勾玉遊戯:過去編1990-2000

01



      ☆

「……おれの勝ちだな」
 夏休み明け、すべての学年で実施される学力考査。
 ――司が順位を上げれば、柚真人が司の要求を受ける。
 ――それができなかった場合、司は柚真人の要求をのむ。
 兄と賭けをすること自体が間違いだったと――司はいたく反省した。


 軽く肩をすくめながら、よもや文句はあるまいな、という顔で兄が微笑む。
 司は、嫌な顔で重くため息をついた。
 ここは、二年校舎の掲示板前。
 夏休み明け、学力審査模試の成績上位者が掲示されている。嫌味ったらしくも燦然と光り輝く学年首位は――もちろん、目の前の少年――皇柚真人。
 一方の司の成績は、推して知るべし。
 今更ながら、彼を相手に賭けを持ち掛けた自分が無謀であったことを、司は悟らざるを得なかった。
 自分には負ける可能性があるが、彼には負ける可能性などというものは微塵も有り得ないのだ。
 司は迂闊にもそれを、忘れていた。
「さて、じゃあ約束通りこちらの要求にしたがってもらおうか」
 言うので、司はちらりと柚真人の表情をうかがい見る。
「しょうが……ない……よね。うん」
「結構」
 柚真人が、優しいとか柔らかいとか、そういった言葉からはもっとも縁遠い感じのする、不吉な予兆を孕んだ表情で頷いた。
 だから司は諦めて訊く。
「で……柚真兄の要求って何なの?」
 兄妹は、肩を並べて階段へを歩きだした。放課後の校舎で、もう人影は疎らだ。司が二年校舎にくることはまれだったが、柚真人の妹というだけですでに有名人と成り果てたらしく、すれちがう上級生がにこやかに挨拶をくれる。
 階段を降りながら柚真人が告げた言葉は、司のまったく予想していないことだった。
「次の仕事に付き合ってもらいたい」
「え?」
 一瞬、何を言われたのかと――思う。
「し、仕事……って?」
「だから、『皇』の仕事」
 驚いて足を止める。
 柚真人はというと、構わずに階段を降りていってしまう。
 司は慌ててその背中を追いかけた。
「あの、えっと……兄貴と?」
「飛鳥と緋月もエントリー済みだけど」
 振り向かずに答える。それから少し間をおいて、彼は続けた。
「お前に『皇の巫女』たることを強要するつもりは毛頭無いが? そろそろ、危急の事態に対処する術ぐらいいずれは身に付けてもらわないとな」
「――――」
 それは――夏休みの事件のことをさしているのだろう。
 面食らった。
 先手、を打たれたことに、なるのだろうか。
 司が顔をしかめると、兄はそんな妹の反応を背中で感じているみたいに笑う。
「と言いたいところだか、まあ……この仕事はそういった類いのものでもなくて、少し特殊な依頼なんだ。だから四人で行くのも悪くは無いと思ってね」
「……そうなの?」
「そう。――なあ訊いてもいいか?」
 ようやく柚真人に追いついて肩を並べたとき、やっと兄が司を見返った。
「?」
「お前は、――おれに何を要求したかったんだ?」
「ああ……」
 司はうつむいて答えた。
「……別に、たいしたことじゃないよ」
 そう、大したことでは無い。
 そして一年校舎へ続く渡り廊下で、柚真人と別れる。兄は部活だ。
「そうか」
「……うん。もういいよ。賭けには負けたんだし」
「精進しろよ」
「わかってるよ。……じゃ、あたし先に帰るね」
「ああ」
 柚真人は軽く手を上げて、部活動のため武道場へと向かった。司は、――振り向かなかった。
 柚真人が司と同じことを考えていたわけではないだろう。
 でも、結果としては同じこと――だ。何処かで見透かされているような気がして、それが悔しくて、何故か苦しい気がした。

      ☆

 司が同行を要求されたのはその週の日曜日。
 朝から四人、笄優麻の車で連れ出されること郊外の遊園地。
「では、私はここでお待ちしますので」
「ああ」
「お気をつけて、いってらっしゃい」
 にこやかに笄優麻が言い、柚真人は頷いて車のドアを閉めた。


「司ちゃんとぉ、でえとー!」
「違う」
「……ていうかなんで遊園地なの?……」
「お弁当、ちゃんとたくさん作って参りましたのよ」
 日曜日に優麻の車で訪れたその場所は、東京郊外にある小さな遊園地だった。
ごく普通の、何の変哲もない遊園地である。日曜日だから、当然のごとく多くの人で賑わっている。
 開園直後の時間であるため園内への入口にはまだ人の列が出来ているし、その向こうからは賑やかな喚声や音楽が聞こえてくる。
 司はというと、神社の仕事というくらいだから、きちんと装束――常衣か斎服にを固めて祭礼を執り行うのだろうという程度の認識であったので、遊園地の前にたたずんで首を傾げた。もちろん、司も柚真人も飛鳥も緋月も、ごく普通に歳相応の休日仕様だ。端から見れば、まんがいちにも神職集団などとは思われまい。
「特殊な依頼、といっただろ?」
 そういうと、柚真人は園内入口の受付へと歩いて行く。促され、司と飛鳥、それに緋月は彼にしたがった。
「ご依頼をいただきました、皇です。よろしいですか?」
 などと、受付の女性に向かって、兄はにこやかに言っている。対する受付嬢は、「承っております」と言って、係員用通用門を開ける。
 どうも話は通っている様子だ。
「どうぞ。付近は指示に従って閉鎖してあります」
「そうですか」
「よろしくお願い致します」
 四人は、通用門を通って園内に入った。
 
  
 ここは毎日がお祭。
 特別な空間。
 夏の名残の空の下で、回るメリーゴーランド。
 回る観覧車。
 広場の向こうのジェットコースターがくるりと宙返りをするたびに、喚声が降ってくる。
 普通に遊びに来たような感覚がどうしても拭いきれなくて、司は大変戸惑っていた。柚真人は無表情。だが、その傍らを並んで歩く飛鳥と緋月は、何故か当たり前のようにはしゃいでいる。とくに緋月は、藤のバスケットを両手に抱えて楽しそうだ。
 察するにそのバスケットの中身が、緋月お手製のお弁当なのだろう。
「あの……ねえ、柚真兄?」
「なんだ」
「……これって、……どういう仕事なの……?」
 司は横目で兄をうかがう。
「どうもこうもないよ」
「あれ、司ちゃん、聞いて無いの」
「うん」
「まったお前、ちゃんと話しておけよ」
「言っておくが、おれは誰にも話した覚えは無い」
「そうだっけ?」
「そう」
「あのね、きょうは『御饌神事』なの」
「……みけしんじ?」
「そこで疑問符か? ……少し勉強が必要だなお前は。いくらなんでも巫女がそれじゃあ」
 そう言う柚真人は相変わらずの無愛想。この期に及んでも、何故に休日の遊園地なのか、話す気がなさそうだ。
 だがこの状況の特殊性はなんとなく司にも理解出来た。
 『御饌神事』という祭礼自体はさすがにおぼろげには理解してはいるが、神衣――とくに烏帽子に狩衣、袴に朝沓でことに望むにはあまりといえばあまりにそぐわなさ過ぎる場所ではある。
 それに、人の目も多いし、騒がしい。
 四人で行くのも悪くない、と柚真人が行ったのも、場所柄独り仕事に赴くには、いくらなんでも気乗りしなかったのかもしれない。
 そうこうするうち、四人は園内の奥まで足を進めてきた。正確には、遊園内の隅一画であろう。工事現場にあるような黒と黄色の衝立や赤いセーフティコーンで区切りがしてあって、立ち入り禁止の張り紙が目立つ。当然、その周辺にはまったく人気が無い。
 ――指示に従って封鎖してありますと、受付嬢が言っていたのはこのことなのだろう。
「これ、隔離したのは遊園地側?」
「そうだ」
 それは内側と外側を文字通り隔離するための処置であって、一種の結界となる。
「この中だ。行くぞ」
 柚真人は言い、あっさりとその隔壁を踏み越えて、隔離された空間の内側へと入っていく。
 司と飛鳥、それに緋月は、彼に従った。