勾玉遊戯:過去編1990-2000

02
 

 
 衝立の内側には、取り立てて変わったところは無かった。だが、しばらくいくと視界を遮るほどの木立ちが現れこれはその向こうにあるアトラクションへの演出なのだろう――石畳が現れた。少し薄暗いぐらい生い茂った木立ちの下、石畳の道を行くと、また視界が開けた。
 そこにあったのは――。
「……」
「柚真兄、これって……」
「ああ。この遊園地の幽霊屋敷」
「仕事って……」
「そのお祓い」
「司ちゃん、本当に聞いてないんだ。この建物、老朽化で、リニューアルも兼ねて立て替え工事をするらしいんだけどね。どうもその工事が上手くいかないらしいのね」
「怪我人が幾人か出たのでしたっけ?」
 と緋月。
「まあその他にもいろいろね。で、ほらよくあるでしょ、幽霊屋敷のオバケのなかに、ひとつ本物の幽霊がいるってやつ。そういう噂がここにもあったんだって」
「事故、怪我のほかに目撃談なんかがあってね、面倒を嫌った経営者側が、この一角を隔離。お祓いの依頼とあいなったわけだ」
「あの……、てことは本当にいた、の? オバケが?」
「オバケと云うのは止めなさい」
 柚真人は憮然とした様子で言い切る。司は横目で兄を睨んだ。
「だってオバケでしょうが」
「……」
 柚真人は少し大仰にため息をついた。
「お前の場合、まずそれが根本的な問題だな……」

      ☆

 その数分後には、レジャーシートを広げて何故かお弁当を囲んでいる四人である。
 木陰の下に空色のシート。
 緋月のお手製弁当は和風洋風各種とりそろえで、その手間がうかがえるほどに眩しく絢爛豪華だった。
 それを囲んで、時計回りに柚真人、緋月、司、飛鳥。
 だが司としては、柚真人と飛鳥の間に人ひとり分ぐらいの隙間があるのが気になる。 
 というより、誰もいないその場所に食物が広げられていること、そして水の入ったコップと紙の皿と割箸が備えられてあるのがとっても気になった。すなわちこれは、いまここにいる四人ではなく。
 五人目の――誰かのための席なのだ。
 つまり。
「ここを神事の祭壇に……?」
「ええそうですわ。だからこうして『熟饌(じゅくせん)』も作ってきたのです」
「『熟饌』……?」
「はい」
 緋月はふんわりと微笑むが、司にはどうにもこうにも事情が飲み込めない。
目の前に広げられたお弁当らしきものを、そう呼ぶらしい。
「まあいいから、黙ってろ」
 こんな時でも正座を崩さず、すっと姿勢を正して柚真人が言う。彼だけを見れば、確かに、その様子からは鋭い気の張りと緊張が見て取れる。装束を身につけていなくても、凛とした空気を漂わせているのがわかる。悔しいが、とても綺麗だ。
 いっぽう飛鳥と緋月の様子はというと、いたってのんびりしたものであって、いったいどうしたものかと思う。司は兄ともイトコ達とも別の意味でひどく緊張していた。
 大きく、深呼吸。
 兄の姿を横目に、落ち着つくんだと意識する。
 何の変哲もない、遊園地の昼下がり。
 穏やかな日差しと少し涼しくなってきた風。
 まわりに人影が無いことをのぞけば、なにも訝しいところは無い。
 だた――朽ちた幽霊屋敷だけが、不気味だった。建物とこの辺り一帯が日本風のたたずまいであるところからして、そのようなコンセプトのアトラクションだったのだろう。朽ち果てひなびて見えるのは、そもそもの演出なのか、それとも老朽化のせいなのか、いまいち判然としない。
 建物の中から運びだされたのであろうセットや廃材が、建物の周りに積み上げられている。
 無造作に打ち捨てられたような、紅い鳥居や、何体もの古い着物をまとった人形。
 地蔵のような石像。
 格子戸や障子。
 ――はっきり云って、気持ちのよい光景ではない。
 五人目の座席とそれらを視界の隅に捕らえながらじっと座っていることなど、司にはかなり無茶な諸行だった。
「……司、大丈夫ですの?」
 司は頬をひきつらせ微笑もうと頑張った。
「お前は自分の印象に囚われ過ぎだ」
 柚真人が静かに言う。
「皇の神職たる者がそれでどうする。お前は本当に少し修行が必要だな」
「柚真兄……」
「祭壇に迎えるのは『オバケ』じゃない。お前の中の恐怖と怯懦は……お前の主観が生むんだぞ。自らを律する意思をもて」


 ぴん、と――空気の中に波紋が広がったのを感じたのはその時。


 司も柚真人も、そして飛鳥も緋月も、顔を上げる。
 そしてそれぞれ、同じ方へと目線を遣る。
 廃れた建物の入口。
 そこに子供が立っていた。
 女の子、だろうか。
 肩の辺りで切り揃えられた髪の黒さと、紅いスカートが印象的だ。
 こちらを向いている。ように思える。
 なぜなら。
 その子供は、お面をしていたからだ。
 何処かの夜祭りで見るような。
 ――狐の面を。

      ☆

 晴れ渡る青い真昼の空の下、ぽつんと立つ小さな人影は――やはりこちらを見ている。
 司はそう思った。
 紅いスカートに狐の面をつけたその奇妙な出立ちの少女は、しばらくじっと、晩夏の日差しの中に立っていた。
 それから用意された五番目の席にやってきて、座った。
 少女は座っただけだった。
 正座した膝の上に真っ白な手。
 蝋細工みたいな白さの、手。
 うつむいた司からは、紅いスカートと、蒼褪めた白い手だけが見える。
 蝋のように、白い、白い手の肌の色。
 柚真人は、何と対峙しているのだろう――司は考えた。
 柚真人がいま、霊視ているもの。
 それは何だろう。
 皇の巫がその魂に刻むものは。


 それがどれくらいの時間だったか、司にはよく解らない。


 ぱたぱた、と――少女の面の下から涙がこぼれ落ち。
 皇の巫が頷いて――小さく――黄泉送祓詞の奏上をはじめた。


「――……」


 その時――司は――はっとして顔を上げた。
 なんだろうか。
 その姿が、陽炎に変わる時。
 感じた――それは――闇色の波紋は――きっと涙の印象。
 淋しいような気持ちの色。
 それは、静謐な闇の滴。
 痛みでもなく、苦悶でもなく、怨嗟でもなく、その真ん中にぽとりと落ちていった、淋しい闇の凝りだった。
祝詞(のりと)』を紡ぐ時の、皇の巫の、澄んだ声が、司は好きだ。
 強い意志を宿した、張りのある声が、空気の色を変えてゆく。
 この声、この言霊には、確かに力がある。
 飛鳥と緋月は、瞑目して坐し、柚真人の祝詞に従うように、韻律を唇で紡いでいる。
 顔を上げたまま、司はただ茫然と、その光景を見ていた。
 皇の『祓詞(はらえことば)』を耳にしながら。
 少女の姿が。


 まるで陽炎のように。
 空気に滲んでいくまで――。


      ☆


 陽炎が空気に溶けて消えてしまうと、祝詞を終え、柏手を打って、柚真人が儀式を結んだ。
「……巫というものは、すべてを受け容れるのではない。受け止めることにその存在意義があると、お前理解しているか?」
 居住まいを正した柚真人は、やおら司に向き直るとそんなことを言った。
「容れることを許せば、人はやがて食い潰される。それは、死者と対峙しようと、生者と対峙しようと変わらないだろ?」
 そうなのか、とおもう。
 確かに。
 そうなのかもしれない。
 生けるものと対峙するときも、死せるものと対峙するときも。
 その点においては何ら変わることがない。
 確かに――そうだ。
「それで、これで……『死者祓』は終わり?」
「なにすっとぼけたこといったやがる」
 柚真人が呆れたように肩をすくめた。
「え?」
「これからが問題なんだよ。ここからの『直会(なおらい)』がひと仕事なんだ」
「なおらいって……。なおらい! ええ!? これ全部!?」
 『直会』――が何を意味するか、は、さすがに知らない司ではない。その意味を悟って聞き直すと、兄はいとも涼しげにうなじて見せた。
「そう。ひとつのこらず食べること。だから四人で来たんだ。おれひとりではとてもこれだけの『熟饌』片付けられないからな」
「……」
 なぜ四人でこの仕事に出向いたのか、ようやく得心がいった。
 やはり――兄は悪辣だ。