勾玉遊戯:過去編1990-2000

07


 
 小さな少女がふうふう言いながら荷物を抱えて歩いている。
 難儀そうな様子を見遣って、飛鳥は彼女を呼び止めた――月曜日の放課後。
「緋月ちゃん、半分もったげようか」
「あら、飛鳥さん」
 自分の抱えた荷物の影から、少女が顔を覗かせた。
「お帰りですの?」
「いーや、部活。貸して」
「ええ、ありがとうございます」
 立ち止まった彼女から、飛鳥は半分荷物を受け取って、肩を並べて歩きだす。
 荷物は、ほとんどが裁縫に使うような布地の塊だった。
「何これ?」
「ああ、衣装……の、布ですわ」
「へえ? 緋月ちゃんのクラス?」
 半分でもまだ大変そうに生地らしき布の束を抱え、緋月が首を振った。
「クラスというより、何でしょう。合同企画ですの」
「ああ、一年有志の演劇ね?」
「ええそうですわ。私は……よくわかりませんけれど衣装の係で……」
「劇には出ないの?」
「私、そういうのはあんまり……」
「もったいない。どんなお話?」
「内緒なのですって。箝口令が敷かれていますのよ。ですからお教え出来ません」
「へえ。それは念のいったことだね」
「ええ。……ああそうですわ。最近柚真人さまお元気でいらっしゃいます?」
 緋月が言うので、飛鳥は首を傾げた。
「あれ、下校一緒じゃないの?」
「最近はさすがに。部活がある時はご一緒していただきますけれど、いまはそれもお休みですし、委員会のお仕事がお忙しいようで、お会いしていないんですのよ」
「ああそうか。なるほどね」
 緋月はつまらなさそうに唇を尖らせている。
 そんな彼女の横顔を眺めながら、飛鳥は黙って歩いた。
「文化祭当日はつかまらないかしら」
「ああたぶんね。それに向こうずっと、体育祭に球技大会でしょ。今からクリスマスあたり、予約しておいたら?」
「そうですわねえ……」
 困ったような顔で、緋月が呟いた。


 文化祭まではあと二週間ばかりで、夕方の空の色や、朝の空気の匂い、廊下を吹き抜ける風の温度が、変わりはじめていた。
 九月が終わろうとしている。      

       ☆

 結局、学級長の強行かつ有無を言わさぬひとこえにより、二年三組の売り物は饅頭団子で押し切られてしまった。
「私、および久我君のノートを、以降すべての学力考査において必要としない者は、遠慮なく反対して頂戴」
 と、にっこり笑って言い切る彩も彩だが、それで黙らざる終えなかったクラスもどうか。思うにの学級の級長ふたりはそうとうに悪辣だ。
 そして司を含めた数名が提案したろくでも無い餡計画は、もちろん日曜日の試作段階で、彩と柚真人に却下され、なんとかまともな和菓子処らしきものに落ち着くこととあいなった。
「大丈夫です先生、何も問題ありません。クラス一同円満に進んでますからどうぞご心配なく」
 と、今週に入って、笹原彩はクラスと担任にそう報告したらしい。
 お祭り騒ぎが一週間前に迫ると、午後の授業は無くなって、文化祭の準備に充てられる。
 校内の装飾が少しずつ進み、各種企画のエントリーが始まる。フライングともいうべき諸行も時折見掛けられるようになるが、それもお祭の前のあの、どこか楽しくて切ない空気に飲み込まれていく。
 どこか切ない、お祭の、空気に。

      ☆
  
 皇柚真人や橘飛鳥が所属する実行委員会執行部も、それにつれ比例して輪をかけて多忙になっていくのだろう。司はここのところ、家で兄を見かけない。
 けれども今は、柚真人にどんな顔を向けたらいいのか、自分自身でどうにも見当がつかなかったから、気が楽といえば楽だった。
 本当のところを言えば、言葉を交わすのが、――怖いのだ。
 兄が忙しいのは一年通していつものことだったが、学校からの帰宅が遅い上に、夜は夜で家の仕事をしなくてはならない様子で、そして朝も早いらしい。
 司が目を覚ます頃、すでに兄は家を出てしまって姿が無い毎日がここのところずっと続いていた。
 先週に引き続いて、日曜日に皇邸で催された練習会を終えて以来、そう言えばろくに会話する暇もなかっただろうか。そのうえ皇家では、現在高校生である司と柚真人の兄妹以外の家族は常に家を空けがちだから、家はいつにもましても静かだった。


 学校と家との温度差は奇妙な感じだ。


 夜、――しんと音の途絶えた部屋から闇色を見上げて、司は思う。
 柚真人のこと。
 どう思う?
 ――誰が傷つこうとお構いなしってこと。
 彩の言葉はある意味正しい。
 彼がそういう男だと、いうことも出来る。
 でも。彩の危惧――そんなこと、彼はとうにわかっているだろう。
 ――そういう人の気持ちは重い。
 柚真人が言ったその言葉に鑑みれば。
 ――期待をもたせるわけにはいかない。友達が傷ついたら、お前が困るだろう。
 彩の言葉は――正しいけれど、正確ではない、と思う。
 柚真人は、意図的に人を弄んでいるわけでは――無い。
 一見冷血なように思えるけれど。
 あれは、冷血なのではなくて、冷徹なのだ。
 誰が傷ついても、頓着しない――普通の価値判断をすればそれは確かだろう。
 だが、ほんとうのところはそうではないのだ。
 本当に傷つくというのがどういうことか――柚真人はそれを知っている。傷つく、ということの本当の意味を知っているから、だから甘くない。
 それだけのこと。
 人の気持ちの軽さを誰より良く知っているからこそ。
 人の心を蔑み、侮蔑して。
 人の気持ちの重さを誰より良く知っているからこそ。
 人の心を畏れ、敬意を払う。
 それだけのことだ。
 彼の在り方は。
 たぶん――それほどに冷徹。
 だからこそ、どんなに『悪辣』なことも『狡猾』なこともできる。結局それは、他者の視点からの評価でしかなく、彼はいつだってただ的確に、冷静に、己が最善と信じる路を、怯まずに選択しているにすぎない。
 何事に対峙する時も、真摯に。
 その姿勢に、司は強く強く惹かれているのだ――ろう。
 惹かれているのに――。


 そんな彼が、いったい、誰を想う?