03
翌朝目を覚ました緋月は、したままの腕時計を眺めた。
朝七時すぎ。
昨夜、あの騒動から柚真人と飛鳥が戻ってきて、食事と後片付けを済ませ、ひととおり騒いでだいたい皆が寝静まったのが午前二時すぎだったから、幾分早い時間だろう。
全員が目を覚ますのは、もう少しあとのことになるだろう。
それまでに朝食の支度をしようか、と思い立って、緋月は静かに着替え、司やその友人たちを起こさないようにしてそっと階段を下りた。
そして玄関へと続く、廊下に立った時である。
柚真人の声が、聞こえたのは。
「いやいや、だいぶん手強いな。洒落た仕事をまわしてくれるよ、お前も」
早朝であることは充分承知の上で、通話をつなぐ先は、青年弁護士の自宅だった。
高原地独特の湿った透明感のある朝の空気のなかで、柚真人はやや、力を込めて携帯電話を握り締める。
「飛鳥の奴がすっかり喜んじまって、仕事どころじゃないよ。ああ? わかってる、何とかするよ、誰に向かってモノいってんだお前。始末は付ける」
苛立ちを押さえて、柚真人は頷いた。
「……違約金とられてえか。あ? 決まってるだろ払うのはお前だよ、お前!」
電話の向こうの優麻の答えに、少し沈黙する。
柚真人は考えた。
問題は、こっちが気質の人間を多数抱えているということ。そして、こちらの仕事は彼らに知られたくはないということ。なぜってそれは面倒だからだ。
のちのちのことを考え立って、うんざりする。
なんとかそれとなく事を済ませたい。司もいることだし――。
「とにかくもう少しこちらで様子を見るが、夕方もう一度連絡する」
柚真人は通話を終えると携帯電話をたたんで手を下ろし、軽く嘆息した。背後から声を掛けられたのはその時で、柚真人はやや驚いた。
だが相手は緋月で、それがすぐにわかったので、軽く肩を下ろす。
「おはようございます、柚真人さま」
緋月は、淡い水色のワンピース姿だった。夏らしく、また御令嬢らしい装いだ。
「早いね」
「話し声が聞こえたものですから」
にこり、と小首を傾げながら微笑んで。
「……お話を立ち聞きしてしまったことは謝りますわ。けれど、説明はしていただけますわね」
はは、と柚真人は頬をひきつらせた。
「昨夜、本当のところいったい何がありましたの? いま、『お仕事』とおっしゃっていましたわね? 夕べの一件、浴室の整備不良、などではないのでしょう? そうですわね? 今のお電話は、優麻さんですわよね……?」
愛らしい笑顔で問い詰められて、軽く額に手を当てる。
まったくもって、飛鳥といい、緋月といい。
「昨夜、結局何があったのです?」
「……ええとだな。つまり……ここ、『幽霊屋敷』なんだってさ」
柚真人は、言った。
☆
しかし困ったことに、山野久美・笹原彩の両名が、早くも昨夜とばっちりを食っていたことが判明した。
金縛りにあったとか、寝苦しかったとか、その程度らしいのだけれど、昨夜のこととあいまって、山野久美の方は、「絶対出るよう!」などと半泣きでいっている始末である。
迂闊にも部屋割りを任せたのが問題であったかもしれない。
だが、朝食の時も、知らぬ存ぜぬ我関せずを決め込むしかない柚真人である。
「朝食、パンでいいかな?」
と、キッチンに立ちながら柚真人。
「……君はいっつでも冷ややかだねえ、柚真人君……」
『出る』『出ない』の話題で、久美と無邪気に盛り上がっていた飛鳥は、「我関せず」をひたすら貫くイトコに感心して見せた。
久美は、なぜかこっそりとひそめた声で、続ける。
「でも『幽霊屋敷』の噂は、わたしも知ってたんですよう。テレビとかでもちょっとやってましたよねえ、橘先輩。幽霊って本当にいるんですねえ?」
「あら、山野サンは信じる方? 気があうねえ」
「もおうっ。その話、やめようよ、久美ちゃん」
「どうしてどうして? 本物なら凄いと思うよ!? こーちゃん」
「すごくないっ。良くないって絶対!」
というのは、司。
「山野さん、この手の話って怖くないの?」
と片桐。こちらは『幽霊談義』にはあまり興味が無い様子だった。現実的なまなざしで、朝のニュース番組を眺めては、欠伸をしている。
「それで……その噂って、どんなものでしたの?」
静かな緋月の問いには、彩が答えた。彩も噂話程度なら知識として知ってはいたらしい。
「それはよくある話よ。心霊写真スポットだとか、誰もいないはずなのに、夜中、窓に人影が見えるとか。あとまわりでよく泣き声みたいなのが聞こえるとか。そんな感じだったと思う。……ちなみに、あたしはそんなもの、信じてないわ」
「そうですわね。……信じない方が、よろしいと思いますわ。わたくしとしては」
「そうよっ、絶対、そんな得体の知れないモノなんか、世の中にいないんだから。いないったらいないのっ。そんなもの、幻覚よ、夢よ、疲れてるのよ、プラズマよっ、共鳴現象よっ」
「こーちゃん、ロマンがなあい」
「あんたがロマンチストすぎるのよ。っていうか、久美。幽霊ってロマン!?」
「ああ、もう……。よりにもよってどうしてこうかな」
司は、天井を仰いだ。我ながら泣きそうな声である、と思う。
「大丈夫、大丈夫、司ちゃん。僕がいるから怖くないよ」
「にしても、こーちゃん。本当に、本気で怖いんだ。『神社の巫女さん』なのに?」
久美の言葉に、司は激しく頷いた。思いきりしかめた顔で、ぐっと久美を睨む。
「こわいっていうか、嫌いなの。そういうのは嫌い」
隣で、緋月がやわらかく苦笑する。
いたずらっぽく司の肩を抱き寄せて、
「そうなんですのよ。司は、この手の話が大の苦手なんですの。ねえ、司?」
「苦手っていうかね……ごめん、とにかくイヤなの」
「へえーっ、心霊恐怖症の巫女?」
「なっ、なによ、みんなしてっ。悪いっ?」
「じゃあー、今夜、肝試しでもしよっか? こーちゃん」
「いっやっ、だ! 絶対、絶対いや! 久美ちゃんそれだけはいやっ」
「みんなー、僕の司ちゃんをいじめちゃ駄目え」
「誰がお前のだ」
「えー? 僕のだもん。そうだもんね。司ちゃん。なんなら、一緒に寝たげるよ」
「……………………………………………………」
柚真人は、ぎゃあぎゃあと騒ぎだした面々を、キッチンから冷たく一瞥した。
「……君達! どうでもいいから手早く食事を済ませてくれないかな?」
「おっ、なによ柚真人くん、朝からご立腹ねえ」
「腹へってんのか?」
「食欲なあーい……」
「すみません、柚真人さま、いまいただきますわ」
「…………」
柚真人は。
言葉を続ける気力を喪失した。
翌朝目を覚ました緋月は、したままの腕時計を眺めた。
朝七時すぎ。
昨夜、あの騒動から柚真人と飛鳥が戻ってきて、食事と後片付けを済ませ、ひととおり騒いでだいたい皆が寝静まったのが午前二時すぎだったから、幾分早い時間だろう。
全員が目を覚ますのは、もう少しあとのことになるだろう。
それまでに朝食の支度をしようか、と思い立って、緋月は静かに着替え、司やその友人たちを起こさないようにしてそっと階段を下りた。
そして玄関へと続く、廊下に立った時である。
柚真人の声が、聞こえたのは。
「いやいや、だいぶん手強いな。洒落た仕事をまわしてくれるよ、お前も」
早朝であることは充分承知の上で、通話をつなぐ先は、青年弁護士の自宅だった。
高原地独特の湿った透明感のある朝の空気のなかで、柚真人はやや、力を込めて携帯電話を握り締める。
「飛鳥の奴がすっかり喜んじまって、仕事どころじゃないよ。ああ? わかってる、何とかするよ、誰に向かってモノいってんだお前。始末は付ける」
苛立ちを押さえて、柚真人は頷いた。
「……違約金とられてえか。あ? 決まってるだろ払うのはお前だよ、お前!」
電話の向こうの優麻の答えに、少し沈黙する。
柚真人は考えた。
問題は、こっちが気質の人間を多数抱えているということ。そして、こちらの仕事は彼らに知られたくはないということ。なぜってそれは面倒だからだ。
のちのちのことを考え立って、うんざりする。
なんとかそれとなく事を済ませたい。司もいることだし――。
「とにかくもう少しこちらで様子を見るが、夕方もう一度連絡する」
柚真人は通話を終えると携帯電話をたたんで手を下ろし、軽く嘆息した。背後から声を掛けられたのはその時で、柚真人はやや驚いた。
だが相手は緋月で、それがすぐにわかったので、軽く肩を下ろす。
「おはようございます、柚真人さま」
緋月は、淡い水色のワンピース姿だった。夏らしく、また御令嬢らしい装いだ。
「早いね」
「話し声が聞こえたものですから」
にこり、と小首を傾げながら微笑んで。
「……お話を立ち聞きしてしまったことは謝りますわ。けれど、説明はしていただけますわね」
はは、と柚真人は頬をひきつらせた。
「昨夜、本当のところいったい何がありましたの? いま、『お仕事』とおっしゃっていましたわね? 夕べの一件、浴室の整備不良、などではないのでしょう? そうですわね? 今のお電話は、優麻さんですわよね……?」
愛らしい笑顔で問い詰められて、軽く額に手を当てる。
まったくもって、飛鳥といい、緋月といい。
「昨夜、結局何があったのです?」
「……ええとだな。つまり……ここ、『幽霊屋敷』なんだってさ」
柚真人は、言った。
☆
しかし困ったことに、山野久美・笹原彩の両名が、早くも昨夜とばっちりを食っていたことが判明した。
金縛りにあったとか、寝苦しかったとか、その程度らしいのだけれど、昨夜のこととあいまって、山野久美の方は、「絶対出るよう!」などと半泣きでいっている始末である。
迂闊にも部屋割りを任せたのが問題であったかもしれない。
だが、朝食の時も、知らぬ存ぜぬ我関せずを決め込むしかない柚真人である。
「朝食、パンでいいかな?」
と、キッチンに立ちながら柚真人。
「……君はいっつでも冷ややかだねえ、柚真人君……」
『出る』『出ない』の話題で、久美と無邪気に盛り上がっていた飛鳥は、「我関せず」をひたすら貫くイトコに感心して見せた。
久美は、なぜかこっそりとひそめた声で、続ける。
「でも『幽霊屋敷』の噂は、わたしも知ってたんですよう。テレビとかでもちょっとやってましたよねえ、橘先輩。幽霊って本当にいるんですねえ?」
「あら、山野サンは信じる方? 気があうねえ」
「もおうっ。その話、やめようよ、久美ちゃん」
「どうしてどうして? 本物なら凄いと思うよ!? こーちゃん」
「すごくないっ。良くないって絶対!」
というのは、司。
「山野さん、この手の話って怖くないの?」
と片桐。こちらは『幽霊談義』にはあまり興味が無い様子だった。現実的なまなざしで、朝のニュース番組を眺めては、欠伸をしている。
「それで……その噂って、どんなものでしたの?」
静かな緋月の問いには、彩が答えた。彩も噂話程度なら知識として知ってはいたらしい。
「それはよくある話よ。心霊写真スポットだとか、誰もいないはずなのに、夜中、窓に人影が見えるとか。あとまわりでよく泣き声みたいなのが聞こえるとか。そんな感じだったと思う。……ちなみに、あたしはそんなもの、信じてないわ」
「そうですわね。……信じない方が、よろしいと思いますわ。わたくしとしては」
「そうよっ、絶対、そんな得体の知れないモノなんか、世の中にいないんだから。いないったらいないのっ。そんなもの、幻覚よ、夢よ、疲れてるのよ、プラズマよっ、共鳴現象よっ」
「こーちゃん、ロマンがなあい」
「あんたがロマンチストすぎるのよ。っていうか、久美。幽霊ってロマン!?」
「ああ、もう……。よりにもよってどうしてこうかな」
司は、天井を仰いだ。我ながら泣きそうな声である、と思う。
「大丈夫、大丈夫、司ちゃん。僕がいるから怖くないよ」
「にしても、こーちゃん。本当に、本気で怖いんだ。『神社の巫女さん』なのに?」
久美の言葉に、司は激しく頷いた。思いきりしかめた顔で、ぐっと久美を睨む。
「こわいっていうか、嫌いなの。そういうのは嫌い」
隣で、緋月がやわらかく苦笑する。
いたずらっぽく司の肩を抱き寄せて、
「そうなんですのよ。司は、この手の話が大の苦手なんですの。ねえ、司?」
「苦手っていうかね……ごめん、とにかくイヤなの」
「へえーっ、心霊恐怖症の巫女?」
「なっ、なによ、みんなしてっ。悪いっ?」
「じゃあー、今夜、肝試しでもしよっか? こーちゃん」
「いっやっ、だ! 絶対、絶対いや! 久美ちゃんそれだけはいやっ」
「みんなー、僕の司ちゃんをいじめちゃ駄目え」
「誰がお前のだ」
「えー? 僕のだもん。そうだもんね。司ちゃん。なんなら、一緒に寝たげるよ」
「……………………………………………………」
柚真人は、ぎゃあぎゃあと騒ぎだした面々を、キッチンから冷たく一瞥した。
「……君達! どうでもいいから手早く食事を済ませてくれないかな?」
「おっ、なによ柚真人くん、朝からご立腹ねえ」
「腹へってんのか?」
「食欲なあーい……」
「すみません、柚真人さま、いまいただきますわ」
「…………」
柚真人は。
言葉を続ける気力を喪失した。

