勾玉遊戯:過去編1990-2000

12



    ☆

 翌朝――。
 目が覚めるともう、家の中に人がいる気配が無かった。
 静かな朝だけがそこに在る。九月がもう終わる頃で、空気が乾いて冷たくなってきていた。
 身体を起こして司は嘆息する。
 ――君が誰を好きかより、君が嘘をつくことの方が、いけないことだと思うよ。
 昨夜、文化祭を休み倒してしまった司の具合を気にして、優麻と一緒に皇邸で食事をしてくれた飛鳥が、別れ際にそんなことを言った。
 ――正直にね。
 無理だ。
 司はそう思った。
 それにしたって相手が悪い。
 けれど、もはや自分自身に嘘をつくことさえ困難なことも事実で、どうしたらいいかわからない。
 ――でも。
 深呼吸して――朝の気配の中で、寝間着を脱ぎ捨てる。
 とにかく気分を入れ替えて。
 前だけは向いておこう。


 そう思った。
 この心を捕らえて縛る、あの人のように。まっすぐに。

      ☆

「こーちゃん、おはよ!」
 教室に入ると、久美が手を振るのが目に入った。
 級友の何人かと挨拶を交わしながら、司はそれに答える。
「どうしたのお、三日全部休んじゃって!」
 司が自分の席に鞄を置くと、久美が傍らまでやってきて、心配そうに司の顔をのぞき込んだ。
「残念だったわね。風邪なんかひいちゃって」
 と、彩。彼女はぺらりと何やら紙切れを司の前に提示する。
「……なに、それ?」
 尋ねると、彩がふふんといって自慢げに胸を張った。
「決まってるでしょ。杉本組クイズの賞品。学食半年食べ放題のプラチナ食券よ」
「え、彩ちゃんアレ出たの?」
「当然」
 彩は涼しげに言った。
「賞品という賞品は総嘗めよ」
「彩ちゃんすごいんだよう。久我君とふたりで二人羽織早食いにも出たし――」
「もちろん早食いは久我君担当よ」
「久我級長かわいそ……」
「あら何か言った?」
「う、ううん、全然!」
「あんたも恩恵に預からせてあげるから、感謝してよね。まったく……皇ちゃんが休んだおかげで結構大変だったんだから」
「……ごめん」
「本当よ。今日の後片付けぐらいは、きっちり働いてもらうわよ、皇ちゃん?」
「わかってる。本当、ごめんね」
 実行委員のひとりであったから、本来なら文化祭期間中それなりに仕事があったはずなのだ。それを二人が肩代わりしたことになる。
 申し訳なくて、司は両手を合わせ、おもわず二人を拝んだ。
 本当は風邪などではなかったあたりが、かなり痛い。
 それはもうずきずきと、良心が痛い。
「それで……うちのクラス、どうだった?」
「うんまあそこそこ盛況だったわよ。あんたの兄貴様に教わった通り、調理班に伝授して、事なきを得たってところかしらね」
「よかった……」
 正直安堵する。
 その点はとりあえず胸を撫で下ろしてもよさそうだった。
「にしても、皇先輩って本当、よくやるわよねえ。ウチの調理班にもすこし顔出してくれたりしたのよ。もー、女子大騒ぎで大変だったわ。そのあと、橘先輩と組んで有志球技大会にも出てたし」
「そうそう。かあっこよかったんだからあ」
「惜しかったのよ。あたしのチームは準優勝」
「彩ちゃん……。そんなとこまで……」
「総嘗めだって言ったでしょ。そりゃあもうすごい好ゲームだったわねえ。それに、かっこよかったのはどっちかっていうと橘先輩でしょ。あんたはそれで当番をサボったのよねえ?」
「大丈夫よおう。これから写真さばくからあ」
「あんた……そういおうことに精を出していたわけ……?」
「そうよう。もちろん皇先輩は非売品だけどお。杉本先生とか、矢野先輩とか、人気あるのよ。これで足が出た分の予算を埋めるもんっ」
「ああそう。勝手にやって頂戴」
 司はふたりのやり取りを眺めて少し笑った。
 久美がまた唇を尖らせて、彩がそんな久美を揶揄するようにあしらう。
 そんな光景は、安堵と不安を覚えるくらいにいつもと変わらない。


 朝のHRが終わると、祭の後のかたづけである。
 器材の返却や、ポスター、張り紙の始末。移動した机や椅子を元に戻す。
 久美と彩に急かされながら、校舎の隅から隅までを行ったり来たりして、司はきりきりと働いた。
 彩は、どうやら有志球技大会での準優勝が大変不本意であったようで、命知らずにも橘飛鳥を好敵手と決めたらしく、彼女は、「次の体育祭と球技大会は負けるわけにはいかないわね」などと言っていた。
 体育祭は十月、中間考査のすぐ後で、球技大会は期末考査の直前。彩は好成績を誇っているうえ上位から陥落するつもりなど毛頭無いであろうから、立派な心掛けだ。
 もっとも、それくらいでなければ、あの天然お祭野郎、橘飛鳥とは勝負になるまい。
 それにしたって――とりあえず目先の大問題はまず中間考査で、この成績をどうにかしないと、司はまた、完全無欠の兄貴様に、とやかく言われることだろう。
 それだけは御免被りたい。
 半日かけた校内清掃で、学校はようよういつもの無機質な姿を取り戻た。
 祭が終わりを告げる時。
 学生にとっては、少し淋しいような、あのかわいた空気が学校という空間のそこここに漂っている。
 明日からは、また普通の毎日が繰り返されるのだろう。
 その日の予定は清掃のみだったから午後は休校だった。
 司と彩、そして久美の三人は、いつもと同じように屋上で昼食を広げ、これからしばらく続くであろう憂鬱な勉学の日々に向けて、思いを馳せた。


 本当に――それは、いつもと同じ、在り来たりの一日だった。
 不安と、安堵を覚えるくらいに、日常だった。

      ☆

 けれど――螺旋は捩れながら運命を描く。
 何かが壊れる時。
 それはとても些細で、簡単。