02
飛鳥がすこしも衰えない元気っぷりで玄関を開けた。
両開きの木の扉がきしむような音を立てて開く。
玄関には黒い石のタイルが敷き詰められていた。その先は、かなりの年数を経た雰囲気のある木の廊下で、床板は磨かれて黒光りしている。和洋の趣の違いを除けば、皇邸のそれに似ているかもしれない。
壁や天井などの内装は白。おおむねアンティークな雰囲気である。
「やほー! 司ちゃん、橘飛鳥ただいまとうちゃーく」
ふたり以外のメンバーは、タクシーに分乗して先に別荘についていた。
何のことはない、一個団体は下の駅までは同じ列車に乗ってきており、駅から別荘までの徒歩を敢行したのが飛鳥と柚真人の二人だけだったのである。
「飛鳥君、柚真兄。本当に歩いたの」
「もっちろん!」
「へえ。先輩たち、本当に歩いてきたんですねえ……。ご苦労様でした」
飛鳥に呼ばれて出迎えた司の背後には、司の級友であるという二人の少女がいた。名前は、小柄で元気の良い方が山野久美、落ち着いた雰囲気の優等生然とした方が笹原彩だ。
柚真人が聞いたところによると、なんでも司と学校で昼食を取る時に一緒になるとかで、どういうわけか飛鳥とも知り合いということだった。
続いてリビングルームから暁緋月が顔を覗かせる。
「飛鳥さん。柚真人さま。遅い到着でしたわね」
などといって、にっこりと、たいへん優雅に微笑む。
最後にリビングの革張ソファから振り向いたのが飛鳥の連れ、片桐智弘。彼のことは、柚真人も知っていた。何せクラスメイトだ。飛鳥と性格の傾向が似ていて、賑やかで屈託がない。
「よお皇。お前、よっく飛鳥に付き合えるな。感心だな」
「……自分でも猛烈に反省中だよ。ああ馬鹿なことをした。無駄な紫外線を浴びた」
呟いて、柚真人は荷物をリビングの床に投げ出した。古い木の板が音を立てて軋む。
洋館は二階建てでリビングは吹き抜けになっており、おおきな明かり取りの窓があった。
二階へ上がると廊下と踊り場が吹き抜けに面しており、その奥にふたつゲストルームあってそこが女性陣各々に割り当てられたようである。
二階の部屋は、階下から中の様子を伺うことは出来ないし、防犯上も安全だろう。
野郎部屋はリビングルーム隣のゲストルームだ。今回使用しない主賓用のベッドルームを含めると――今風にいうなら――4LDKといったところだろうか。
ただひとついえば、それぞれの部屋がかなり広い。
「予め宅配しておいた食料の整理とお部屋の掃除はすみました。お水でも?」
柚真人の傍ら、緋月が小首を傾げる。
「あ、と。何かある?」
「ええ。いまお持ちしますわね。お待ち下さい」
緋月の口調はごくごく丁寧だが、彼女は誰に対しても――特に柚真人に対しては大仰なところがあるものの――こんな調子なので、みんな慣れてしまっている。
柚真人の横では、飛鳥が炭酸飲料2リットルペットボトルのラッパ飲みをはじめた。
「すごいすごーい、橘先輩!」
山野久美が目を瞠る。
洗いたてのコップに水を汲んできた緋月はそれを見とがめ、
「もう、飛鳥さんっ! なんてことなさいますの! おやめなさい、お行儀のわるい!」
「お行儀?」
「本当、お嬢様ねえー、暁さん」
そして飛鳥がぷはっ、と息をついていうことに、
「柚真人ゆまとっ、競争!」
柚真人が脱力したのは、いうまでもなかった。
「……絶対、お断りだね……」
☆
さて、それから数時間後。
女子陣はこのあたりで有名な露天風呂へと、バスを利用して繰り出していった。
別荘には、残された男三人は、見るともなしにローカル放送を流すテレビを点け、豪奢な雰囲気のリビングでくつろぐことにする。
「どれぐらいで帰ってくるかな、彼女たち」
片桐が、胸にクッションを抱えるかたちでフローリングの床に腹ばいになったまま呟いた。
「あー。さあてねえ。女の子はお風呂、長いからねえー」
「司は行水だよ。自宅だと」
キッチンから、柚真人の声。ちなみに身内以外の人間がいる時は完璧な外面口調だ。
「おおっ、いいなあ皇。あんな妹がいて。巫女ちゃんだもんなあ」
「妹をどうしろって?」
憮然と柚真人。
飛鳥はにやりと笑って、
「僕だったら妹でも遠慮できないよなあ。んも、司ちゃん大好きっ」
「……遠慮とかいう問題じゃないよね? 飛鳥」
柚真人の剣呑なまなざしを受け流す。
「暁さんとか、山野さんとかって長そうだよね、女の子の典型って感じ?」
「まあ、それでも二、三時間てとこじゃない」
「じゃ飯は……七時頃かな、どうする?」
「柚真人クン?」
リビングとカウンタを隔てたキッチンでは、柚真人がすでに設備のチェックに入っている。ガスの点検、調理器具、食器の確認。
カウンタの上に身を乗り出して、柚真人は飛鳥と片桐を見た。
「何とか適当に作るよ。ていうか。君たち、あからさまにやる気のなさむき出しだね?」
「あらあら柚真人君。そんなこというとお。『司ちゃんとヤミナベの刑』よ?」
「悪いな皇。俺、スキル皆無だもんで」
「……」
「はー……。夏休みって感じだねえ」
「そういうたわごとはクーラーを止めてからいってくれるかな」
「柚真人くんたら感じわるうい」
「夏休みっていえば、橘あ。お前宿題はどれほど終わったよ?」
「まあトモちゃん。無粋なことをいいなさんな。まだ八月も頭だよ? あんなもなア八月三十一日にまとめてやるのが粋ってもんでしょ?」
「マジかよ。リーダーの翻訳とか、すげえ量あるぞ!? チャレンジャーだなお前」
「柚真人は?」
飛鳥の問いに対する応えは、カウンタの向こうから返ってくる。
「愚問。とっくに全部片付けたよ。おれはお前と違って勤勉だからね」
とたん、片桐がぷっと吹き出した。
「そうなんだ。ったあ、それにしてもしまったなあ。なんだったら皇には終わった宿題持ってきて貰えば良かったじゃん」
「こんなとこまできて夏休み宿題大カンニング大会でもする気か?」
「なにいってんだ。成績優秀なヤツは利用するだけ利用しないとな? だろ?」
悪びれもせず、片桐が言って胸を反らすので、柚真人は苦笑した。
「そりゃまた潔い意見だ」
「お兄ィちゃん! 僕も僕も!」
「大却下! お前は一生チャレンジャーの道を歩みたまえ」
それをみて、また片桐が笑う。
「親戚なんだか友達なんだか、兄弟なんだか、わっかんねえなあ」
「大親友よっ。ね、柚真人」
「さらに却下」
☆
結局、その夜に柚真人が用意した夕食は、パスタとサラダ。
野郎共は、別荘にある風呂を利用することにして、三時間後にようやっと帰ってきた女子を迎えて、やや遅めの夕食がはじまった。
「……わたくし……、こんな生活はじめてですわ」
戸惑いもあらわに緋月嬢が、率直な感想を洩らした。
だがそれも道理である。なにせ、ダイニングテーブルを利用しているのは、緋月と司と彩の三人で、久美という司の級友と男子諸君は、食器をリビングにもちこみテレビなど観ながら、しかも思い思いの状態で食事を敢行しているのだから。
歩く礼儀作法たる暁緋月にはいささか驚嘆に値する事態であるに違いない。
リビングとキッチン、ダイニングは部屋として独立した間取りになっているものの、隔てがなくて、開放的な雰囲気の造りになっていた。
全体としてみると、大きなフロアのようでもある。
シャンデリア風の照明が落とす明かりはやや黄色っぽくあせた感じで、近代建築に比べれば足りない感じがした。
古風な洋館のリビングルームにある、いかにも現代的なテレビがなんともそぐわない。
「信じられません。なんだか悪いことをしているみたいで落ち着きませんわね……」
「へええ。本当に、お嬢様なのね。暁さん」
「わたくし……、自分が格別変だとは思いませんけれど……おかしいですかしら?」
生真面目に悩む口振りで、彩の言葉に緋月が応える。
「やあねえ緋月ちゃん。自覚があったら変じゃないでしょ? 変な人は自覚がないからねえ、変なんだよう」
ダイニングの方へ、揶揄するような口調でそう言うのは飛鳥。
「まあ失礼ですわね! 人のことが言えまして?」
「緋ぃちゃんと橘先輩ってボケツッコミみたい。本当に仲いいんですねえ先輩方って」
と、久美が言った彼女は司にもそうするように、誰にでも愛称を付けたがる。
そんな久美の言葉に、飛鳥はこくこくと頷いた。
「そりゃあもう。なかよしよ。『橘飛鳥と愉快な仲間達』、だもんね」
「飛鳥さんっ!」
「あ、でもね、司ちゃんは別ね。僕、司ちゃんのことは特別に大好きだからね」
「橘、お前……冗談にしても恥ずかしくないか?」
「全然」
呆れる片桐にきっぱりと返して、飛鳥は胸をそらした。司は困ったように苦笑いする。
「えばってどーするよ」
「わたくしが、いつ、あなたの『仲間』になったんですのよっ!」
「家同士のつながりでいえば、生まれた時からじゃなあい。水くさいわねえ」
それに対して、憤然とこれまた生真面目に緋月が応じようとしていた――時だった。
突然――、どこかで水音がしたのは。
一瞬、全員が沈黙した。
「水……?」
「……やだ……なに?」
「建物の……中だよ?」
それは確かに流れ落ちる水の音だった。
「え、台所!?」
咄嗟に目をやるがキッチンのシンクではない。
「待てよ。これシャワーじゃないか?」
「嘘。だって誰もいるはずないのに」
その時、すっと立ち上がったのは柚真人と飛鳥で、ふたりはためらうふうもなくリビングルームからバスルームへと歩きだす。
「ちょっ……とォ! ふたりともっ」
「先輩!?」
「そこにいて、僕と柚真人で見てくるから」
ドアのところで、肩越し飛鳥がそう言った。
リビングを廊下を隔てる扉が閉まる音が重く、そのあとに続いた。
バスルームは玄関を入ってすぐ、リビングルームから板張りの廊下を隔てたところにあった。
先に立つ柚真人が脱衣所への扉を開け、バスルームへの扉を開く。
浴室では――もうもうたる湯気の中、出しっ放しになっているシャワーがざあざあと音を立てていた。白いタイル張りのそこは、照明も薄暗く、陰鬱な感じがしないことも、ない。
「……」
柚真人は軽く袖をまくると手を伸ばし、シャワーを止める。
途端、しん、と浴室が静かになる。流れるわずかな水の音と、滴が落ちてゆく音。
「……まいったな」
「参ったって何がよ? 柚真人クン?」
怪訝な声で飛鳥が首を傾げる。
対する柚真人は、一変して厳しい口調になった。
「飛鳥。このさい一応言っておこうか」
傍らの柚真人を振り向いて――飛鳥は軽く息を飲む。嘆息すると、すっと息を吸い、背筋を正す。やや真率な顔になり、そして改めて訊く。
「なんでしょうか、御当主様」
「……じつはこの物件、大変ないわくつきらしくてね。実は『死者祓』を請け負った」
「請け負ったって……、え、ここ? この物件?」
「そうだな」
「……おやまあ」
「お前知らないか? 優麻は、お前は噂ぐらい知っているのではないかと、っていた。最近じゃ結構有名な場所らしいんだ。持ち主は、それに辟易しているそうでね」
飛鳥は、ちょっとの思案の後、頷いた。
「確かに、このあたりにもそういう『怪奇現象続出の館』てな噂があったのは知ってる」
「それがここだってわけだ」
「ほお。どうりでよろしくない空気を感じると思った」
そういったとき、ぱちぱちっと何かはぜるような音がして、浴室と脱衣所の電気が消えた。
もちろん、そんなことで動揺する二人ではないから、唐突に訪れた闇の中でも何事もなかったように平然と、二人は互い瞳をみる。
「くっそ、優麻の野郎……」
「なに? 弁護士さん伝て?」
「それだけじゃない。……わかるだろ、司が一緒なんだぞ。あいつ、旅行ついでになんて気軽なこと言いやがって」
「ああそういえばそうだね」
通常であれば。柚真人の存在そのものが、牽制になることが多い。
それが通じない、ということは、いつ、なにが怒るか予測が付かない、ということで。これは、状況を考えるとかなりいたいのだ。
「滞在中に暇をみてこっそり、それとなく、穏便に片付けるくらいのつもりでいたんだが……まいったな」
柚真人と飛鳥は、暗闇の中で見るともなしに顔を見合わせた。互いに互いがため息をつくのがわかった。
「司ちゃんを連れてくるくらいだもんね。失敗したって、思ってるわけだ? 二、三日早くきて先に片付けりゃよかったのに、御当主らしくもない」
「……しかたない。おれだって判断ミスぐらいする」
意外と素直な言葉に、飛鳥は軽く目を見開いた。
「わかりました。フォローしながらなんとかしましょ。僕は楽しいけどね、『幽霊屋敷』なんてさ。夏休みにはサイコーのイベントだもんねえ」
闇に落ちたバスルームで、何かを挑発するように飛鳥がいう。
途端、ぱん、という乾いた音がして、頭上の電球が割れた。
ぱらぱらと破片が降り注ぐ。
「……あすか……。お前、おれのいってることを理解しているのか? 司がいるんだぞっ」
「いいねえ。 そうこなくっちゃ!」
はあ、と溜め息をついて、柚真人は肩を落とした。実は一番厄介なのは、この男ではないだろうか。そんな気がした。
それから柚真人と飛鳥は、電球を新品に取り換えた。そして設備の整備不良のようだという理由を付けて、なんとか一同を納得させたのだ。
飛鳥がすこしも衰えない元気っぷりで玄関を開けた。
両開きの木の扉がきしむような音を立てて開く。
玄関には黒い石のタイルが敷き詰められていた。その先は、かなりの年数を経た雰囲気のある木の廊下で、床板は磨かれて黒光りしている。和洋の趣の違いを除けば、皇邸のそれに似ているかもしれない。
壁や天井などの内装は白。おおむねアンティークな雰囲気である。
「やほー! 司ちゃん、橘飛鳥ただいまとうちゃーく」
ふたり以外のメンバーは、タクシーに分乗して先に別荘についていた。
何のことはない、一個団体は下の駅までは同じ列車に乗ってきており、駅から別荘までの徒歩を敢行したのが飛鳥と柚真人の二人だけだったのである。
「飛鳥君、柚真兄。本当に歩いたの」
「もっちろん!」
「へえ。先輩たち、本当に歩いてきたんですねえ……。ご苦労様でした」
飛鳥に呼ばれて出迎えた司の背後には、司の級友であるという二人の少女がいた。名前は、小柄で元気の良い方が山野久美、落ち着いた雰囲気の優等生然とした方が笹原彩だ。
柚真人が聞いたところによると、なんでも司と学校で昼食を取る時に一緒になるとかで、どういうわけか飛鳥とも知り合いということだった。
続いてリビングルームから暁緋月が顔を覗かせる。
「飛鳥さん。柚真人さま。遅い到着でしたわね」
などといって、にっこりと、たいへん優雅に微笑む。
最後にリビングの革張ソファから振り向いたのが飛鳥の連れ、片桐智弘。彼のことは、柚真人も知っていた。何せクラスメイトだ。飛鳥と性格の傾向が似ていて、賑やかで屈託がない。
「よお皇。お前、よっく飛鳥に付き合えるな。感心だな」
「……自分でも猛烈に反省中だよ。ああ馬鹿なことをした。無駄な紫外線を浴びた」
呟いて、柚真人は荷物をリビングの床に投げ出した。古い木の板が音を立てて軋む。
洋館は二階建てでリビングは吹き抜けになっており、おおきな明かり取りの窓があった。
二階へ上がると廊下と踊り場が吹き抜けに面しており、その奥にふたつゲストルームあってそこが女性陣各々に割り当てられたようである。
二階の部屋は、階下から中の様子を伺うことは出来ないし、防犯上も安全だろう。
野郎部屋はリビングルーム隣のゲストルームだ。今回使用しない主賓用のベッドルームを含めると――今風にいうなら――4LDKといったところだろうか。
ただひとついえば、それぞれの部屋がかなり広い。
「予め宅配しておいた食料の整理とお部屋の掃除はすみました。お水でも?」
柚真人の傍ら、緋月が小首を傾げる。
「あ、と。何かある?」
「ええ。いまお持ちしますわね。お待ち下さい」
緋月の口調はごくごく丁寧だが、彼女は誰に対しても――特に柚真人に対しては大仰なところがあるものの――こんな調子なので、みんな慣れてしまっている。
柚真人の横では、飛鳥が炭酸飲料2リットルペットボトルのラッパ飲みをはじめた。
「すごいすごーい、橘先輩!」
山野久美が目を瞠る。
洗いたてのコップに水を汲んできた緋月はそれを見とがめ、
「もう、飛鳥さんっ! なんてことなさいますの! おやめなさい、お行儀のわるい!」
「お行儀?」
「本当、お嬢様ねえー、暁さん」
そして飛鳥がぷはっ、と息をついていうことに、
「柚真人ゆまとっ、競争!」
柚真人が脱力したのは、いうまでもなかった。
「……絶対、お断りだね……」
☆
さて、それから数時間後。
女子陣はこのあたりで有名な露天風呂へと、バスを利用して繰り出していった。
別荘には、残された男三人は、見るともなしにローカル放送を流すテレビを点け、豪奢な雰囲気のリビングでくつろぐことにする。
「どれぐらいで帰ってくるかな、彼女たち」
片桐が、胸にクッションを抱えるかたちでフローリングの床に腹ばいになったまま呟いた。
「あー。さあてねえ。女の子はお風呂、長いからねえー」
「司は行水だよ。自宅だと」
キッチンから、柚真人の声。ちなみに身内以外の人間がいる時は完璧な外面口調だ。
「おおっ、いいなあ皇。あんな妹がいて。巫女ちゃんだもんなあ」
「妹をどうしろって?」
憮然と柚真人。
飛鳥はにやりと笑って、
「僕だったら妹でも遠慮できないよなあ。んも、司ちゃん大好きっ」
「……遠慮とかいう問題じゃないよね? 飛鳥」
柚真人の剣呑なまなざしを受け流す。
「暁さんとか、山野さんとかって長そうだよね、女の子の典型って感じ?」
「まあ、それでも二、三時間てとこじゃない」
「じゃ飯は……七時頃かな、どうする?」
「柚真人クン?」
リビングとカウンタを隔てたキッチンでは、柚真人がすでに設備のチェックに入っている。ガスの点検、調理器具、食器の確認。
カウンタの上に身を乗り出して、柚真人は飛鳥と片桐を見た。
「何とか適当に作るよ。ていうか。君たち、あからさまにやる気のなさむき出しだね?」
「あらあら柚真人君。そんなこというとお。『司ちゃんとヤミナベの刑』よ?」
「悪いな皇。俺、スキル皆無だもんで」
「……」
「はー……。夏休みって感じだねえ」
「そういうたわごとはクーラーを止めてからいってくれるかな」
「柚真人くんたら感じわるうい」
「夏休みっていえば、橘あ。お前宿題はどれほど終わったよ?」
「まあトモちゃん。無粋なことをいいなさんな。まだ八月も頭だよ? あんなもなア八月三十一日にまとめてやるのが粋ってもんでしょ?」
「マジかよ。リーダーの翻訳とか、すげえ量あるぞ!? チャレンジャーだなお前」
「柚真人は?」
飛鳥の問いに対する応えは、カウンタの向こうから返ってくる。
「愚問。とっくに全部片付けたよ。おれはお前と違って勤勉だからね」
とたん、片桐がぷっと吹き出した。
「そうなんだ。ったあ、それにしてもしまったなあ。なんだったら皇には終わった宿題持ってきて貰えば良かったじゃん」
「こんなとこまできて夏休み宿題大カンニング大会でもする気か?」
「なにいってんだ。成績優秀なヤツは利用するだけ利用しないとな? だろ?」
悪びれもせず、片桐が言って胸を反らすので、柚真人は苦笑した。
「そりゃまた潔い意見だ」
「お兄ィちゃん! 僕も僕も!」
「大却下! お前は一生チャレンジャーの道を歩みたまえ」
それをみて、また片桐が笑う。
「親戚なんだか友達なんだか、兄弟なんだか、わっかんねえなあ」
「大親友よっ。ね、柚真人」
「さらに却下」
☆
結局、その夜に柚真人が用意した夕食は、パスタとサラダ。
野郎共は、別荘にある風呂を利用することにして、三時間後にようやっと帰ってきた女子を迎えて、やや遅めの夕食がはじまった。
「……わたくし……、こんな生活はじめてですわ」
戸惑いもあらわに緋月嬢が、率直な感想を洩らした。
だがそれも道理である。なにせ、ダイニングテーブルを利用しているのは、緋月と司と彩の三人で、久美という司の級友と男子諸君は、食器をリビングにもちこみテレビなど観ながら、しかも思い思いの状態で食事を敢行しているのだから。
歩く礼儀作法たる暁緋月にはいささか驚嘆に値する事態であるに違いない。
リビングとキッチン、ダイニングは部屋として独立した間取りになっているものの、隔てがなくて、開放的な雰囲気の造りになっていた。
全体としてみると、大きなフロアのようでもある。
シャンデリア風の照明が落とす明かりはやや黄色っぽくあせた感じで、近代建築に比べれば足りない感じがした。
古風な洋館のリビングルームにある、いかにも現代的なテレビがなんともそぐわない。
「信じられません。なんだか悪いことをしているみたいで落ち着きませんわね……」
「へええ。本当に、お嬢様なのね。暁さん」
「わたくし……、自分が格別変だとは思いませんけれど……おかしいですかしら?」
生真面目に悩む口振りで、彩の言葉に緋月が応える。
「やあねえ緋月ちゃん。自覚があったら変じゃないでしょ? 変な人は自覚がないからねえ、変なんだよう」
ダイニングの方へ、揶揄するような口調でそう言うのは飛鳥。
「まあ失礼ですわね! 人のことが言えまして?」
「緋ぃちゃんと橘先輩ってボケツッコミみたい。本当に仲いいんですねえ先輩方って」
と、久美が言った彼女は司にもそうするように、誰にでも愛称を付けたがる。
そんな久美の言葉に、飛鳥はこくこくと頷いた。
「そりゃあもう。なかよしよ。『橘飛鳥と愉快な仲間達』、だもんね」
「飛鳥さんっ!」
「あ、でもね、司ちゃんは別ね。僕、司ちゃんのことは特別に大好きだからね」
「橘、お前……冗談にしても恥ずかしくないか?」
「全然」
呆れる片桐にきっぱりと返して、飛鳥は胸をそらした。司は困ったように苦笑いする。
「えばってどーするよ」
「わたくしが、いつ、あなたの『仲間』になったんですのよっ!」
「家同士のつながりでいえば、生まれた時からじゃなあい。水くさいわねえ」
それに対して、憤然とこれまた生真面目に緋月が応じようとしていた――時だった。
突然――、どこかで水音がしたのは。
一瞬、全員が沈黙した。
「水……?」
「……やだ……なに?」
「建物の……中だよ?」
それは確かに流れ落ちる水の音だった。
「え、台所!?」
咄嗟に目をやるがキッチンのシンクではない。
「待てよ。これシャワーじゃないか?」
「嘘。だって誰もいるはずないのに」
その時、すっと立ち上がったのは柚真人と飛鳥で、ふたりはためらうふうもなくリビングルームからバスルームへと歩きだす。
「ちょっ……とォ! ふたりともっ」
「先輩!?」
「そこにいて、僕と柚真人で見てくるから」
ドアのところで、肩越し飛鳥がそう言った。
リビングを廊下を隔てる扉が閉まる音が重く、そのあとに続いた。
バスルームは玄関を入ってすぐ、リビングルームから板張りの廊下を隔てたところにあった。
先に立つ柚真人が脱衣所への扉を開け、バスルームへの扉を開く。
浴室では――もうもうたる湯気の中、出しっ放しになっているシャワーがざあざあと音を立てていた。白いタイル張りのそこは、照明も薄暗く、陰鬱な感じがしないことも、ない。
「……」
柚真人は軽く袖をまくると手を伸ばし、シャワーを止める。
途端、しん、と浴室が静かになる。流れるわずかな水の音と、滴が落ちてゆく音。
「……まいったな」
「参ったって何がよ? 柚真人クン?」
怪訝な声で飛鳥が首を傾げる。
対する柚真人は、一変して厳しい口調になった。
「飛鳥。このさい一応言っておこうか」
傍らの柚真人を振り向いて――飛鳥は軽く息を飲む。嘆息すると、すっと息を吸い、背筋を正す。やや真率な顔になり、そして改めて訊く。
「なんでしょうか、御当主様」
「……じつはこの物件、大変ないわくつきらしくてね。実は『死者祓』を請け負った」
「請け負ったって……、え、ここ? この物件?」
「そうだな」
「……おやまあ」
「お前知らないか? 優麻は、お前は噂ぐらい知っているのではないかと、っていた。最近じゃ結構有名な場所らしいんだ。持ち主は、それに辟易しているそうでね」
飛鳥は、ちょっとの思案の後、頷いた。
「確かに、このあたりにもそういう『怪奇現象続出の館』てな噂があったのは知ってる」
「それがここだってわけだ」
「ほお。どうりでよろしくない空気を感じると思った」
そういったとき、ぱちぱちっと何かはぜるような音がして、浴室と脱衣所の電気が消えた。
もちろん、そんなことで動揺する二人ではないから、唐突に訪れた闇の中でも何事もなかったように平然と、二人は互い瞳をみる。
「くっそ、優麻の野郎……」
「なに? 弁護士さん伝て?」
「それだけじゃない。……わかるだろ、司が一緒なんだぞ。あいつ、旅行ついでになんて気軽なこと言いやがって」
「ああそういえばそうだね」
通常であれば。柚真人の存在そのものが、牽制になることが多い。
それが通じない、ということは、いつ、なにが怒るか予測が付かない、ということで。これは、状況を考えるとかなりいたいのだ。
「滞在中に暇をみてこっそり、それとなく、穏便に片付けるくらいのつもりでいたんだが……まいったな」
柚真人と飛鳥は、暗闇の中で見るともなしに顔を見合わせた。互いに互いがため息をつくのがわかった。
「司ちゃんを連れてくるくらいだもんね。失敗したって、思ってるわけだ? 二、三日早くきて先に片付けりゃよかったのに、御当主らしくもない」
「……しかたない。おれだって判断ミスぐらいする」
意外と素直な言葉に、飛鳥は軽く目を見開いた。
「わかりました。フォローしながらなんとかしましょ。僕は楽しいけどね、『幽霊屋敷』なんてさ。夏休みにはサイコーのイベントだもんねえ」
闇に落ちたバスルームで、何かを挑発するように飛鳥がいう。
途端、ぱん、という乾いた音がして、頭上の電球が割れた。
ぱらぱらと破片が降り注ぐ。
「……あすか……。お前、おれのいってることを理解しているのか? 司がいるんだぞっ」
「いいねえ。 そうこなくっちゃ!」
はあ、と溜め息をついて、柚真人は肩を落とした。実は一番厄介なのは、この男ではないだろうか。そんな気がした。
それから柚真人と飛鳥は、電球を新品に取り換えた。そして設備の整備不良のようだという理由を付けて、なんとか一同を納得させたのだ。

