04
――金曜日。
HRが終わって、司は、学校からの帰り道、久美と寄った本屋で入手した数冊の和菓子レシピを携えて帰宅した。
彩が簡単で、費用のかからないものにするように、と言ったので、その通り初心者向けの本を買った。もっとも、兄の部屋には妙に専門的でマニアックな本がたくさんあったのだが、結局それは参考にならないだろう。
「なんでおれがこんなことを……」
台所のテーブルで、兄が溜め息を落している。
夕食後。
食器を洗う手を止めて、司は柚真人を振り向いた。彼は司に背を向けた格好で椅子に座り、和菓子の本を数冊並べてページをめくっている。
「あの……」
「なんだ」
「ごめん……ね?」
「あやまるな」
と、柚真人。
「ごめ……」
「……お前は何か悪いことをしているのか?」
「……」
確かに、そういうわけではない。柚真人は常々、お前の嫌な癖だという。意味もなくあやまられると、あまり気持ちがよくないそうだ。
食器を手早く片付けて、柚真人の反対側に司も腰を下ろした。
「それで、日曜に来るのはお前のクラスの委員?」
「うん……あ、でも女子だけね。久美ちゃんと彩ちゃんだから」
「ああそう」
「柚真兄は、……文化祭はどうなの?」
「さてねえ。執行部で手一杯だろうね」
「そう……」
「和菓子か……」
「和菓子って……難しいよね?」
「ピンキリだよ。簡単なものだけ作ればいいんだろ」
「もちろんそのつもり。予算もあるし」
柚真人はしばらく本を見ながら考えていたようだったが、ふいに、顔を上げて司を見た。
柚真人を見ていた司は、少しだけ驚いてそのまなざしを見返す。
「……なに?」
「ところで……お前、……利用されている自覚はあるんだろうな?」
「え?」
少しの沈黙があった。
「お前の友達のことだよ」
「?」
「どっちかっていうと、……小さい……猫っ毛の子。に、巻き込まれたんだろって云ってるんだよ。このお人好し」
柚真人は揶揄するような口調で言った。
「あの……?」
「お前が。実行委員て柄じゃないし。いまさら料理を教わりたがるわけないだろ? ってことはだ。誰かに頼まれた。そう判断すべきだろう。で、そうなるとおれに興味がありそうなのは、小さい子の方」
兄が、何を言っているのか、そこまで言われてやっと理解する。思えば、そういった状況に慣れっこになっている彼が、久美の目論見に気づかないはずは無かった。
司は慌てた。
「兄貴、そういう言い方って……」
思わずそう言う言葉が口をついて出たが、兄はそれを、ぴしゃりとさえぎる。
「仲介役でも買って出たつもりか?」
「ち、……違うよ」
まっすぐな視線に耐え兼ねて、司は目線を逸らす。
「でも……。断る理由がないもん……」
「まあそうだな」
あっさりと、頷く。
「でもひとこと言っておくと、おれはたぶんそういう期待にはこたえられないよ?」
「それは……」
「『あたしの責任じゃないもの』とか思ってない?」
辛辣な言葉が胸を刺す。
こういうとき、兄は本当に容赦がない。
「き……決めつけないでよ。……別に、彼女もちじゃないでしょ」
「さあ……どうかな?」
唇の端を歪めて言う。嫌な表情だ。
揶揄するような言葉と口調にむっとした。
「あのさ。久美ちゃんは、友達だし? あたしは、別に利用されてるなんて思ってない。久美ちゃんはそういう子じゃないよ。だた、……一生懸命なんだからそんなふうにいわなくてもいでしょ」
「なるほど。相手には利用している意識がないってわけだ」
「そんな言い方しないで。じゃあどうすればよかったわけ? 柚真兄は、緋月ちゃんと付き合ってるからあきらめて、とでも言えば良かったの?」
「緋月とは別に、そういうんじゃない」
「でも、……緋月ちゃん、好きでしょう?」
「別に」
その返答に――びっくりした。それが意外、というよりは、あまりに冷淡で。
「……なによ……それ……」
きっぱりと言い捨てられて、司は言葉に詰まった。
そんな答えが返ってくるとは思わなかった。
兄は小さく笑って、
「そんな顔しなくったって、緋月はちゃんとわかっているよ。だけど、お前の友達はそんなわけにいかないだろ。そういう気持ちは重い。期待させるわけにいかないな」
「そ……んなふうに決めなくたっていいでしょう? 彼女も好きな人もいないんだったらなおさら――」
「決まっていなきゃ言わないよ」
「え?」
「だから。――決まっている」
兄の切り返しは早かった。
数秒の空白。
その言葉に、――司ははっきり動揺した。
――どういう意味?
今、なんて?
「……好きな人がいる……の?」
「ノーコメント。答える義理はねえな」
「――――っ」
そのひとことは。
鋭く胸の深いところに突き刺さった。
冷淡な態度、落ち着きを乱さない彼が腹立たしかった。本当に癪に障る。
「ああ……ああ、そう。なんだそうなの。……かわいそう。柚真兄みたいに冷徹な人間に好かれた方もたまらないわね」
「ほっといてもらおうか」
「ほっとくわよ、バカ兄貴」
司にとってそれは、もはや売り言葉に買い言葉、の勢いだった。
柚真人が、司を見る。
それから、華やかに微笑む。
「言うねえ……。おれに協力を仰いでいるのは誰なのかな? 放り出してもいいのかな」
「な、によ……」
「まあいい。その話は、やめておこう」
「……っ」
「とにかく。お前が困るんじゃないかと思ったんだよ。友達なんだろ。……友達が傷ついたら、お前も傷つくだろう。そういうわけだからあとあとのフォローを、友達としてよく考えておくんだな」
司は唇を噛んだ。
そして唇を開きかけるが、何を言っていいのかわからない。
恋をする、と言うことは楽なことじゃない。緋月の気持ちも、久美の気持ちも、いや、それ以前にもっとたくさんのいろんな人の気持ちを、――簡単に踏み躙るようなことを言っておきながら、なんで彼は涼しい顔をしていられるんだろう。
――否、違う。
わかっている。これは一方的な感情で、彼には感受する義理など無い。
――こんな男が一体誰を、想うというのだろう。
なんで嫉妬してるんだろう。なんで。
でも。
思うことが、なにひとつ言葉にならない。
「ほら。本題に戻ろう。何が作りたいんだ?」
返す言葉が――それ以上見つからなかった。
――金曜日。
HRが終わって、司は、学校からの帰り道、久美と寄った本屋で入手した数冊の和菓子レシピを携えて帰宅した。
彩が簡単で、費用のかからないものにするように、と言ったので、その通り初心者向けの本を買った。もっとも、兄の部屋には妙に専門的でマニアックな本がたくさんあったのだが、結局それは参考にならないだろう。
「なんでおれがこんなことを……」
台所のテーブルで、兄が溜め息を落している。
夕食後。
食器を洗う手を止めて、司は柚真人を振り向いた。彼は司に背を向けた格好で椅子に座り、和菓子の本を数冊並べてページをめくっている。
「あの……」
「なんだ」
「ごめん……ね?」
「あやまるな」
と、柚真人。
「ごめ……」
「……お前は何か悪いことをしているのか?」
「……」
確かに、そういうわけではない。柚真人は常々、お前の嫌な癖だという。意味もなくあやまられると、あまり気持ちがよくないそうだ。
食器を手早く片付けて、柚真人の反対側に司も腰を下ろした。
「それで、日曜に来るのはお前のクラスの委員?」
「うん……あ、でも女子だけね。久美ちゃんと彩ちゃんだから」
「ああそう」
「柚真兄は、……文化祭はどうなの?」
「さてねえ。執行部で手一杯だろうね」
「そう……」
「和菓子か……」
「和菓子って……難しいよね?」
「ピンキリだよ。簡単なものだけ作ればいいんだろ」
「もちろんそのつもり。予算もあるし」
柚真人はしばらく本を見ながら考えていたようだったが、ふいに、顔を上げて司を見た。
柚真人を見ていた司は、少しだけ驚いてそのまなざしを見返す。
「……なに?」
「ところで……お前、……利用されている自覚はあるんだろうな?」
「え?」
少しの沈黙があった。
「お前の友達のことだよ」
「?」
「どっちかっていうと、……小さい……猫っ毛の子。に、巻き込まれたんだろって云ってるんだよ。このお人好し」
柚真人は揶揄するような口調で言った。
「あの……?」
「お前が。実行委員て柄じゃないし。いまさら料理を教わりたがるわけないだろ? ってことはだ。誰かに頼まれた。そう判断すべきだろう。で、そうなるとおれに興味がありそうなのは、小さい子の方」
兄が、何を言っているのか、そこまで言われてやっと理解する。思えば、そういった状況に慣れっこになっている彼が、久美の目論見に気づかないはずは無かった。
司は慌てた。
「兄貴、そういう言い方って……」
思わずそう言う言葉が口をついて出たが、兄はそれを、ぴしゃりとさえぎる。
「仲介役でも買って出たつもりか?」
「ち、……違うよ」
まっすぐな視線に耐え兼ねて、司は目線を逸らす。
「でも……。断る理由がないもん……」
「まあそうだな」
あっさりと、頷く。
「でもひとこと言っておくと、おれはたぶんそういう期待にはこたえられないよ?」
「それは……」
「『あたしの責任じゃないもの』とか思ってない?」
辛辣な言葉が胸を刺す。
こういうとき、兄は本当に容赦がない。
「き……決めつけないでよ。……別に、彼女もちじゃないでしょ」
「さあ……どうかな?」
唇の端を歪めて言う。嫌な表情だ。
揶揄するような言葉と口調にむっとした。
「あのさ。久美ちゃんは、友達だし? あたしは、別に利用されてるなんて思ってない。久美ちゃんはそういう子じゃないよ。だた、……一生懸命なんだからそんなふうにいわなくてもいでしょ」
「なるほど。相手には利用している意識がないってわけだ」
「そんな言い方しないで。じゃあどうすればよかったわけ? 柚真兄は、緋月ちゃんと付き合ってるからあきらめて、とでも言えば良かったの?」
「緋月とは別に、そういうんじゃない」
「でも、……緋月ちゃん、好きでしょう?」
「別に」
その返答に――びっくりした。それが意外、というよりは、あまりに冷淡で。
「……なによ……それ……」
きっぱりと言い捨てられて、司は言葉に詰まった。
そんな答えが返ってくるとは思わなかった。
兄は小さく笑って、
「そんな顔しなくったって、緋月はちゃんとわかっているよ。だけど、お前の友達はそんなわけにいかないだろ。そういう気持ちは重い。期待させるわけにいかないな」
「そ……んなふうに決めなくたっていいでしょう? 彼女も好きな人もいないんだったらなおさら――」
「決まっていなきゃ言わないよ」
「え?」
「だから。――決まっている」
兄の切り返しは早かった。
数秒の空白。
その言葉に、――司ははっきり動揺した。
――どういう意味?
今、なんて?
「……好きな人がいる……の?」
「ノーコメント。答える義理はねえな」
「――――っ」
そのひとことは。
鋭く胸の深いところに突き刺さった。
冷淡な態度、落ち着きを乱さない彼が腹立たしかった。本当に癪に障る。
「ああ……ああ、そう。なんだそうなの。……かわいそう。柚真兄みたいに冷徹な人間に好かれた方もたまらないわね」
「ほっといてもらおうか」
「ほっとくわよ、バカ兄貴」
司にとってそれは、もはや売り言葉に買い言葉、の勢いだった。
柚真人が、司を見る。
それから、華やかに微笑む。
「言うねえ……。おれに協力を仰いでいるのは誰なのかな? 放り出してもいいのかな」
「な、によ……」
「まあいい。その話は、やめておこう」
「……っ」
「とにかく。お前が困るんじゃないかと思ったんだよ。友達なんだろ。……友達が傷ついたら、お前も傷つくだろう。そういうわけだからあとあとのフォローを、友達としてよく考えておくんだな」
司は唇を噛んだ。
そして唇を開きかけるが、何を言っていいのかわからない。
恋をする、と言うことは楽なことじゃない。緋月の気持ちも、久美の気持ちも、いや、それ以前にもっとたくさんのいろんな人の気持ちを、――簡単に踏み躙るようなことを言っておきながら、なんで彼は涼しい顔をしていられるんだろう。
――否、違う。
わかっている。これは一方的な感情で、彼には感受する義理など無い。
――こんな男が一体誰を、想うというのだろう。
なんで嫉妬してるんだろう。なんで。
でも。
思うことが、なにひとつ言葉にならない。
「ほら。本題に戻ろう。何が作りたいんだ?」
返す言葉が――それ以上見つからなかった。

