勾玉遊戯:過去編1990-2000

06


 
 それでも――明るくなってしまうと人の恐怖は薄れるものらしい。
 寝室から出てきた片桐は、ソファの上で欠伸をしている飛鳥を見やって、
「橘。お前、本当にリビングで寝たの?」
「うん」
「で、なんか『出』た?」
「いんやあなんにも」
 だが、寝不足は否めない顔だった。
 お互いに、以降は何事もなかったのではあるけれど食欲はなかったし、はしゃぐ元気もいささか減退気味。ただ、朝になってみると、昨夜のことがまるで夢でもみたかのように思えた。ほんの数時間前のことだったのに、本当にあったことなのかとさえ、感じてしまう。
 明るさや太陽の光というのは、人の心に微妙な心理作用をもたらすものらしい。昼と夜はただ太陽の巡りであって、太陽は恒星の光に過ぎないはずである。
 しかして人ならざる者がこの世に存在するならば、それこそ夜昼など気にかけるはずも無いのだが、古来より陽光は邪悪なるものを滅ぼす力があるとされている。その真偽がどうであれ、光の聖性は、人の心に与える安堵感のようなものにも起因するのだろう。
 そしてだからこそ人は闇を恐れ忌む。
「で、今日は何処行く?」
 スクランブルエッグをつつきながら、片桐。
 朝食は、全員キッチン隣のダイニングに集合していた。気分として、誰彼とも、何となくひとかたまりになりたかったようである。
「というより、今日もここに泊まるんだよねえ、やっぱり」
「勿論でしょ。僕は楽しいけどな。もうちょっと派手だと面白いのに」
「っていうか……、本当に本物なのね、『幽霊屋敷』の噂……」
「素敵な夏の思い出じゃない?」
「飛鳥くん! もう勘弁して本当にっ。お願い」
「……司は限界って感じか」
 くす、と柚真人が笑った。
「だって、怖いもの!」
 司は唇をとがらせて言い、それからトーストをかじる。
 結局、誰からも訴えがなかったので、久美は提案した。
「ねえ、お風呂行こうよお。温泉。ほら、昨日も、はいれなかったし……。今日も、駄目だったら嫌だし……」
 そうだった。思えばまずもってそれが発端だったのだ。昨夜も浴室の電気が付かなかったり、お湯が出なかったりして、結局全員、入浴を断念したのだった。
 浴室の設備自体の整備になんらかの不備があったのだろうということで皆納得したのだけれども、それもまた、この家で起こる何かおかしな一連の現象のひとつだったに違いない――彩と久美はそう主張した。
 ふたりは、果物しか食べる気力がなくて、彩はグレープフルーツと麦茶、久美は葡萄をつついている。
 飛鳥は、軽く目配せして柚真人を見た。
「そういえば、ここに来た日に、どっかお風呂行ってたよね? 温泉?」
「ええ、露天温泉。いいとこでしたよ。行きます?」
「そーだねえ。朝から温泉もいいかもねえ」
 片桐も、トーストをかじりながら頷いた。
「あたしも、お風呂がいい……」
 と、司。
 意見の一致を見たようだ。
 緋月は、そんな司を横目で見やって、そっと飛鳥に視線を移す。
 飛鳥は柚真人をちらりと。
 それから、司の向かいで、柚真人は頷いた。
「そうだね。じゃあ今日は、皆で出かけてきて。……おれ、ちょっとここに残って留守番させてもらうから」
「えー? 先輩、一緒にいかないんですかあ?」
「というよりも、よくひとりでこの家に残ろうっていう気になるなあ、皇。スゲーな、お前」
「いや、……ちょっと、家の方の用事があるんだ。神社を三日も空けてるし、連絡もしないといけない」
「てゆーか用事ある無しの問題じゃいとおもうが」
「こっ、こわくないんですか? だって、お化けがいるんですようっ」
 怯えたような久美の言葉に、柚真人は肩をすくめてみせた。
「別に怖くないよ。昨夜のことなら、それぞれが見た、夢かもしれないだろ? 山野さんだって、寝ぼけていたかもしれない。そうじゃない?」
「……皇先輩にそういわれると、そういう気もしてくるから不思議ね……。朝になって思うと、うん。夢だったかも、とか思っちゃう」
 と、彩。
「でもでも、呪いとか祟りとか……」
「大丈夫だよ」
 久美が言い募る言葉を柚真人が否し、それを聞いた彩が小さく笑った。
「……なんか、皇先輩のそれ、すっごい説得力。どうしてかしら?」
「それって、『大丈夫』ってやつ?」
「神主の貫禄ってやつかなあ」
 と片桐。
「貫禄ですって柚真人くん」
 と。
「『おじさん』みたい。くす」 
「お前、よっぽど命を粗末にしたいのか」
「いやいやいや、めっそうもない」
それから柚真人は、――自分でもめったにないことなのだという自覚があるのだが――柔らかいまなざしを司に向けた。
 さすがに、妹だけは、ごまかされないぞ、というまなざして兄を見ている。
 司には悪いことをしたと、殊勝にも思った。
 ――本当にまったくたいした『幽霊屋敷』だ。

      ☆

「柚真兄。……結局また何か、かくしてたでしょ。用事って、『仕事』、なのよね?」
 出かける間際玄関で、ひとり残った兄を見返る司に、柚真人は苦笑いを返した。
「悪いね。これも『仕事』だから」
「あの、さ。……大丈夫、なの?」
 その言葉が、何を案じてかは訊かないことにする。
 不安そうに曇らせた妹の表情に、微苦笑して。
「『大丈夫』だよ。心配せずに、お前もみんなといっておいで」
 柚真人は。
 幼かったころにそうしたように、司の頭をちょっとだけ、なでた。