつも家にきてくれている長兄が雇った家政の女性にコツをならって、こっそり一回は練習――この練習の成果物を黙って処理させられたのは弁護士の優麻と長兄の卓史だ――もして、である。もちろん司に提供したクリスマスケーキは完璧な出来栄えだった。かといって司を傷つけることもないように細心の注意を払ったから、司は単純に喜んでくれた。だから、だ。
 自分にできるこんなに単純で簡単なことで、司が笑顔になったとき、なにかがすとんと落ちてきたとでもいえばいいのか。自分の胸に、なんともいえない温かさが灯るのを感じて。司が笑ってくれるなら、と。そう思ったら、いろいろと極めすぎるくらいに極めてしまったのである。
 そんな想いは、当然妹には伝わらないだろうし、伝えられるものでもない。
 でも、そんな中でも自分のすることがちょっとでも彼女の気持ちをいい方向へ変えられるなら。
 柚真人にとってそれ以上大事なことはないのである。
「それで、……なに作ってるの?」
 司が、柚真人のすぐそばまでやってきて、調理台を上をのぞきこんでいた。
「……アクアパッツァ。帰り途中に、ちょっと美味しそうなスズキがあったから」
 アクアパッツァが妹にわかるかなあ、と思いつつ答えた柚真人だ。
 司は応えて、
「ア……? …………それって……えーと……なんとなく……魚の煮物よね? なんかこう……洋風の、オシャレえなやつ?」
「……」
 まあ、そういう言い方でひとくくりにすることもできるだろう。
「高校生の男子で下校してア……? アクア? パッツァ? とか作ってるの、柚真兄くらいだよ、きっと」
 呆れと感心がまざりあった口調で司が言う。
 なので柚真人は、いちおう誉め言葉と受け取っておこう、と解した。
 司からしてみたら、もう、よさげな魚があったからとか言っていきなりそれを下校時に魚屋寄って買ってきて自分で捌いてるところからして、謎だ。
 しかもこの兄、こういうふうに早い時間に帰宅しているということは今日は部活とか委員会とか神社の仕事が無い日なわけで、そんな日に限ってさらに上乗せして家事をしようとする。もちろん、美味しいもの、好きなもの、その時に食べたいと思ったもの、を自分で作って食べられたらそれが一番だろ的な兄の言い様には頷けるが、司にはそれだけでこんなことは出来ない。謎だ。兄の生き様が。
「……出来るまでもう少しかかるから、その間に、お前は宿題でもやったんさい」
 柚真人は柚真人で、司のそんな空気を感じている。
 それでも、いいのだ。
 司には、絶対に、美味しい、と言わせてみせるから。
 その時に、すこし、しあわせそうに笑ってくれれば。
 
 我ながら少々虚しくすれ違っているなあ、と感じるけれど。
 言えない答えが、胸にはある。
 ――おれが料理なんかはじめたのはなあ、司。
 ――お前の笑顔が見れるから、だよ。
 ――それ以外に理由なんてあるものか。