「『草薙の巫女』および『皇の鬼』を疾く呪殺せよと……十年前、あなたにはそう命じたはずでしたね」
柔らかな声音に、女は小さく頷いた。
声の主は、女に重ねて静かに問う。
「……なぜ、あなたはそれを拒んだのです?」
「……」
「何故です?」
促され、女は口を開く。
「……過ぎた介入と判断したからです。それが残された唯一の途ではなかったからです」
「それだけ……でしょうか?」
「……私情、と思われますのか」
女が言う。
声の主は、逆に問われて黙したが、しばしの後、明確に言い切った。
「否。あなたはそれほど愚かではあるまい。もっとも、私情に走るがすべて愚かとは、言わないが……とまれあなたの判断が私情に基づいたものであったと、私はそうは思わぬよ」
「申し訳……ありません」
「なぜ謝る?」
「……」
「いまになって、生かしておくべきではなかったと、そう思うかね?」
「……いいえ」
「ではなぜ?」
「……やはり、……私情なのかもしれません。……わたくしはこの力と地位を利用して、復讐を願っていたのかもしれません。唯一、この国で合法的に人を殺傷出来る、この呪力で」
再び沈黙があった。
「……あなたの兄と、姪御のために?」
「ええ……」
「否。あなたは迷っていたのだろう。いまは、どうなのだ?」
正しい言葉だと、女は思った。
迷い。
そう――確かにあの時、自分は迷っていたのだ。
下された命に従うこともできずに。
震える幼子を目の当たりにして。
迷った。
それは事実だ。
「――漣の鎮護官」
ふいにそう呼ばれ、女はおもわず顔を上げる。
「……さ……祭司長――」
「あなたは、いまも迷っているのだろう。……そうではないか?」
「――」
「時がいたり、私がもう一度、同じ命を下さねばならなくなった時。あなたは私の命に疾く従えるか?」
「 ……」
「答えなさい、鎮護官」
正す声は、厳しかった。
当然だ――女は唇を噛み締める。そうせねばならないと、わかっている。けれど。できるのかと問われれば。
「漣。返答を」
「……その可能性は……まだ捨てられないのですか?」
「残念ながらそうだね。確かに、皇の呪力に凄まじきものはあろう。けれど彼女が『草薙刃舞流神道』の一子であることも間違いのない事実。両者の力はいずれかがいずれかを凌ぐものではない」
「……しかし」
女は言った。
「なんです?」
「……彼女はもはや『草薙の巫女』ではありません……。『草薙の者』ではない……ありようがない、はず、なのです。ですから、その運命のもとに葬り去ることは……出来ません」
「……なるほど。……では命じよう。彼女が、もし、まんにひとつ、『草薙の巫女』であることに目覚めたのであれば、殺しなさい」
「……もし、そのような事態に陥った時、彼女は――」
「黄泉の太刀を手にした剣の巫女です。……答えを聞きたいですか?」
「……いいえ」
「ならば、よいでしょう。彼女の魂を汚染した『穢レ』が、彼女を食い潰すことがあれば。あなたが彼女を滅ぼすのだ。それが十年前、あなたがなした選択への責任と心得よ。漣」
重い、命だった。
そして重い、言葉だった。
その時が、かならずや訪れると。
その命は意味しているのだから。
沈黙――。
しかしそれは、求められる返答ではなく、また許される返答でもない。
だから女は頷いた。
「はい。……確かに心得ました」
☆
けれど――。
彼は思った。
このまま。
何事も、あっては欲しくないと。
そもそもは、彼らに罪などないのだ。
あの時。
彼らは、幼かった。何も知らない、子供だった。
手落ちならば。
こちらにあったと、いうべきであろう。
そう。
あの者に、『魂分』の秘術を奪われた。
それこそが。
すべてのはじまりだったのだ。

